狼商人は世話を焼く2
ヴォルフが出て行き、1人寝室に残されてからしばらく。アリアナは未だ、その罪悪感に身を縮こまらせていた。
「………………」
咄嗟に「腰が痛い」と口走ったあの時……ヴォルフは思いの外真面目に、こちらを心配してくれているように見えた。……実際には酷くだるいだけで、痛くなんてないのに、である。
「あぁ…。……何であんなこと言っちゃったんだろう……」
それでも、彼に理由もなく『命令』をするのはどうしても気が引けて……。…ついつい、仮病を使ってしまったのだ。「そっちの方が何倍も罪深いことだった」と今更悔やんでも、時すでに遅しである。
(──っいや、『理由が無い』んじゃない!彼が…、彼がいくら注意しても自重してくれないからっ…。だからこうなったんだ……!!)
と、アリアナは自分の行いを正当化しようとした。けれど、胸の霧が晴れることはない。
なぜなら、問題はこれだけでは無かったからである。
「うぅ……、」
アリアナは思わず唸った。……その問題とは。
───彼が非常に『効率人間』である、ということだった。
寝惚けていて、頭が回り切っていなかったらしいのを良いことに、何とかそれらしく家事を委任したけれど………。
よくよく考えてみれば、自分が休日に取り組んでいる家事は、特に急ぎのものでは無い。
使ってない部屋の窓を開けて風を通したり、庭の芝刈りをしたり、交換して洗濯籠に入れっぱなしのシーツやタオルをもみ洗いしたり…。
そういったことの1つ1つは、最悪ヴォルフが2日後にやってくる家政婦─他でもない彼が週2で手配している─に追加分の仕事として回し、「まとめて済ませといてくれ」と言付けてしまえば済む話だ。
……つまりこれらは、彼自身が「今日中に絶対どうにかしなければいけない!」という仕事では、決してないのである。
自分がやっている作業の内、唯一欠かせないことといえば料理くらいのものだが………それだって、外から出来合いの物を買ってくれば事足りる。………というか、彼なら絶対そうするはずだ。
となると、この作戦はそもそも破綻していることになる。だって、彼が代わりにこなさなければならない家事なんて、我が家にはないのだから。
「…………はあ……」
……アリアナは、頭が痛くなった。
(彼に、何かしらの反省を促すはずだったのに。…これではただ『仮病を使ってまで、1日を自堕落に過ごそうとする人間』が、1人生み出されただけじゃないか……)
…と。そんな何とも非生産的な結論に至ったところで。
コンコン、と寝室の扉はノックされたのである。
◇◇◇
「───リア、入るぞ」
ヴォルフがそう声を掛けると、ドアの向こうから「ど、どうぞ………」とやたらくぐもった声が聞こえてきた。…どうやら、まだシーツにくるまっているらしい。
…ガチャ。と、扉を開けると。
「──ん…?この匂い………」
部屋に流れ込んだ食べ物の香りに、彼女は敏感に反応した。
「朝飯だよ。………食うだろ?」
「え…………!!??」
「……………何だよ」
シーツから顔を出したアリアナが、びっくりしたことを隠しもせず、あんぐりと口を開ける。その表情に、ヴォルフは思わず苦笑した。
「き、君が…?!………ご飯、作ってくれたの??」
「………………おう。」
「…『作った』って言うかまあ、『焼いただけ』なんだけど」と言うと、上半身を起こした彼女は、ぶんぶんと首を横に振った。
「それが凄いんじゃないか!!とても良い匂いがするよ……!」
「…………でも、ちょっと焦げたぞ?──ほら」
なぜかえらく感動してくれているらしい彼女を、がっかりさせまい─というか、ハードルが上がりすぎてはまずい─と、先んじて自己申告する。…少なくとも、隠し立てが出来るような完成度では無かったからだ。
ベッドに腰かけてトレーを置き、フォークでベーコンを軽く持ち上げて見せる。黒くなった裏面が顕になった。
「「………………。」」
目を丸くさせるアリアナ。それに気づいたヴォルフは、居たたまれなくなり目線を逸らす。
「───っぷ!………あははっ」
すると、アリアナが吹き出した。それから明るい笑い声を立てて微笑む。寒さが身に染みるようになってきた今日この頃だが───ぽう…っ、とその笑顔で部屋の温度が上がった気がした。
「良いじゃないか!それに私、君には言ってなかったけど───ベーコンはずーっと前から、カリカリ派だよ!私の好みだ!」
「……ふぅん?」
ヴォルフは片眉を吊り上げて笑った。彼女の朗らかな笑いに、釣られてしまったのである。
──ベーコンは「カリカリ」と言うには少し度を越えているし、その上、何ならちょっとべとべとしている。
その不具合を、ひっくるめて「好み」と形容してくれるアリアナの優しさに、ヴォルフは有り難く乗らせて貰うことにした。
「そ。…なら良かった」
「…けど、ヤバかったら無理して食わなくても良いからな?」と肩を竦めて念押しする。それにまた小さく笑ったアリアナが、首を傾げた。
「………あれ??」
「…?どうした?」
彼女が、トレーを見ている。
(??フォーク……はあるし…ナイフもある、よな?)
