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鹿騎士と狼商人の再戦

 その日、アリアナたちは馬車でマクホーン邸のカントリーハウスから、アリアナの祖父、グレイズ・トール・マクホーンの屋敷へと向かっていた。


 馬車が止まるなり、アリアナはサッ、と地へ飛び下り、後ろに続く馬車へと向かう。


 アリアナの様子に、ヴォルフが思わず苦笑する。


 その馬車が止まるのを見届けると、すぐに歩み寄った。


「フェルビーク小隊長、そしてフェルビーク夫人。

険しい山道でしたが、お加減はよろしいですか?」


 中から、ベルガレット・ティアチ・フェルビークと、その妻、キャロライン・イズーナ・フェルビークが姿を現す。──そして、小さな客人も。


「アーノルドくん。ご機嫌は、いかが?」


 まだ言葉を理解しない息子へと、熱心に話し掛けるアリアナへ、ベルガレットが口を歪めて笑った。


 アリアナは、小さな彼にそれはもう夢中なのである。


「さあ、アーニー。

ここまではなかなか良く頑張った。が、これから会う怖いお爺さんの迫力に、耐えられるかな?」


「うー」


 アーノルドが、ベルガレットの腕の中で、きゅっ、きゅっ、とその小さなお手てを握ったり開いたりしながら言葉を発するのに、アリアナが目をきらめかせて微笑む。


「さすが、小隊長の一人息子だ。全く物怖じしませんね。」


 実際、彼はこの道中一度も大泣きしなかった。

 昨日までの、王都からマクホーン領への道のりも、沢山の場所を中継しながら馬車に揺られてきたが、彼の泣き声が響き渡ることは無かったのである。


 木々が葉を打ち鳴らすざわめきに。

 大きな馬と、その嘶きに。

 肌を撫でる風に。


 彼は笑顔で応えるのだ。


 ──すごい。まるで、世界に祝福されているようだ。


 と、アリアナは本気で思った。


 可愛い。ふわふわしていて、小さくて。こんなに愛おしい生き物がこの世に存在するとは。

 いや、もしかすると、何かの間違いで天界から落っこちてきたまである。


「ベル~……?貴方、道中もずぅっとアーニーを抱いていたでしょう?

もう、ぐずってもいないのに抱いて、この子に抱き癖がついてしまったら、どうするおつもりなんですの…?」


 ゆったりとした話し方で、夫を咎めるのはキャロラインだ。


 「さあ、籠に戻してください?」と促すキャロラインに、ベルガレットが息子を隠すようにしてサッ、と身を捩った。


「………別に、俺は困らない。」


「まあ!」


 そう、これまでアーニーは母であるキャロライン以外の抱っこを、断固拒否していたのだ。それが、ある時から「抱っこされる」ことに味を占め、ベルガレットに対しても笑顔を見せてくれるようになった。

 抱きたい父と抱かれたい息子のWin-Winな関係が、ここに成立したのである。


「『私が』、困るんです。

貴方が訓練だなんだで居ないとき、この子を抱っこするのは誰だと思っているんですか~?


