鹿騎士は祝われる
結婚に、一応の許可が出て少ししたある日。
アリアナとヴォルフは、王都のレストランへ訪れていた。
いつもデートで赴くような、カジュアルテイストのレストランじゃない。入店にドレスアップが必要なくらい、敷居の高いレストランである……。
「………ええと……ヴォルフ?」
「……うん?何だ、リア」
「あの……これは一体………?」
コース料理が順当に運ばれてきて、ついにメニューの終盤まで来たとき、アリアナは口を開いた。ごくごく控えめな食器の音しか響かない空間で、ヴォルフは切り分けた肉を口に運んでいる。
アリアナにはそれが何肉かもわからない。先ほど、ウェイターが丁寧に説明してくれたが、呪文のごとき料理名で、何が何やらといった感じだ。「美味しい」ということしか認識出来ていない。
「あー、悪い。覚えてないな、もう一度説明してもらう?」
「いいや、違う……!そうじゃない…!」
「じゃ、どれだ?」
「この状況のこと…!」
アリアナはたまらずフォークとナイフを置いた。
ヴォルフが肉を噛み飲み込んだあと、けろり、とした顔で言う。
「『状況』……?………って、誕生日だろ?今日は。お前の」
「う、うん。そうだよ、そうなんだけど…!」
「何を当然のこと言ってんだ?」と疑問符を浮かべるヴォルフに、アリアナは気持ち顔を近づけて言う。
「………一応確認するが、私が『欲しい』って言ったプレゼント、覚えてる?」
「?覚えてるよ。『腕時計』だろ?」
「───っそう!そうだよ、それだ!良かった、覚えててくれて!」
アリアナは近づけていた身をばっ、と起こした。
「なのに、これは何だ!」
「……?」
「、このっ……君……!」
「本気でわからない。…だが、何やらご立腹のようだぞ」───そんな感じで、食べ掛けていた肉をフォークと一緒に皿へ戻し、不思議そうにしながらこちらへ向き直るヴォルフに、アリアナは二の句が継げない。思わず額に手を当て俯いてしまう。だが、もう一度気合いを入れ直した。
……それでも言わねばならない!
──いい加減、声を潜めるのはやめた。
だって、客が自分と彼しかいないのだから!
「君!」
「うん?」
「おかしいと思わないのかっ!」
「何が?」
「───何もかもだっ!」
アリアナは逆に心配になる。ヴォルフは何でそんな「当たり前顔」で、食事が出来るんだろう!
「見ろ!このドレスに靴、お化粧にヘアセット……」
「うん。似合ってるぞ」
「そして、高級ホテルのレストランを貸切!?」
「静かで良いよな」
くわっ!と、アリアナは目を見開いた。
「~~~~っちがう!何を考えているんだ、やりすぎだっ!」
「…そうか?」
───始まりは、マクホーン領のカントリーハウスから王都に帰ってすぐのこと。ヴォルフは教会と披露宴会場をサッサと抑え、日取りを明記し結婚式の招待状を各地へと郵送した。
確かに、列席者のリストや食事、装飾や演出の見積もりは、以前からかなり詰めていたのだ。
だが、それを加味しても電光石火で行われたと言って良い手配に、思わずたじろいでしまうアリアナ。そこへ、レイバンがこっそりと苦笑しながら教えてくれた。
「これでも遅いくらいです。ヴォルフが本気になれば、明日にでも式を挙げられますよ」───と。
招待客への配慮──というか、余裕を持った日程を組むのが常識──で、必然的に生まれてしまったインターバル。ヴォルフはそれが、よほどもどかしかったらしい…。いよいよ我慢が利かなくなってきたようで、そこに問題が起きた。
どうしたことか、こちらに『触れる』という行為以外で、徹底的にそのフラストレーションを解消しようとし始めたのである。
今年、アリアナの誕生日は平日に当たっていた。
そうでなくても、近頃は祖父の家へ行くために代休を使って職場を空けたりもしていたため、アリアナはいつも通り出勤することにしていたのである。というか、今月から正式に念願の第2小隊へ配属されたのだ。元々、配属が決まった時から少しずつ業務を引き継いではいたのだけれど、今後もっと馴染んでいくために、休んでいる暇などない。
……だが、そのことにヴォルフが素直に「うん」と言うわけもなく。
つい3日ほど前、寮に1通の手紙が届いたのである。
──「リアが仕事を大切に思っているのも、次の休みを俺と過ごすために空けてくれているのも分かってる」。「だけど、それでも誕生日当日に、軽くお祝いをしたい。駄目か?」──。
……なんて。
(ウソつき!どこが『軽く』だ!!)
