狼商人は焦がれる
「───ルゥ。起きて、ルゥ!」
いつもの寝室で微睡んでいた時、そんな声が耳に届いて、ヴォルフは現実逃避するみたいに枕へ顔を埋めた。ついでにシーツだって頭の上から被ってやる。
にっくき朝の光が、窓と瞼の向こうから両の眼を焼こうと待ち構えているのが分かったからだ。
うめきながらもぞもぞと体勢を変えた自分の耳元で、その晴れやかな声の主がビックリさせないよう思いやりを持った音量で、また名前を呼ぶ。
「……ルゥ。…ふふ、分かっていると思うけれど、朝だよ」
「…………………………。」
「今、私は朝の体操とトレーニングを終えて、庭の芝刈りまでしたところなんだ。シャワーも浴びたよ」
きっと自分が往生際悪く「どうやってこのまま二度寝してやろうか」と考えているせいだ。少し思考が卑屈になってしまって、相手の言葉に「皆さんが静かになるまで3分掛かりました」、みたいな響きを感じ取ってしまい、ヴォルフは咄嗟に言い返した。
「………そりゃすごい……お前は天才だな、リア。恋人として鼻が高いよ…」
「俺には無理だから寝る。じゃあな、おやすみ」を言い換えた皮肉っぽく嫌味な返事を聞いても、朝から元気いっぱいの誰かさんは全然不機嫌にならなかった。
むしろ、返事があったことを心から喜ぶみたいに笑ってから、ぐん、とベッドを沈み込ませる。
「君だってすぐに天才たちの仲間入りさ!このシーツをどけてくれさえしたらね」
「…………………………、」
ヴォルフは、相手がこちらの背に股がっているのを感じた。
…今振り返ってシーツをどけたなら、目に入るのはきっと最高な眺めだ。あの緑に輝く愛情いっぱいの瞳が、自分だけを見つめて優しく細められて、「おはよう、やっと起きたのかい、お寝坊さん」と甘やかすみたいに叱ってくれる。
それで自分も、「ごめん、ごめん」と口先だけで謝って、「起こしてくれてありがとう」と心からの感謝を述べるのだ。
………………ああ、幸せすぎる。本当になんて最高な────。
◇◇◇
「起きろ!!!!」
──────最低な目覚めだ。
「…はあ」、とため息をついたヴォルフが気だるげに瞼を持ち上げると、そこにいたのは愛しい恋人でなく帽子を被った髭面のおっさん。ちなみにモーニングコールは頼んでない。
「…起きてるよ。誰かさんが意識飛ばすくらい殴らなきゃ全然起きてる」
「~~~~~~っ、【このクソ野郎】!!」
他にも何か、聞き取れないほど速いスピードでこちらを罵る母国語を並び立てた後、男は周りに控える4人の仲間達を呼び寄せた。
ちなみに今いるここは半地下の牢ではない。その上階にあたる一部屋である。
ヴォルフが1日1回、このがたつく椅子に縛り付けられて、良く分からない尋問をされるようになってから7日。
実際には頭を強くぶたれて意識を失ったのではなかった…この間まともに食べていないせいでエネルギーが足りていないのだ。
過酷な栄養のやりくりを強いられた脳みそは、賢明にも肉体を必要最低限の機能だけで運用することで、命を永らえさせようとしているらしい………このセーフモードでは目も霞むし耳も遠くなるし、痛みにも鈍感になって腹の減りも感じにくくなる。非人道的な尋問を受ける際にはおあつらえ向きのモードだ。
「【……ダメだこいつ、何も口を割らない…】」
「【…リーダー。もしかしてこいつ、本当に無関係なんじゃ……?】」
「【──そんなわけない!!!こいつがあれを売ったんだ!!絶対にそうだ!!】」
「【でも…、】」
「【黙れ!!!】」
バキッ、と鈍い音がして、殴られた誘拐犯の1人が埃っぽい床に倒れ伏す。帽子を被った男が血走った目をぎょろりとこちらに向けた。ズンズンと歩み寄り、唾が掛かる程近くで叫ぶ。
「隠してる事があるだろ!!!言え!!!言うんだ!!!!ヴォルフ・マーナガラム!!!」
「…だからあ。……………知らないよ。俺はあんたの事だって知らないってのに。一体何を隠すっていうんだよ……?」
ヴォルフは力なくそう告げた。これはただの本心だった。
すると「もう耐えきれない!!!」と言う風に、男が体を身悶えさせ、顔を真っ赤にして言った。
「───【宝石だッッ!!!!黒い宝石ッッッ!!!!!あれをどこに売ったんだ!!!!!】」
(……………………『黒い宝石』??)
