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猫被り令嬢は語る1

転生を匂わせるような描写がありますが、世界観を壊すようなものではありませんのでご安心下さい。こちらはあくまでも『鹿騎士と狼商人』の世界で生きている人物達の物語です。

「……………」


 かちゃ…、と。美しい少女はティーカップを皿に置く。その所作により、よく手入れされた髪の束が、さらりと肩から落ちた。



 ────『ケイト・ロヴン・アイロワ』。


 少女はいつになく思い詰めた眼差しで、カップの底を眺めていた。



(………はあ……)



 ケイトは内心でため息をつく。そうしたのは、「紅茶が飲み足りない」だとか、「家に帰るのが憂鬱」だとか、そう言った理由からではない。……いや、家に帰りたく無いのはそうなのだけど。



「─────失礼、レディ。相席してもよろしいですか?」



「!」


 突然声を掛けられ、ケイトはハッと顔を上げた。

 王都の裏路地に、ひっそりと存在する飲食店───そんな場所には似つかわしく無い人間が、目の前に立っている。


「貴方は………アル様の弟さんっ…?」


 思わず声を上げると、目の前の少年は「ふふっ」と静かに笑った。


「ええ…。その『弟』です」

「…ぁ…!……失礼いたしましたわ、ユーストス様…」


 ケイトはユーストスへ無礼を詫びる───今の言い方じゃ彼を、慕っている方の『おまけ』とでも思っているようではないか。


 ()()には、そうした言葉の角が『侮辱』と取られかねない……。


 と、内心穏やかでないケイトとは対照的に、ユーストスは柔和に笑って見せた。


「ああ、いえ。全く問題ありませんよ?

私が姉上の『弟』なのは事実ですし………。それは、私が『人生で最も誇っていること』の1つでもありますから」


 そう言って笑みを浮かべるユーストスは、物凄く綺麗だった。


 社交界で「女神のようだ」と称されていた頃に比べると、彼は体つきもややがっしりしたようだし、身長も伸びている…?…ように感じる。

 女性と見間違うぐらいの『神秘的』とすら言える印象は影を潜めたみたいだが……彼自身の美貌は健在であるようだった。


「寛大なお言葉、感謝いたしますわ。ユーストス様」

「ああ、どうかそんなに畏まらないで。アイロワ様の方が貴い御方なのですから、どうぞ気軽に“ユース”とお呼び下さい」

「………」


(え。そんなに面識があるとも言えない異性を、いきなり愛称で??)


 と面食らっているケイトに、ユーストスが微笑み掛けてくる。


「家族からはいつも、そう呼ばれているのです」

「!……」


(『家族』……。………ってことは、アル様も………)