と、アリアナは頭を抱えた。
ヴォルフの殊勝な手紙の内容を真に受け─なんなら嬉しいとすら思った─外出の手続きをし、「近場の店で一緒に夕飯を済まそう、どこがいいかな…」などと考えていた2時間前のアリアナを、ヴォルフはものすごいスピードで裏切った。
何と言うか、もう……一目見た時から、彼の雰囲気は違っていたのだ。
……支部の門を出てすぐのところに停められていたのは、1台の馬車。「どこぞのスーパースターか」と思うくらい、バッチリとスーツを着込んで、馬車の前に佇んでいるヴォルフを見つけた時、アリアナは思わず足を止めたのだ。
「……何か、嫌な予感がするぞ」、と。
「よお、リア。行こうぜ」と口調だけは普段通りにサッと彼の馬車へ乗せられ、いつもお世話になっている服飾店へ入店し、「あらかじめ用意されていたのでは?」と言うほどよく似合うドレスに着替えさせられたあとヘアメイクまで施されて、その後全く列を為していない『行列店』へ──つまり、ここへ──連れてこられた。
………プレゼントは、『腕時計』──。
(いや、絶対にここまででその値段を越えているだろう!?)
誕生日に腕時計を贈ってもらえるだけでも嬉しいのに──いや、ヴォルフと少し時間を合わせて会えるだけでも嬉しいのに、どうしてそれが伝わらない…?!
……とにもかくにも、彼のやり方は明らかに過剰だった。
アリアナは拳を握り、低い声で言葉を紡ぐ。
「言っておくが、ヴォルフ……。私はこういうのが好きじゃない。
意味もなくやたらめったら浪費するものでは無いし、『お金をかければ満足する人間だ』と──君と、こうしているのが『金目当てだ』と──君に思われているようで、気分が悪い」
そう言って睨み付けると、ヴォルフは目をぱちくりとさせた。
そして、クツクツと笑う。
「…意味はあるさ。ドレスやら何やらは時間を作ってくれた礼だろ?で、食事は異動祝いだ。
レストランを貸し切ったのは、『お前をきちんと門限までに帰せるように』っていう当然の気遣いをしたまでさ。店の混み具合によって、時間が読めなくなるのは問題だろ?
──ほら、何も浪費してない。全部必要なことだよ」
「な?」と片眉を引き上げて言うヴォルフに、アリアナは深くため息をついた。
…………駄目だ。『ああ言えばこう言う』モードに入ってしまった。アイスグレーの瞳が、きらきらと輝いている……。
そんなヴォルフに、アリアナはお願いするようにして視線を向ける。
「……違うよ。『意味があれば良い』ってことじゃない。……私が言いたいのは、『物事には適切な程度がある』ってことだよ」
「ふうん?」
ヴォルフが面白そうに、片眉を吊り上げた………まるで、「分かってるつもりだけど?」と言うみたいに。
「じゃあまさか、結婚の決定を祝して22発の花火を打ち上げるってのも、」
「絶対にやめてくれ!!」
アリアナが食い気味に放った制止の言葉に、ヴォルフは大きく吹き出した。
「悪い悪い……冗談。準備してないから、安心してくれ」
「よ、良かった………。…君、突然富豪みたいなことを言い出すから……」
その言葉に、「知らなかった?富豪なんだ」と肩を竦めて笑ったヴォルフ。
アリアナはひとまずホッと息をついた。
王都でゲリラの打ち上げ花火大会なんてしてみろ。どこかしらの新聞社で記事になってしまう。
