狼商人は策を弄する
見合いの少し前のお話です。
マーナガラム商会のミズガルダ本社。その商会長室へ届けられたのは、一通の手紙。
重厚な造りの椅子に腰かけるのは、商会長ヴォルフ・マーナガラムその人である。
「ありがとう」と言って、社員から受け取った手紙。彼はすぐに、封の隙間へペーパーナイフを通した。それを彼の側で見守るのは、商会のマーケティング担当であるレイバン・フガムーンだ。
「……」
ヴォルフは、丁寧にしたためられた手紙の内容をサッと一瞥し────そのまま、目の前のテーブルへと放り投げてしまった。
「おいおい。それって次の見合い相手───アリアナ嬢からの手紙だろう?扱いが雑だなぁ、ったく」
(…まぁこの反応を見る限り、結果は出てるが…)
と、部屋の空気に溶け込むようにして控えていたレイバンは、褐色の手を伸ばして、手紙を拾い上げた。
「どうしたんだよ?『申し込むのなら、顔写真を送ってくれ』とでも書いてあったか?色男」
「……………。」
レイバンは、わざとヴォルフを茶化した。この重くなった雰囲気を、少しでもマシにしたかったのである。……が、どうやらそれには失敗したようだ。ヴォルフが苛立っているのを隠しもせず、こちらを睨み返してくる。
「………」
「悪かったよ」の意味を込めて、レイバンは肩をすくませた。
ちなみに、顔写真は無駄な冷やかしを避けるため、送らないことにしている……。ヴォルフの容貌は、商人となんて結婚する気などさらさらないお貴族様でも「一見の価値あり」と思わせてしまうほど──素晴らしく際立っているのだ。
…まあ、そんな金にもならない見合いは、彼にとって時間の無駄でしかないのだが。
───こほん。
と、レイバンは仕切り直すように、1つ咳払いをした。
「ボス、中身を拝見しても?」
「ハッ、いつもと同じだよ。お断りのお手紙だ」
ひらひらと手を振って腐るヴォルフ。その反応から「大分参っているな」と察して、レイバンは内心苦笑いした。
現在、見合いを取り付けるのにさえ悪戦苦闘している、この男────我らがボスは、これまで見事な手腕で商品を作り、売り、投資して成功を納めてきた。正直、たかだか貴族との結婚に、ここまで手こずることになるとは思ってもいなかったのだ。
そしてそれは、ヴォルフ本人も同じだったらしい。
「…なぁ、もういいじゃないか。適当な貴族から爵位を買えば。貴族とは名ばかりで、金に困ってる連中はごまんといる」
レイバンがそう提案すると、ヴォルフは爪を噛んだ。
「いや、それじゃ意味がないんだ。没落寸前の貴族から爵位をもぎ取っても、結局成金野郎だと思われて周りから距離を置かれる。肝心の社交が、うまく行かないんだよ。
俺らの目的は、スムーズに上流層に商品をまわすこと。そのためには、そこそこの地位と人脈がある貴族の家系に加わるのが、最良のはずなんだ」
「……」
レイバンはまた、肩を竦ませた。
──そう、欲しいのは貴族階級の人脈。そして、その橋渡しとなれる人間──。
ヴォルフがそれを欲しがるのには、理由がある。
商会の主な拠点でもある、母国ミズガルダ──そこでも、並みいる競合の中で商会のシェアは6割を越えていた。が、どれも平民の間に浸透するばかりで、貴族からの関心は得られなかったのである。
彼らに気に入られれば、大口の顧客になるのは間違いないというのに。
そこでヴォルフが目をつけたのは、世界の流行発信源、アスガルズ王国の貴族たちだった。
この計画に投資するならば、ミズガルダで実行してちまちま新規開拓するより、皆が流行りを真似するアスガルズで実行した方が、世界への展開が円滑だ。
「そこまでは、かなりいい線いってると思ってたんだがな………」
と、思考を巡らせ始めた古い友人でもあるヴォルフを、レイバンは眺めた。
