鹿騎士は承る
── 一方その頃。
アリアナとスカーレットは2人で港町をどこまでも歩いていた。
服飾、雑貨、食品。どれも、アスガルズ育ちのアリアナには珍しいものだらけで、とても楽しかった。荷物になってしまうという理由で、ウィンドウショッピングに留めなければならないことが、残念なくらいである。
その代わり、スカーレットの買った荷物を空いた手に引き受ける。重たくもないし、体力も有り余っているから遠慮せずとも良いのだけど、スカーレットはごく自然にされた動作に目を丸くさせていた。
「……やだ、ヴォルフったら恋人に荷物持ちさせたりしてない??」
「いいえ、させてくれませんよ、彼は。」
そう言って、アリアナは苦笑して見せた。
それからも、スカーレットは楽しそうにヴォルフの小さい頃の話を沢山聞かせてくれて、アリアナは心が満ち足りるような気分だった。
本屋では、経済情報誌の表紙をヴォルフが飾っているのを発見し、アリアナは度肝を抜かれてしまう。
それを、スカーレットは「いつものことよ~」と笑い飛ばした。どうなってる。
しかも、聞くところによると、ミズガルダ国民は「あのヴォルフ・マーナガラムが、なんとアスガルズの貴族令嬢と結婚するらしい」ということを、既に知っていると言うのだ。
「規模が……大きすぎないですか……?」
「ね。あたしもびっくり。小さかったあの子がね~……。」
そう言葉にしたスカーレットの横顔は、少し寂しそうにも見えた。が、すぐこちらに笑顔で向き直る。
「でも、一番びっくりしたのはね、連れてきたのがアリアナちゃんだったこと!
これまで素っ破抜かれたヴォリーの『自称』恋人たちは、ぜーんぜん、あなたみたいな人たちじゃなかったもの。」
女優とか、歌手とか。
高慢で、美しくて強そうなものが大好き~、って感じの子達よ。…まあ、あたしの勝手な想像だけどね。
ひょい、と肩を竦めてスカーレットが言った。
手紙を貰うより先に、「今度はお貴族様!?」と盛大な煽りで書かれた新聞を見た。今までと違ったのは、それがマーナガラム商会からの公式の情報、ということ。顔写真や名前は載っていなかったけど。
「今度の休みに連れていきたいから、予定を教えてくれ」って手紙が来たときは、「どんなとんでもないわがままお嬢様が来るのかしら………」と震え上がったものだ。でも、すぐに思い直した。
ヴォルフが選んだ人だもの……!と。
そして、やって来たのはあたしの気分を上げてくれる、笑顔が弾けるみたいに可愛いこの子だった。
「自称恋人………。」
それも、「たち」。
「安心してね、ヴォリーがそれを認めたことなんて一度も無いんだから。
それに、見てれば分かるわ。ヴォリーは貴女だけに首ったけよ。」
からり、と笑ってそう言い、スカーレットはるんるん、と次の店へと向かったのだった。
「ねえ………、アリアナちゃん。
うちのヴォルフのどこが好き?」
「、げほっ!ごほっ……!!ぅ、すみませ…っ」
「あらっ!だいじょぶ?」
今日もいい天気ね~、位のテンションで放たれた言葉に、アリアナが激しく咳き込む。
港町の大通りに面した喫茶店。そのテラス席に2人で座って一時休憩し、長閑な雰囲気を全身で感じ取っていたその瞬間の出来事であった。
何事かと、道行く何人かがこちらを見遣る。
ああ、何でもないんです。ただ紅茶が、食道でなく気管へ入ってしまっただけで。
「は、はい。大丈夫です…!」
「そ?」
軽くハンカチーフを口許に当ててくれるスカーレット。
それに感謝しつつ、アリアナは訊ねる。
「ふぅ……、ええと。
急にそんなこと、またどうして………?」
「ごめんごめん、特に深い意味は無いのよ。
ただちょっと、ガールズトークをしてみたくなって……。
驚かせちゃった?」
あはは、と快活にスカーレットが笑って見せる。
だが、その後すぐに顔を曇らせた。
「…うちの男共って、あの調子じゃない?
やーよねぇ~…。なぁんか、『男の世界』ってカンジでさ?
昔っからそうなの。きっと今も、2人でこそこそやってんのよ!
そしていっつも、あたしは仲間外れ………みたいな。」
「……スカーレットさん……、」
「だから、今はあたしがアリアナちゃんを一人占めしちゃう!
