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大鴉は語る

 レイバン達が受けた依頼は、そのほとんどが、とある山あいにある村の人々からの依頼であった。

 その村は大型台風の影響を受け、山から麓に下りるほとんどの道が地滑りで通行困難になり、女子供や高齢者が楽には往来できない状態となってしまったそうな。

 そこで山村の若い男達が立ち上がり、率先して物資調達と村での困り事を解決するために必要な人材確保──つまりギルドへの依頼──の任を引き受けたのである。


 アリアナは依頼主である村の若者達と合流したあと、町での買い出しにも同伴した。

 彼女は実費で、女性の欲しがりそうな少量の水だけで体と髪の汚れを落とせるという石鹸粉と、大容量の美容品を買い込んだ。

 あまりに淡々と商品を選び取るものだから、彼女の変装がバレるのではないかとレイバンは危惧したが………最後に子供達の喜びそうな日持ちするお菓子をしこたま詰め込んだ後、その上に濾過も煮沸も無しに飲める水が入った水筒を山ほど入れたリュックをひょいと担ぎ上げたのを見て、村の男達がどよめいていたので「杞憂だったか」と胸を撫で下ろした。


 土砂を避けながら無事村についた後、レイバンとアリアナは協力して他の依頼をこなした。


 災害により住む場所を追われて山から下りてきた獣が、村の食べ物を漁ると言うのでその撃退と、畑の周りを囲う柵の修繕、雨漏りした屋根の修理などなど……。


 ギルドの受付係が言った通り、細々とした依頼がほとんどである。道中が多少険しいこと以外内容は造作もなさそうなのに、レイバン達が来るまで引き受け手が見付からなかったのには理由があった。


 それは『金』だ。


 …と言うのも、実は町へ下りる途中、平素はヴァナン王国からそのお隣のアールブ公国へ向かう旅行者を狙っていた山賊達が、食うものに困り今回の物資調達組──依頼人たち一行を突然襲ってきたのだと言う。

 行きで身軽だった依頼人たちは何とか逃げ仰せたが、さすがに買い出し後の大荷物ではこうはいかないだろう……と考え、道中の警護と山賊達の討伐依頼を急遽追加したのである。

 しかしながら、買い出しのためのお金を削るわけに行かず、ギルドで受付した時点ではこの討伐依頼に多くの報酬を提示できなかった。それで、傭兵たちは村の依頼群を敬遠したのである。



「───で、ギルド側が積極的に斡旋することを条件に報酬から斡旋料と紹介料を天引きってか……イイ商売だな」


 呆れた調子でレイバンが言うと、村の女性達と子供達にきゃいきゃい囲まれていたアリアナが抜け出てきて言った。


「そうだね。受付係の彼が紹介しなければ、この仕事に引き受け手はつかなかった。彼は善い人だ!」


 と、『善人』のハードルが異様に低いらしいアリアナに、レイバンは思わず苦笑する。


「アルさん、もう行っちゃうの~?!」

「ええ。やらなきゃいけない仕事があとひとつ残ってるので……」

「え~っ、やだッ!!明日で良いじゃん!!アルお兄ちゃん、今日はぼくと一緒にあそぼっ??」

「ふふ…だめだよ?君たちが安心して過ごすために必要な仕事なんだ────それに、僕には待たせてる人がいるから急がないと!」


 「ほら、雨がひどいから風邪を引かないうちに家の中へ入るんだ」とアリアナが促し、やっと追い縋って来ていた人々が解散していった。


「………で、山賊たちの居場所は分かりますか?」

「ああ。やっぱり依頼人が行きで通った道に待ち伏せしてたみたいだ。帰りは道を変えて正解だったね…。でも、遅かれ早かれ村にやってくるだろう。彼らは相当、切羽詰まってるみたいだからね」