「………」


 …こほん、と。ケイトは1つ、咳払いをした。



「では……。…ユース、……様?」


「ええ、何でしょう?アイロワ侯爵令嬢様?」


「…………もう、」



 ケイトは少しだけ、苦笑いを浮かべた。


「嫌ですわ…。どうか私のことも、『ケイト』とお呼びになって」


 言うと、ユーストスは笑う。


「嬉しいです…。…ケイト様」


 それはもう、蕩けるような笑顔であった。ケイトがそんなユーストスに対し、「なるほど、彼はこうして信者を増やしているのだな」と思った矢先。


「では、お席を共にしても??」


 と、再度問い掛けられ、ケイトは首を傾げた。だって、よくよく辺りを見渡してみれば、空席はちらほらあるのだ。どうして、わざわざ自分と同じテーブルへ着こうとするのか。


「…!」


 そしてあることに気がついたケイトは、眉をピクリと動かし、ユーストスを睨み付けた。


「───お気遣いいただかなくて結構。私、もう出るところでしたから」

「!」


 店の窓から差し込んでいたはずの陽は、いつの間にか弱くなっている。代わりにぼんやりと見えるのは、店先に置かれていたらしい煤けたライトの光だ。

 …どうやら、考え事に勤しんでいる間に日は暮れてしまったようである。


 そうなると、昼間とは客層が変わってくるようで。

 つい1、2時間前は女性客だっていたのに、今店内にいるのはどこか怪しげな風体の男性ばかりだ。……店全体が、あまり『治安が良い』とは言えない雰囲気である。


 つまりユーストスは、『か弱い少女』を危ない店で1人にしては置けないから、わざわざ声を掛けてきたのだろう。


「それに、ご心配いただかなくても自分で対処できますわ。輩の1人や2人、長物があれば………!」


 そう言いつつ、手元にあった日傘の柄を握る………髪を紫外線から守るため、常に持たされている物だ。

 しかも、自分はきちんと訓練を詰んでいる……そりゃアリアナと比べれば見劣りするだろうが、少なくとも「普通のご令嬢」よりは腕が立つ自信があった。


「………ふふっ、」

「…何が可笑しいのです」


 「馬鹿にしているのか」と威嚇を強めるケイトに、ユーストスはまた笑う。


「いえ、すみません。少し驚いて」

「……『驚く』?」

「だってそうでしょう?『一緒のテーブルに着きたい』と言っただけで、そんなに身構えるなんて」

「………?」

「───私がそう申し出たのはただ、『貴女とお話したかったから』。…だとは、考え付きもしませんでした?」

「!…………」

「言い直します。───私と、少しだけお話に付き合って下さいませんか?」


(……………)


 ケイトは黙りこんだ。……そして、カウンターに立つ気だるそうな店員に眼を向ける。


「………ハイ、ご注文ですか?」

「……ええ、紅茶をもう1杯。…ユース様は?」

「私も同じものを。レモンで」

「なら私はミルクで」

「ああ…じゃあ、ポットでお持ちします」


 「ちょっと待っててくださいねー」と言い残し、立ち去る店員。…ケイトはユーストスに視線を戻した。


「どうぞ。…お座りになって」

「失礼いたします」


 ケイトは対面の席に腰かけたユーストスを眺める……。


「「…あの」」

「「!」」

「「どうぞお先に…」」


 面白いほど被さる声に、ケイトは苦笑いを浮かべた。さほど親しくない間柄の人間が会話を試みれば、切り出そうとする言葉もタイミングも被ってしまうのだろう。「あはは…」と少し乾いた笑い声を上げてから、ケイトは訊ねた。


「えっと………ユース様は今日、どうしてこのお店に?」

「私はこの後、近くで人と会う約束があるんですよ。早めについてしまったので、適当に時間を潰そうと思ったんです。それで」

「ああ…この辺、大通りほどお店は充実しておりませんものね」


 ケイトが納得して頷く……長く座れそうな店を探していたら、自然とここに辿り着くのだ。自分もそうだった。


「でも、ここで貴女に会えるだなんて、思っても見ませんでした………今日は姉上も含めて、皆様とお茶会をお楽しみだったのでは?」


 「姉上が昨日、そう教えてくれました」とユーストスが続ける。「弟に語って聞かせるほど、お茶会を楽しみにしてくれていたのだろうか…」…と、ケイトは考えて口元を綻ばせた。


「それはもう終わりましたの。私がここに来たのはただ………少し落ち着いて考えたいことがあって………」

「『考えたいこと』?」

「…………」


 聞き返されて、黙り込むケイト。──ユーストスは、クスリと笑った。


「それはもしや、姉上のことで??」


「!!」


 言い当てられて、ケイトは息を飲む。どうして分かったのだろう!


「ふふ、貴女が何かを考えているとき、その対象が『姉上』で無かったことが、今のところございませんから」


 そう言われ、ケイトは少し頬を染めた。……確かに、ユーストスがいる時は特に、アリアナのことばかり考えていたかもしれない……。


「話してみませんか?もちろん、それで何かが劇的に変わるわけではないけれど……。………心の整理がつくことも、あるかもしれませんよ。貴女の悩みを解決する手助けが出来るかも」

「………。…………『話す』と言っても、例えば何から?」

「そうですね………貴女と姉上が、初めて会った時の話から───とか」


 「単純に、聞いてみたいです」と興味津々な顔で言われてしまい、ケイトは困ったように笑う。

 …………それから、少し呼吸をおいてケイトは語り始めた。




◇◇◇




「一昨日買い上げた奴隷、売り出し先は決まったのか?」

「いいや、まだだ。飼いたがる奴はたくさんいるが……ありゃもっと値を吊り上げられる。毛色が良いからな」

「ならオークションに掛けた方が手っ取り早いだろ」

「馬鹿……珍しい奴隷は、ちゃんとした所を選んで売らねぇと逆に足がつく……。少なくとも完全室内飼いが出来るようなオーナーじゃねえと。オークションじゃそこんとこまで分かんねぇだろ」

