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鷲騎士と雷神の儀式

 グレイズが、ずんずんと森へ分け入っていく。


「どこまで逃げるんですか。」


「………。」


 先を行くグレイズに引っ掛かって、後に続くベルガレットへ跳ね返ってくる木の枝を、指先で弾きながら、彼は訊ねた。


 グレイズはちっともそれを気にせず、遠くを眺め、耳を澄ませている。


 はあ、とベルガレットはため息をついた。


 ………そうだったな。この人は、何か物事に向かう前には必ず儀式を行う人だった。


 靴は絶対に右から履いたし、長期の訓練前には水風呂に浸かり、休暇中は朝起きて一時間の読書をする。


 そう言ったお決まりの所作を繰り返すことで、師匠は気持ちを切り替えていた。


 ここは大人しく、彼のルーティンに付き合うことにする。



 屋敷から真っ直ぐ進むと、程無く高い木の柵へと突き当たった。


 やれやれ、これでお仕舞いか。


 そう思うと、今度は柵沿いに歩き始める。


 ……………おい……。まさか、一周?


 ベルガレットが嫌な予感に身を震わせていると、グレイズが口を開いた。


「──しっかりと見ておけ。


大きな動物の気配がしないかをな。」


 言われ、ベルガレットは周囲を探索する。一度全体を見てみねば完璧に把握は出来ないが、少なくとも、屋敷からここまでの森には小動物の気配しか感じない。


「───居ますね。」


「………何だと?」


「目の前に。」


「馬鹿が。」


 はっ、とグレイズは吐き捨てるが、あながち間違いではない。彼が、この森で──いや、この国で、一番強くて危険な生物だ。


 それなのに、『孫の結婚』という現実へ向き合うためだけに、こうして敷地内を一周している。何なんだ、貴方は。


 彼は───グレイズ・トール・マクホーンは───間違いなく国の英雄であるし、その見た目に反して多様な才能に恵まれていた。


 剣術だけでないあらゆる武器を、その道を極めた者と同格かそれ以上に使いこなせたし、当然素手でも負け無しだった。頭が良く、計算も早かったし、作戦の理解も群を抜いて深い。

 音楽や美術も、並みより出来るようである。


 しかし。


 こと家族に対しては、あまりにも不器用であるらしい。


 ……まあ、俺も強く言えた立場ではないが。


 ベルガレットは考える。


 きっと、傾ける愛情が大きすぎるのだ。

 少しでも誰かや何か──もしくは自分が定めた『理想』と違ってしまえば、全てが無に帰す………と、思い込んでしまうくらいには。



 おそらく半周程したところで、グレイズは進路を森の中心へと取った。先からは微かに水音がする。水場に動物が集まっていないかをチェックしに行くらしい。


 上流から下流を見て回り、浅瀬でグレイズが踞った。左手で水を掬い、喉を潤す。


「…………──。」


 それは、訓練中も良く見た光景だった。いつもどおり、水を飲む時は左手を使う。


 急速に、あの頃へと引き戻される感覚がベルガレットを襲った。


 ───今も変わらず、師は根っからの戦士なのだ。


 そう思うと、胸が熱かった。


 どうして、あの時は「置いていかれた」などと思ったのか。


 ………それを不思議に思うほど、彼は彼のままだった。



「──師匠。」


「何だ?」



 踞っているからか、いつもより小さく見えるその背中に、ベルガレットは語りかけた。



「………貴方は。

人生を、後戻りの出来ない旅路か何かみたいに、思っているんでしょう?


道を違えてしまえば、


悪路を進めば、


大切な何かを、永遠に失ってしまう───と、そう思い込んでいる。」



「………、」



「そして、今自分が歩いているのは、『間違えた方の道』なのだ、と。


だから、()()()『アリアナが間違えないように』と、貴方は神経質になっているんだ。


────違いますか?」



「………急に、何を言い出すかと思えば……。」


 ぱしゃり、とグレイズがもう一度水を掬った。


 ……いやに、喉が渇く。


「占い師にでもなったつもりか?いつから鞍替えした。」


 ベルガレットはニヤリ、と口端を歪に引き上げた。


「では、『占い師』らしく、予言をいたしましょうか?