 そう言って、山賊たちの気配を感じ取っていたアリアナが眉を寄せる。レイバンはその様子を興味深く観察した。

 アスガルズ人は、世界的に見ても身体的なポテンシャルが高い……その中でも特に優秀な血統だけを選りすぐってきたアスガルズ貴族たちの中には、五感や第六感のいずれかがより研ぎ澄まされている人間が生まれてくることがあるのだ。…しかしそれはあくまで『人間的能力の範疇で』、というに過ぎないはず。……なのだけど。

 どうにも超人じみた親友の妻に、レイバンは驚かされてばかりだ。


「村の食料庫から1番近い山道を張ってみよう……、きっと山賊はそこを狙うはずだから」


 そう言ったアリアナに、レイバンは頷いた。




 アリアナが当たりを付けたのは、件の山道から少し外れたところにある獣道である。

 彼女は注意深くその辺りを観察し、「特定の人間が定期的にここを通ってる」と確信めいた声と目で言った。

 そこが良く見えるちょっとした崖上に彼女はサッと登り、少しの間黙り込む……。


「うん。ここにしよう」


 アリアナは手近な凹凸の少ない地面に防水シートを敷くと、丈夫そうな木を見繕って低くタープを張り、その上へ草や落ち葉を盛り付けては偽装を施し、あっという間に簡易的な拠点を完成させてしまった。


 レイバンは、山の深みに身を落ち着けたことで風がマシになったのを幸いにと、背のリュックから折りたたまれた紙束を取り出した。それに気付いたアリアナがこちらを覗き込んで来る。


「…………新聞かい?」

「ええ。ちょっと確認を………」


 黙って1面から読み進めていると、アリアナが口を開いた。


「……ヴォルフの誘拐については、記事になっていないね?」


「、…………」


 レイバンは表情を固め、ピクリと指先を震わせる。


「……………ええ。…今はまだ伏せているんです。…商会の経営は、向こうに残ったアハルティカが。

元々少しずつ俺たちでヴォルフの業務を引き継いでいたので……おそらく、アスガルズにいる皆で回せば、ヴォルフが消えたとはしばらくバレないでしょう」


 歯切れ悪く言いながら、レイバンは緊張で汗をかく。



「…………こんな隠蔽は、『軽蔑』…にあたる行為でしょうか」



 問い掛けつつ、レイバンは気まずくなって視線を落とした。


 ヴォルフは大きな商会の長で、多くの社員を養っており、そしてひと癖もふた癖もある数多の取引相手を、その身ひとつで繋ぎ止めている。

 そんなヴォルフの失踪に『家出説』の証拠が残されてしまっている以上、不在を公にするのは全く得策では無い────、…そう。『()』策では無いのだ。


 「こんな損得勘定は、『ヴォルフの命を軽んじているのか』と詰られたってしょうがない」、と。

 レイバンはそう思う──殊更、この公明正大な女性の前では。


「いや。『戻ってみたら社会的信用が地に落ちていた』なんてことは、ヴォルフ本人が望まないさ。きっとね」


「……………………」


 そう言われたレイバンは、思わずジッ……とアリアナの顔を見つめてしまった。



(………………おかしなひとだ。…おかしくて………本当に、おかしくて…………)


 ───────────「わからなくなる」。



「…………」

「レイ?そんな所に立っていないで、君もこっちにおいで。なかなかの寝心地だぞ」


 だなんて、アリアナが笑う。

 いつの間にかさっさと腹這いに寝そべっていた彼女が、自作タープテントの性能を教えてくれた。


「……では失礼して」

「ああ、ようこそ」


 レイバンは大きな身体をタープにぶち当てないよう気を付けながら、アリアナの隣に寝そべる。熱を感じる程近く、視線と目的を同じくして、茂みの隙間から獣道を窺い見た。


「………………」

「……うーん、現行犯で捕まえられたら良いんだけど」

「………………」

「気配も動きが無いね…。もう少し、時間が掛かるかも………」

「………………………………アリー」


 レイバンがポツリと名前を呼ぶ。目線は山賊が出るかもしれない道から逸らさなかった。「なんだい?」と、アリアナが言う。……声の聞こえ方的に、彼女も熱心に道を見ているみたいだった。



