鹿騎士は発つ
「───父上ですか。アリアナです」
小さく纏めた荷物を手に、レイバンと船を待つのはアリアナである。ヴァナン行きの船がアスガルズの港へ着くまでのわずかな間、アリアナは程近くにある公衆電話を使い、家族へ出発の連絡を入れていた。
「はい、はい………20分後、昨日話した予定通りに。ええ、一旦ヴァナン王国に上陸することに…。
───はい。今後の詳しい話は、フェルビーク小隊長を通じてお話しいたします」
そう言った内容の電話を、それぞれ父と義父に入れ、アリアナは受話器を置いた。昨晩、彼らに事情を説明する連絡を入れた時よりも、幾分か落ち着いて話が出来た気がする。皆、口を揃えて「2人の帰りを待ってるよ」、「アリアナさん、くれぐれも無理はしちゃいけないからね」と声をかけてくれた。
続けて、アリアナは親友にも連絡を入れる。彼も、昨晩から気をやきもきさせていた1人のはずだ。案の定、ジャックは1コール目が終わる前に「はい!」と電話に出た。
彼が「分かった。アスガルズのことは任せて」と何とも頼り甲斐のある返事を聞かせてくれるので、アリアナは大きく深呼吸し、「ありがとう。頼んだ」と告げた。
「…………」
かちゃん。と受話器を置いたアリアナ。
……一度離れそうになった手が、改めて受話器を握り直し、もう片方の手が勝手にダイヤルを回していた。
プルルル、プルルル………………───カチャ。
「───はい。こちら、グレイズ・トール・マクホーンです」
「…………………………、」
アリアナは何も言わなかった。…いや、何も言えなかったのだ。「絶対に出ないだろう」と思っていた相手が、いとも簡単に声を聞かせてくれたので、驚いたのである。こんな早朝なのに。
「………………………」
「……………………………アリアナか?」
黙ったままのこちらの耳に、自分の名が吹き込まれて、アリアナは思わず息を飲む。……どうして分かったのだろう??
「、……はい」
咄嗟に答えてから、「この後どうしよう」とアリアナは狼狽えた。実は、今回の件で祖父に連絡を入れるのは初めてなのだ。
アリアナは乗船までに残された少ない時間の中で、何とか経緯をいちから説明せねばと頭を回した。
そこへ、「何もかもお見通しだ」と言わんばかりの声が聞こえて来る。
「フン……昨日、オスカーから事情は聞いたよ。ベルガレットからもな。まったく、仕様のない迷い犬のようなヤツだ。お前の夫は」
「それで?これから発つのか」と続けられて、アリアナはこくん、と頷く。衣擦れの音しか聞こえなかっただろうに、電話の向こうに立つグレイズは「そうか」と言った。
「あの……、…祖父上」
「なんだ」
「今までご連絡を差し上げなかったのは、その……『知らせなくとも良い』と思っていたわけではなく…………、」
「………」
「あの……」
アリアナは言いながら、何度も腕の甲で目元を強く抑えた。
アリアナにとって祖父は、絶対的安全と安心の象徴だったのだ────子どもの時からずっと。
だから彼の声を聞くと、必要な力までもが体から抜けて行ってしまう。じわじわと涙腺が緩まってしまうのを、アリアナは感じていた。
……今、まるで小さな子のように泣きじゃくって、本心をぶちまけるわけには行かないというのに。
(──ヴォルフはまだ、生きているはずだ……)
……そう、確信している。
ヴォルフの社会的に高い立場が、その確信をより強固にしてくれていた。『殺すよりも生かしておいた方が、何かと利用価値がある』───きっと、犯人はそう考えるはずだ。
(……だから大丈夫、大丈夫、だいじょうぶ………)
と、アリアナは自分に言い聞かせる。
決してヴォルフは死んでいない。そうだ。絶対に、もう海の底に沈んでいるだなんてこと、あるわけが─────。
「そふ、うえ」
アリアナは口を開いていた。
どんな憶測も、現時点では意味がない。だから、後ろ向きなことを祖父に尋ねるべきではない。だから、だから………。
「わたしに…っ、ヴォルフが救えるでしょうか───?」
アリアナは精一杯涙を堪えて問うた。
──「ヴォルフはまだ生きていると思いますか?」──、だなんて。
…彼の生存を心から信じているはずなのに、そんなことを祖父に聞くのは、自分らしくないし馬鹿げてる!絶対に、己のプライドにかけてそれは許されない……───いや、実は今の聞き方だって、大差ないのかもしれないのだけれど。
そうして問い掛けてしまってから、アリアナはハッとした。
電話口で涙を流さないからと言って、それが何になるというのか。声がこんなに震えて濡れたようになっていたのでは、なんの意味もない!