同じくらい抱っこしていては、私の腕がつってしまいます。」


「……………。


……だからこそだ。出来るうちにしておかなかったせいで、家を空けてる間に顔を忘れられたらどうする?」


「忘れさせません、私が。

いつだって、『あなたのお父様がどれだけ立派か』を、この子に語って聞かせますわ。ね?」


「………………。」


「「わあ………………。」」


「「?」」


 アリアナとヴォルフが、声を揃えて感嘆を漏らすのを、二人が不思議そうに見遣った。


 だって、ベルガレットのあんな顔は、初めて見たから。


 油断ならない人間へ見せる完璧な微笑みとも、仲間に見せる歪めた笑いとも違う。

 固く閉じた唇をふわりとほどけさせるような、そんな優しい笑みだ。きっと、愛する人にしか見せないんだろう。


 それはアリアナとヴォルフへ大きな衝撃を与えた。同時に三人が身を寄せ合う景色は、2人に幸福を分けたのだった。



◇◇◇



「祖父上!お久しぶりです。」


「おお、アリアナ。良く来た。」


 愛孫を抱き締めて歓迎するグレイズに、アリアナの隣に立っていたヴォルフがにっこり笑う。


「私もいますよ、お祖父様。そして、あなたの弟子も。」


「ふん、お前らは知らん!勝手に来おって………!」


「やれやれ、しばらく見ない間に『いろいろと』磨きがかかったようですね。」


 皮肉気に言ってのけるベルガレットを、グレイズは無視した。


「!………貴女は」


「ご機嫌よう、グレイズ・トール・マクホーン様。

私、キャロライン・イズーナ・フェルビークと申します。」


 一度、アーニーを籠ごとベルガレットへ預け、グレイズへと手を伸ばす。夫が父親のように尊敬する男性に、しっかりと挨拶をしたかった。


 大きくて、分厚い手が、その両方を使ってキャロラインの小さくて華奢な手を、驚くほど優しく包み込んだ。


「!」


「──キャロラインさん。」


 薄い茶色の瞳が、キャロラインを切り取る。


「貴女に会えて光栄だ。


──そして、心から感謝している。」


「───。」


「この男──貴女の伴侶は、守るべきものが増えるほどに力を増す。貴女と結婚した時もそうだったし、これからもそうなるだろう。


貴女が育んだ小さな生命のおかげで、だ。」


「……!」


「騎士として生き残るために、誰しもが最後に手繰り寄せる命綱を、心に持っている───。


弟子にとってのそれが、より強固なものとなったのは、私にとっても幸運なことだ。


だから、どうもありがとう。」


「……いえ、そんな………。


こちらの方こそ、ありがとうございます。

私、きっと貴方がいてくださったから、彼に会えたんですわ。」


 目をぱちくり、とさせていたキャロラインが、自分の片手もグレイズの手へと重ねて、うふふ、と微笑んだ。


 自分にとって『父』とも言うべき男と、妻が手を取り合い挨拶を交わしている。


「────……。」


 ベルガレットが額に拳を当てて俯いた。多分、顔を見られたくないのだ。


 なるほど。


 ヴォルフは、内心で頷いた。


 俺に対しては見せないが、このじいさんも間違いなく『マクホーン』の人間であるようだ。


「──さあ。中に入ろう。

リア、一緒にお茶を淹れようぜ。」


「こら、待て!お前の立ち入りは許可してないぞ!!」


 グレイズが気を取られている間にヴォルフはするり、と室内へ身を滑り込ませる。アリアナは思わず苦笑してしまった。





「…………。」


「…………。」


「え、ええっと……。」



 不満げに、孫とその婚約者(仮)が淹れた紅茶を啜りつつ、グレイズがヴォルフへ睨みを効かせる。


 それを意にも介さず、ヴォルフは「良い茶葉使ってますねぇ」って感じでティーカップを優雅に傾けていた。


 ダイニングには、1人掛けのソファがひとつと、2人掛けのソファが2つ。

 アリアナとヴォルフが座るソファの対面に、ベルガレットら一家が腰かけていた。


 双方バチバチの無言空間に、一人、間に挟まれる形になったアリアナが口を開く。


「祖父上、その節はご協力下さってありがとうございました。


今日参ったのは、その際に頂けなかった結婚の許可を頂くためで………」


「───許可も何も。」


 音も立てずにヴォルフがカップをソーサーに置いた。


「私は貴方の出した条件を満たしました。


王族主催の夜会に問題なく出席し、

私の両親に、彼女を紹介した。


認める以外、ないはずですよね?

だって、『貴方が出した』条件だ。」


「………。」


「………師匠。

俺はその日、偶然にもその夜会に出席していたが、彼は立派にアリアナの『婚約者』としての責任を果たしていたように見えた。」


 黙り込むグレイズに対し、ベルガレットが更に援護射撃を行って道を拓こうとする。


 しかし、それは全く効き目が無かった。




「認めん。」




「……………。」


「……それは、何故?」


 ヴォルフより先に、ベルガレットが訊ねていた。


「正当な理由がなければ、祖父である貴方にも、彼ら2人の意思を否定することは出来ないはずだ。」


「……………。」


「……ふぅ。何とか言ったらどうなんです。

ああ、それとも、今だけ耳が遠くなってしまったとか?いやはや、思った以上にご老体のようだ。」


「貴様………、相変わらずの減らず口だな……!」


 グレイズの額に筋が浮かぶ。


「どうやら()()調子に乗っているみたいだ……久々に、土の味を思い出させてやろうか?」


「『調子』ではなく脂が乗ってるんです、貴方と違って。」


「良い度胸だ、表に出ろ。」


「良いでしょう。」


 「良いでしょう」じゃないでしょう。


 奥様が困って───無いな。すっごくニコニコしてらっしゃる。お可愛らしい。……と言ったら失礼だろうか?


 話が勝手に進み、アリアナが現実逃避をしている間に、2人はすっくと立ち上がってキッチンの裏口から出ていってしまった。それを、4人が見送る。


「………すみません。私の祖父は、少々不器用で…。」


 ──不器用?不器用で片付くレベルか?アレが??