「………………何も、聞かないんですね」



 次に聞こえたのは、アリアナの「ふふふっ」という小さく朗らかな笑い声。

 そして、パタッ……パタタッ……と葉に雨が当たる音。


 敵に見つからないよう息を潜めているだけにしては、何とも心地よい静けさである……………。


「……なあ。さっき私、『もう少し、時間が掛かるかも』って言っただろう??」


 と、アリアナが内緒話みたいにひそひそと言う。


「『聞かない』んじゃなくて、『待ってる』のさ……──君から話してくれるのをね」


「……………………じゃあ俺、無粋なことを聞いちまいましたね」


 そう言った後、レイバンは黙り込んだ。不思議だったからだ。



 ──普通の『貴族』って、こうだったっけ?

 ──普通の『女性』って、こんなだったっけ?

 ──………『人間』って………、こういうものだったっけ…………??



(……………『わからない』)


 ならば、確かめて把握するべきだろう────この人が、一体『何』なのか。


 ───多分、そのために必要なのは、先に『自分が何なのか』を語ることだ。



「…………………じゃあ、聞いて下さい」


 深呼吸してからそう言うと、「素敵な曲を歌い出す時みたいだね」と、アリアナがまた笑った。




◇◇◇




「なあ。あんた知らない?───<大鴉(おおがらす)>のこと」



 そんな風に声を掛けられたのは、今より8年ほど前──よくある大衆酒場……よりももっと風紀を乱した店の中だった。


「…」


 レイバンは黙ったまま、長く伸び散らかした前髪の隙間を透かすようにして、声の主へと目線をやる。


 その先にいたのは、とびきり綺麗な顔をした男だった。そして随分若い。自分が座っているカウンター席の2つ隣に座った男……彼は、薄い色をした目を輝かせながらこちらを見ている。


「…」


 レイバンは質問を無視した。


「ちぇーっ、もう何だよ!みーんな知らぬ存ぜぬ!こっちは船まで乗ってここにやって来てんだよ?…全く馬鹿みたいだッ」


 そう喚いた男の元に、注文していた酒が届いたらしい。ドン、とグラスが置かれた。


「……やめときな、あんた。どっから来たのか知らないけど、<大鴉>なんて都市伝説さ」


 「探すだけムダムダ」と言って見せたのは、この酒場の店長だ。


「────いや。都市伝説じゃない」


 そう返した若い男の声は、確信に満ちていた。

 ……レイバンは黙ったまま、自分の酒に口をつける。


「<大鴉>は絶対にいる───じゃなきゃ、ここの地域はとっくに火の海のはずだ。さもなきゃ血の川が出来てる……そうだろ?」


 「そのとおりだ」とは、店の誰も言わなかった。


 ミズガルダの南西───元々荒れていたこの地域に、大きな2つのマフィアが誕生したのは、一体いつの頃だったか?

 歴史的正面衝突は免れているが、とにかく長い間、その2つのファミリーはシマをめぐって水面下の抗争を繰り広げ続けてきた……。



 <大鴉>とは、そんな組織たちの間を飛び交い、時には食い物にする────いわゆる情報屋、…………と噂される人物のことだった。



「なあ、あんたホントに知らない?」


 そう改めて聞かれ、レイバンは低く「失せろ」とだけ答えた。




「あなた、知ってますか?───<大鴉>のこと」


 暗闇に紛れ、レイバンは声を掛ける。


 とある廃病院は屋根が所々抜けていて、月明かりが照明のない部屋の中を、ぼんやりと斜めに過りながら照らしていた。

 今日は満月だ。


 サッとこちらへ振り返った男の動きに合わせて、灰褐色の髪が流れる。この廃屋には似つかわしくない綺麗な顔を縁取るそれは、月光を緩やかに弾き返し何か別の生き物みたいに見えた。