(…ヴォルフは不思議だ。悔しがっているというより、次の計画のため爪を研いでいる、と取ったほうがしっくり来るような。そんな雰囲気がある…)
──そう。彼が何かに敗けるということは絶対にない。
四方から追い込みをかけて、必ず獲物を捕らえる。そのためには優れた思考と統率が必要だが、それを難なくやり遂げるのだ。その卓越したカリスマ性こそが、界隈で『狼商人』との異名を取る所以。
群れのリーダー。
まさしく、商会のシンボルである狼を冠するに値する男なのである。
「まさかここまで『商人』の受けが悪いとは想定外だった。この点は、ミズガルダより分が悪いな」
と、ヴォルフが顎をさする。
「まあな。アスガルズはどの国よりも歴史が長いから、新参の勢力には過敏になるんだろう」
「歴史なんかで飯が喰っていけるかよ!」
「まあまあ」
レイバンはそう言いながら、手紙の内容に目を通した。
「………おい。
…このアリアナ嬢からの手紙、ちゃんと目を通したのか?」
「あ?」
ヴォルフが片眉を吊り上げ、怪訝そうにこちらを見遣ってくる。
「おいおい。ヴォルフ・マーナガラムともあろう者が、らしくもないな。
──いいか??まず、この手紙の蝋に押印されているのは、マクホーン家の物じゃない。アリアナ嬢個人のものだ」
「…!お前は…、相変わらず有能だな」
「どこで調べてきたんだそんな事?」と言われて「まあな」と返す。だてに敏腕社長の右腕はやってない。それに、彼の立てた計画の条件にそぐう貴族家の内情を一通り調べ、見合い候補のリストアップをしたのは、他でもない自分だ。
「つまり、マクホーン家自体は見合いを希望しているが、その家族には非公認でアリアナ嬢本人から断りの手紙が来てる、ってことだ」
「なるほど。なんでそんなちぐはぐなことになっているのかは知らないが…。
そこを突けば突破口はあるかもしれないな」
既に第2の策を巡らせ始めたボスに、もうひとつ。レイバンは1番重要なことを報告してやった。
「それに、この手紙にはお前が『商人』だから断る、なんてこたぁ一言も書かれてないぜ?」
その後ヴォルフは、直ちにアスガルズ王国の支社へ便りを送った。レイバンを含むミズガルダからの出向組が、拠点として使用できる屋敷の準備を急がせるためである。
そして、その2日後には既に海を渡っていた。
時は見合いの2週間前だ。
「レイバン、至急アリアナ嬢の周辺を調査しろ。
特に男の影には気を配れ」
「わかってる。人を雇うがいいな?」
「ああ、お前に任せる。頼んだぞ」
その言葉に、レイバンはしっかりと頷いて見せた。このボスが、獲物に一切の容赦をしないのとは裏腹に、身内への情は非常に厚いことを知っていたのである。
アリアナが家族に隠し通そうとしていることをこちらが先に調べ上げてしまえば、『商談』を有利に進めることができるはず。世界展開への足掛けを、自分を信頼して託すと言われているのだから、悪い気はしない。
─────必ず追い詰めて仕留める。
そんなヴォルフの本気にあてられ、気合いが入る一方。
…どうしても、アリアナへの同情の気持ちが強くなる。
──だってあの手紙には、これまでの貴族家のように、『商人』を金目当ての鼠だと頭ごなしに否定して毛嫌いする素振りは、一切なかった。
見合い相手として己を選んでくれた相手に対する、真心のこもった謝罪の気持ちだけが、切々と伝わってきたのである。
それだけに、かえって火をつけてしまったんだろう。
まず、取引をする際の重要な前提として、お互いの立場が対等である必要がある。そうでなければ相手にもされないし、そもそも取引などできる訳もない。そこが、貴族を相手取る上で1番のネックだった。……はずなのに。
どうしたことか……貴族であるはずの彼女は『書かない』ことで、それをうっかり表明してしまったのである。
───そして、無論。その後の『商談』で、立場はシーソーゲームのように上下する───。
