05.暗躍する聖女
幾多もの燭台に灯る青く揺らめく炎が教皇の部屋を照らす中。
まだ日も明るい時間帯に二人の影が動く。
一人は邪神の生贄に捧げられた見た目だけは麗しい聖女アイリス。
もう一人は痩せた体格に頼りなさそうな顔付きに立派な髭を蓄えた男性。
教皇ルゼルブがアイリスを真っ直ぐと見つめていた。
憎たらしい感情を一切隠さずに。
「貴様……その話は真か?」
「えぇ。邪神が世界の半分を滅ぼした真相は酔いによるものは紛れもない事実です」
「路銀の追加と孤児院に対する費用諸々の増額……貴様の条件を呑めば邪神に酒を与えないと」
「聖女として邪神にお酒を与えことを約束しますわ」
アイリスはルゼルブと交渉、いや脅していた。
条件を拒否するのであれば邪神に酒を与えると匂わせながら。
「世界の滅びと孤児院に対する費用諸々の増額……路銀の件は別にしても世界を存続させられるなら安い経費か」
私腹を肥やすルゼルブを始めとした神官にとって耐え難い条件。
しかし誰だって命は惜しい。
何よりも世界が無くなれば金どころの話ではない。
だからルゼルブはアイリスの条件を呑んだ。
「分かった。全ての都市に存在する孤児院の増額を約束しよう」
ルゼルブの同意にアイリスが空を廻すように指先を動かす。
空に広がる波紋から一枚の羊皮紙が現れる。
彼女が羊皮紙をテーブルに広げ、備付けの羽ペンを差し出す。
「では約束を反故にしない様に此方の誓約書にサインを」
何方が契約を反故にした場合、汝の身は破滅に向かう。
誓約違反に対する予防策に皮肉を込めて笑う。
「相変わらず抜かりがないな」
ルゼルブが誓約書に自らの名を書き記すと。
彼の身体は誓約に従い呪われた。
同時にアイリスも誓約書にサインを書き記し、彼同様に呪いを受ける。
「これでお互い対等の条件で同意が成されましたね」
「対等? 此方は金を払うだけで済むが、貴様の方は邪神の機嫌次第だろう。よほどの自信があるのか」
「えぇ、自分で言うのも何ですが献身的に接してますから信用されてるんですよ」
ルゼルブはアイリスの献身がどれだけ強いのかを知っていた。
例えば怪物に襲われ重傷を負った患者に対して、彼女は最後まで付き添う。
それが癒えない傷であろうとも心が癒えるまで。
強い献身から聖女としての地位を得た彼女だからこそ邪神の信頼を得るにまで至った。
ルゼルブはそう考え、彼女を生贄に選んだ事を失敗したと思い直す。
しかし今更帰って来いとも言えるはずが無い。
「毒殺しておけば良かったか」
「あの、本人を前にして暗殺を企てないでくださいよ」
苦笑を浮かべるアイリスにルゼルブはわざとらしく咳払い。
「こほん……まあ良い。一つ確認しておくが、本当に邪神は食料、路銀、あまつさえ建材を所望しているのか?」
彼女が生贄になったその日以降から続く邪神の要求。
貧しい農村が生贄を献げる事は有ったが、邪神から食料等々を要求される事は無かった。
疑念から浮かんだ質問に対してアイリスは微笑んだ。
「邪神も退屈を感じるようで、建材も食事も永い時を生きる刹那の退屈凌ぎだと言っていました」
あたかも本人から直接聴いたかのように語る彼女に、ルゼルブは立派に蓄えた髭を撫でる。
仮に虚言で有ったとしてもアイリスを排除する事は叶わない。
邪神が彼女を生贄にとして気に入っているからだ。
ルゼルブはそう結論付ける。
「分かった。もう要件は済んだのだろう? ならばいつも通り荷物を受け取り帰るがいい」
厄介払いするように手を振るう彼にアイリスは、対して気にした様子も見せずに静かに立ち上がる。
「それでは今日の所は帰らせて貰います。……あぁ、この羊皮紙は置いておきますね」
交渉材料の羊皮紙をわざわざ置いて行く。
これでは誓約を一方的に解除してくれと言っているようなものだ。
解術師に頼んで契約を一方的に解除。
そう考えた矢先にアイリスが人差し指を立てた。
「その羊皮紙は邪神が製作したものですから、どんな解術魔法も跳ね返してしまうのでお忘れなきよう」
そんな事を言い残してアイリスは去った、
一人残されたルゼルブは拳を握り締め。
「あの小娘が……何処で要らぬ知恵を付けた?」
先程までアイリスが座っていたソファーを鋭く睨む。
ルゼルブを始めとした神官がアイリスに求めたのは、権力者に従うだけの傀儡だ。
その為にわざわざ片田舎の修道院から聖都まで連れて来たと言うのに。
ルゼルブはアイリスの知恵に忌々しげに舌打ちをしながら、同時にままならない現状にため息を吐く。
「何方にせよ小娘の思惑通りに動いてやれば、我々の評判にも繋がるか」
ルゼルブは早速誓約を果たすべく行動に移る。
彼はまだ知らないアイリスの本質と真の目的を──