……ね、ここだけだから!
秘密のハナシ、教えて頂戴よ~♪」
ああ、ヴォルフの母君だな、と思う。
照れ臭い。けれど、話したい、と。
それで、スカーレットさんの寂しさが和らぐなら、と。
いとも簡単に思わされてしまった。
思わず、アリアナがくすり、と笑う。
「ガールズトーク……。慣れてないんですが、それでも良ければ。」
「やったぁ!」とスカーレットがはしゃいだ声を上げた。
「そうですね………好きなところ。」
う――ん………。
「…ありゃ、思い付かない?」
「……ふふ、いえ、ありすぎて、どこから話そうかと。」
そう言って、柔らかく少女のように笑って見せたアリアナに、スカーレットは胸を衝かれた。
──この子。ホントに、とっても可愛い。
「そうだなぁ、まず、仲間を大切にしているところ……」
「うんうん。」
「あと、目的のためなら、なりふり構わず進める強さ。
人心を掌握する見事な話術に交渉術。自信があるように見せる演技力……。」
「……それって良いところ?」
「はい、好きなところです。」
にこっ、と笑うアリアナにスカーレットは不安になる。ヴォリー以外の悪いヤツに、コロッと騙されるんじゃなかろうか、と。
「それと……これは、『甘え』のようですが……。
……私の、『悪いところ』も見ようとしてくれるところ………。」
頬を染めて、アリアナは言った。
これまで、「ヴォルフにそうされると、気持ちが軽くなるのはなぜだろう?」と不思議に思っていたのだけど。
その答えが、元の実家でヴォルフの話を聞く側になってみた時、ようやく分かったのだ。
………今まで気付いていなかったけど、それは、『どんな君でも嫌いにならない自信がある』と、言っているのと同義。
───本当に、嬉しい。幸せだ、と思う。
どうか、君がしてくれる行為の意味が、私の勘違いでなければいい────。
スカーレットは、胸がきゅうきゅう、と締め付けられた。
──もう、馬鹿ね。
ヴォルフだけじゃなく、きっと、貴女のことを好きな男は、───いいえ、貴女に関わる皆が、それを知りたがっているはずよ。
それに、気付かないだなんて。
この子は今まで、どれだけ自分をそっちのけにして、人に尽くしてきたんだろう。
それを思うと、何だか泣きたいような、尊い物を見た時のような気になって、スカーレットは何も言えなかった。
アリアナが、さらに指折りながら言葉を続けるのを、黙って聞く。
「そうだな、ダンスが上手いところも……。あと、淹れてくれるコーヒーも美味しいです。
茶目っ気のある喋り方。声も、すごく綺麗で落ち着いていて、安心感がありますし…。
見た目で言うなら、あの灰色がかったさらさらの茶髪……。」
私は少し癖毛だから、羨ましいです。
アリアナが唇を尖らせた。
そして、言う。
「でも、やっぱり一目見た時から好きだったのは、あの瞳です。」
────あなたと、同じ瞳だ。
そう言ってアリアナが微笑んだのを見届けて、スカーレットはついにテーブルへ伏せてしまった。
「スカーレットさん………?!」
「アリアナちゃん………。」
「は、はい。」
「好きよ。」
「えっ、あ、ありがとうございます…………??」
スカーレットは、アリアナに気を遣わせないよう、ちょうど机上に出していたハンカチーフでさっ、と涙を拭い、ばれないように鼻を啜った。
──だめね、歳をとると。涙腺が弱くなっちゃって。
でも、こんな素敵な子が、うちの息子を好きだと言ってくれてるんだもの。涙が出るのもしょうがないわよね。
「アリアナちゃん。」
「?はい。」
「アリアナちゃんは、お菓子、好き?」
顔を上げてからの突然な質問に、アリアナは戸惑う。
「はい……、あまり食べませんが、好きです。」
「そう。じゃあ家に帰ったら一番簡単で、ヴォリーも大好きなお菓子のレシピを教えるわ。」
「え……。」
「だから、アスガルズでもたまに作ってくれる?
