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狼商人と雷神の問答2

 ──────ガチャリ。


「お、ここにいた。ベルさん。」


「ヴォルフ君。」


「損な役回りをさせてしまってすみません。……お疲れですか?」


「いや、ただ外の空気を吸いたくなっただけさ。」


 そう言って、ベルガレットが肩を竦めた。ヴォルフが、自分も玄関から外へ出て、扉を閉める。


「…アーニー。可愛いですね。」


「ふ、キャロラインに似て、な。」


「でも、目の色は父さん譲りだ。」


 その言葉に、ふわりと微笑むベルガレット。


 ヴォルフは、母性はもちろん、父性もまだ備わっていないし、元々子供好きという訳でも無いため、実のところさっきアーニーを抱っこしたときは、程ほどに緊張していた。


 泣いてしまったときは、それが彼に伝わったのでは無いか、と心配したが、ベルガレットの言う通りお腹がいっぱいになるとヴォルフの腕の中でもニコニコ笑って見せてくれた。


 ……可愛い。


 ごく自然にそう思ったので、自分でも驚いたものだ。知人の子息というだけで、ここまで違うか。



 だったら、自分の子供は………どんなに可愛いだろう。



「………良いもんですね、赤ん坊っていうのも。」



「はは、君のとこも楽しみだな。」



「……まあ、追々…ですね。」



 ヴォルフが歯切れ悪く言うため、ベルガレットが我慢ならずくつくつ、と笑った。


 白状してしまうと、ヴォルフは、戸惑っているのだ。

 じりじり、と抱っこの交代待ちをするグレイズへ、仕方なしにアーニーを渡そうとした時、アリアナが放った一言に。



 ──「君、きっと良いお父さんになれるなぁ」。



 …えっ?それは、お前と俺の子供の、ってこと?だよな?……つまり



 ───産んでくれるつもり、あるのか。



 彼女は、騎士の仕事に誇りを持っている。

 その事は、ヴォルフも重々承知で。


 出産までには─いや、その後の育児だって、ヴォルフがどれだけフォローしたとしても、人を雇っても、きっと、母親側の負担がどうしたって大きくて。


 しばらく騎士として働けなくなるのは明白だと言うのに。


 先ほど述べた通り、ヴォルフは子供好きではない。

 だから、必ずしも子供が欲しいわけではないし、なんならアリアナさえ居てくれれば、それで満足なわけで。


 ……誓って、そう思っていたはずだったのに。


 たったの一言で、それが覆されてしまった。


 その事に、自分自身が一番驚いている。



 ──期待と喜びが、むくむくと膨れ上がり、真意を推し量りたくて、思わずこっそり彼女の顔色を伺ってしまった。


 それを、ベルガレットは分かっていたんだろう。



「その時は協力するよ。」


「……ありがとうございます。」



 少々気恥ずかしくて、ヴォルフは軽く咳払いした。



「……まあ、まず結婚しないことには始まりませんが。」


「それもそうか。」


 ベルガレットが唇を歪めて笑う。


「それで、どうです。首尾は。」


「出来る限り手は尽くした……が、どうなるかは分からない。


きっと、君がどれだけ『アリアナに想われているか』が決め手になるだろう───。


……で、自信の程は?」



 ベルガレットがヴォルフへ目をやると、彼はにっこりと微笑んでいた。


 人の悪い─アリアナ曰く「とびきり良い」らしい─笑みを崩さず言う。



「もちろん、ありますよ。」




◇◇◇




「────アリアナ。」


「はい、祖父上。」


「………。」


「………祖父上?」


 声を掛けてきたのはそちらなのに、グレイズは抱き抱えているアーニーから目を逸らそうとはせず、無言だ。


 アリアナが声を掛けると、今度は一瞬だけちらりと此方を見遣り、何度か喉を鳴らした。ずいぶんと、言いにくそうである。


「………あー…、


……これは、単なる疑問であって、この質問の答え如何(いかん)で『結婚を認める』というものではもちろんないが──」


 長い前置きに、思わずクスクス、と笑ってしまう。全く本当に、彼は不器用だ。


 アリアナは、隣に座る祖父へ、身体を向けた。


「はい。何でしょう?」


 グレイズは、もごもごと口を動かしたあと、意を決したように、アリアナを見据えた。



「………お前は


──────本当にあの男と、結婚したいのか?」


「はい。結婚したいです。」



 間髪入れずに返ってきた答えに、グレイズが怯んだ。



「きっとアイツは、お前が思っているより傲慢で、残忍で、冷酷で、鼻持ちならない男だぞ。


……それでもか?」


「はい。それでもです。」



 言い募るグレイズに、アリアナはゆったりと、穏やかな微笑みさえ浮かべながら応えた。


 「この意思が変わることはないのだ」と、祖父に伝わるように。もはや、出来ることは、これくらいしかない。


「────…………解った。」


 グレイズは、また、アーニーへと目を戻した。


 「おお、よしよし」と彼を揺するグレイズの面差しや手つきは、とても優しいものであったが、どこか、もの悲しかった。





「お前は残れ。」


 皆が順にグレイズへ別れの挨拶を述べ、ついにヴォルフの番が来たとき。

 そう言われて、ヴォルフは動きを止めた。


「………ヴォルフ。」


 馬車に乗り込もうとしていたアリアナが、心配そうにこちらを見つめてくる。

 それを、落ち着かせるように笑った。


 グレイズに向き直る。

 そっちがその気ならそれで良い。


 元々、「うん」と言わせるまで日を改めてでも通うつもりだった。アリアナのために。


「──土産のワインが、無駄にならないようで安心しましたよ。」


「ふん。」


 その言葉を合図に、御者台の下から、フィリップがワインを抜き取る。それを受け渡し様、「待ちます」と彼が言ったため、ヴォルフは笑った。「きっと長丁場になるぞ?」と忠告したけれど、フィリップはその日焼けした顔で微笑むのみだ。


