06.上機嫌な聖女と懲りない勇者
街道に吹く穏やかな風を受けながら私は、軽い足取りで邪神の祠に向かっていました。
正に気分は最高潮で大抵の無礼は許せる程に私の機嫌は良い。
何せルゼルブとすんなり交渉が成功したからだ。
「ふふっ……私にリスクなど皆無ですからね」
邪神はお酒を絶対に飲まない。
つまり私が何もせずともルゼルブが孤児院に対して金を動かす。
まさかこれ程までに簡単に大金を動かす日が来るとは。
「これであの子達も飢えずに済みますね」
昔育った孤児院で暮らす孤児と先生の顔が浮かぶ。
きっと先生はルゼルブが資金を増額したことに驚くでしょう。
私が正に楽しそうに鼻歌を奏でると。
街道の茂みから一つの影が飛び出して来やがりました。
四足歩行に両肩から生えた剛腕、唸り鋭利な牙を剥き出した怪物が一匹。
「ハンドウルフですか」
街道には誰一人として居ません。
怪物の獲物は私一人だけ。
呑気にそんな事を考えていると怪物は私を喰らうべく飛び掛かりました。
ですが怪物の動きは私にとっては遅い。
剛腕の間合いに注意を払いながら私は、怪物の飛び掛かりを軽やかに避けました。
地面に両前脚を叩き付け、剛腕を伸ばす怪物。
私は怪物が動くよりも早く掌に聖なる魔力を宿すと同時に怪物に向かって駆け出した。
聖なる魔力が宿った掌。腰を利かせた渾身の平手打ちか怪物の頭部を打つ。
怪物の身体は宙を浮かび、街道の彼方まであっさりと飛んで行きました。
姿が見えなくなった怪物に対して私は。
「新記録ですかね?」
そんな事を呟き歩みを再開させるのでした。
▽ ▽ ▽
いつも通り無事に祠の最奥に到着した私は、
「ただいま帰りましたよ!」
邪神にあいさつをすると彼は面倒臭そうに、それでいて興味深そうな眼差しで。
「今日は楽しそうだね。いつもは悔し泣きするのにねぇ」
「失礼ですね! いつも泣いてませんよ」
「ふーん。それで如何して楽しそうなんだい?」
あぁ、私が泣く云々は心底どうでも良さげですね。
「傲慢な権力者を思い通りに動かすのがこんなに楽しいなんて想像もしてませんでしたから」
「あー、君が僕に用意させた羊皮紙はその為の」
思い出した様に納得する彼に私は微笑むばかり。
力は貸してくれませんが、対価を払えば物を提供してくれるんですよね。
「僕はまだ君から対価を受け取って無いけど?」
「羊皮紙は市販で銀貨一枚が相場です。なので対価はこちらになりますね」
私は空間から小袋を取り出し彼に差し出しました。
彼は訝しながら小袋から漂う甘い匂いに首を傾げ、
「バターと小麦粉を焼いたような芳ばしい匂い。小袋から伝わるちょっと力を入れると砕けそうな感覚。これはクッキー?」
中身を見事に言い当てましたね。
「正解です」
微笑むと彼はますます訝しげに眉を寄せた。
「バタークッキーは、確か銅貨5枚ぐらいの価値だっけ? 対価としては釣り合わないと思うけど」
「それは市販の物では有りませんよ。私の手作りクッキーです!」
聖女が真心込めた手作りクッキー。
子供をはじめ若い男女が喜ぶ程の代物です。
「手作り……真心? 邪神の力を欲する君がぁ?」
やめて! そんな胡散臭い者を見る眼差しを私に向けないで!
「こほん。あの羊皮紙一枚で全孤児院の子供達が飢えずに生活できるのです。ですから私なりの誠意を持って作ったのですが……だめ?」
「……ふーん。まあ良いよ」
おや、対価に煩い邪神とは思えない判断ですね。
そもそもクッキーだけでは足りないと思っていたのですが。
「物の等価よりも感情が宿った贈り物は何物にも勝らない対価になるからね」
そう言って彼は小袋から一枚クッキーを取り出して食べた。
サクッと軽快な音が響く中。
「うん、甘いね」
「邪神様は食事が要らないと言っていましたが、味覚が有るんですね」
私はてっきり彼に味覚という五感が無いとばかり考えていた。
しかしそれは如何も違うようだ。
「邪神には味覚も無ければ、生物の三代欲求も無い。けど人間基準に合わせて味覚も五感も作り出すことが可能なのさ」
「食べる度に味覚を作っているのですか?」
「そうだよ。普段は面倒だからやらないだけ、でもまあ偶には娯楽感覚で愉しむこともあるのさ」
彼にとって生物が必要とする行動は娯楽でしかない。
永い時を生きる彼にとって退屈とは猛毒なのでしょう。
私はそんな事を感じながら自分で作成したベッドに腰掛けた。
そんな時でした。
「聖女様ぁ!! 邪神よ、今日こそ彼女を解放してもらう!」
眩い光を放ちながら何時ぞやのライオスが現れました。
本当に来ちゃったよ、この人。
私は彼に呆れながらも本心を隠しながら微笑む。
自分はあくまでも生贄ですからその体制は貫かなければなりません。
「また来たの? というかその鎧、眩し過ぎて君の顔が見えないんだけど」
邪神の言葉にライオスはどんな表情をしているのか不明ながらも。
「そんな事はどうでも良い! 覚悟しろ邪神!」
そう言って彼は問答無用で剣を引き抜き……待ってください。
彼の引き抜いた剣は安物の鉄の剣、まさかそれで邪神を倒そうと?