「───やあ。ヴォルフ・マーナガラムさん」


 レイバンは月明かりのぼろカーテンから少し顔を覗かせ、再度声を掛ける。するとその相手………『ヴォルフ・マーナガラム』は、昼間に酒場で見かけた時と寸分変わらぬ顔で「よぉ!」と受け答えた。


 彼が掲げた片手に持っているのは、この時間にここへ来るよう書かれたメモ用紙だ。自分が直接、彼の取っているホテルの部屋へ、ドア下の隙間から投函したものである。


「へぇ、眼鏡も似合うじゃないか。…にしても驚いたな。半日足らずでホテルの部屋番号と名前まで調べるなんて」

「ええ、まあ。情報屋を相手にするときは、本名で宿帳にサインはしない方が良いんじゃないですかね」

「ふーん。だな」


 と、ヴォルフが軽く返してくる。そして、ニッと笑った。


「で。あんたが<大鴉>の()()()ってことで良いのか?それとも、ただの遣い??」


「いえ────俺がその1羽、『ムニン』です」


 『<大鴉>は2羽いる』───。

 取引相手しか知らないであろうその噂に辿り着くだけ、ヴォルフもなかなか情報集めの筋が良いらしい。マフィアにツテでもあったのだろうか…?


 彼は、「でも意外だったな」と言ってこちらを見た。


「どうして、都市伝説サマが直々に姿を見せる気になった??」

「………『わからない』、からですかね」


 ヴォルフからの問い掛けに、レイバンは率直な感想を漏らす。

 この地域から船に乗らねばならぬほど遠くに住んでいるらしい彼が、なぜやって来て、<大鴉>を探すのか??その経緯が見当もつかない。


 すると、ヴォルフは肩を竦ませてため息をついた。


「俺は今、こっちで安く仕入れた材料を向こうで加工して売る、って商売をやってるんだけど」

「はい」

「法人化を目指して、今が正念場!って時に、水を差された。人の船でヤクを運ぼうとしたクソのせいでな」


 「おかげで3ヶ月間、営業停止だ!」とヴォルフが吐き捨てる。

 なるほど。こちらの港で積み荷に紛れ込まされていた薬物が、彼の拠点とする港で検挙されてしまったということか。この若き社長志望さんはマフィアにスジも通されないまま犯罪に加担させられていたらしい……若さゆえ、相当にナメられていると見た。

 「大変でしたね」とだけ言って、レイバンは首を傾げる。


「…ふむ………、それで??」

「『それで』って??」

「濡れ衣を着せてきた犯人を探し出して痛い目を見させたいなら、<大鴉>ではなく、警察に頼ればよいのでは?」


 レイバンが切り返すと、ヴォルフは心底呆れたように言った。


「………お前さァ。よそ者が頼れるようなマトモなサツが、この辺りにいると本気で思ってんのか??」


 「適当ブッこいてカモられんのがオチだろ。あいつら、金で助ける相手を決めてやがる!!」と、ヴォルフが声を荒げた。


「それに、ここで生きる人間が法律でマフィアを裁けるとも思えないしな」


(………………それはそうだ)


 と、レイバンは内心で頷いた。

 ここに住む者達は皆、警察さえもマフィアに怯えている───「いなくなってくれたらどんなにいいか」と、考えない日はない。

 だが、ここにはとりたてて秀でた表の産業もないため、経済はマフィアの黒い裏家業に頼りきりなのだ……。


 強いマフィアに怯え、萎縮し、新しい経済の芽が出てこない。……その負のループが、ここの治安をより悪く維持し続けてきた。



「…………良いでしょう。俺が与えられるのは『情報』だけですが………それをあなたがどう使うのか、興味がある」


 これまでのところ、現在の構造が揺らぐのは想像出来ない………あるとしたら東西のマフィアどちらかが抗争により傾いた場合だけである。が、彼らが『全く関係のない第三者』から刺激を受けた場合に、どういう反応をするのか……それには、とても興味がそそられた。そしてその様子を観測するのに、この『ヴォルフ』という男は実にちょうど良い。


