狼商人は見定める※
挿し絵を入れています。
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──そして、見合い当日。
目当ての2人が店内のどこにいるかは、すぐにわかった。
ヴォルフが店のベルを鳴らす───その前から入り口に視線を向けていた赤毛の3人のうち、厨房の男がジャック・ロープだろう。
それ以外のもう1人は、ラフで動きやすそうな服に店のエプロンだけを簡単に着用している店員だ。
艶のある深いブラウンの髪に、特徴的な緑の目。
パッと見は美青年だが、エプロンの紐がまとめられている腰つきが細いので、彼が『彼』でなく『彼女』だということが分かる。
案内されるより前に、奥のテーブル席へと腰掛けたヴォルフは、一度店内を見回した。
小さな店だが活気がある。客層も外から店を見た印象より、ずっと幅広い。しかし、いずれも平民である。
(なるほど。…マクホーン家の追っ手から逃れるためには、ちょうど良い隠れ簑だな)
と、他人事のようにヴォルフは思った。そのままメニュー表を手に取る。
「………………」
(…品数も豊富だし、旨そうだ。あっちの客が食べてるのは、一体何だ?)
ヴォルフはメニューをペラペラ捲った。
向かいのテーブル席に座る客。彼らが食べている料理のとても旨そうな匂いが、こちらまで漂ってきている…。
「兎肉のソテーと季節野菜のサンドイッチか…」
「はい。そちら当店自慢の一品です」
「、」
後ろから、気配もなく声を掛けられた。
全身の毛が逆立ち、芯が冷える。が、顔まですっぽり覆うローブで相手には気取られていない。…コト、と水の入ったグラスが置かれた。
注文を取ろうとする手元だけが見える────ジャック・ロープだ。
「へぇ、そうなのか。実は、この店に来たのは初めてでね」
「さようでございますか。ぜひ一度お食べになっていただいて、今後ともご贔屓願いたいものです」
「ああ。では、このサンドイッチを1つ、よろしく頼むよ」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
サラサラと注文を書き取り、さっさとテーブルから離れていく…。ヴォルフはその後ろ姿を眺めた。
(──しまったな。今のやり取りで、確実に警戒されちまった)
ジャックの聴力について、ヴォルフは既にレイバンから報告を受けていた。そのため、無意識に身構えていたのである。今のやりとりは、突然声を掛けられたことに、驚いた演技をするのが自然だったのに。
(はぁ……)
今度は誰にも聞かれないように、ヴォルフはこっそりとため息をついた。
そしてそこからは、食事に手を付けずに(食べ終わればジャックに退店を促されるのは目に見えている)粘っていたが、アリアナと話す機会は全く訪れなかった。アリアナや2人の妹たちとの接触が無いように、ジャックが厨房からホールの動きを操作していたためだ。
半ば諦めて、日をあらためる方向性に頭をシフトし「サンドイッチうまそー」などと考えていたところに。
─────突然、チャンスは来た。
ジャックが、厨房の奥の部屋へ引っ込んだのだ。
ヴォルフは逸る心を見透かされないように、細心の注意を払って声を掛けた。
自分の手腕に、商会の未来がかかっている。久々に感じるヒリつくような高揚。
「ねぇ、お嬢さん。君もこの店のウェイトレスさん?」
◇◇◇
話してみると、アリアナの人柄はすぐに知れた。
誠実で真面目で、清く正しく嘘はつかない。
そして打算がないからこそ、彼女の言葉は心に響く。
ヴォルフは、自分の見目が大変優れているのを自覚していた。だから、大概の褒め言葉は慣れっこなのだが──アリアナから放たれる言葉は、豪速球のストレートなので一瞬ぎょっとしてしまった。
誰彼構わず全力投球なので「これは当たったら大怪我だな…」と、内心苦笑いする。
食事に誘いがてらヴォルフが名乗ったとき、アリアナが己の身分を誤魔化すことはなかった。
(──良くこの歳まで、その調子で生きてこられたもんだ──)
と、ヴォルフは呆れを通り越して、感心する。
相手に誠実であるのと同時に、アリアナは自分自身に対しても誠実であろうとしていたのだろう。……きっと、今まで通りに。
だが、初めてぶち当たった貴族として逃れられないしがらみ─この場合は結婚─に対し、どう対処すればいいのかわからず、苦しんでいた。
そのことを肌で感じ取りつつ、ヴォルフは思う。
……正直に言って、そんなものは甘えだ。と。
人間というものは時には己を曲げ、他人を蹴落とし、薄汚れて、それでも強く生きていくものだ。と、ヴォルフはそう考えていたから。…そして、それは今後も変わることはない。
(これまでは、運が良かっただけだ。環境や、出会う人々が……彼女をまっさらなまま生かした)
そんな「綺麗で眩しすぎる」、とも言える彼女を、ジャックが必死に守ろうとするのも、なんとなく分かる。
………もっとも、アリアナ自身は自分を守られる対象としてカウントしていないようで、いまいち響いていないのが涙を誘うが。
(そういうこれまでのツケを、今払うことになった、ってのを。……彼女は自覚しているのか??)
ヴォルフは、苦しそうに、だが一生懸命に言葉を紡ぐアリアナをじっと見つめた。
(その罪悪感に付け込んで、善人の皮を着込んで────お前を食い物にしようとする、悪人)
…アリアナはそういった存在を、真には理解できないだろう。きっと、これまでの生き方が─あるいは生かされ方が─あまりにも善良すぎたのだ。自分で悪巧みをしないせいで、される側になるという考えが及ばない。…つまるところ、彼女は無防備すぎるのだ。
現に今、いとも簡単に『貴族婦人』として生きる道が閉ざされようとしている。
「先ほどもお話しいたしましたが、私は騎士です。
貴族の令嬢として、とても誉められた職でないことは承知しています。
ですが、私はこの仕事に誇りを持っています」
「!」
ほぼ対極にいるのではないかと思われる2人だったが、この点に関してだけは、「アリアナと自分は同じ地点に立っている」とヴォルフはそう感じた。
(この点に関してだけは、アリアナは俺を理解してくれる)
「仕事」に対する不安、葛藤。喜びにやりがい。────そして、その意義に準ずる姿勢までも。
多分、それはヴォルフの方も同じだった。全てを理解した上で────、
(………利用してやる。そして、利用されてやる)
アリアナの稀有な輝きを崇め立て、有り難がるだけの人間にはなれない。悪いが、自分はそんなに無欲で善良で、他人の幸せだけを願えるような人間では、無い。
(何を迷うことがあるだろう?最初から決めていたことだ)
ヴォルフは優しそうな笑顔を象りながらも、瞳をギラつかせた。
「私が救って差し上げましょうか?」
(──いただこう。商会の利益のために)
「…え?」
「実は先ほど申し上げたように、私は商人です。
貴女に詫びる気があるというならば、こちらの流儀で取引と行きましょう」
(──せめて、綺麗なままの彼女を、まるごと平らげてしまおう──)
「俺は商売のために貴族の人脈が欲しい。
お前にはあいにく領民も領地も用意してやれないが、騎士の仕事は続けさせてやれる」
「よし、わかったなろう。夫婦」
同情し、気持ちを尊重する体で良いように絡め取ったことに、アリアナも気が付いたはずだ。が、それでも取引に逃げをうつことはなかった。
こうして、晴れて2人の契約は成立したのである。
「鹿騎士と狼商人の婚約」挿し絵のアリアナと対になっています。