「まあ……空のよく見える部屋を取って、一緒に過ごす……てのも、出来ないわけだしな……」
そうヴォルフがポツリ、と呟いた。
高級ホテルの2階に位置するレストラン。…そこにある大きな窓から、彼が外を眺める。
ホテルの最上階から見えるはずだった花火を、その脳裏に写しているのだろうか……いや、どちらにしてもそれは困るのだけど。
「…………、」
アリアナは、口をもごもごと動かした。
……ヴォルフに、我慢させているのであろうということは分かっている。…つもりだ。
彼はきっと、もっとずっと前から自身を押さえ込んできたのだろう。そして、やっとその終わりが見えたことに気が昂りすぎて、箍が外れそうになっているのだ。
……だけど、こればっかりはアリアナにもどうこうしようがない。結婚まで、待ってもらう外は………。
「……分かってるよ。誕生日に、困らせて悪い。そんな顔するな」
「ごめんな?」と、ヴォルフが切なそうに笑ってアリアナを眺めるので、アリアナは胸が痛んだ。
「ちがう……。あのね?本当は、嬉しいんだよ。君がここまでして祝ってくれること。ありがとう、だけど……」
「分かってる。『適切な程度』だろ?………次からはそうできるように、努力するさ」
「…………うん」
アリアナは目を伏せた。ヴォルフの顔が、やけにしょんぼりしているように思えて。とても、見ていられなかった。
「……ヴォルフ。本当に、もうちょっとの辛抱だよ。それにきっと、結婚したら記念日やら何やらを、これほど大々的には祝いたくなくなるはずだ」
「だって、毎年のことになるんだから!」と、アリアナは意図して明る目に、冗談ぽくそう言って見せた。
だけど、ヴォルフは不安げに眉を寄せる。
「…本当に、そうか?……もし、それでもお前への気持ちを抑えられなかったら?」
そう問われて、「ぇっ?」とアリアナは驚いた。
ヴォルフのこのはしゃぎ様が、永続的なものであるなんてことが、有り得るのだろうか??
「その時は俺の、『好きにしても良い』………?」
なおも重ねて質問され、アリアナは戸惑いながら口を開いた。
「ええと、うぅん……まあ……。…それはもう、しょうがないだろうな」
「─────良いんだな?」
にんまりと、狼が笑う。……先ほどまで、子犬みたいに目を潤ませていたと思ったのに。
(…………!)
瞬間、アリアナの背筋に───何か怖気のようなものが走った。
その正体を確かめる前に、ヴォルフがニッコリと笑う。
「時間もあるし、プレゼントも渡してしまいたいんだが、良いか?」
「う、うん」
「良かった。1日でも早く、使って欲しかったんだ」
「週末は普通にデートしようぜ」とヴォルフは続けながら、ウェイターに手を上げて合図した。
宝石のように美しいケーキ。それが運ばれてきたのと同じタイミングで、ウェイターからヴォルフの手に小さな箱が渡る。
彼は綺麗なリボンの掛かったその箱を、スッとこちらに差し出した。
「──ほら。誕生日、おめでとう。リア」
「あ、…ありがとう……」
既に今日ここまでで、貰いすぎな程貰っている自覚があるアリアナは、やや罪悪感を感じつつもその箱を受け取った。
「着けて見せてくれよ」
「うん!」
アリアナはリボンを解き、ぱかりと蓋を開けて、驚愕する。
(これ………、これは──!)
