鹿騎士と狼商人の喧嘩2
「??なんだって?」
…ヴォルフが、そう聞き返してくる。
こちらの言葉に気を取られて、手元が狂ったらしい。…あともう少しで、全部閉じられそうだったのに。
「……………」
「……リア?」
…アリアナは、そっと掛け違えられたボタンを外した。そして、後ろを振り返る。
「!…」
神妙な顔をした自分の、異様な雰囲気。…それを感じたらしいヴォルフは、ベッドの上で後退りした。空いたスペースへ、アリアナは乗り上げる。正座して彼に向き合った。
「…ごめんなさい。」
「えっ??」
頭を下げる。すると、ヴォルフが声を上げた。…「謝られる意味が分からない」とでも言いたげである。
アリアナは、重たい唇を必死に動かした。
「…私には…、君の作ってくれた朝食を食べる資格なんて、無い」
「……????」
頭に疑問符を浮かべたヴォルフ。その少し後、納得したように言った。
「!あ、ああ……。『働かざる者食うべからず』的なことか??いやいいよ、気にするなって。お前はいつもやってくれてるんだから」
「……!」
「こんな時くらいのんびりしてろよ」と言われて、アリアナは舌を噛み切りたくなった。
……普段は、恐ろしい程察しの良いヴォルフ。
そんな彼が、寝起きであることを差し引いても、鈍感過ぎる理由。それに、ようやく気が付いたのである。
(……きっと、『リアが俺を騙すハズなんてない』って。…そう信じ切ってるんだ──)
───瞬間。積もりに積もった罪悪感が、ついに決壊した。
「違う……違うんだよ、ヴォルフ………」
「………うん?」
「ほんとは、腰なんて痛くない…。
────……私、嘘を吐いたんだ……」
「…、」
ヴォルフが小さく息を詰めたのが分かる。
「自分の思い通りにならないからって……。
…君を、懲らしめようとしたんだよ」
「……………。」
思いきってそう打ち明けると、ヴォルフが黙り込んだ。…きっと失望し、呆れているのだろう。
アリアナは、唇を噛み締めた。
(当然だよな…………、だって)
自分が仕掛けた意地悪に対して………彼が返してくれたものの、素晴らしさと来たら。
不器用ながら、あたたかさを感じる食事。
労るように掛けられた言葉。
壊れ物を扱うような、優しい手つき───。
「……君が君なりに、私を想ってくれているのは、分かっていた。そのはずなのに……」
(一方的に、彼を嵌めて………。あまつさえ『望んだ通りには反省してくれそうもない』だなんて、残念がったりして……)
ヴォルフから与えられる全ては、どれもアリアナを舞い上がらせるものばかりだった。だけど、今となっては……。
とても、自分がそれを受け取るに足る人間だとは、思えない。
───アリアナは、ぎゅっと目を瞑った。
「私……最低だ。本当に、何と詫びたら良いか………」
◇◇◇
「・・・・。」
ヴォルフは目を丸くして、アリアナを眺めていた。彼女があんまりにも深刻そうに──例えるなら「この世の終わりだ」とでも言わんばかりの顔で──懺悔をするので、呆気に取られてしまったのである。
そこで、ふむ…とヴォルフは思案した。
──きっと、嘘をつくに至る提案をしたのは、別の人間のはずだ…。
(大方、アハルティカだな。『どうせなら仕返しついでにこき使ってしまえ』って考え方が、いかにもアイツらしい)
そう思い、……ふう、とため息を吐く。すると、アリアナの肩がびくん、と震えた。
(さて……、と)
──どうしたものか…。
「悪いと思ってるなら、○○してくれる??」…などと、この機に乗じて、彼女が普段恥ずかしがってしてくれないあれやこれやを要求するのは、簡単そうだが──、
(………それは違うよな)
と、ヴォルフは思い直した。
彼女が他人の知恵を借りてまで、解決したかった問題───それが、自分達の間にはあるのだ。
「あー……と、リア?」
「…………」