 そんな考えには気付くはずもなく、彼はこちらの返事に機嫌良くにこにこと笑った。


「よし。じゃあ契約書にサインをしてもらおうか」


 そう言って、胸ポケットからある封筒を取り出す。その中身が、ヴォルフの言う「契約書」なのだろう…。……いやに用意が良い。


「口約束で、逆に俺の情報を相手方に売られたんじゃ困るからな」


 そんな軽口にレイバンが「芸名で良いですか?」と言うと「馬鹿、本名だよ」とヴォルフが返す。「普通はホテルの宿帳でも本名書くんだよ」と苦い顔だ。


 書き終わった名前──『レイバン・フガムーン』──を見て、ヴォルフは「よし」と頷く。それから同じ紙をもう1枚別で取り出した。


「───待て。もう1羽も呼ぶんだ。どうせ近くにいるんだろう?」


 注意深くそう言ったヴォルフに、レイバンは苦笑した。


「ああ、それは『フギン』……俺の父のことですね。

でももう亡くなったんですよ───1年程前に」



 「今は誰も来ない廃教会の裏で眠ってます」。

 その言葉に、ヴォルフが眉をつり上げる。


「……嘘は無しだ。隠さなくて良い。『今朝もう1羽とやり取りした』って人間がいる。裏は取れてるんだ」


 するとレイバンは「ふむ…」と思案する振りをした。



「時には………………『裏』が『表』と言うことも」



 そう言うと、ヴォルフはため息をついた。


「もう嘘ついてたんじゃねーか!『自分はムニンだ』って言ってたクセに!!

──じゃあ何か??1年間、親父が生きてるように見せかけてたってのか??『一人二役』で???」


「いえ、一人二役というか……。

単に()()()()()()()()()()()()()()()()というだけです」


 ──「嘘では無いですよ」。そう言って、レイバンが2枚目の契約書に同じ名前のサインをし肩を竦めると、ヴォルフが呆れたように「上等だ」と吐き捨てた。





「驚いたな………まさかたった2ヶ月で2つのファミリーを()()させるなんて」

「まあな」

「一体どうやって??」

「『憎まれっ子世にはばかる』───っては言うけど、このマフィアは永くやりすぎた。外だけじゃなく内にも敵だらけだったんだよ」


(………そうか)


 このヴォルフ・マーナガラムという男は、潜在的な味方の存在に気付いていたのだ。最初からそこを見込んで勝負を賭けてきていた………それこそ、彼に必要なのは地の利を凌駕できるだけの『情報』のみだったのだろう。

 だから、警察ではなく2つの組織により近く関わっていた<大鴉>の方を選んだ。


「俺がしたのは味方の『負け犬思考』をちょっと躾しなおして、策を提案してやったことだけ」


 「あとは新しくトップに立った2人が、解散を選んだってワケだ」とヴォルフが軽く言う。


 ………彼が、ここまで上手くやるとは思っていなかった。「もしかすると組織の片方が崩れるかもしれない」とは想定していたが、まさか2つともが自主的に解散することになるとは。どうしてくれる、食い扶持がなくなってしまった。


