1. 君の瞳
アルトワ伯爵家令嬢コレットは、自室で頬を膨らませていた。
部屋の真ん中にあるテーブルの上には、見合い相手の釣書きが山積みになっている。
父であるアルトワ伯爵がせっせと持って来ては置いていったもので、今ではコレットの背丈と同じくらいの高さにまでなっている。
この中から気に入った相手を選ぶように父から命じられているコレットは、不満そうに頬を膨らませていた。
「よくもまあこんなに集めてきたものだわ」
「アルトワ家は資産家で有名ですからね。高位貴族の次男三男で婿入りを望む方は多いと思いますよ」
「……夢の無いことを言うわね、ネリ」
侍女のネリは、ででんと山のようにそびえ立つ釣書きの前に立って、その頂を見上げている。
コレットの乳姉妹でもあるネリは、面倒なことを後回しにするコレットの性格をよく知っていた。
いまだに釣書きに一切手を付けていないコレットが、今回もきっとお見合いを後回しにするつもりなのだろうと、ネリは心の中で溜息を吐いていた。
アルトワ家の一人娘であるコレットは、幼い頃から婿取りを決められていた。
けれど十六歳になっても初恋すらまだのコレットには、見合いだの婿だの言われてもピンと来ない。
その為、見合いの釣書きはいつまでもテーブルの上に放置されて、さらにその上にどんどん積み重ねられていくのだった。
その釣書きの山の一番上を手に取ったネリは、ぱらぱらとめくっては何気なくそれを眺めていた。その横で、クッキーを頬張ったコレットが納得いかないような声をあげた。
「お父様は横暴だと思わない? 自分はお母様と恋愛結婚だったのに、わたしにはお見合い結婚しろなんてひどいわよ。わたしだって一度くらいは恋してみたいのに」
「それなら、お嬢様がご自分でお相手を見つけてくれば宜しいのでは?」
ネリが釣書きをめくりながらコレットをちらりと見る。
色気よりも食い気のコレットが、痛い所を突かれて言葉に詰まった。
「……そんなに簡単に言わないでよ」
文句を言いながらも、しっかりとクッキーを一皿食べ終えたコレットが、テーブルの上に突っ伏した。
「ああっ、ヴィオレッタ様のお茶会で頂いたお菓子がまた食べたい」
コレットの脳裏には、コリニー公爵邸で先週開かれたお茶会のお菓子が蘇っていた。
スミレの花の砂糖漬けで飾られた真っ白なケーキに、スミレの砂糖漬けがちょこんっとのった薄紫色のマカロン。
それはどれもおとぎ話にでも出てきそうな可愛らしいお菓子ばかりで、しょっちゅうあちこちのお茶会に参加していて目の肥えた良家の令嬢達ですら、それを見た瞬間に歓声を上げていた。
「とっても綺麗で、しかも美味しかったのよね」
テーブルの上に突っ伏しながら、今にも涎を垂らさんばかりになっているコレットを見たネリが、思い出したように相槌を打った。
「ああ、あれ。お屋敷に帰ってからもお嬢様が取り憑かれたように話していたお菓子ですね。……確か、森のはずれにある金曜の午後にだけ開いている店で買ったとか」
「金曜!? 今日じゃないの! ……ネリ、今から行くわよ」
そう言うなり、コレットは部屋から飛び出して行った。
ネリは呆れて溜息を吐きながらも、財布を手にコレットの後をついて行った。
森のはずれに赤い屋根の小さな菓子屋を見つけたコレットは、ドアの前にがっくりと膝をついていた。
『完売』
ドアノブにかけられたプレートを涙目で見ながらも、どうしても諦めきれない。
コレットは、せっかくここまで来たのだからせめて香りだけでも味わいたいと、未練がましく店の周りに漂う甘いお菓子の匂いを嗅いでいた。
そして、くんくんと鼻を動かしながら、匂いのする方へ誘われるように歩いて行く。
「お嬢様、まるで犬みたいですよ。お行儀が悪い」
ネリが眉をひそめてコレットを嗜めるが、気にせずにコレットは店の裏の方へ歩いて行った。
裏口のドアが開いているのか、だんだんとお菓子の匂いが強くなってくる。
そして裏口へまわったコレットは、くんくんと鼻を動かしている自分を驚いたような顔で見ている若い男に気づいた。
裏口の鍵を持っているところを見ると、この店の関係者らしい。
柔らかそうな淡い金色の髪に薄い水色の瞳、優しそうな顔立ち。
まるで綿菓子みたいな男の人ねと思いながら、コレットはハッとした。
すでに閉まっている店の裏口に回りこんで、犬みたいに鼻を動かしている女なんて怪しすぎる。
急に冷静になって、今の自分の姿が不審者でしかないことを自覚したコレットが、あたふたしながら後ずさった。
「ち、違うの。お菓子を買いに来たら閉まっていて、それで、あの、……けして怪しい者ではなくて」
慌てて言い訳をするコレットをじっと見ていた男が、ゆっくりと近づいてきて興味深そうに彼女の瞳を覗き込んだ。
「君の瞳ってパート・ド・フリュイみたいだね」
聞き慣れない言葉に戸惑ったコレットが、目をぱちぱちと瞬かせた。
「……パート? なにそれ?」
黙ってポケットから小さな包みを取り出した男が、それを手のひらに広げてコレットに見せた。
「これだよ」
包みの上には、小さな四角形の色鮮やかな砂糖菓子があった。
赤やオレンジ、黄色に緑。まるで宝石のようにきらきらした菓子に、コレットは思わず目を輝かせた。
「……綺麗」
「君の瞳みたいでしょ」
その言葉にうっと息を呑んだコレットが頬を赤らめながら顔をあげると、自分に優しく微笑みかけている男と目が合った。
吸い込まれてしまいそうな澄んだ水色の瞳。
雲一つない綺麗な青空みたいな瞳ねと頭の片隅で思っても、コレットには恥ずかしくて口が裂けてもそんなことは言えない。
「あなたって照れちゃうようなことを平気で言うのね」
「本当にそう思ったんだ」
そう言いながら男は、広げていた包みをくるくると丸めて、コレットの手に持たせた。
「君にあげる。今度は店が開いている時においで」
柔らかそうな髪を風になびかせ、甘いお菓子の匂いを残して、男は歩いて去って行った。
その後姿をコレットがぼんやりと眺めていると、いつまでも表に戻ってこない彼女を心配したネリが裏口に迎えに来た。
いつもと様子の違うコレットを心配そうに見るネリに、コレットがうっとりとした表情で呟いた。
「ねえ、ネリ。わたしの瞳は砂糖菓子みたいなのですって」
「はあ? なんですかそれ?」
「内緒よ。……また会えるかしら」