 明日は、早くにマクホーンのカントリーハウスを出発し、王都へと向かう予定である。それまでには馬を休ませなくては行けない。

 だから、往復をさせないために、この申し出も当然と言えば当然なのだけど、ヴォルフにとっては不思議と心強かった。


「…アリアナは、ベルさんたちと先に屋敷(した)へ帰っててくれ。」


「………うん。わかった、向こうで待ってるよ。」


 ヴォルフは、アリアナの頬を優しく撫でた。




 4人で揺られる馬車の中。

 アリアナの不安を感じ取ったのかもしれない。珍しく、アーノルドがぐずった。

 アリアナが思わず彼に謝ると、キャロラインとベルガレットの二人が、それを見て可笑しそうに笑った。


 キャロラインが、小さな彼をあやす。


 その口から紡がれる美しい旋律が、アリアナと彼の鼓膜を揺らした。


 重ねて、バリトンが響く。



 ──………なるほど。これは大泣きしないわけだ。



 アリアナは納得した。

 それ程に優しく、安心を与えてくれるハーモニーだった。




◇◇◇




「アリアナは、本当に可愛らしくて」


「はい。」


「情が厚くて、真面目で」


「はい。」


「一途で優しい、素晴らしい娘なんだ……」


「仰る通りです。」


「知った風な口を利くなッ!このたわけが!」


「いや、どうすりゃ良いんだよ。」


 ヴォルフが心底困ったように言った。


 「それを、それをお前のような、人を舐めくさったクソガキに…………!!!!」と、顔を赤くして机に身体を伏せるグレイズ。


 酒を見せたとき、ベルガレットが少々物言いたげな表情をしていた理由が解った。

 グレイズは、なかなか絡み酒であるらしい。


 ──そう言えば、アリアナは酔うとどんな感じになるんだろう。リアになら絡まれるのも全然アリだな。


 なんて考えているうちに、グレイズの思考はまたどこかへ飛んでしまったらしい。



「……アリアナを『5』とする。」


「はい?」


「そこに『3』を足すと?」


「…………『8』、でしょうか。」


「なら『-3』を足すと?」


「『2』………ですね。」


「『8』と『2』。

つまりは……………そう言うことなのか?」


「水を持ってきますね?」



 さっ、とヴォルフが立ち上がり、水を汲もうとキッチンへと向かった。


 今回、腹を割って話すために、アルコールを用意したのは失敗だった。また、別の手段を考えよう。


 と、既にヴォルフは頭を切り替えていた。



 グレイズは、その後ろ姿を、いらいらと眺めた。


 ───気に食わん。


 この若造も、騙されていることに薄々勘づきつつも、甘んじて利用されてやるベルガレットも。


 俺を、まるで頭の固い古い人間のように扱う。



 グレイズは、ふん、と鼻を鳴らした。




 それでも俺は、ベルガレットが語ったことには同意しかねた。


 『8』と『2』の間には、大きな開きがあるように思える。


 だが、その数字自体に良し悪しはなく、数が「大きいから」とか「小さいから」といったことに、何の意味も無いのだとしたら。


 その数字に価値を見出だせるのは、その人生を歩んでいる者だけなのだとしたら。


 確かに、他者が介入すること自体がナンセンスだ。



 お前の言うように。

 分かりやすく目に映っている結果──『答え』の方ではなく、ただ足し続けた末の『計算式』の方こそが、『人生』なのだとすれば。



 「消え去った」と、この目で認識している物が。


 実際にはその式の中に有り続け、何も失われていないのだとすれば。


 確かに、自分で。

 好きなものを……心から求めるものだけを、選ぶべきだと思う。




 でも、あるんだ、本当に。


 お前たちは、まだ若くて、それを経験していないだけなんだよ。


 そう。まるで何かから選び抜かれたようにして。

