3 特別な日には、甘いものを
外は雨がザーザーと降っている。六月中旬。一週間ほど前から関東で梅雨入りして、雨の日が続いていた。
宮崎幸紀は、不動産会社で営業の仕事をしている。その日も、幸紀はお店にやって来たお客様と一緒に内見の相談に乗っていた。ちょうど若い男女のカップルのお客さんを対応していた。彼らは同棲するのに部屋を探していた。
幸紀が物件を色々と説明をした後で、二つの部屋を決めた彼らが内見したいと言ったので、幸紀はすぐに彼らを車に乗せて、その二つの部屋を紹介する。
一つ目の部屋は2LDKで、トイレ、バスが別でベランダがある。価格は二十万円だ。
二つ目の部屋は2DK。トイレとバスは別で、こちらもベランダ付きである。リビングがない分、十五万円といった価格だ。
幸紀がそれを終えると、彼らは「どちらか検討してみます」と言った。どちらの部屋でも気に入ってもらえたらなと幸紀は思った。
それから午後六時になり、その日の仕事が一段落したので幸紀は帰ることにした。雨は小降りになっていた。
「ただいま」
帰宅すると、キッチンで妻の由佳が夕ご飯の支度をしていた。
「あ、あなた、おかえり! もうすぐでご飯出来るよ」
いい匂いがしていた。今晩はカレーのようである。
それから、「パパ、おかえりー」と、娘の千明が抱きついてきた。娘は今年、三才になる。
「ちーちゃん、ただいま」
「パパ、きょう、カレーだよ」
「カレーか。いいねー」
「ねー」と言って、千明が笑った。
「りょうくん、ただいま」
その後、幸紀はベビーベッドに横になっている息子の所へ行く。一才である息子の亮太はパパの顔を見るなり、笑顔になった。その笑顔を見るだけで、幸紀は疲れが吹き飛んだ気がした。それに幸せにもなる。
幸紀の自宅は2LDKである。幸紀の部屋と由佳の部屋があり、リビング、ダイニングとキッチンという造りになっている。それから、トイレとバスルームが別になっていて、ベランダも付いている。このアパートは築十八年で家賃が十五万円であった。五年前、由佳と結婚した時に二人で借りたのだ。
「出来たよー」
由佳がそう言って、食卓にカレーを運んだ。
四人でテーブルに座り、皆で「いただきます」をして、ママ特製のカレーを食べる。
「うん、うまい!」
幸紀がそのカレーを一口食べて言った。そのカレーは子どもたちが食べやすいように甘口であった。
「ママ、おいしい!」
それから、千明が由佳の顔を見て言った。
「ホント? それは良かった」
それから、由佳は亮太にカレーを一口食べさせた。
「りょうくん、どう?」
由佳がそう訊くと、彼は笑顔を見せた。それから、なにやら不明語を喋り始めた。
「何だって?」
幸紀がそう訊くと、また息子は何かを喋る。
「おいしいって言ってるのよ」
それから、由佳がそう言った。「そうだよね?」
由佳が亮太にそう訊くと、彼は笑い出した。
「おいしいか……」
幸紀はそう呟くと、可笑しくて思わず笑ってしまう。つられて、由佳や千明も笑い出した。亮太も同じように笑った。
「ねえ、あなた。今度の日曜日、お休みかしら?」
ふと、由佳が幸紀に訊いた。
彼女にそう訊かれて、すぐに幸紀は今度の日曜の予定を思い出す。その日は確か休みだったはずである。
「休みだよ」
「そう。なら良かった。その日、父の日だから、皆でお出掛けしない?」
彼女にそう言われて、その日が父の日であることを幸紀は思い出した。
「父の日か……いいよ」
幸紀がそう答えると、「じゃあ、そうしましょ!」と、彼女が嬉しそうに言った。
「今度の日曜日、お出掛け行くよー!」
それから、彼女は千明と亮太を見て言った。
「おでけけ! やったー!」と、千明が喜ぶ。それから、「アハハ」と、亮太も嬉しそうに笑った。
翌日の土曜日。その日も雨だった。幸紀は仕事である。