むしろ、声だけ聞いている祖父は、こちらが号泣していると思ったに違いなかった。
慌てて取り繕おうとした時、彼は言った。
「お前だけじゃ無理だ」
「…!」
「だが、我々なら出来る。─────必ずな」
そう言ったグレイズの声は然程大きくないのに、アリアナの鼓膜を強く揺らし、心臓をドックン!と脈打たせた。
「しばらく見ぬ間にまた成長したようだな。アリアナよ」
「え……?」
「少し前のお前ならきっと、これ程多くの人間には頼らなかったはずだ」
「!」
(…………………『頼る』)
アリアナは心の中で呟く。
(………そうか)
ベルガレットもそうだった───自分は『報告』をしただけのつもりが…。…この人達は。
(…当たり前に私を………。『助けよう』としてくれるのか)
「……祖父上」
「ふん……お前の変化があの男のおかげかと思うと、少しばかり憎たらしいがな」
そう言ったグレイズは、とても渋い顔をしているのだろう。アリアナには電話越しでもそれが分かる。
フッ、と小さな笑い声が聞こえ、その後グレイズが言い放った。
「お前が、俺たちにこうして話したことは『正しかった』。
────それを証明する。必ず、期待に応えてみせよう」
「後の詳しいことは、ベルガレットにでも問い合わせる。こまめに連絡を入れておけ」と、こちらの返答も待たずにグレイズはさっさと段取りを付ける。おそらく先程の言葉は彼自身によるただの『宣誓』で、アリアナの返事を期待したものではないのだろう。
「そちらも健闘を祈る」
「……はいっ!!」
そんなやり取りを最後に、アリアナは受話器を置いた。
「───すまないっ。待たせたね」
アリアナは小走りで、波止場の搭乗口前に立つレイバンへ声をかける。アリアナたちが乗る船はもう、港に停泊していた。
「いえ、問題ありません。それより、ご家族の方は……、」
「皆、応援してくれたよ!必ずヴォルフを見つけ出さなきゃね…………おっと。彼は?」
アリアナは船に乗り込みながら訊ねる。レイバンの影にもう1人、青年が立っていたからだ。
「彼は事件の当日、ヴォルフの付き人をしていた者です。俺の部下で───昨夜、1番に取り調べをしましたが、不審な点はありませんでした。信用して良い」
「そうか……」
(じゃあ、彼は事件が起きたとき1番近くにいた、大事な参考人と言うわけか……)
「アリアナ様……俺、その……本当に…!申し訳ありません…ッ!!」
そう言って頭を下げる青年は、震えていた。
レイバンに余程叱責されたのか、それとも自分が『貴族』だからか────おそらく、後者だろう。彼は必要以上に緊張してしまっている。
「やあ。“アリー”で良いよ──君の名前は?」
「…え?あ、俺は……ジョーンズ…。ジョーンズ・アディです。アリー…さん」
ようやく目の合ったジョーンズに、アリアナは微笑みかける。レイバンと同じ褐色の肌をもつ彼は、髪を短く刈り上げた背の高い青年だった。きっと、まだ若い……18歳になるかならないか、と言ったところだろうか。
「そうか。じゃあジョーンズ、君の話を聞かせて欲しい………最初からね」
「……………………」
「どんなことでも、遠慮せずに話してくれ。あと、今回の件で後悔するのも止めてもらおうか」
「え?」
「ヴォルフを守り切れなかったのは、私も同じさ。ただ一般人の君にそこまで責任を感じてもらったんじゃ、騎士の私は立つ瀬がなくなってしまうよ」
「………………………………」
そう言って困ったように笑うと、ジョーンズも困ったように眉を寄せた。…当惑し切った様子の彼が隣のレイバンを見る。すると、レイバンが小さく苦笑してから頷き、ジョーンズに先を促したのだった。
「──────と言っても、俺には話せることが少なくて…」
ジョーンズがそのように語り始めた話の経緯は、纏めるとこうなる。
1.「犯行前、ヴォルフは『到着まで部屋から出ない』と宣言していた」。
2.「ヴォルフの部屋が、内側から施錠されていることを確認した」。
3.「船の食堂で食事をした」。
4.「食事から帰った時、ヴォルフの部屋を訪ねたが返事はなかった。なお、鍵は閉まっていた」。
