鹿騎士と狼商人の結婚※
「リア。綺麗だ。」
「──……ありがとう。」
……それは、そうだろうな。
と、言葉にするのはやめておいた。
結婚式当日、新婦控え室でヴォルフはそのように褒めてくれたが、それは既に50回程繰り返された言葉であるからだ。
ヴォルフとアハルティカは、アリアナ以上にウェディングドレスにこだわった。いくつもの試着、メイク、撮影を終え、毎回「これでもか」という程褒め称えてくれるのに、次の日には新たなドレスが何着も追加されていた………解せない。
ヴォルフの隣で純白のドレスを纏えること自体が、アリアナにとっての幸せではあるのだけど、マーナガラム商会としては会社の威信を掛けた大きな行事でもあるので、そこに妥協は許されなかったのである。
ようやっと決まったかと思えば、それを更に作り直していたようで、今着ているドレスは、試着した当時以上に華やかだった。
「君も最高に素敵だよ。
……ずるいな、私も50回見たかった。」
「俺はそんなに着てないよ。」
お前のドレスに多少寄せてデザインさせただけだ。
と、ヴォルフがクスクス笑った。
スレンダーラインのドレスは、シンプルだが、胸元が大胆に開いている。それを包み込むようにして、薄手のレース生地が、清楚にアリアナの首から手の甲までを飾っていた。
更に、特筆すべきは、恐ろしい程に長いトレーンだろう。これを着て優雅に歩けるのは騎士として見事に鍛え上げられた肉体を持つアリアナくらいのものだ。その証拠に、扉を開いて姿を現すと、招待客たちが抑え気味にどよめいていた。
長くて広いウェディング・アイルを、オスカーと共に歩ききったアリアナが、ヴォルフへと引き渡される。
ヴォルフは、軽く目線でオスカーに感謝の意を表した。それに、オスカーは優しく目を細めることで応える。
向き直ると、アリアナが口を少々尖らせていた。
………カワイイ唇だな。
「……どうした?」
「この、ドレス……」
「うん?」
「すごく素敵だと思ったんだけど……焦らされているみたいで、辛かったよ。」
ほんとは、君のとこまで駆けつけたかった。
と、アリアナが続けるので、ヴォルフははぁ――ッ、とため息をついた。
───この、花嫁は。
最後の最後まで、俺を浮き足立たせることに余念がないらしい。
「──リア。
俺だって、迎えに行きたかったよ。」
「!」
ベール越しに頬を撫でて言うと、アリアナは心底嬉しそうに笑って見せた。
神へ誓いの言葉をお互いに述べ、結婚指輪の交換を済ませ───誓いのキスの段になってから、アリアナの鼓動が妙に脈打ち始めた。
いや、だって──……
この2ヶ月、ほとんど触れてさえいなかったのに、いきなり口付けからなんて。ハードルが高すぎないか……???