「あ――……じゃあ、地道に営業かけるしかねえか」


 などという、おぞましい会話が聞こえてくるのは冷たい地下牢だ。

 檻のそのまた先にある扉の向こう。そこに屯するのは、ケイトを母から買い上げた奴隷商の男たちである。ここは奴らの根城だ。


「ううぅっ……うぇーん……」


 と、ケイトの側にいた少女が泣き出し始めた。まだ10歳くらいだろうか………扉の隙間から漏れ聞こえてくる恐ろしい言葉の数々に、絶望が臨界点へ達してしまったのだろう。


(……安心して。奴らが言ってるのは、あなたのことじゃないわ)


 と。そう言って少女を慰めたかったが、声にはならなかった。猿轡をされていたからだ。


 豊かで透明度の高い金色に、薄ら赤を滲ませた稀有な髪────その持ち主であるケイトは、捕らわれた奴隷たちの中でも厳重に管理がなされていたのである。



 ……さて。こうなった経緯を説明するにはやはり、「母親」という存在が欠かせないだろう。


 ───ケイトの母は、一言でいうと「終わってる」人間だった。


 その性格や生活、人間関係に至るまで、全てが退廃していた母。彼女は、新天地(こくがい)で全く違う人生を始めたくなったらしい。


 さすがに13歳にもなると、バッグに詰め込まれて国境を越えることも出来なくなったケイトである。母はそんなお荷物を、あっさりと売っ払った。

 まさかその先が、こんな質の悪い奴隷商だとは、さすがに思わなかったのだけど。



(別に良いわ。こっちだって、あんな母親と一生一緒だなんて、願い下げだもの!)


 と、ケイトは虚勢を張る。


(でも、コイツらは許さない………あたしを猫みたいに檻へ閉じ込めたこと、後悔させてやるわ……!!!)


 メラメラと眼を光らせ、ケイトはそう誓う……というか、その復讐心だけが今の自分を生かす光だった。


(絶対に奴らを檻へブチ込んでやる!!!)


 と。決意を新たにした時。



 ───ガタンッ!!!ガダ!!ダンッ……バタバタバタッ………!!



「!?!?」


 にわかに扉の向こうが慌ただしくなり、地下にいたケイトらは何事かと檻の手前に近寄る。

 その一瞬後、複数人の怒声と、物がぶっ壊れる音が鳴り響き、状況がただ事でないのが分かった。


 「今よりもっと最悪なことが起きるのではないか」───そう不安を覚えた少女らが、6畳ほどもない檻の隅に身を寄せ合う。十数人を収容していて手狭だった檻が、少し広く感じるほど皆縮み上がっていた。


 けれど、ケイトは違う。地下扉に1番近い檻の柵へへばりつき、耳を澄ませた。



 ───この先、誰がその扉を開けたとしても、飛びかかって顔に引っ掻き傷を作ってやる────。



 と。歯を食い縛って、戸を睨み付けたのだ。


 そして間もなく、扉は開けられた。



「────…………、」



 ケイトはその光景に、閉じられない口を更に大きく開けて、惚けた。


 逆光を受けて、柔らかく輝く暗い茶髪。影になっているはずなのに、優しく光って見える緑色の瞳。手に持つ剣は、女神様が人間に祝福を撒くため携える聖杯のようにさえ思えた。

 王国の騎士服に身を包んだその人は、ゆるりと微笑む。



「─────もう大丈夫ですよ」



 …その一言。


 ……たったのその一言で、檻の中に泣き声がこだました。


 「救われる」。「救ってもらえた」。

 ───騎士の放った言葉だけで、少女らはそれを実感したのだ。


 おそらく、先ほどの騒音は奴隷商を捕らえるために立ち回った騎士達の音だったのだろう。

 鍵束を手にした騎士は、こちらへ歩み寄り……まず檻の鍵を開けた。


 次に、着けていた手袋を脱いで、少女らの足についている枷の錠を外していく。…逃走を防止するためか、その枷は鎖で別の少女の足枷へと繋がれていた。ケイトも例外でなく、繋がれた先には16歳くらいの少女がいる。