この尋問内で初出のワード。
それが飛び出して、ヴォルフの脳が回転する。…『黒い宝石』になんて、覚えがない……、…少なくとも自分は。
「【………もう良い、通訳を呼べ。埒があかん】」
「【え…?!…い、良いんですかリーダー…。確か『この件を知る者は最小限に』と、あのお方が……】」
「【仕方あるまい…目的達成のためだ…】」
すると、グループの中でもう1人いた若手が顔を青くさせ、唇を震わせながら言った。
「【まさか………………こ。…殺すんですか…?】」
「【……………】」
「【……さ、流石に俺、殺しは……!!!】」
「【……安心しろ。そうしなくても済むように高い金払って薬を仕入れたんだ。通訳もマーナガラムも、事が終わったら纏めて廃人にすれば良い…。それなら何を知られても関係ないだろ。ヤク中の言うことは誰も信じないからな……】」
(────なるほどな…)
と、ヴォルフは合点がいく。大して巧くもないのに薬を扱った上、多少殴る以外の外傷をこちらにつけないようにしていたのは、後々『事件性を嗅ぎ付けられては困る誰か』からの指示だった、という訳だ。
「【都合が良い裏の通訳を用意するのに、3日ほど掛かる………それまでこいつを閉じ込めとけ】」
「【もう顔も見たくない!】」とリーダー格の男が言った。グループの中で若い2人の男が、座っていた椅子から縄をほどいてヴォルフを解放する。
代わりに両手を後ろに繋がれ、初めてこの建物に連れてこられたのと同じように、檻へと放り込まれた。
「飯だ」
そう言ってパンとコップ一杯の水を渡した後、男達はさっさと半地下の扉を出ていく。
「…………………」
(…腹減った)
と、突然込み上げてきた──「思い出した」とも言う──空腹感に突き動かされ、ヴォルフはパンと水を見つめた。
それらは、これまでより気持ち普通に見えた。パンはそんなに湿気っていないし、水も透明に近いような……………。……もしかして、「通訳が来るまでに廃人化させたらまずい」と考え、奴らはこの食事に薬を入れなかったのかも───。
「…………はあ、」
ヴォルフは馬鹿な期待を捨て、パンと水を檻の中にある便器へと捨てた。…腹が減りすぎているせいで、妙な希望的観測ばかりが脳内を占めてしまう。
代わりにヴォルフは檻の窓から外に手を伸ばした。ブチブチといくつかの野草を掴み取り、口に含む。
……………相も変わらず苦すぎる。…し、青くさすぎる。
眉をしかめながら、ヴォルフはそれをもっぎゅ、もっぎゅとよく噛んだ。
(……リアの、作った飯が食いたい)
唐突に、そう思う。
アリアナの作る料理はいつも不思議だった。いや、もちろん味は美味しいのだけど、妙に多様性があるというか……。彼女は国中から集っている騎士仲間達に料理の作り方を教わっているらしく、味付けの雰囲気が結構違ったりして面白いのだ。
ヴォルフがそれを褒め称えると、アリアナは「別に料理のバリエーション自体が多い訳では無いんだけどね」と照れ笑いする。
そして、「君の故郷の味付けも覚えようかな」などと言って、無闇にこちらを喜ばせるのだ。
「──────」
(あいたい。リア……)
「……うっ」と、ヴォルフは無意識に止めていた呼吸を苦労して再開させた。
「は、あ…」
(危ない、危ない…)
「もう2度と会えないのではないか」──。
などと、弱気になっている場合ではなかった。
アリアナの手料理以外なんとなく食べたくなくなって、飯を抜きまくった挙げ句に倒れたあの日を思い出し、ヴォルフは口の中の葉を噛み締める。彼女にご飯を食べなかった本当の理由を伝えたら悲しい顔をさせるに決まっているので、絶対にもうあんなことが無いようにしなければ………と、ヴォルフは思う。例え、それがどんなに過酷な環境下だとしてもだ。
だって、絶対にまた会うのだから。
「自分は草食動物で、草が主食なのだ」と思い込むことぐらいしか今は出来ないが、ヴォルフはなんとか口の中のものを飲み込んだ。そしてそれを繰り返す。
空のコップを外にやると、まばらになった雨がそこにポツリポツリと溜まっていった。……そう、『まばら』だ。
(雨が弱くなれば、拠点を変えると思ってたんだがな…)
新たな草を噛みながら、ヴォルフは考える。
何せ自分とこの国には因縁がない………だから、てっきり誘拐犯達は雨のせいで足止めを食らっているだけで、ここはその場しのぎの仮拠点なのだ、とばかり思っていた。
故に、真の拠点へと移動する時を狙えば、脱走するか、もう近くまで来ているはずのレイバンにメッセージを送ることが出来るはずだと踏んでいたのだが………ヴォルフは当てが外れてため息をつく。どうやら誘拐犯達は、嵐が過ぎても少なくとも3日間はここで過ごすつもりのようだった。
(…いや。ここから『離れない』ってことが、逆に手掛かりになるのか?)
「…」
ヴォルフは少しの間だけ思案したが、やがて口内の苦味にだけ意識を戻した。
とにかく、誘拐犯達が移動しないというならば、今後こちら側で状況の変化を期待出来るのは3日後───通訳とやらがやってくるタイミングだけだ。
それまでは出来る限りで英気を養い、レイバン達を待つ他ない。
ヴォルフは素晴らしい胆力で以て、そう割り切ったのだった。
皆様、今年も大変お世話になりました!来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2025年もあとわずかです、どうか良いお年をお過ごし下さい。
読んで下さって、本当にありがとうございます!