 と、ヴォルフが口には出さずに表情で示した。


「……こら。」


「悪い。」


 ヴォルフがひょい、と肩を竦ませる。


 これは、思ってないな。


「──巻き込んでしまって、すみません。

だけど、きっと貴方の旦那様に怪我を負わせたりなどしませんから。」


 「安心してください」と、アリアナが語りかけた。


 というか、フェルビーク小隊長はそんなへまをしないだろう。


「…………。」


 考え込むように沈黙してしまったキャロラインに、アリアナは焦る。


 現在、フェルビーク家次男のベルガレットの元へ嫁いではいるが、彼女は生粋のご令嬢だ。


 気を遣って微笑んでくれていただけで、実は2人から漂っていた物騒な空気に、胸の内では震え上がっていたのかも…………。


 サ――ッ、と顔を青ざめさせたアリアナに、キャロラインが手をひらひらさせて応えた。


「……いいえ~。謝らないで、アリアナさん。」


「……!」


「うふふ。

…あのね?ベルって、結婚当初はもーっと頑なだったのよ。


一時期は本当にひどかったの…。

きっと、グレイズ様が王都を離れてしまって、悲しかったのね……。


でも、最近は─アーニーが生まれてからは─どんどん変わってきていて……。


貴女と、剣術大会で戦ってからは、それがより顕著になったんですの。」


「……………。」


「こぉんなにトロくさくて、取り柄がない私にも、ベルはまるでお姫様みたいに接してくれてね?


最初はね、とっても嬉しかったんだけれど……段々自分が、彼のお荷物みたいに思えて苦しかった………。」


 少し、ぐずり出したアーノルドを、キャロラインが抱き上げる。


 そして、ふわりと笑った。




 私のそんな長年の葛藤を。罪悪感を。劣等感を。


 「命綱」──────ですって。




「……今はそんなこと、全然無くなったの。きっと、貴女たちのおかげだわぁ。


だからね?どうか、協力させて。


──貴女たちこそ、安心してちょうだい。

ベルはきっと、貴女たちの幸せを後押しするはずよ。」


私と、この子もね。


 と、キャロラインがアーノルドを揺さぶった。


「──ひとつ。


申し上げてもよろしいですか?」


「?ええ………。」



 アリアナが、緑の瞳でキャロラインを優しく包む。



「──貴女は、素晴らしい女性だ。


『取り柄がない』だなんて悲しい言葉を、貴女のその口から紡ぐのは、今後止めていただきたい。」



「? ? ?」



 ──分かる、そうなるんだよ。『マクホーン』に絡むと。


 ヴォルフが遠い目をした。


「貴女は、騎士団での小隊長をご存じないから、そのようなことが言えるのです。


あの方は、普段あんなふうには笑わない。


きっと、貴女が……

いえ、貴女方が。小隊長に安息を与えているんです。」


……これは、誰にでも出来ることじゃない。


 と、アリアナは噛んで含めるように言った。


 キャロラインが、彼女の言うように「トロくさくて」「取り柄がない」とは、アリアナには到底思えなかった。


 彼女は、きっと並外れて思慮深いのだ。


 それは、幼い頃の『活発な』友人たちにとっては異彩だったと思う。

 彼らから悪気なく言われた一言に、彼女は傷ついたのかもしれない。


 あるいは。


 くりっとしたやや垂れ目の瞳。プックリとした桃色の唇。どちらかと言えば童顔気味な彼女に良い意味でギャップを与えるその豊満な体つき。


 それらに魅了され、彼女と『手っ取り早く関係を持ちたい』と目論んだ不埒な輩もいたかもしれない。そのような人間は総じてせっかちであろうから、彼女の良さを理解せず、欲が満たされないことに憤って、暴言を浴びせたりもしたかも。



「貴女が、他人に言われた何かを─しかも、悪いことを─大事に抱えて生きる必要は、絶対に無い。」


「………!!」


「小隊長には、類い希な戦いのセンスと、人望があります。


それに加えて、まさか、女性を見る目まで持ち合わせているとは。感服いたしました。」


「………アリアナさん……。」



 2人が、しっかりと手を握った。



 ──仲間や、数多くのご令嬢。そして、婚約者である俺と、その両親。


 ……おいおい。

 それだけでは飽きたらず、上司の妻にまで射程を広げるのは、さすがにどうかと思うぞ……。


 と、内心引いているヴォルフのことなど、アリアナはこれっぽっちも気にしていない……というか、気づいてもいないようである。


 職場環境の悪化を危惧しないでもないが、これは、目を離したベルガレットが悪いのだ。

 ……いや、それだと彼を引き込んだ自分が?



 ヴォルフはソッ、と見ない振りをしたのだった。




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