 2人か3人一組で繋がれた枷を、騎士は丁寧に外していった。皆、解かれたのに身を寄せ合いながら、そろりそろりと檻の外へ出ていく。


 そして、いよいよケイトの番に差し掛かったとき。


「んんん――――っ!んんんッ」


 ケイトは必死に声を上げた。猿轡に気づいた騎士が、頭の後ろに手を回し、結び目を解いてくれる。


「ぷは……っ…」


 ケイトはお礼より先に、声を上げた。



「私の枷を外しちゃダメ!!あの女は奴らの仲間よ……ッ」


「!」



 ヂャリヂャリヂャリ!!!

 背後で響いたのは、鎖が地面を擦る音。

 ケイトと繋がれ、ぐったりとしていたはずの少女が豹変したのだ。隠し持っていたナイフで、こちらに斬りかかろうとしてくる。


 顧客の情報は、命より重い───特に、上客への顔見せが済んでいたケイトを、生かしたまま騎士に引き渡すわけには行かなかった。

 商品たちの逃亡防止と万が一の口封じ。女は、それをより近くで遂行するよう命じられた、奴隷商付きの奴隷だったのだ。ケイトは1度、女にさりげなく逃走を妨害されたことで、それに気づいていた。


(これで良い────)


 今自分が言わなければ、騎士の目がなくなった隙に何人かの奴隷が殺されていただろう。でも、告発さえ出来ればこっちのものだ。自分が死んでも、この騎士が女と奴らを地獄に送ってくれる────。


 そこへ、ヒュパッ………と。風を切る音が聞こえたかと思うと、大きな悲鳴が響き渡った。


「ぎゃああァッ!!!」


(!!??)


 ケイトは騎士に頭を抑えられてしまったので、何が起きたのかよく見えなかった。とっさに、振り返って確認しようとする。


「し――…………」

「!………」


 それを、騎士の手が留まらせた。


「………見ないで。君が見るには少し、血が流れすぎている……」

「…………!!!!」


 そう言って、騎士が優しく頭を撫でてくる……。視界の端に、切っ先の紅く染まった剣が見えた。


 ケイトは驚いてしまう。騎士の剣が、不意打ちされたにも関わらず、自分が殺されるよりも先に目にも止まらぬ早さで女の肉を裂いたことに、ではない。………こんな、臭くて小汚ないちっぽけな自分を、まるで守るみたいに抱きすくめたことに、驚いたのだ。


「すみません。怖い思いをさせて…」


 そう言って、安心させるように手で優しく後頭部を撫でてくれる。その手はマメが出来ていて、少しかさついているせいか、ちょっと髪に引っ掛かった。


 ………だけど何よりも優しくて───素敵な手だ。と、ケイトは思った。


「アルっ?!今の音────(おれ)がそっちに入っても問題ないか!?」

「ああ、大丈夫だ。それと救護隊員を呼んでくれ。共犯者が負傷した」


 騎士は地下室の外にいた仲間と会話する…。その間も、騎士は苦しむ女のくぐもった悲鳴が、腕の中の貧相な少女に「少しでも届かないように…」とでも願っているみたいに、優しく自分を抱き締め続けた。



(──いいのよ。そんなことしなくて)



 ケイトは天の邪鬼だ。


(あたし、あなたが思ってるより、嫌なことも怖いことも…汚いことだって、経験済みなの)



 …だから、こんな。



(壊れ物を扱うみたいに、大事に、大事にしてもらわなくても、大丈夫なの…………)