 ……なんて考えている間に、ヴォルフはにやにやしながら問い掛けてくる。


「さて。………お前は俺が『わからない』と言ったな?」


「…………」


 「いや。もう十分『わからせて』もらったよ」とは言わずに、レイバンは苦笑する。


 ───この時、自分が『まだ理解できていなかった』なんて、予想だにしてなかった。



「俺が来たのは、つかえる鴉を飼うためだ。


さぁ、着いて来い────ここにいたって、どうせもうヒマだろ??」



 新しい契約書をひらひらさせた狼が、そう言って笑った。




◇◇◇




「…………ヴォルフとの契約は、父親と交わした『血の縛り』より、よほど自由度が高かった」


 黙ったままのアリアナに、レイバンはポツリと言う。


「父は他人を信じられる人じゃなかった。だから血の繋がった息子なら、『絶対に裏切らない同業者』に出来ると考えたんです。…いや、最も精巧な『影武者』にしたかったんですよ」


 そのために、小さな頃から多くを教わった。『普通』に生きるなら、微塵も役立たなそうな知識ばかりを。…『自分』が『父』になれるように。


「ヴォルフと働いている内、アハルティカに出会って………俺、『自由ってこういうことか』って思いました。衝撃的なくらい、彼女は『自由』を体現してる…。…俺の知り得なかった『それ』を」


 レイバンは「ははっ」と乾いた笑いを浮かべた。


「自分じゃ詳しく言語化出来ない概念を、その身で示してくれる存在は貴重だ。

───ヴォルフは『信頼』を。アハルティカは『自由』を、それぞれ教えてくれた。………俺の人生で、最も尊い人達です」


 アリアナは黙っている。まだ。


「俺は2人といることで『それら』をわかったと思ってたけど………。実際には違った。

………知ってるでしょう??アハルティカが『結婚したい』と言ってくれた時です」


 その時、隣で衣擦れが聞こえ、アリアナがこちらを見たのが感じ取れた。分かっていても、レイバンはそちらが見れない。



「俺は今でも、()()()()()()()()()()()()──……と。そう思ってます」



 否。そうとしか教わらなかったのだ。


「アハルティカと『家族』になった途端………相手の『自由』を握り潰すのに抵抗が無くなるかもしれない。……あの父みたいに」


 言った瞬間、両腕がぶるぶる震える。レイバンは組んだ腕に顔をギュッと押し付けた。


「恐くなった───ほんとはすごく、嬉しかったのに。

俺は彼女を『愛してる』………。…そのはずです。なのに恐怖は、その概念すら揺るがす」


 目頭が痛くなる程押し付けた腕に、熱い何かが滲んで、情けなくて………レイバンはどうしようもなくなる。


「…………思えば、自分自身を信頼できなくなって当然ですよね………だってほんとの俺は、最初に覚える親からの『愛』さえしらない」




 そう言った時だった。



「君の父君は、君を愛してたよ」



 …そんな言葉が降って来たのは。


「君に情報屋としての技術を教えたのは、君がその街で生きていけるようにしたかったからだ。

君と自分を同じにしたがったのは、君が危なくなった時に、自分が身代わりになれるようにだ」


「…………………………………」


 レイバンはギュッと目を瞑ったまま、眉を寄せて笑った。


(────────────そんなわけない)


 父はそんな人間ではない……。

 これが私情による評価ならどんなに良かったか。

 でも、これは情報による分析結果なのだ。


 …………やはり自分とアリアナとでは、見ている世界が決定的にずれている────。


「あ…違うよ?誤解をしないでくれ…っ!!」


 こちらの漏れだした悲壮感をどう解釈したのか、慌てたようにアリアナが言う。これまでとは違う、大きな声だった。


「父君の真意はともかく、君はその愛が望んだ形で渡されなかったことを、思いっきり怒ったらいい!一生恨む権利だってあるだろう───いや。叶うなら、今の私が小さな君の元へすっ飛んで行って、父君に直接説教をしてやりたいくらいだ!

