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1.誰も寝てはならぬ

Q.カーバンクルとは?

A.赤い宝石の総称。あるいは額に赤い宝石を持つ半人半獣の存在。富をもたらすとされる。完全であり完璧であり完成された存在。



***



どうやら私はカーバンクルであるらしいと気付いた。

目の前で、私を産んだ人が今まで見たこともないような顔で笑み崩れている。


「お前みたいなかわいげのない厄介者を産んだことを何度も後悔したけれど、二束三文で売り飛ばさなくてよかったわ! ああ、ああ、この額の宝石! きっとルビーね、すてき、ふふ、これでアタシも……!」


なるほど、つい数分前に私の額に生まれた固い何か……私を産んだ人もとい母親の目には、これはルビーに見えているらしい。

ぺたり、と触ってみる。ひんやりと冷たく、おそらくは円形の形をしているらしいそれ。

この世に生まれて早八年。

場末の娼館で、売れない娼婦がうっかり産み落としてしまった女の子、が私である。

名前はまだない。

「ちょっと」や「そこの」など指示語で呼ばれたことは多々あるけれども、それは名前ではないことは理解している。


「ぼんやりしていないでさっさと支度をなさい。お前を買ってくださるお方のもとに行かなくちゃ!」


どんっと突き飛ばされて、足元に転がる男の身体につまづいて尻餅をつく。

意識のないこの男、齢八歳の私に性的欲求を抱いて今宵一晩をお買い上げなさった、私にとっては初の『お客様』である。

何をされても逆らうな、無礼を働くな、言う通りにしろ、と口を酸っぱくして私に言い聞かせたのは母なのに、その母はもうこの男のことなんてどうでもいいようだ。

男にベッドに押し倒されて擦り切れたぼろぼろの服をはぎ取られた瞬間に、私はカーバンクルとしてこの世に二度目の生を受けた。

額がやけに熱いと思ったらそこには宝石が生まれ、そして気付けば炎を操り男を殺さない程度に追い詰め、その男の悲鳴を聞き付けた母がやってきて、今にいたる。

支度しろと言われても、何をすればいいのか。

とりあえず服。服か。

ふらつく身体に鞭を打って、数少ないというかもう唯一となってしまった、私のやせぎすの身体には余る先輩娼婦が恵んでくれたワンピースをとりあえず着てみる。


「みっともないわね。そんな恰好であのお方にお会いするつもり? まあいいわ、ほら、さっさと行くわよ」


伸びきっていたり、逆に鋭く割れていたりするちぐはぐな爪が飾る手に腕を掴まれて、引きずられるように外に出た。

外は暗い。夜だ。

月が大きくて、星がぶちまけられていて、街灯なんて整備されていないこんな地区で頼りになる明かりはそれだけなのに、私のこの目は真昼と同じくこの夜闇を見通す。


「ふふ、ふふふっ! あのお方はね、いつもこの時間に教会にいらっしゃるの。そこでアタシと出会って、それからお前が生まれたのよ。そう、そうなの、だからあのお方は、お前の父親なのよ! そうに決まってるわ、そうよ、そう、そうでなきゃいけないの!」


私の腕を引っ張りながら、母親は夢見るように瞳を細めた。

あのお方、という相手が誰なのかは知らないけれど、きっと、ではなく確実に、私の父親ではないのだろう。

母親は物事を自分に都合よく曲解する上に妄想癖もあるので、だいたいのことが虚言として片付けられる。


「ああっ! いらしたわ! ――――――――――ファナーリ侯爵様ぁ!」


甲高い声を上げて、母親が走り出す。

必然的に私も走り出さなくてはならないことになるけれど、何せ歩幅が違う。

そう長くも走らないうちに顔面から無様にすっころぶ。

「何をしているのこの愚図!」と母親が苛立ちをあらわに怒鳴りつけてきた。慣れ親しんだ罵声である。

石畳にしたたかに打ち付けた額が痛い。カーバンクルの証である宝石があっても、痛いものは痛いらしい。なるほど勉強になった。

うーん、それにしてもこれ、起き上がらなくてはだめだろうか。

ものすごく嫌な予感が……って。



「……ほう? ルビーか」



え、と思う間もなく、首根っこを引っ掴まれて持ち上げられる。

いくら私がやせぎすの八歳児だとしても、子猫をつまみ上げるように軽々と片手で持ち上げる真似なんてそうそうできることではないのでは……と思う間もなく、視界に満ちたのは、金色。

そして、夜闇の中でこそまばゆく輝く、青いきらめき。


「はぐれの同胞か。うん? 私の子供? はは、なるほど。いいだろう。そら、これを持ってどこへなりとも消えろ」


なんだかよく解らないままに、私をつまみ上げたまま、目の前のそれはそれは美しく身なりのいい金髪金目の青年が、背後で慌てている護衛と思わしき兵士達からやたら重そうな布袋をぽいっと私の母親だったはずの人に投げ渡す。

ぎゃんぎゃんきゃんきゃんあれやそれ、この子はあなたの子供です、ごらんくださいその額、カーバンクルの証です、あなたとアタシの子供です、なーんて騒いでいた母親は、その布袋を受け取るが早いか、喜色満面の笑みで足早に駆け去っていった。

残されたのは私と、額に青い宝石をいただく美青年、そしてその護衛の方々である。


え、これどうなるの、と思った次の瞬間、私は容赦なく石畳に叩きつけられた。


悲鳴を上げることもできず、想定外の衝撃による痛みに呻くことすらできない。

そんな私のあごを、ぐぎっと掴む手袋に包まれた手。

そのまま顔を持ち上げられた先にあったのは、やっぱり美しい青年の顔。

額で輝く蒼穹のような宝石。

ぎらぎらと艶やかに、そして冷たく光る金の瞳。


「悪くない色だな。磨けば鳩の血にも等しくなろう。よろこべ、お前は今宵からこのグラナート・ファナーリの子供となる。名前は……そうだな、リュシオルの名をやろう。せいぜい光栄に思うがいい」


鮮やかに艶やかに青年は嗤った。その笑顔から、青い宝石の輝きから、目が離せない。

そうして私はこの夜、リュシオル・ファナーリという運命を押し付けられたのだった。


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