「───君の勇気ある行いに感謝します」



 緑色の瞳の騎士は、優しく微笑んで言う。




 ────「この世のこわいこと全てから、君を守る」。




 そう言わんばかりの瞳を見ていると、なぜかぶるぶると体が震えてきて、涙が止まらなかった。

 ここしばらく浴びていなかった、太陽光みたいな暖かさ。それが、ケイトの強がりをみるみる溶かしていく。


 優しくしてもらって、初めて芽生えた感覚。


 自分でも気づいていなかったけど。


 どうやら、まだ───「死ぬのは嫌だ」、と。………そう思っていたみたいだった。




 ───奴隷商を捕まえた後。

 その取引相手たちも芋づる式に捕まり────奴隷となっていた人々も、社会復帰をすることとなった。

 しかしながら、父は不明で、母も国外逃亡済みのケイトは行くところがない。そこで一時的に身柄を国の機関に預けることとなるのだが────それが、運の尽きであった。


 「施設収容孤児」として正式に登録を受けたケイトは、ある人物に発見されてしまうのだ───そう、実父である、現アイロワ侯爵に。



 そこでケイトは、何故、母が自分を生かし続けていたのかを知ることとなる。まさか、あの魔女のような女が、貴族の長男にまで手を伸ばしていたとは。


 さらにまずいことに、母がどうして侯爵夫人─もしくは愛妾─として生きなかったのかについても、理解することになる。



 ある夜、侯爵家へ引き取られたケイトが慣れない大きなベッドで寝返りを打っていたとき。それは、突然に訪れたのだった。


 ───コツ、コツ………。


 と、響いてきたのは革靴の足音。

 やや重たいそれが、大人の男のものであることが、ケイトには分かった。

 なんとなく気になって、ケイトはじっと耳を澄ませる……。すると足音は、自室の前で止まったのである。


(……!)


 ベッドから飛び起きる前に、扉は開けられた。


 コツ、コツ、コツ、………………………。


「……………」


 緊張しすぎで金縛りのように動けなくなったケイト。辛うじて薄目を開けると、そこにいたのは能面のような顔をした父であった。


(……………!!!)



 「まさか乱暴されるのか」と身構えたが───事実はそうでなかった。



 ………「髪」、だ。

 母譲りのストロベリーブロンド。


 その男は、ただじ………っくりとケイトの「髪」を眺めるだけ。



 それはもう、美術品か蝶の標本を見るみたいに。



「………………ああ……」


 しばらくベッド脇に立ち続けた後。

 心酔するかのようにため息を漏らし、男は部屋から出ていった。



(……なん、なの…………)


 ケイトは困惑する。そして、同時に吐き気を催した。……どうやら、自分の「父」と言うべき男は、収集癖のある異常者だったらしい。


 母が、なぜ父から逃げ出したかが分かった。努力を続ける持久力はないくせに、野心だけはあった彼女にとって、この生活は耐え難かったのだろう。───鑑賞物にされるのは、奴隷と一緒だ。




 父は、いつも自分を観ている。美しい髪が、美しい造形の物に着いているのがとても嬉しいらしい。「それに相応しくありなさい」と日頃から手入れを欠かさないよう言い付けてくる。


 ケイトは、父がたまに寝室へやってくるのが大嫌いだった。別に、父を恐れているのではない……ただ、癇に触るのだ。


 自分が人間扱いされていないことを、まざまざと認識させられる。…まるで、生きていない物であるかのように感じさせられるのだ。

 眠っているケイトを父がお気に入りなのは、動かず喋らず、まるで本物の美術品みたいに見えるからに他ならなかった。




◇◇◇




「…でも、アル様だけは違う。

アル様だけは、私を真っ直ぐに見てくださる。


私をちゃんとした『人間』にしてくれるのは、彼女だけ。私を『私』だと思ってくれるのは、彼女だけなの……!」


「…………」


 そう言うケイトに、ユーストスは黙り込む。


 彼女に、どう声を掛けて良いものか、計りかねたのである。


「────なのに!!!」

「!?」


 突然大きな声を出され、ユーストスは驚いた。ケイトの目が爛々と光る。



「あんの性悪男ォ………!!!」



(『性悪男』??)