俯いて、顔を上げようとしないアリアナ。
(うーん。これは、相当参ってるな………)
ヴォルフは、なるべく柔らかい声音で、彼女に話し掛けた。
「……別に、怒ってないから。…こっち見て」
「…………………。…でも…」
と、アリアナが口ごもる。
…早く、いつものぴかぴかした瞳に写りたくて。ヴォルフは肩を竦ませながら、何でもないように言った。
「そう深刻になるなよ。確かに、嘘を吐いたのはいただけないが……実質30分間も騙されてない。だろ?」
「…!」
だが、その思いとは裏腹に、彼女の目線は更に下がってしまう。
「……………あの、本当に……………、」
──「ごめんなさい」、と紡がれる前に、ヴォルフは口を開いた。
「いや、いい。俺も悪かった」
「!」
弾かれたように、アリアナの顔が上がる。
その事に、内心でホッとした。『彼女が思い詰めていた問題』の心当たりに、どうやら間違いは無さそうだ……と。そう思えたから。
「………あのさ。
今まで、俺にとって家なんてのは……『仕事の合間に帰って寝る』だけのもんだったから。…正直、家事のこととかは、よく分からないんだ。けど、」
……今朝のことで、ほんの少しは分かった気がする。
「もし、これまで……お前に余計な負担を掛けてたのなら。出来る限りの改善策は考えよう」
「…………」
「………例えば、家政婦の通う頻度を増やす……。とか」と、自分的には避けたい苦肉の策を持ちかける。
「もちろん、俺自身も努力は惜しまないつもりだ」
そう告げると、アリアナが小さく頭を横に振った。
「違う……そうじゃないんだ…。
ねえ、ヴォルフ………本当に、分からない………??」
「………、」
「え?」と、当てが外れたことに面食らって、押し黙る。すると、彼女が顔をくしゃりと悲しげに歪ませた。
「今日は、一緒にカフェへ行くはずだった。
……昨日、夕飯の時にそう約束したじゃないか……」
「………!ぁ…」
口から転がり出た、間抜けな一音。それにとうとう、堪忍袋の緒が切れたらしい。
悲しそうだった表情が、みるみる怒りを宿していく。
「なのに、こんな…………。
…昨晩だけじゃない!~~っ先週も、先々週も…!いつも休日の朝はくたくただ……君が、は、はちゃめちゃな抱き方を、するせいで!」
「私が騎士だからどうにかなってるだけで、一般女性だったら死んでるぞ!!」と、わなわな口を震わせながら、アリアナが叫ぶ。その顔は真っ赤だ。多分、大きな声で語るには、内容が恥ずかし過ぎるのだろう。
「──待て待て待て…!!おまっ……それは違うだろっ?」
ヴォルフは、思わず言い返していた。
「覚えてないのか!?
──リアが『もっともっと』って、強請ったんじゃないか!!!」
「…………………っはぁ?!?!」
アリアナが目を白黒させる。
「何を言ってるんだ、そんなこと私がするわけない!!」とでも言わんばかりに。
(…………まさか。………本気で???)
ヴォルフは、嫌な予感がして唇を湿らせた。
「──いいや。言い逃れはさせないぞ……。
終盤になるといつも言ってる。ぎゅうぎゅう抱き締めてきてそれで………、」
「??!──っそ、れは!
………君が『もう止めろ』と言った時に聞いてくれないから、おかしくなっちゃってるんだろう?!?!」
こちらの様子を見て、その言葉に偽りがないことを悟ったらしい。自分でも覚えていない真実があるだなんて、認めたくなかったのだろう。たまらず、こちらの言葉を無理やり遮ろうとしてきた。
………それが、完全に墓穴だとも知らずに。
「…………………………………………。」
ヴォルフが、ヒクリ、と片眉を引き上げる。
(……お前が言う『それ』は、まさかアレか?)
────目に涙をためて、汗の光る首を振って。
(ち――いさい声で「やだ、やだ」ってするヤツ?「本当に『やだ』?」って耳元に吹き込んだら、顔を真っ赤にして枕を抱き締めるヤツ?)