そしてその後、君をどこか遠くへ……とびきり楽しいところへ連れ出すんだよ。行きたいところ、どこへでも自由にね!」

「…………………………」


 ………へにゃりと口元が緩み、空気が肺から不意に漏れ出すようにして、レイバンは笑った。


(なるほど。それはたしかに『自由』だ。……考え付く限り最高の)


「…わがままを言ってるのは、分かっているよ…」


 そう続けたアリアナの声は、何だかばつが悪そうだった。


「だけど、それでも私は……。友達が『何かを取りこぼした』と思いながらこの先を生きていくのが、耐えられないんだ……。

ううん───本当はこれまでの君にだって、そんな思いをさせたくはなかった」


 そう言ったアリアナが、遠慮がちにこちらの肩へ触れる。自分が細かく震えているのは、雨が吹き込んで寒かったからじゃない。なのに、彼女は「あったかくしてあげなくちゃ」と言わんばかりに肩をさすり上げた。


「君は愛を知らないんじゃない。ただ分類上『愛』だけど、へんてこな形でありがた迷惑だったんだよ。………と、…そう思って欲しい……」


 ぽん、と最後に優しく叩かれた肩が熱を持って、だんだん胸まで苦しくなってくる。


「簡単なことではないだろう…。でも、私のこのお願いを君が覚えてくれていて…、…いつか……、『叶えてあげてもいいか』と思ってくれる時が来たなら……。私はとても嬉しいよ」


 「……きっとハルもね」と、アリアナが添える。


 ………レイバンは黙り込んだ。

 彼女からの提案は、初めて検討するような内容ばかりだったので…ちょっと、時間が欲しかったのだ。

 でも、ニッと笑ったアリアナはもちろん待ってくれたりなどしなかった。



「あと、父君と『同じことを繰り返すんじゃないか』と不安になっても、大丈夫だ。


──────君には、私がついてる!」


「!!!………」



 ………レイバンは顔を上げた。…眉を潜め、穴が開く程アリアナを見つめる。驚きで、半開きの口が閉じられない………。


 彼女の言葉が、信じられない位に信じられたからだ。


「………………………………………………………」



 レイバンは、故郷の廃教会を思い出した。


 ───遠い昔。その廃教会は<大鴉>が落ち合う時に使うポイントの1つで、自分は父が情報を受け渡しに来るまで、そこで待つよう言い付けられていたのだ。その日も確か、雨が強かった。

 自分は堪らず教会の中に忍び込んで───それでも破られた窓から吹き込んでくる雨を避けるため、奥の祭壇の方へ歩みを進めたのだ。神様が祀られていて、その後ろにステンドグラスがある。繊細そうなのに、大きなステンドグラスにはあまり割れが無かったのを不思議とよく覚えている。


 「くそ食らえ」、と小さい頃のレイバンは唐突に思った。


 …信じるものか。神などいない。いたなら自分は愛されていて、自由を願われていて、辛くも悲しくもないはずなのだ。

 だれも救われなかったから、この教会だって廃れた。それが現実なのだ。


 レイバンは、欠けた無表情の石膏像を睨み付けてから、埃っぽい床に座り込んだ。


 ……自分は、ただ待てば良い。

 ………父が、情報の受け渡しにやってくるのを。

 …………そして、いつかこの生命が終わるのを。


 そんな風に諦めかけた時───空の雲が気まぐれに移動し、太陽がふいに顔を出した。ステンドグラスの緑が、日に透けて弱い光を送ってくる。



 レイバンは目の前のアリアナを凝視した。

 あの日、廃教会の煤けたステンドグラスを通して差し込んだ緑色の光よりも、よっぽど強く輝いている瞳。


 ……ほんとは欲しかった。……「居てくれ」と願った。

 自分を助けてくれる、自分の神さま。


 だが、当時の自分に見つけられるわけがなかったのだ───……だって、こんなにも先の未来で。



(─────『わかった』)


「……あなたは………、………神さま……??」



 そんなレイバンの呟きを聞き付けたアリアナが、「…君は、そうやって何でも信奉してしまうクセを改めた方がいいなあ」、と。心底困ったように首を傾げつつ言ったのだった。





読んで下さりありがとうございます!

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