「貴方たちは騙されているんです!!あの男は、あの狼は………!!!!」


 声をあらげるケイトに面食らっていると、彼女ははっとして居ずまいを正した。


「『あの狼は』??」

「……い、いえ……何も。ちょっと熱くなりすぎましたわね。私ったら変なことを口走って……」


 「ほほほ…」と笑うケイトに、ユーストスは畳み掛けた。


「『騙されている』とは聞き捨てなりませんね……貴女は一体、何を知っているんです??義兄上に関わることなのでしょう??」

「…………」


 ケイトは黙り込む。ユーストスは安心させるように微笑んだ。


「ね?どうか教えてください………内容によっては、姉上にも知らせないと。そうでしょう?」

「…………」


 言うと、ケイトがこちらをちらりと見た。


「………笑わずに、聞いてくださる?」

「もちろんですとも」

「……どんなに荒唐無稽でも?」

「約束します」

「……。………なら………、」


 と言って、ケイトが語り始めたのは、本当に夢物語のような話であった。



「ユース様は……『正夢』って信じます?」

「『正夢』………と言うと、前の晩に見た夢が現実になるという……あの?」

「ええ……。いえ、どちらかと言うと、デジャブに近いのかも……」

「……???」


 ユーストスが首を傾げると、ケイトも首を傾げる……。どうやら、彼女もどう表現したら良いものか、考えあぐねているらしい。


「実は私……昔から、そう言う不思議な気分になることが、度々ありましたの。何か物事が起こる度、『ああ、これ知っているわ』って」

「…………」


 それ自体は、割とよくある話だ………ユーストスだって、その感覚には覚えがある。一説によると、いつかの夢で見た内容が、たまたま現実と合致したタイミングで起こるとか起こらないとか………。しかし、ユーストスは突っ込みをいれずに頷きながら話の続きを促す。


「ただ………他と違うのは、その思い出した記憶が、()()()()()()()()()()()ということなんです」

「!」

「思い出した拍子に、勢い余って現在からその少し先までも見えてしまうと言うか………」

「…………、」


 ユーストスは、知らず知らずこくり、と喉を鳴らしていた。



「つまり貴女は─────『未来予知が出来る』、と?」



 それを聞いたケイトが苦笑いをする。


「いえ。私のは多分、1通りの未来にしか当てはまらないので……。…また見えるかどうかは」


「なるほど………」



 ユーストスは深く頷いた。




「もう、『変えた』んですね?」




 すると、ケイトは言った。



「────────はい…」



(やはりか………)



 ユーストスは、熱の籠った頭を冷静にさせようとする。紅茶が欲しい……と思ったところで、ようやくポットを持った店員がやってきた。

 ケイトと自分のティーカップにそれぞれ注ぎ、まずストレートでいただく。それからやっと、言葉を紡いだ。


「……ちなみに、どんなことを?」


「…………戦争、です」


「……!!」


(規模がでかい……!!!)


 と、思わず紅茶を溢しそうになる。何をやっているんだ、この少女は!!!


 不躾にケイトをまじまじと眺めてしまったが、彼女はそれに気づかなかった。


「本来、去年の4月頃にアスガルズ王国とヨートゥン帝国の間で、戦争が起こる予定でした。──小規模なものではありましたが」


「それを、どうやって変えたんですか?」


 ユーストスが訊ねる。すると、ケイトは思い出すように目線を斜め上にやった。


「戦いの火種となるはずだった宝石を、処分したんです…。

とても、とても大きな宝石……。……いかような謂われのあるものかは分かりかねましたが……私はそれを、似たような宝石とすり替えて海に投げ捨てたんです」


「…………どうして、そんなことを………」


 と、思わず溢す。ケイトは目蓋を伏せた。


「父に引き取られた後、私にとって生きる希望はアル様だけでした。……『いつか、立派な人間になってアル様に再会する』。それが、私の目標だったんです。

でも…戦争が起これば、アル様の出陣は免れません」


「…それは…」


「しかも……アル様が戦争に行って、無事に帰ってこれるかどうかだけは、どうしても予知できなかったんです。………それで、いてもたってもいられず………」


「…………。」


 そう言われてしまえば、あまり強く責めることも出来ない……。どうやら、ケイトの『未来予知』も万能では無いらしい。


(いや、そもそも万能ならば、奴隷商に売り飛ばされたり、異常癖のある父親にみすみす引き取られたりはしないか……)


 口を噤んだユーストスに、ケイトは言い募る。


「ですがッ!予知できたこともあったんです!