午後になって、若い女性が一人そこへやって来た。その女性は友人と二人暮らしをするのに何か良い部屋はないかと相談しに来た。
幸紀はいくつかの物件を彼女に紹介する。その中に、以前来られた若い男女のカップルにも見せた二つの部屋も含まれていた。
彼らからまだ連絡もなかったので、幸紀はとりあえずと思い、紹介した。
すると、案の定、その女性はその二つの部屋に興味を示した。すぐに幸紀は彼女にその二つの部屋を見せることにして、彼女を車に乗せるとすぐに一つ目の部屋がある場所へ向かった。
二つ目の部屋を見せた後、彼女は一つ目に見た2LDKの部屋が気に入ったようでそこに決めますと言った。
幸紀としては、その部屋に決めてくれた彼女にはありがたいと思ったが、先日来てくれた若い男女のカップルを思い出し、申し訳ない気持ちになった。
しかし、物件は早い者勝ちと言ったところがあり、それは仕方ないのも事実である。
一度、幸紀たちは店舗に戻り、彼女とその部屋の契約を済ませた。その後、幸紀は先日来店してくれた若い男女のカップルの女性に電話を掛けた。
『もしもし?』
「あ、もしもし。くらすコーポレーションの宮崎と申します。佐伯さんのお電話で宜しいでしょうか?」
『はい。そうですが』
「ああ、良かった。あの実はですね……」
幸紀は先日見て頂いた物件のうち、一つの部屋が別のお客さんに契約されてしまったことを彼女に伝えた。
すると、「そうですか……」と、彼女が落胆した声を上げた。それから、『あの』と、彼女が口を開いた。
「はい?」
『明日、もう一度、もう一つの部屋を見せて頂けませんか?』
彼女がそう言った。
「分かりました」
幸紀はそう答えた後、「明日、何時頃、ご都合が付きますか?」と、彼女に訊いた。
『午前十時頃からでしたら、いつでも平気です』
「では、午前十時に、こちらでお待ちしております」
幸紀がそう言うと、『はい。よろしくお願いします』と彼女は言って、電話を切った。
明日は、日曜日だった。お休みだったが、急きょ仕事になってしまった。家族で出かけるはずだったが、仕方ないなと幸紀は思った。
「皆、ゴメン。明日、パパ仕事になっちゃった……」
帰宅して、四人で晩御飯を食べている時、幸紀は皆にそう打ち明けた。
「えー、うそ……」
由佳が残念そうな顔をして言った。
「本当にゴメン」
幸紀は謝る。
「うん。パパも休みたかっただろうけど、仕事になっちゃ仕方ないよね」と、由佳が言った。
「うん」
「じゃあ、お出掛けはまた今度にしよう」
「うん、そうして欲しい」
「ちーちゃん、りょうくん」
それから、由佳が千明と亮太を見て言った。
「なに?」と、千明が訊く。亮太もママの方を見た。
「明日、パパ、お仕事になっちゃったんだって。だから、お出掛けしないことになったの」
「あした?」
「そう」
「えー、ちー、おでけけしたかった……」
「ちーちゃん、ゴメンね」
幸紀は千明に謝る。
「また今度行こう」
幸紀がそう言うと、「うん、わかった」と、千明は言った。
「ねえ、ママ、デザートたべたい」
その後、千明がそう言った。
「デザートか。うーん、何かあったかな?」
由佳はそう言って立ち上がり、キッチンへ行き、冷蔵庫を開けた。どうやら何もなかったらしく、今度は冷凍庫を開ける。
「あ、アイスがあるよ! 食べる?」
彼女はミニソフトクリームを皆に見せて言った。
「たべたい!」と、千明は言った。その後、「パパもたべる?」と、彼女が訊いた。
「パパも食べようかな」
幸紀がそう言うと、「じゃあ、パパのぶんも!」と、千明は笑顔で言った。
「はいはーい。なら、ママも食べようかな」
由佳がそう言うと、「いいよー」と、千明が言った。それから、「りょうちゃんのぶんは?」と、千明が訊いた。
「りょうちゃんとママで一緒に食べるよ」
由佳がそう言って、人数分のミニソフトを取り出し、ダイニングに戻ってそれぞれに手渡した。
