三段飛ばしの列車雲
となりいいですか?
そんな何気ない一言が言えない日々だ。べつに失礼なことでも図々しいことでもないのに言えない。自由席がそこしか空いてないから座りたいだけってのは誰にだってわかる。それでも言いにくい。なんとなく自信がない。それでちょっと立ち止まっていると余計に変な事が頭によぎる。変に思われてないかなとか、見た目がおかしくないかなとか、そんなもしかしたらばかりが通り抜けては自分を止める。そうこうしていると何もできなくなって、僕はいつもトイレとか喫煙所を行ったりきたりしてしまう。さらにはなんで自由席をとったんだろうとも思ってしまう。決められていたなら迷う必要もないのになと。
「どうかなさいましたか?」
三回目のトイレがおわりどうしようかと思っていると、乗務員さんが声をかけてくれた。優しそうなおじさんだ。
「実はちょっと座るのが気まずくて……」
僕はなんとか喉を震わせて答える。
「そうなんですか。確かに知らない人の隣って座るまで緊張しちゃいますよね」
「はい。自分でも直したいなとは思うのですが、なかなか勇気が出なくて……」
優しい返答をしてくれる人だな。なんて事でもないのに嬉しいや。
「勇気ですか……そればっかりはなんとも言えないものですね。すみません。乗車券の確認させてもらってもいいですか?」
「あっ、乗車券ですね。わかりました」
僕はポケットから乗車券を取り出した。
「はい、確認させていただきますね。はい、確認できました。お返ししますね」
「ありがとうございます」
無事に確認できたようだ。こうゆう時も謎に緊張しちゃうんだよな。やっぱり僕は小心者だな。
「隣に人がいると座りにくいんですよね?」
「えっ、まぁそうですけど……」
急になんだ?
「実は空いている車両が一つありまして、そこにご案内できますよ」
「いいんですか?」
「もちろんです。ではご案内させていただきますね」
ありがたい。なんて優しいんだこの人は。でも一体どこなんだ?空いている車両なんてあったかな?もしかして指定席ではないよな。それだったら断らないと。
「あの……」
「はい?どうなさいました?」
「その空いている車両というのは指定席の車両ではないですよね?」
僕の小さい声はさらに小さく、そして微かか震えていた。この優しい乗務員さんの好意を無碍にしてしまうかもしれないからだ。
「はい、指定席ではございませんのでご安心ください」
「あっ、そうですか。わかりました。ありがとうございます」
よかった。そんな迷惑かけられないからな。
「お客さん、さっき勇気が出ないといってましたよね?」
「えっ、まぁはい」
「そしてそんな自分がこのままでいいのかと悩んでいる」
「……はぁ」
急にどうしたんだ。間違ってはないけどさ。人に言われるとなんだかなぁ。
「私はお客さんに勇気がないと思いませんよ」
「いやいや……」
「あなたは勇気というものをどう思ってるんですか」
乗務員さんは歩きながら問いかける。
「あー、自分を出せる力……ですかね?その貫ける強さみたいな」
「なるほど。それって勇気ですかね?私には図太いだけに思えます」
図太いだけか……そんなことないんじゃないかな。言い過ぎな気がするなぁ。
「それは違うんじゃないですかね。ほら、私だったら隣に人がいると座りにくいから座ってないだけで。別に座る事で図太いなんていうのはよくないですよ」
「そうですね。図太いは言いすぎたかもしれません。申し訳ございません。ところで横に座れる人というのはなぜ座れると思いますか?」
「……疲れてるとかじゃないですか?別にただ席が空いてるから座ってる人もいるだろうし。それに座った方が楽だからですよね」
乗務員さんは歩くのをやめこちらに振り向いた。
「そのとおりです。おそらくですが殆どの人は座れるから座るでしょう。でもその行為に勇気は関係あるでしょうか。私はないと思います。なぜなら勇気は楽な方に向かう時に使うものではないですから」
「いやいや、それだったら私はどうなるですか。座れないんですよ。これって勇気がないからじゃないですか」
「いえ、それは断じて違います。お客様は『座って楽になる事』より『人を気遣う事』が先にきているだけなんですよ」
「そんなたいそうなもんじゃないですって」
「私からすれば楽になる道より、悩んで辛い方を選べることは勇気あることだと思います。お客様に必要なのは人の隣に座れる勇気ではなく、気遣える自分を大事にすることではないでしょうか」
そんなこと初めて言われたな。でも気遣いなんてもんじゃないよな。僕が小心者でビビリだからだ。
「そんなこと初めて言われました。ありがとうございます。ですけどそんなに自分は立派じゃ――」
「お客様、卑屈になる必要はございません」
その時列車は止まった。
「ちょうど止まりましたね。お客様降りてください」
「え?なんで降りるんですか」
「その切符、日時が今日じゃありませんよ。三つほど飛ばしてきてしまったみたいですね。では来る時にお乗りくださいませ」
「は?三つ飛ばしってどうゆうことですか?ちょっと――」
「意識が戻りました!意識が戻りましたよ!」
「本当か!今すぐご家族に連絡を入れてくれ!」
瞼を開けると真っ白な天井があり、ここが会社でも家でもない事がわかる。起きあがろうとしても体はいうことを聞かないみたいだ。
「大丈夫ですか?聞こえますか?喋れますか?」
口早に男の人が喋りかけてくる。聞いたことのない声だ。
「……聞こえます」
絞り出した声は、自分から出たとは思えないほど掠れていた。
「よかったです。今から主治医を読んできますから待っていてください」
そうつげ男は早足で出ていった。頑張って周りを見渡した時机にある果物が目に入った。そこにはどこか懐かしい優しさがある気がした。