主に愛されし男【燕桃堅】享年30歳
名は燕桃堅俺は在日中国人の2世として日本で産まれ、横浜で育ち、言語の不自由のないようにと小さい頃から日本人と同じ幼稚園、小学校、中学校、高校に通わせてもらえたおかげで、日本語に苦労することなく友人関係にも困ることはなかった。
在日中国人であることも隠すことなく過ごしていたが、当時は珍しい存在だったのか差別を受ける事もなく男女ともにとても俺に良くしてくれる友達に恵まれた。
俺は幼かったある日、伯父が若くして他界するまで人の死と言うものはTVやニュースの世界だけの話だと、俺の身の周りでは起こり得ないものだと思い込んでいた。
伯父の死因は肺がんだった。
俺は当時とにかく肺がんの原因は煙草であるという世間一般の常識のように拡がった情報を信じ、煙草をひたすら避けて生きてきた。
親や親戚は上海生まれだったから、上海にもよく行く機会があった俺は高校卒業後、医師を目指せる成績があったが、東洋医学で直に患者を診れる技術を身につけに経絡経穴を学び日本の国家資格が取れる専門学校を選んだ。
西洋医学は薬と手術で身体に負担がかかる治療法が多い中、東洋医学には時間はかかれど身体への負担が少なく、何より医師よりも患者の話を長く聞いてあげられる事が患者の心へのアプローチになると考えた。
選んだ専門学校は面白い奴ばかり合格させているのか、年齢層も幅広く、定年退職してから通っている人や、AV女優やら、他の専門学校を同時に通っている奴なんかも居て、ここでも俺が在日中国人の2世であることは特に差別されることでもなかった。
小さい頃から、幸いなことに女子に好意を持ってもらう機会が多くあり、生粋の日本人ではないからか同時に何人もの彼女が居る事が当たり前だった俺は、好意を寄せてくれるすべての女性を受け入れて平等に接してきた。
ただ、煙草を吸う女性とは肉体関係は持ってもキスはしなかった。
肺がんのリスクだと信じ切っていたからだ。
学校の図書室には貴重な東洋医学の本が沢山あり、放課後は学校の閉まる時間まですべての本を読み漁った。
その中の古い本の中には子供を作る以外にも女性の膣を経穴の一つとして書かれたものもあった。
東洋医学では男性は陽、女性は陰とされ、気の移動も異性同士の方が多く行われるともあった。
特に肌と肌、粘膜と粘膜の触れ合いは元気な方が弱っている方に多く持っていかれるようだった。
俺の彼女たちは同時にデートをしていても何一つ文句を言う事がない、彼女たち同士でも仲がいい、その上どの彼女も俺だけを好いていてくれた。
学校を卒業しても、放課後には後輩に会いがてら更に先生から学ぶために学校にちょくちょく顔を出していた。
親からも特に結婚という話も出なかったから、いつでも彼女たちや先輩や同級生、後輩たちと東洋医学を突き詰めていった。
恋愛もとてつもなく幸せなことばかりだったろう。
それでも別れがくることは多々あった。
そういう時はだいたい日本人の男性に熱烈にアプローチをされて、結婚に憧れを抱いている彼女から相談を受け、結婚をまだ考えられるほど自立出来ていなかった俺は、そんな彼女たちの幸せを願ってしっかりと別れてきた。
後輩で彼女ではなかったが、随分と人懐っこい妹のような存在が居た。
お互い国家資格を持ち、時々俺が知り得た技術を教えたりして実家にもよく転がり込んでくるような困った奴だった。
卒業式には大きな花束を持ってきては泣きわめくような子供のようなその後輩には俺の出来る限りの知識と技術を受け継がせたかった。
後輩は後輩なりに自ら実験と称して、友人や自分自身の身体を使って西洋医学と東洋医学を混ぜ合わせた治療法を研究していた。
西洋医学に全く頼らずにはもちろん治療は出来ない。
学校でも解剖学生理学病理学公衆衛生学など手術以外のほとんどは医師と同様に学ぶ必要があった。
俺は触診舌診脈診腹診などは彼女たちのおかげで沢山の経験値が詰めた。