──貴方が()を見て、不足だと感じることは、そう時間を置かずに問題にはならなくなる。


私が断言しましょう。」


 グレイズが、こちらに振り返って思いっきり眉をしかめた。言い返される前に畳み掛ける。


「あの男がどれだけ有能か。貴方も分かっているんでしょう?」


「……。」


「貴方を何らかのネタで脅すことだって出来た。

今の総帥が貴方の元腹心で、並々ならぬ尊敬を抱いていることも、貴方の頼みであれば、最悪俺を左遷させることも厭わないだろうということも、彼は分かっていたんだ。


───だけど、そうはしなかった。」


何故だと思いますか?


 その問いにグレイズは無言を返した。ベルガレットは溜め息をつき、その頑なな目を捉える。


「アリアナが望まないからだ。」


 グレイズはそっぽを向いてチッ、と舌打ちをした。


「それだけの理由で、彼は義弟を引っ張り出し、彼女が祖父に頼るよう仕向け、俺を最終的に利用した。」


 彼は、結果的にマクホーン家が良い方向に転がるよう手を尽くしたのだ。


 ベルガレットはくすり、と苦笑いする。

 …「利用した」ではないな。現在進行形で「利用されている」。俺がこの頑固親父をこうして説得するのも、彼の予定通り、と言うわけだ。


 ずいぶん、回り道をしたじゃないか。


 ヴォルフはもっと効率的な手段を見出だせる男であるし、何より、それを選択できるだけの冷徹さ─決断力がある。


 だけどそれは、『アリアナの隣に立つに相応しくない』、と彼自身が判断したのだろう。



 あの二人は、奇跡的なまでに噛み合っている。というか今も、お互いに作用しあって更に良い形に嵌まろうとしているように見えた。



 どんな時も、誰も彼もへ真っ向から向き合おうとするアリアナ。それは、ある意味ベルガレットの目には病的に映っていた。


 どれだけ愛情の総量が無限に近くとも、彼女が彼女自身のために使うべき『何か』が、いたずらに消耗されていることには変わりないのだから。

 それは、割と今も相変わらずだが、ヴォルフ君に対してだけは改善されつつあるように感じている。


 ヴォルフ君の方も、危険なまでに冷たく、そしてぎらぎらと燻っていた瞳の炎はいつの間にやら消え失せ、随分と年相応の若者らしい顔をするようになった。それは、その視界にアリアナを納めている時、より顕著になる。


 これ以上何を望む?お互いがお互いにとって、最上の相手なのに?