すると、緑色の瞳がこちらを捉えた。
「…君の分は??」
「…!…………。」
「…もしかして…。………忘れちゃったのか??」
「……………いや。俺は今、腹減ってないから。」
体裁を保ってそう言い返すと、アリアナが可笑しそうにくすくす笑った。
ヴォルフは思わず苦い顔をする…。
休日は、 もはや起きる気など毛頭ない自分。──だが、それでも幾つかの覚醒条件は存在している。
その内の1つであり、大体の場合引き金となっているのが、まさしく『空腹感』だったのだ。……そのことを、彼女はしっかり悟っていたようである。
────アリアナがふわり…、と優しく目を細めた。
「君ってほんと…、…たまに抜けてるんだよなあ…」
「!……」
「…朝だからかな??」と彼女が言う。途端、周りにピカピカと光が飛び散ったような……そんな感覚に、ヴォルフは見舞われた。
「………………」
(だって、人に「抜けてる」なんて言われることは、これまで全く無かったんだ──)
………しかも、こんなに『幸せそう』には。
「一緒に食べよう?半分こだ!」
そう言って向日葵のように、アリアナが笑う。
………ヴォルフは、知らぬ間に奥歯を噛み締めていた。
「、……」
(──………抱き締めても、良いか??ベッドに押し倒して、目一杯のキスを贈っても??)
そんな衝動に、ドンっ!と背中を突き飛ばされた気がしたが、ヴォルフは何とか踏み止まった。
──そんなことしてみろ。唯一『温かい』という長所を備えた朝飯が、ついに良いとこなしになってしまう。
ヴォルフは一度、ベッドから下りた。
「…その前に。着替えさせてやる」
「え?」
2人で使っているウォークインクローゼットに、足を踏み入れる。そしてハンガーにかけられた衣類を眺めた。
手に取ったのは、薄い水色のシャツ。少し、オーバーサイズの。
彼女はこの服がお気に入りだ。それはきっと、年中ゆったり着れて………自分とお揃いだから。
「これで良いだろ?とりあえず上だけ」
「う、うん……。でもええと…、自分で着れるよ?」
「まあまあ」
戸惑ったような声を押し切り、足を出してベッドの縁に座るよう彼女を促す。
そしてギシ……、と自身はベッドへと乗り上げた。彼女の背後を陣取る。
「冷静に考えてみたんだが……ぶっちゃけ俺がお前の代わりにしてやれることって、結構少ないからさ。このくらいはさせてくれよ」
言いつつ、アリアナが纏うガウンの腰紐に、ヴォルフは手を掛けた。
「あ。シーツとかを水に浸けとくくらいは、さすがに出来るぜ?けどそれ以外は……慣れてない俺がやるより、プロに任せた方が断然良い」
───シュルリ…、
と紐をほどく。昨日散々可愛がった肌が、陽の光を反射した。
ヴォルフはその腕を取り、恭しくシャツに通させる……。…しなやかに伸びたそれを、また仕舞わなくてはならないのが、酷く名残惜しかった。
「……あとさ、昼飯のことだけど──これから何か買ってくるよ。テイクアウトの旨いやつ」
アリアナからの返事は無い。
「あー…いつも手料理を作ってくれてるお前には、悪いと思ってる………。けど、それで手を打ってくれ。
何しろ朝飯でこの出来だからな。俺が作ったら、昼と夜はもっととんでもないことになるかもしれない」
「お前だって、飯抜きはいやだろ?」と、茶化して言う。
彼女が身動ぎする度に香ってくる、同じシャンプーと石鹸の匂いが、やたら胸を疼かせた。
「だから、なんか食べたいものとか欲しいものがあったら、遠慮せず言ってくれ」
彼女の前に腕を回し、その肩口から頭を覗かせボタンを一つ一つ留める…………掛け違いが無いように。
「あと……薬屋に行って、鎮痛剤を買ってこようと思うんだ。そうしたらお前の腰も、痛みが少しはマシになるかもしれないし……。
……医者に掛かりたくなくても、それは良いだろ?」
(馴染みのところが休日に開いてるかどうかは賭けだが……。そうだ、一旦電話してみて……もし閉まっていれば、別のところを探せば良い)
「♪…」
ボタンが半分まで留められた辺りで、ヴォルフは我慢が利かなくなった。
(ヤバい。さっきからなんだ…?…この多幸感は)
…耐えきれず、時折軽く抱き締めては、彼女の髪や首筋にキスを落とす。……このくらいは許されると思ったのだ。
───プチ、プチ……。………ちゅ、ちゅう……、
と。一つ一つ、順調にボタンを閉めて行く。
(──こんな気分になれるなら、もっと世話を焼いていたい──………)
………そう、思ったところで。
「やっぱり、だめだ…………」
と、アリアナが呟いたのだった。