 狙いすましたかのように、身も裂かれるような不幸が、突然この身に降りかかることが。

 その荒波に「これでもか」と言うほど揉みくちゃにされることが。


 実際には、あるんだ。



 そう言った、本来しなくても良いような苦労や悲しみに、あの子がうちひしがれることが無いように。


 光ある幸福の中で生きてほしい、と。


 願うことが、悪いことなのか?


 「少しでもその可能性を無くしたい」と、リスクを遠ざけてしまうことが、いけないことなのか?


 ………俺は、俺は。



「う、うぅぅ………。」


「おーい、じいさん────、ははっ!」



 水差しとグラスを携えて戻ってきたヴォルフが、思わずと言った感じで吹き出した。


 無理もない。こんな、良い歳した男が。


 ………しかも、<国の英雄>とまで言われた男が。


 さめざめと、泣いている。


 いや、正確に言うと、涙は流していないのだけれど。



 ──またどうしてこんなことに。ちょっと目を離しただけだぞ。



 その声に気がついて、むしろ、大泣きしていないのが不思議なくらい、鼻の頭や目の回り、耳まで真っ赤にしたグレイズが、ヴォルフを睨み付けた。


「……笑うな、このずる賢い狼め。」


「いや、こいつは失礼。」


 水をグラスに注いで、彼の目の前にすい、と差し出す。


「…………認めたんじゃあないぞ。」


「はいはい。」


「っアリアナが………!


『あの子自身』が、そうしたいと願っているから…………ッ!」


「………はい。」


 グレイズは、グラスを引っ掴んで、飲み干した。

 たん、と音が響く。瞳は据わっているのでなく、意思を持って、ギラギラとヴォルフを射抜いていた。


「あの子の代わりに、俺が目を光らせているからな………!俺はお前を信じない。」


「はい。それで貴方の気が済むなら。」


 ────いくらでも。


 想像していたより何倍も真摯な声で言われ、グレイズは内心たじろいだ。


 だけども、最後の意地で、目の前の若者に脅しをかけたのだった。



「アリアナを泣かせたら、俺がお前を殺す。」



「望むところです。」



 ヴォルフはそれを、しっかりと、真っ向から受けてみせた。




◇◇◇




 ぱたぱたぱた……。


 月が真上に上ったころ、馬車が敷地内へと侵入してくる気配を感じ、アリアナはなるだけ静かに階段を駆け降りていた。彼を出迎えるために、まだ寝衣には着替えていない。


 キィ、と扉を開けると、丁度玄関前に馬車が滑り込んできて、停車するところだった。


「……ヴォルフ…!」


 すとん、と地に足を着けた婚約者殿が、その瞳にアリアナを映した。


「アリアナ……。」


 読めない。その顔つきからは何も。


 アリアナは、思わず彼に駆け寄っていた。



「───ヴォルフ…!」



 それに対し、ヴォルフは一瞬、くしゃり、と顔を歪めたかと思うと、アリアナを強い力で胸に引き込んでしまった。



「リアっ……………!!」



 こうして抱き締められるのは、随分久しぶりに感じて、アリアナはなぜか涙が出そうだった。


 しばらくして、ヴォルフがポツリと言った。


「───2ヶ月後。」


「え?」


 ヴォルフの暖かい両手が、自身の耳に添えられ、アリアナは驚く。


 でも、予想したような感触は来なかった。


 こつり、とヴォルフが目を瞑り、額をアリアナのそれに合わせる。


 ………深く深く、ため息をついた。


 そして、アリアナの大好きな、湖面の瞳が姿を現す。


 ──片眉を引き上げて、笑った。



「結婚しよう、リア。」


「ヴォルフ………!!!」



 アリアナが目を大きく見開く。


 そして二人はもう一度、目の前の愛しい人を抱き締めたのだった。





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