「人生とは、実際には『足し算』なんだと思います。


───『自分』に何を足すか。


『プラス』を()()のか、『マイナス』を()()のか。


ただのそれだけで、そこに『間違い』という概念は存在していない。

答えが出るだけで、『良い』『悪い』は無いんだ。


そして、そのどちらを選択するかの権利は、自分自身にある。」


「───何が言いたい。」


「アリアナの権利を侵害するのは、お門違いだと言うことですよ。


彼女には、『自分自身のため』に選択し、答えを出す権利がある。

貴方(ひと)のため』ではなく、ね。」


「────。」


「『取り返しがつかない』なんてことは、絶対に無いんです。そこに過不足があれば、いつでもまた足せば良い。


本当に『取り返しがつかない』というのは、『足す』ことを止めた時だ。」



 グレイズが、立ち上がった。



「だが、そうなった時だって、我々が『足す』のに手を貸してやれば済む話です。


だから、貴方は安心して彼女に任せれば良い。」



 彼女には、それが出来る。いや、本来であれば、もっと前からそうすべきだった。



「……いつからお前は俺に教えを説く立場になったんだ?」


 眉間に皺を寄せてこちらを見遣ってくる男に、ベルガレットは肩を竦ませた。


「立場なんて、有って無いようなものです。貴方はもう騎士団を辞めてらっしゃる。」


 口端を歪めて笑うベルガレットに、ふん、と鼻を鳴らし、グレイズは浅瀬に頭を出した飛び石を使って、対岸に渡ろうとする。




「辞めててもお前は『息子』みたいなもんだろうが。」


「」




 追いかけて飛び石に足を掛けようとした瞬間、放たれた言葉に足元が狂う。



 ───何だって?初耳だぞ。



 後続が滑落する気配を感じ取り、グレイズがでかすぎる手で、ベルガレットの弓を引くために鍛え抜かれた腕を鷲掴みにした。



「くそ生意気な青二才めが。」



 グレイズが、忌々しげに言った。



◇◇◇



 ────バタン。


「やあ、お帰りなさい。」


 30分少々して帰ってきた2人に、ヴォルフが声をかける。見たところ、ベルガレットの顔や何かに傷が無くてホッとした。それを受けて、ベルガレットがニヤリと笑む。


 結局あの後また対岸の上流に向かい、柵の内側を一周した。敷地の面積に対し、割と狭く囲われていたので思ったより早めに帰れて何よりである。


「ベル、お帰りなさい~。」


「ああ。」


 アリアナは、その時間感覚で2人が何をしてきたのかを察したようで、「………見回りお疲れ様でした」と小さく声を掛けてきた。それに、ベルガレットは手を上げて応える。


 と、言うのも腕に抱えたアーノルドが、待ちくたびれて眠ってしまったためである。


「…アーニーも。ただいま。」


 そう囁いて、軽く小さな額を指の背で撫でた。


「師匠も、抱いてみたら如何ですか?」


今なら寝てるから、泣かないかもしれません。


 と、続けるベルガレットに、グレイズが眦を怒らせる。


「なんで泣かせることが前提なんだ。」


 ──そのお顔のせいですよ。


 とは、さすがに言えなかったベルガレットとヴォルフが、顔を見合わせてこっそり笑った。



「まあ。それは是非。


どうか、抱いてあげてくれませんか?」



「む………、では。」



 優しく促すキャロラインに、グレイズが応える。

 ヴォルフがアリアナの隣を開けた。入れ替わりで腰掛けたグレイズに、アリアナが慎重過ぎる程ゆっくり、アーニーを引き渡す。


「……ふっ。ベルガレットに似なくて良かったな。」


 だなんて言うグレイズに、ベルガレットは肩を竦めた。


 どっしりとした腕は、アーニーに安心感をもたらすようで、全く起きる気配がない。


 その隙に、アリアナとキャロラインが、お茶を淹れようと席を立った。



「意外だな。あなたはこういうの、不器用そうなのに。」


「一言一句失礼な男だな……!これ位出来るわ!」



 「当然だ……!」と気持ち静かに憤る祖父の言に、アリアナは微笑む。


 ………いいや。苦手だったはずだ。


 だけど、一生懸命勉強したんだろう。

 アリアナは、ユーストスが生まれて間もない時のことを思い出していた。それは、ユーストスに物心がつく頃合いまでは、続いていたように思う。




 あの頃、祖父は自分が家庭教師に勉強を習っている時間帯を狙い、こっそり山から下りてきては、ユーストスに会っていた。どうしてそんなに回りくどいことをするのかは疑問だったけれど、誰にもそれを尋ねることはせず、気付かない振りをしていたのだ。


 皮肉にも、グレイズ自身が目覚めさせた能力によって、アリアナにはマクホーン邸に何か大きな気配が入り込んでいるのをすぐに察知出来たし、その日の料理は熊肉や鹿肉をメインにしたものが出されたので、きっと何かと理由をつけてこの屋敷に祖父が通っているのだ、というのは容易に推測できたのである。


 そんな時に、ユーストスが泣く声を聞いたことはなかった。


 父上が産まれた時、祖父上は戦地で長期の任務についていたそうだし、自分が産まれた時は言わずもがなだ。


 彼は、赤ん坊なんて抱っこしたことはなかった。


 だけど、アリアナは……アリアナにだけは、彼が、ぬいぐるみやら何やらを用いて、この家でひとり抱っこの猛練習をする様が、目に浮かぶようであった。


「貴様も抱っこしてみろ…!」


「俺もですか?」


「何だ、出来ないのか?」


「さあ、それは分かりません。何せ初めてなので。」


「ふん。…………」


「~ふ……うぇ……、」


「見ろ、起きてしまったじゃないか!この下手くそめ!」


「違う、あなたの渡し方が悪かったんだ!」


「何だと?!」


「うっ、うぅ~……」


「ああ、ほら!うるさい!

さぁ大丈夫だぞ、アーニー。守ってやる。」


「なっ!うるさいとは何だ年長者に向かって……!」


「いや、ただ単にお腹が空いているだけだけさ。」



 男たちが3人揃ってやいのやいの言い合っている様がまた可笑しくて、アリアナとキャロラインは笑った。





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