5.「仮眠後、ヴォルフの様子を見に行くと鍵が開いており、ヴォルフは消えていた」。
「───食堂で食事、というのは君1人で?」
「ええ。ヴォルフさんは特にすることがない時、よくお眠りになりますから、きっと今回もそうだと……。だから、声は掛けませんでした。そもそも夕食は、『アスガルズに帰ってからアリアナさんと摂るつもりだろう』って思ってたんです」
「なるほど……」
「それで、『そろそろ起きたかな』と思って声を掛けに行ったのが……確か30分後位だったと思います。途中に船が停泊する予定だった時刻よりも前なので、犯人とヴォルフさんはこの時まだ船内にいたはずです。争う物音もしなかったから、部屋の中でヴォルフさんは本当に寝てたんだと思います」
「そうか………、では次の…仮眠後、というのは??」
そうアリアナが訊ねた時だ。ジョーンズは上司であるレイバンの顔色を一瞬窺った。
アリアナが眉を上げ小さく微笑むと、ジョーンズは唇を1回噛み締めたあと、恐る恐る告げたのだった。
「あの…………こんなこと言うと、言い訳みたいに聞こえるかもしれないんですが………」
「……?」
「実は食事を摂ったあと、急に頭がぼーっとして、めまいがして…………吐き気も。それで俺、『船酔いしたんだ』と思って。寝る気は無かったんだけど、耐えられなくてベッドに横になったんです。……そうしたらいつの間にか…………」
「居眠りしてしまったみたいで…」と、申し訳なさそうにジョーンズは続ける。
「多分、その隙にヴォルフさんが……。クソ、やっぱり俺のせいだ!せめて追跡が出来てたら………ッ」
と、ジョーンズが言った時、アリアナが口を開いた。
「…………それ……、もしかして『船酔い』じゃなく、薬を盛られたんじゃないか?!」
「………えっ?」
言うと、レイバンが目を見開く。
「そうか……!その時間帯、船の厨房ではボヤ騒ぎが起きていたんです!それで、一瞬支配人がフロントを不在にした。その隙に客の1人である犯人が、ヴォルフの部屋の鍵を奪ったんだと思ってたけど……」
「そう、厨房のスタッフもグルだったんだよ。犯人は複数犯だ!」
「え?え?……ど、どういうことですか?!」
と、交互にこちらを見遣るジョーンズに、アリアナは笑った。
「君は居眠りしてしまったんじゃない!薬の副作用で気絶してたんだ!食堂で薬入りの食事を摂らされてね」
「………!!」
「それどころか、相手が薬を使う犯人達だと分かった!薬の成分を調べれば、入手経路から買った連中の素性が分かるかもしれない。お手柄だよ!」
「よく無事に帰ってきてくれたね。話してくれて助かったよ!」───アリアナがそう告げると、少し後にジョーンズは唇を震わせ、ぽろぽろと涙を溢し始めた。随分と、己を責めていたのだろう。
レイバンがジョーンズの肩を軽く叩き「ありがとう、部屋に行ってていいぞ」と言うと、頷いたジョーンズは荷物を持ち「……俺、頑張りますから…!」と言い残してそのまま行ってしまった。
「……実はジョーンズの他にも、この船には商会の人間がたくさん乗っているんです。ヴォルフを見つけ出すためにね」
「!そうなのか」
「その中でも、あいつは1番に手を上げました。後悔や、自分に掛かる疑いを晴らしたかったのもあるでしょうが───1番は貴女に直接謝りたかったからだ」
「………」
「本当は、根性のあるヤツなんです。………ちょっと、泣き虫みたいだけど」
そう言って、レイバンが口許を緩める。
「貴女には敵わないな。俺よりも聴取が上手いかもしれない」
「ええ?あれは『聴取』じゃないよ!私はただ、彼の仕事を信じただけさ」
アリアナが笑って言うと、レイバンが眼を丸くした後、くすくすと笑った。
◇◇◇
「やあ、話は聞いてるよ。珍しいね~こんな時期に登録希望なんて!ルーカスさんの紹介だろ??」
「ええ。僕は“アル”で、こっちは友達の“レイ”です。よろしく」
天候が荒れているアールブ公国を経由するのでなく、反対側のニフル王国を経由するルートで渡航し、アリアナたちは無事ヴァナン王国へ上陸していた。