そうしたら、その時だけで良いの。
──あたしとランドルフのこと、思い出してくれる……?」
「……ははっ、」
アリアナが思わず、と言った感じで笑い声を上げた。
「ありがとうございます。
毎日は作れませんけれど、あなた達のことは、毎日思い出しますよ。
私、スカーレットさんのこと、大好きですから。」
スカーレットは、目に涙を浮かべて言った。
「………ヴォリーのこと、よろしくね。」
「………はい!」
アリアナは、力強く、そして深く頷いて見せたのだった。
◇◇◇
あのあと、計画は失敗し、アリアナ好みの味付けで大量の夕飯を頂くことになった。
これが、今回の帰省では最後の夕飯となるので、ちょっとやそっとでは、スカーレットの勢いが留まることは無かったのである。
仲良さげに手を繋いで帰ってきた母と恋人に、絶賛距離を置かれている最中のヴォルフが盛大に妬き、それをスカーレットとランドルフが面白がってからかった。
笑いの絶えない、本当に素敵な夜だった。
「──じゃあ、また結婚式で。」
「ああ。楽しみにしてる。」
翌朝。
早めの出立ということで、軽めの朝食を終えたあと、ヴォルフとアリアナは玄関でランドルフとスカーレットに別れを告げていた。
「身体には気を付けるんだぞ。」
「ああ、分かってる。」
「───またいつでも帰ってこい。」
「まあ、気が向いたらな。」
「こいつ。」
軽く抱き合うヴォルフとランドルフの隣で、顔をぐずぐずにしたスカーレットが、言葉も出ないといった感じでアリアナにハグする。
「…、……!」
「私も寂しいです。また、すぐ会いましょう。」
「……絶対よぉ…?!」
最後にもういちど、ぎゅう、と抱き締めて離すと、2人は場所を交代した。
「アリアナさん。」
「ランドルフさん。お世話になりました。」
「全然。またおいで、歓迎するよ。」
そう言って、ランドルフが抱き締めてくれる。
そろそろ離そうとしたとき、ランドルフが耳元で囁いた。
「──ヴォルフのこと、よろしく頼みます。」
「…………!はい。任せてください。」
片眉をひょい、と上げてこちらを見つめるランドルフに、アリアナはにっ、と笑って応えた。
「──よし。じゃあ、行ってきます。」
「……ああ、いってらっしゃい。」
「本当に、ありがとうございました。」
「またね!!」
馬車に乗り込んで、窓から手を振る。
いつまでも、2人は馬車を見送ってくれていた。
◇◇◇
「ヴォルフ。」
「、うん?」
必要な事項以外、帰り道では言葉を交わしていなかった恋人から声がかかり、ヴォルフはどきりとする。
マクホーン邸へとアリアナを送り届け、ヴォルフは帰宅のために再度馬車に乗り込んだところだった。
「私……ええと、これでも一応『貴族令嬢』だから……、君にはもうしばらく、負担をかけてしまうと思うんだけど……。」
…それは、本当にすまない。
と、続けたアリアナに、ヴォルフは「いや、良い」と返した。
それは、俺が未熟………というか、お前を好きすぎて。
ヴォルフは情けなさに眉をしかめた。
くそ、もう触れたい。
「でもね、やっぱり同じ失敗はしたくない。から……」
アリアナは、馬車についている窓の縁に手を付き、背伸びした。
反射的に、ヴォルフが身を寄せる。
「……ご両親に紹介してくれてありがとう。
だいすき……ルゥ。」
「…………。」
バタン。
「………君の迷惑にならないように……って、せっかく帰り際に伝えたのに、意味がなくないか?」
「…………今日だけ。」
「…………今日だけかぁ。」
ふふっ、と幸せそうに微笑むアリアナを、ヴォルフはすぐさま馬車から降りて抱き締めていた。
グルグル、とどこかで聞いた覚えのある唸りが聞こえる。
アリアナは心配そうにヴォルフを見つめた。
───分かってる、大丈夫だ。
ヴォルフは片眉をひょい、と上げて余裕そうに笑う。
ただ、お前が俺を、あんまりにも愛しげに呼ぶものだから──しかも、新しいリアだけの呼び名を誰かに聞かれて俺が照れてしまわないように…と、わざわざ小声で告げてくれる気遣いだとかが、妙に嬉しくって───、ああ。
抱き締めるだけでは足りない、のに。ちくしょう。
それで『満足した』と自分に錯覚させる。
「じゃあな、リア。また連絡する。」
「うん。待ってるよ。」
そう言って、2人は礼儀正しく別れた。
それを、今日も御者を勤めるフィリップと、その愛馬たちだけが、穏やかに見守っていたのだった。