「…………」
「………ん、気に入らないか?」
時計を凝視するばかりとなってしまったアリアナに、ヴォルフが首を傾げて訊ねてくる。アリアナは静かに首を横に振った。
「そんな…とても、気に入ったよ。ありがとう…でも、これ……」
「『うんと丈夫』な腕時計、だが?」
──そう。何よりも頑丈なことに定評がある、アリアナでも知っているくらい大手のブランド。そこの、名前が入った腕時計だ。
知っているのは、それこそ軍事用の腕時計メーカーとして、その名を馳せているから。事実、アリアナの周りの騎士にも多くの愛用者がいる。
(だけど、だけど、ここの時計は──)
「ふ、ほら……はやく。着けてくれよ」
苦笑して、ヴォルフが時計を台座から取り外し、アリアナの腕に巻いた。…彼の温かい手の感触と、ひんやりした時計の感触にどぎまぎする。
見る間に留め具までが調節された。内側を向いていた手首が裏返される。文字盤が見えた。
「──うん。……お前に似合うな」
そう。「似合う」のだ。
インデックスは軍事用らしく大きくて見易いのに、文字盤は可愛らしい薄水色。
ベゼルやラグは太く、風防のガラス部分も分厚いのに、ケースやベルトの部分はゴツ過ぎない───つまり、レディース用だ。これは。
「まさか………だってここのメーカーは、女性物を取り扱っていないはずだよ……ヴォルフ…」
「さあ?造るようになったんじゃないか?」
ヴォルフが何でも無さそうに肩を竦めた。
(──嘘だ……)
しらばっくれているけれど、きっと彼が『富豪』らしく、そのツテを使って特注したのだろう。
つまりこれは世界に1つしかない、女性騎士である自分のためだけの、頑丈な腕時計だ。
……アリアナは、恨みがましくヴォルフを見つめた。
「…何だ?」
「──こんなの……嬉しすぎるに決まってる!君……自分の誕生日、覚悟しておけよ…!」
「……ふはっ!」
いろんな気持ちがない交ぜになり顔を赤くして宣戦布告すると、婚約者殿は大きく吹き出したのだった。
「姉上、戻ってらしたんですね。…お出かけですか?」
「うーん、ヴォルフとね…。でも参ったな、服が少なくて着るものに困る……」
ユーストスが、休日の朝に鏡の前で悩む姉を見つけてくすくすと笑う。騎士団から戻ってきてすぐは、いつも紅茶で一緒に一休みするのに、今日は違うらしい。
コーディネートに困る、というよりはレパートリーに困っているようだ。それくらい、姉と義兄は逢瀬を重ねている。
「……なら今日はお二人で、新しいお洋服を見に行かれては?」
「!……確かに。それもいいね…、ありがとう。
──そうだっ、ユースも一緒に来る?」
「良いことを思い付いた!」と言わんばかりに提案され、ユーストスは目を丸くした後苦笑した。
「ふふっ、…いえ、今回は止めておきます」
「……お二人とも大好きだけど、命が惜しいので」──とは言わないでおいた。
これが、姉の誕生日に1番近い休日でなければ、喜んでその提案に乗ったのだけれど。
きっとそんな日のデートに弟がついてくれば、義兄は頭を抱えてしまうか、へそを曲げてしまうだろう…。…いや、そんなところを今まで見たことはないのだが。なんとなく、そんな気がしたのである。
それほどに最近の義兄は、猛獣のような目で姉を捉えている。
ユーストスはそれに気付いていた。が、肝心のアリアナは、あまりそのことを重くは捉えていないようだ。彼女には気付かせ過ぎないよう、ヴォルフが上手くやっているのだろう。
「また今度、誘ってくれますか?」
「そうか……わかった、もちろんだよ!」
と、ニコニコなアリアナを見て、ユーストスも嬉しくなる。その時ふと、あることを思い出した。それを話したいのもあって、姉を探していたのだ。
「──あ、っと……そうそう。
実は姉上のお誕生日当日に、アイロワ侯爵令嬢様から小包が届いていたんですよ」
そう言うと、アリアナの目が輝く。
「えっ?ケイト様からっ?!」
「はい。きっと誕生日の贈り物でしょう。こちらです」
「嬉しいっ、何だろう……?」と、アリアナが早速包みを開く。
ヒラッ…。
「これは…、刺繍のハンカチーフ……。それも、マクホーンの家紋入りだ……!
手作りかな……?とてもお上手だ……」
「──え?」
驚いたユーストスには気付かず、「早速今日から使おう!」とアリアナは丁寧にハンカチーフを畳み直して、服のポケットに入れた。
「そうだ、お礼のお手紙を書かなくちゃ!今から急いで書いて………ヴォルフと遊ぶ前に郵便局へ寄れば、きっと週明けには届く!
ユース、知らせてくれてありがとう!」
「い、いえ。俺はただ、お渡ししただけですから…」
「ふふ、それでも私はとても嬉しかったから。
じゃあ、またね」
──パタン。パタパタパタ……。
扉を閉め、遠ざかって行くアリアナの軽快な足音を聞きながら、ユーストスは考える。
……『家紋の刺繍入りハンカチーフを贈る』という行為は、それを受け取る側の息災を祈るためであるが、大体はその婚約者から贈られるものである───と言うことも、しっかりと姉に伝えておくべきだったろうか……?と。
◇◇◇
『お友達』として、ヴォルフとバチバチに火花を散らしていく所存のケイト。