乗船していた、ジョーンズを含むマーナガラム商会の面々は、下船後人知れず散り散りになっていったようだ。薬の成分や入手経路を洗う組と、スタッフを合わせた乗船者リストをもう一度洗い直す組、そしてそれ以外とで、ザックリ分かれて調査を進めていくらしい。
そんな中、偵察隊第1小隊長の古巣、ヴァナンいちのギルド<Strix>にやってきていたのは、アリアナとレイバンの2人だけであった。
自分達に対応してくれたのは、中年の受付係と思われる男性だ。
「おっと!『よろしく』するかどうかは審査のあと!」
そう言われて、アリアナは少し緊張する。
今回、ルーカスのおかげで<Strix>の協力を受けやすくなったのは良いが、アリアナ達は<Strix>を全面的には信用できていない───なぜかというと、現状「社長の誘拐」という依頼を1番引き受けている可能性が高いのが、この組織だからである。
実質、これは潜入捜査と言って良いだろう。そのため、アリアナとレイバンは変装をしていた。
アリアナは少し長い黒髪のかつらを被り、胸をサラシで巻いている。幸い、もともと胸さえ潰してしまえば青年、という出で立ちのため、かなり自然な仕上がりにはなっていると思う。どこからどう見ても、成長期を終え掛けた男の子だ。ただ、声だけはどうしても男性にしては高めなので、17歳の青年という設定にしている。
レイバンの方はと言うと、髪を解き、眼鏡を取って、格好も普段よりかなりラフにしていた。1番の違いは顎の無精髭だろうか。なんとも『街の荒くれ者』らしい佇まいである。
変装を見破られないか内心ドキドキしているアリアナをよそに、受付係はリクエストボードに目を遣った。
そこには顔写真つきの張り紙が、おびただしい数掲示してある。
「んー……、どうやらおたずね者では無いみたいだね。こりゃ残念!騎士団へ突き出しゃ賞金が出るってのに」
そう言った受付係が、「はい、合格!」と言って笑った。どうやら、審査はあってないものらしい……。
「じゃあ登録するよ~。あ、登録っていっても、ギルドと傭兵はほぼフリーランスで契約してるようなもんだから。<Strix>が管理してる施設には自由に入って良いし、困ったときにギルドの名前出して貰うのはOKだけど、被害が出たとき労災は下りないから注意して!あと、こっちから紹介したリクエストを受けた時は、紹介料として報酬の20%を貰います。良い?」
「あ……はい……」
と、アリアナは矢継ぎ早にされる説明を承知した。かなりえげつない条件もちらほら出たような気がする……。が、背に腹はかえられない。
アリアナはリクエストボードを一通り見るフリをした。そして、もう一度受付係に声をかける。
「う――ん……。…あの、最近もっと実入りの良い仕事の募集は無かったですか?この際、掲載が終わっているものでも良いんですが」
「え?どうして??」
「再掲載していないだけで、追加の募集があるかもしれないでしょう?依頼主に直接聞きに行こうかと……。僕たち、大きい仕事がしたいんです!」
そう言うと、受付係はにんまり笑った。
「ふーん………。でもさ、掲載の終わった依頼主の情報を、後から教えるのは規則違反なわけ。分かる?
俺と君たちに相応の信頼関係が無いと、教えられないよ!」
「そうですか………」
と、一旦引き下がろうとしたアリアナの後ろから、バン!!!とレイバンが机を叩いた。
「……テメェ。ガタガタ御託並べてんじゃねぇぞ…?なら出すもんさっさと出せや」
レイバンが聞いたこともない低い声でそう凄む。
目が飛び出る程驚くアリアナをよそに、「…いやあ、話が早いねェ!アンタ」と言った受付係はに――っと笑って机の下をごそごそ探った。
「………はい!」
「…これは??」
取り出された紙の山を見て、アリアナは聞き返す。
「今、台風で色々被害出てるでしょ?小粒だけど依頼自体は増えてるのさ、猫の手も借りたいくらいにね!
これ全部君らに紹介するから、なるべく早く済ませてうちに入れて?『金』を」
(………し、『信頼関係』ってそういう………)
と、呆気に取られたアリアナに、書類の内容をざっと見たレイバンが小さく囁く。
「………行けますか?アリー」
「もちろん。今日中に片付けよう」
お読み下さりありがとうございます!