私が変える前の未来では、いち早く戦争の匂いを嗅ぎ付け、特需にありついた狼がいました。


それがあの『ヴォルフ・マーナガラム』…!!」


「!義兄上が……」


 驚きのタイミングで飛び出してきた名前に、ユーストスは息を飲んだ。ケイトは一生懸命に説得してくる。


「奴は危険です!前々から戦争の予兆を察知していたはずなのに、それを止めることはおろか、金のために戦いを支援するなんて!!」

「…………」

「いいえ。もしかしたら、あの男が戦争を……ッ?

…そんな人間が、よりにもよってアル様と───!こんなのって、絶対にだめです!!」


 「そうは思いませんか!?!?」とケイトが大声を出した。ユーストスは納得する。彼女がやたら義兄を毛嫌いするのは、「憧れの人の伴侶だから」というだけではなかったのだ。



「しかも、今日、アル様が言っていたんです…!………来月には狼達の集会に、わざわざ顔を出しに行くんだとか……!!あの男、高潔なアル様を誑かしただけでは飽き足らず、仕事にまで利用しようだなんて……!!」

「………」


(いや、それは結婚前から契約で決まってたことなんだけれど……)


 と、ユーストスは思ったが、黙っておいた。火に油だからだ。


「私はもう、我慢なりません……!!あなた方は騙されているんです…!あの性悪狼に…!!」


 ケイトの勢いは「目を覚まして!」と言わんばかりだ。


(……………)


 ユーストスは考える………。ケイトはヴォルフをまるで極悪人のように語るが、本当にそうなのだろうか??

 本来、騎士でもない、政治関係者でもない一般人が、その前兆に気づいたからと言って「戦争を止めるために暗躍する」というのは現実的ではない。

 おそらく、ケイトはそれを唯一覆し得る「例外」だったから、余計にヴォルフが悪に見えるのだろう。…が、実際、そうした国家を揺るがすような問題に、足を踏み入れる民間人は皆無と言って良いはずだ。


 それに、彼女は「ヴォルフが戦争の火付けに関わっていた」かのように感じているようだが……別に、誰もが予測し得なかった特需に乗ったからと言って、彼が開戦の片棒を担いだとは断定出来ない……。

 むしろ、他人にそう思わせるレベルで金と物の流れを読み、臨機応変に対応してしまうのが、ヴォルフ・マーナガラムという男なのである。


 それを、最近彼に師事しているユーストスは肌で感じ取っていた。


 ………けれど、そんな正論をケイトにぶつけても良いものだろうか………。



 ユーストスは思う。


(…………ケイト様は、酷く繊細だ)



 そして、揺れ動いている。さながら、天井から吊り下げられたガラス細工のように。


 弱いところと異様に硬いところを併せ持ち、くるりくるりと回って、こちらにそれらの面をちらちら晒して見せるのだ。


 複雑な光の反射は、見るものを虜にするのだろう。


 ハラハラさせ、うっとりさせ、必ず足を止めさせる。そして、誰も彼もがその下に集まり、いずれ力尽きて落っこちてくる彼女を受け止めたい、と。その瞬間を、待ちわびているのだ。


 だが、本人はそんなことを望んでいない…………。つまりこれは、完全な無意識下で行われている。



 ─────ケイト・ロヴン・アイロワは魔性だ。




 さらに悪いことには、「自分をありのまま見てくれる」、と言う理由で姉を盲信しているくせに………。



 ────彼女は姉に1番、猫を被っている……。



(このひとは、矛盾だらけだ)


 ユーストスはため息をつき………昔、父から聞いた言葉を思い出していた。


 「父上は、どうして母上を見初めたのですか」────照れ屋な母に隠れてこっそりしたその質問に、笑った父はなんと答えたのだったか………。



 ──「最初はそうだな……『放っておけない』と思ったから、かな」──。



「………」


(『ほっとけない』………か)



 ……ユーストスは少し困ったように笑ったあと、口を開いた。



「───その話の続き、すごく興味があります。またこうして一緒に、私とお話しませんか?」





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