今度はヴォルフが、ブルブルと手を震わせて吼えた。
「あんなので止まる男がいるかよ?!煽ってんのと一緒だ!!お前は何ッにも分かってない!」
「なっ、なっ………?!」
アリアナは目を見開いた。が、負けじとヴォルフに叫ぶ。
「ひどすぎるぞ……!君は、自分を正当化しようとしている!結局のところ、私の主張を無視して強行突破してるのは、変わりないだろ?!」
「、」
そう言われて言葉に詰まったヴォルフに、アリアナが畳み掛けてくる。
「なのに、さ、さも『私がいやらしいのが悪い』みたいな言い方をして……!!話のすり替えをするのは止めろ!!あとっ!…私はいやらしくなんてないぞッ!………っ、…」
怒りと羞恥と悲しみと動揺。いろんな気持ちがない交ぜになり、彼女の方も二の句が継げなくなったようだ。
緑の瞳にうるうると溜まった涙がきらめく。
(──畜生、可愛いな………!絶ッ対に泣くなよ…)
ヴォルフはイライラと心の中で舌打ちした。
アリアナは普段、頑なに涙を溢さない。だから、初めて彼女の瞳から涙が流れたとき、ヴォルフは感動してしまった。……ベッド上での快楽による、生理的な涙ではあったけれど。
その感動が、瞬間、庇護欲で覆われた強烈な加虐心にすげ代わり、まるで麻薬のようにヴォルフを侵した。
これが、彼女を愛する者の───つまり、実質自分だけの───特権であるかと思うと、とてもじゃないが、止められなかったのだ。…「嬉しい」。「もっと見たい」、と。そう思った。
その中毒性と興奮は、かなりのもので。
この緊張感溢れる現状の中であっても、パブロフの犬よろしく発現してしまうであろうことが、ヴォルフには分かった。
(勘弁してくれ……。今サカっちまったら、それこそヤりたいだけのクソ野郎だと思われる…!)
ヴォルフは、毎回事後に彼女から告げられる注意を、額面通りには受け取っていなかった──だって、実際には『彼女も同意の上での行為だった』から。
これは恥ずかしがり屋な彼女にとって、必要な建前なのだと。そう勘違いしていたのだ……。
しかし、彼女に乱れていた時の記憶がほぼないとなれば、話は別である。
確かに言われてみれば、まだ慣れていなかった頃、彼女はよく記憶をトバしていた───。…が、まさか現在もそうだったなんて。
──だとすると、今のアリアナの中で、自分は「デートよりも欲望を優先する男」に成り下がっている……!
ヴォルフはようやっと、自分の置かれている状況を理解した。
………その上で、事実を言うと。
そもそも、アリアナが前述した反応でヴォルフを抑えようとする確率は、7割程度であった。
「そうじゃない」3割は、仕事でアリアナが疲れているとき。
ヴォルフを止める気力すらなく、あまりの疲労にかなり早い段階で気をやろうとする。…それを、必要以上に追い立てて覚醒を促し、無理矢理泣かせることも多々あった。
そういうときのアリアナは、眠りたい脳味噌がそうさせるのか、よく口を滑らせるのだ。
「きもちいい、きもちいい」とうわ言のように甘く呟いては、ぽろぽろといつもより多めに涙を溢すのが堪らなくて。
快楽の責め苦に、その引き締まった細腰を波立たせながらも、懸命に求めてくる様は最高にエロい。
普段の凛とした姿からは想像もつかない位のギャップ。それが、倒錯的な雰囲気に拍車を掛け、更にヴォルフを焚き付けた。
──多分、彼女が善がる様を見つめる自分は、人を堕落させる悪魔みたいな顔をしているのだろう。
……ちなみに、アリアナが純粋にノリ気になるのは内1割未満程である。これは本当のレアだ。
そして、まあ………たしかに全体の5割位は、彼女の限界を超えさせていた───もちろん、『本人の記憶にない同意付き』ではある。
「…待ってくれ。ヴォルフ。
…………こんな話を、したい訳じゃないんだ。
落ち着いて、話を聞いてくれるな?」
「ああ。」
ここに来て突然、不毛な言い争いは終わりを迎えた。
これ以上、知らないうちに仕掛けた自前の地雷原を歩きたくないアリアナと、余計なことを思い出されて羞恥心が極まった彼女に「もうシたくない!!」などと言い出されては困るヴォルフ。
幸いなことに、両者の間で意見は一致し───ようやく、2人は話し合いの体を取ったのだった。