だけど、ヴォルフの方はそんなこと微塵も思っていないようで、さらり、とベールが引き上げられてしまう。
そして、ある種感慨深げに、アリアナを見つめた。
………優しく、その頬を撫でる。
初めて口付けを交わすどきどきと、たくさんの人間に見つめられる緊張感に堪えきれず、アリアナは口を動かした。
「……君、それ好きだな。」
「うん?」
「この、頬を触るやつ。」
ヴォルフは一度目をぱちくりとさせてから、クスクスと笑った。
「これが好きとかじゃないが、そうだな……まあ、一種の『合図』、だな。」
「合図?」
ヴォルフに真正面から目を覗き込まれる。
「──『お前が好きだ』って。『キスしちまいたい』って、合図。」
「えっ?嘘だ、だって君最初から」
「さあ、もう待たないぞ」と言わんばかりにヴォルフがアリアナの唇を自分のものでふさいだ。
わあっ!と大きな歓声が沸き起こり、口々に祝福の言葉が贈られる。
2人は大変幸福な気持ちで誓いを終えた。
◇◇◇
その後の披露宴でも、アリアナとヴォルフはたくさんの招待者に囲まれていた。贈られるあらゆる言葉に、感謝と、未熟ではあるが、これからの邁進を約束する旨の言葉を返していく。
ちょっとどうかと思うほど、フラッシュが焚かれているのを、遠くからグレイズが見守っていた。
「──父上。」
「……オスカー。」
声をかけられ振り返ると、未だにその伯爵然とした風貌に驚いてしまう我が息子が、すぐ側に立っていた。
「こんなところで立ち見してないで、こちらに来て一緒にワインでも飲みませんか?」
「……そうだな。」
……ワインは、遠慮するが。
顔をしかめてそう続けた父に、オスカーが「おや」と内心驚く。
いつもは、何だかんだと理由をつけて早々に退散してしまうのに。
その気配を感じ取ったのだろう。グレイズが苦く笑う。
「別に、不思議なことでもないだろう……。
普段、あまり話せない相手と、歓談できるのが結婚式の醍醐味だ……違うか?」
「いえ。その通りです。」
──違う。おそらく、彼の中で何かが変わった。
「醍醐味」なんてものでは流されないほど、貴方は頑固だったでしょう。
オスカーはそう思ったけれど、あえて突っ込んで聞くことはしなかった。それよりも、何よりこの時間が得難い。
グレイズが、ふん、と笑って見せた。
「それもこれも、アリアナが結婚式に呼んでくれたおかげ───というのに、少々あの男のおかげでもある……ってのが、むかっ腹の立つところではあるが、な。」
「少々」どころか、新郎であるので大分だ、とは思ったが、これも黙っておいた。
グレイズが、こちらへ向き直る。そして、少し寂しげに笑った。
「あんなに幸せそうな孫を見られて、俺は果報者だ……。
──やっぱり、お前は俺とは違ったな。」
グレイズが、その大きな手を、オスカーの肩に置いた。
「誇りに思う。
──良く、娘を……家庭を、守り育てたようだ。」
「…………!」
オスカーは、思わず涙がこぼれ落ちそうになったけれど、すんでのところで堪えた。
この人は…………ずっと。
「ひとつ、申し上げます。父上。」
「………何だ?」
「私と、貴方は、違う人間だ。」
「………そうだな。」
グレイズが、諦めたようにして───どこか、清々しさすら感じさせる顔で、笑う。
それを引き留めようと、オスカーは自分の肩に置かれた手を掴んだ。
「だけど、俺は。
貴方が家庭を──母上と、俺を──蔑ろにした人間だなんて、思ってない。」
「………!」
「俺だって、誇りに思うよ。
小さな頃からずっと、思っている。………父上。」
「オ、スカー……」
むしろ、貴方の誇りを継がずに諦めたこと、そして、貴方の居場所を奪ったことに、ずっと罪悪感を抱えていた。
「父上は、俺の憧れだ。
だけど、大変だったから………『それしかない』と、その時は思ったから………。
その輝きを、見て見ぬ振りをしたんだ、俺は。」
それを、後悔はしないけれど。
「貴方の──あの頃の俺の。理想どおりの生き方は貫けなかった。
そんな俺を、許してくれますか………?」
グレイズが、片手で目元を覆った。
───どうして、こんなにも、食い違ってしまうんだろう。
お前が何を以てしてそう思い込んだのか、知らないが。
俺は、お前の生き方を縛りたかったわけじゃない。
「父上のような騎士になりたい」と言われた時も。
仕事に掛かりきりで、小さな息子を抱き上げてやれなかった俺のような父親でも、まるで『お前に恨まれていないのだ』と証明されたようで。
ただひたすらに────心が安らいだだけで。
「違う。そんなのは……良いんだ。
俺は、お前が……お前たちが幸せなら、それで、良いんだ………。」
それだけなのに、それが、ずっと言えなかった。許してくれ……。
多分、泣いているだろう父を、オスカーはぎゅっと抱き締めた。
それは実に、約30年ぶりの抱擁であった。