そうして、皆で食後のデザートにそのソフトクリームを食べた。
「おいしい」
千明はそれを食べながら嬉しそうに言った。
「うん、このアイス美味いね」と、幸紀は言った。
「うん、美味しい」と、由佳が言った。
幸紀は皆とアイスを食べながら幸せを感じた。
そして、翌日。午前十時に、幸紀のもとに佐伯さんとその彼氏がやって来た。
すぐに幸紀は二人を車に乗せ、もう一つの部屋のある場所へ向かった。雨は土砂降りであった。
その部屋に着いて、幸紀は鍵を開けた。早速、幸紀がその部屋に入り、その後に続くように佐伯さんたちが入った。彼らは再びその部屋を見回した。部屋を見て、二人は何やら話していた。幸紀はリビングに立ち、黙って彼らを見守った。
しばらくして、彼らが部屋を見終わったようで、リビングの幸紀のもとへやって来た。
「いかがでしたか?」
幸紀がそう彼らに声を掛けると、すぐに佐伯さんが口を開いた。
「このお部屋、とてもいいと思います」
そう言った後、「ね、いいよね?」と、彼女は隣にいる彼氏に訊いた。
「うん」と、彼は頷く。
「それは良かったです。それで――」
「やっぱりここに決めます!」
それから、彼女がそう言った。
「本当ですか?」
幸紀がそう訊くと、「はい」と、二人は返事をした。
「分かりました。ありがとうございます。それでは、契約成立です。一度、お店に戻って書類の記入をお願いします」
幸紀がそう言った後、二人は「はい」と言った。
三人はその部屋を出た。外へ出ると、雨は小降りになっていた。
それから、三人でお店へ戻り、幸紀は二人に契約書を書いてもらった。彼らが契約書を書き終えた後、幸紀は外まで二人を見送る。
外へ出ると、午前中の雨もすっかりと止み、晴れ間が広がっていた。
「雨上がりましたね」
「そうですね」
「良かった」
幸紀はホッとする。
「今日はありがとうございました」
それから二人はそう言って、幸紀にペコリと頭を下げた。
「いえいえ。いい物件が良かったです」
幸紀は笑顔でそう言った。
「どうもありがとうございました」
その後、幸紀はそう言ってお辞儀をし、二人を見送った。
帰宅をすると、ダイニングテーブルの上に晩御飯が置いてあった。どうやらハンバーグであった。それを食べようと思い、レンジで温めようとした時、その上に置手紙もあることに幸紀は気付いた。
『パパへ いつもお仕事、ご苦労様。冷蔵庫にショートケーキがあります。 ママ ちあき りょうたより』
由佳の書いた字である。幸紀はそれを読むなり、嬉しくなって冷蔵庫を開けた。そこには、お皿に乗った一切れ分のショートケーキがラップしてあった。
「ケーキか。いいねえ」
幸紀はそう呟いた後、それを食後に食べようと思った。
レンジでハンバーグを温め、炊飯器の白いご飯をよそう。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プルタブを開けて幸紀は缶のままそのビールを一気に飲んだ。
「ああ、うまい」
ビールは美味かった。
それから、ハンバーグが温まると、レンジから取り出し、幸紀はそれを席まで運んで食べた。そのハンバーグはジューシーで旨かった。
ご飯を食べ終えた後、幸紀は冷蔵庫からケーキを取り出した。キッチンにあるフォークを見つけると、すぐにダイニングテーブルにそれを運んだ。
席に座るなり、幸紀は早速、そのケーキを一口食べる。ふわっとしたスポンジと生クリームの甘さが口に広がった。
ああ、うまい。たまにはショートケーキもいいなあと幸紀は思った。
その後、幸紀はカレンダーに目をやる。
「なるほど。そう言うことか」
そして、その日が父の日であることを思い出した。
幸紀は再びそのケーキを一口食べた。
そのケーキを食べながら、幸紀は次の休みには皆でご飯でも行こうと考えた。