条件の良い獲物を逃さぬように。完全に絡めとれるように。
まさに舌舐めずりする狼に、目をつけられてしまった。
(…さて、同情はここまでだ。可哀想だが、その身の埃を全て出してもらわなければ、ボスが信用できないって言ってるもんで)
レイバンはアスガルズの港に着いたその足で、王都へと向かった。
◇◇◇
「──報告は以上だ」
「ありがとう。さすがだな、レイバン。
よく3日でここまで情報を集めたもんだ」
「バカ言うな。結局、アリアナ嬢の弱味はみつからなかったんだから」
レイバンからの報告を聞き、ヴォルフは諦めたようにため息をついた。
「確認だが……どこかの男に惚れていて、そいつに義理立てしてる、ってわけではないんだな?」
「ああ、彼女の男関係は綺麗なもんさ。ピカピカだ」
「そうか……」と言って、ヴォルフは目を閉じた。
(例えば身分違いの男にハマっていて、家族に言い出せない、とかだったらどんなに良かったか──)
…愛人関係には全く口を出さない─最悪『世間に公表する』と脅す─ことで、簡単に結婚を認めさせられたかもしれないのに。
十中八九その線だと思っていたヴォルフは、あてが外れたことに歯噛みした。
「じゃあ、無いんだろう。弱味なんてものは。
お前が探しても出てこないってのはそう言うことだ」
結果が振るわず、項垂れて見えるレイバンに声を掛ける。無いものは仕方ないのに、依然として申し訳なさそうである。
(しかし………。だとしたら一体何だって言うんだ?まさか、マジで騎士の仕事を続けたいがために、結婚を拒否してるってのか?)
と、ヴォルフは再度、レイバンの調査書を眺めた。
『アリアナ』という女性は、アスガルズの王立騎士団、偵察隊第1小隊所属の士官であり、騎士見習いの期間も含めると4年とちょっと勤務している…。
という、この調査書の始め数行で、ヴォルフは度肝を抜かれた。
貴族のご令嬢が、第一線の──それも、もっとも危険が伴う部隊の1つでもある偵察隊で──実務をこなしているなど。
(……普通、女性で騎士団勤務と言ったら、事務や給仕が主なんじゃないのか?)
そう思いつつ、更に調査書を読み進める。
そこには、『アリアナ』の家族構成が記載されていた。父母と弟の四人家族で、すでに隠居している父方の祖父は、なんとあの<アスガルズの剣>と言われたグレイズ・トール・マクホーンらしい。
ヴォルフは頭を抱えた。
いくら国の英雄直伝の剣術を備えていると言っても、苛酷な騎士職に必死にしがみつこうとする女性なんて、そうはいないはずだ。
……アリアナ・フロージ・マクホーン。彼女が、そもそも人間性の面で規格外であることは、間違いない。
──つまり、計れないのだ。今までの己の物差しでは。
「…ハぁーっ!……こんな案件は、久々だな」
抱えた頭を上げたヴォルフは、瞳をギラギラと煌めかせた。
「彼女の本意を、直接見定める必要がある」
その言葉を聞きつけ、レイバンが口を開く。
「…って言っても、アリアナ嬢は普段王都支部の寮に缶詰めだ。入場にはアポと身元証明が必要だから逃げられちまうかもしれないぞ」
ヴォルフは、そんな彼にニヤリと笑って見せた。
「逆だよ、逃げた所を狙う」
「!<Rope's Kitchen>か」
レイバンが集めてきた、店の常連の証言によると、見合いの日は大体ここに逃げ込んでるらしい。
その店の長男であり、職場の同期でもあるジャック・ロープと懇意にしているそうだが、その関係性を見極めるのにもちょうど良い。
ヴォルフは久方ぶりに、気持ちが高揚しているのを感じた。
(まだ全容は見えない。だが、この獲物が大物であることは間違いない)
「レイバン。───契約書を作成してくれ」
アリアナの生真面目な筆致で書かれた手紙。ヴォルフはそれを、丁寧に折り畳んで封筒に戻し、胸のポケットに納めた。