ある時、妹のような後輩が入院して手術するという事を知って、伯父の件もありすぐに見舞いに行ったが、後輩はものすごく元気で退屈だったからとても喜んで、その時は自分自身で実験してはいけないとさすがに思ったのか、腕がなまりたくないからと病室で俺を上半身裸にして実験台にしていたところを看護士さんに見つかりビックリさせてしまったこともある。
俺も術後の脈診などをさせてもらったことでおあいこだった。
呼吸が出来なくなる寸前まで後輩はろくに病院に掛からず結果手術しかないという状態だったらしいが本人が手術をとても楽しみにしていたらしい。
ただ、大病と呼ぶほどではなかったのはホッとした。
本当に手がかかる困った妹分だった。
それぞれが独りで研究を勧めながら治療を進化させて行っていたある日。
妹分が妊娠して結婚したという報告を受けた。
結果子供は生まれて来なかったようだったが、それを聞いて俺は気がついたことがあった。
避妊などしたことがないのに、どの彼女にも子供が出来なかった。
「俺は精子ないのか?」と自問自答しては見たが、子供が欲しいという事もなく、20代も後半に差し掛かっていた。
多くの彼女たちは結婚を望み、妊娠を望んでいたけど、どうやら俺は子供が作れないようだったから、彼女たちは別れを選び去って行った。
俺は久方ぶりに彼女の居ない生活というものを経験した。
「妊娠適齢期だ結婚適齢期だという年齢の女性の願いを叶えられないのに一緒にいて貰い続けるのは無責任だよな」と自分の中で納得させて研究に没頭し、大学での講義などをするほどになっていた。
いつの間にか俺の心の中に「寂しい」という感情が住み着いた。
それと同時に手が完成してしまった。
手技を行う俺たちは技術を磨くことを「手を作る」と言う。
そして、神の手を持つものは神に連れていかれるというジンクスもあった。
道具を用いずに手だけであらゆる治療が可能になってしまった。
これは感覚すぎて誰にどう教えることも出来なかった。
そんな手で沢山の人の痛みや苦しみを治していくにつれ、寂しさがなぜか増してきてしまっていた。
ある日出会った女性と恋に落ち、初めて愛し合ったと感じた俺は、子供が作れない身体かもしれないけど、結婚してほしいとプロポーズをし、彼女もそれを受け入れてくれた。
結婚するとなると自分が帰化していない事を悔やんだ。
もっと早く帰化して居れば入籍するにもこんなに手間が掛からなかっただろうと後悔したのだが、彼女はニコニコと
「大丈夫時間はまだたっぷりあるんだもの慌てずにいこう」と同棲をしながら入籍と結婚式の準備をして、30になった頃親戚一同と上海まで来てくれた友人たちに祝ってもらって俺たちは夫婦となった。
その一か月後、俺は倒れ日本に戻り肺がんであることを知った。
煙草をひたすら避けてきた俺なのに、一番恐れていた肺がんになるとは思わなかった。
それまで何の症状もなく、健康診断すら受けていなかった。
それからずっと入院生活を送っていた俺に、妹分からどうしても治せない患者さんをお願いしたいと連絡が来たが、
「それは無理だ、俺はもうすぐ死ぬから行けない」と答えると妹分は察したように、
「神の手のジンクスか、会いに行ける?」と聞いてきたが妻との時間を大切にしたかったからと、妹分の元気を吸い取りたくなかったから断った。
それから数か月で俺の余命は尽きた。
妻に忘れ形見を残してあげられなかったのは、いいことだと思った。
妻は俺の親たちがきっと次の旦那さんに嫁に行かせてくれるだろう。
最期は家族に囲まれて看取って貰えて本当にいい人生だった。
自分の心臓の脈打つ音がどんどん弱まり、周りの声が悲し気に聴こえた後、
「あ、ごめんねー君の事、僕欲しくなっちゃってさ人生辞めて貰っちゃった」ともふもふとしたしなやかな姿が俺に話しかけてきた。
なんだこの可愛い存在は。
珍しく一話で人生を終えた燕桃堅が人生の終わりに出会ったのはどうやらてるてる坊主ではなかったようですね。
いつもお読みくださってありがとうございます。