それとも魔力に絶対の自信が有るのでしょうか。
私の疑問を他所にライオスは地を蹴り邪神に駆ける。
欠伸をしながら石の棺から一切動かない邪神。
そんな彼にライオスは容赦無く、間違いなくこの辺りの怪物なら一撃で葬れる一刀を放ちました。
金属が人肉を引き裂く音が祠に響く。
そんな想像から私は思わず声を出してしまった。
「邪神様……えっ?」
私が想像した結果は訪れず、あろうことか予想外な結末が目の前まで起こっていた。
平然と石の棺から動かない邪神と柄だけになった剣を握り締めるライオス。
彼の足元には有ったであろう刃部分も折れた鉄の破片も無く有るのは砂だけ。
確かに私は見た。
邪神の身体に刃が、その身を斬るべく当るのを。
しかしなんということでしょうか。
鉄の剣は砂のように砕けてしまったのです。
「お、俺の鉄の剣がぁぁ!!」
自身の愛剣の無惨な姿に慌てふためくライオス、そんな彼に頭を掻く邪神。
「僕は不死だ。神の加護も無い武器じゃ僕に傷を付けることは叶わないよ。まあ僕は不死だから死ぬことも無いけどね」
前に彼は戦うことに対して何もする必要が無いっと言った。
それは不死の存在で誰も邪神を殺せないからだ。
殺せない、刃も並の魔法も通用しないとなれば確かに彼が何かをする必要は無いのかもしれませんね。
私は一人納得していると。
「くそぉぉ!! 輝く鎧よりも輝く剣を選んでれば良かったかぁ!!」
何です? その二択は。
「あ、あの……その鎧は誰から頂いでしょうか?」
「あっ、失礼聖女様、不安にさせてしまうような不様を晒してしまって」
そんなことはどうでも良いのですが。
「この鎧は勇者に選ばれた日に神から頂いた物。輝き最強の防御力を誇る究極のゴミ鎧なんです」
究極の……彼はいま神様から持った鎧をゴミと評しましたが、ゴミ?
「ゴミ、ですか? 神に仕える聖女としてその言動は頂けませんが」
疑問を晴らすべく敢えて咎める様な口調で話すと、ライオスは慌てたのか手を振り。
「あ、いや……違うんですよ。確かにあらゆる攻撃でも傷一つ付きませんが、ずっと輝きぱなっしで宿屋で泊まることも隠密行動もできないんです」
「それならお脱ぎになっては如何でしょうか?」
「実はこの鎧、一度装備すると外せないんです! もうお風呂に入る時も鎧のままで……!」
それはゴミですねぇ。
思わず憐れみの視線をライオスに向けてしまった。
同時にそんなゴミ鎧を神から頂いたと語るライオスは、本物の勇者なのかもしれない。
いえ、まだ偽という事も否定できませんが。
私とライオスの話しを静観していた邪神から哀れみのこもったため息が耳に届く。
「お、お前にそんな哀れに思われる筋合いは無い!」
「仮に剣を選んでたとしても、全てを斬り裂く能力を宿した剣。つまり世界も真っ二つにしかねない代物を用意されていたんだろうね」
「な、何故それを……いや、それよりも邪神が倒せないとなればどうやって聖女様をお救いすれば……くっ!」
くっ! じゃないんだよなぁ。
私は悔やむライオスを他所に、わざとらしく咳払いして彼の注意を惹きつけた。
「あの、先ずは邪神よりも先に魔王を如何にかした方が宜しいのでは?」
「魔王、か。……彼の力の根源は邪神だ。彼を倒すよりも邪神の討伐した方が魔王を倒す必要も無くなります」
あ、危ねぇ! 仮に邪神が倒されていたら私が力を借りる機会が一生失われるところでしたよ!
や、それ以前に邪神から分け与えれた力が彼の死で共に消滅するとは初耳ですね。
「へぇ〜よく知ってるね」
邪神は感心した様子でライオスに視線を向けると。
「当然だ。討つべき敵を知る事から戦いは始まる。まあ神が教えてくれたけど」
邪神は納得した様子を見せると石の棺に寝そべる。
もうこれでは戦いどころでは有りませんね。
ライオスも諦めて帰るはず。
私がちらりと彼に視線を向けると、彼は拳を握り。
「体術なら? いや、神の加護が宿った神器を探した方が速いか……」
一人、ぶつぶつと話していました。
「あの、今日の所は諦めて一旦体勢を調えるのは如何でしょうか?」
「……いえ、それだと聖女様の身が危険です。なのでしばらく監視のため此処で──」
私は彼が此処で生活すると言い出す前に空間魔法で彼の足元に穴を開け、何処か遠くの地に落としてやりました。
彼に私がやったとバレないようにちゃんと注意を払って。
「キミ、そんなに彼が此処で暮らすのが嫌なんだ」
「あのですね、私も年頃の女の子なんですよ? 良く分からない人と暮らすなんて怖いじゃないですか」
恥じらいながら言うと、邪神は白目を向けながら。
「問答無用で悟られず、空間魔法に落すキミの方が怖いよ」
そんな事を言っていましたが、私は敢えてスルーしてベッドに寝そべるのでした。
新しく完成したベッドに引き詰めた羊毛の布団と枕がそれはもう心地良くて、もう二度と床でなんて寝れませんね!
次回で最終話です。