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狼商人は和解する

 ──翌朝。

 あまり眠れなかったものの、アリアナはいつもの時間に目が覚めた。

 取り敢えず着替えをする。そして、洗面所に向かったあとリビングに顔を出した。まだ誰も起きていなかったとしても、アルバムを見ることで時間が潰せると思ったのだ。不思議なことに、あれはいつまででも、何回でも、見ていて飽きないのである。


 すると、リビングから庭へと繋がる扉の方で、ギシギシ、と音がした。


「……!」


 アリアナは、反射的に息を潜める。………人の気配だ。


 忍び寄るようにして扉を薄く開いた。不審者ならば()()せねばなるまい、と思ったのだ。


 しかし、アリアナはすぐに警戒を解いた。


「……ランドルフさん。」


「!……やあ、早起きだねアリアナさん。おはよう。」


 ウッドデッキに置かれたロッキングチェアへと腰掛けたまま、ランドルフが微笑んだ。


「おはようございます…。ランドルフさんの方こそ、早起きですね。」


「ああ、まあ歳を重ねるとこんなもんだよ。スカーレットももうすぐ起きてくるだろう……。


──座るかい?良ければ話しでもしよう。」


 ランドルフが、隣のロッキングチェアを指差す。

 彼が座っているものより、新しく見えた。きっと、スカーレットさんのために、彼が後から手作りしたのだろう。


 お言葉に甘えて、アリアナは頷きつつ、そこへ腰掛けた。ゆらゆらして、気持ちいい。朝特有の真っ白い光が2人に降り注いでいた。


「ヴォルフのやつは、ああ見えて寝汚くてね。

………学校や用事のある朝は勝手に目が覚めるようなんだが、そうでないときは何時までも寝ている。


今日も、起き上がるのに時間が掛かるはずだよ。」


 ランドルフはその肩を竦ませた。

 困ったやつだ……、とでも言いたげな身振りに、アリアナは笑う。普段見ている彼の印象を思うと、意外な情報だった。


 だが、瞬間ちらり、とその瞳が翳る。



「………貴女にも、迷惑をかけるかもしれない。」



「……………。」



 ちょっとした息子のエピソードを語っただけにしては、随分と表情が重たかった。それに気がついて、アリアナが黙り込む。


 ランドルフは、「あんたがやらないなら、俺がやる!!」とのたまい、本当に翌日には姿を消していた我が子のことを思った。


 ──あいつはすごい。


 才能にも、容姿にも恵まれ、そのカリスマ性で多くの仲間を率いる。

 いつしか群れとなった彼らは、ミズガルダでも指折りの富豪へと息子を押し上げた。


 もちろん、この家を飛び出す前からここまでになることが分かっていたわけではない。天の采配と、ヴォルフの実力あってこその大躍進だ。


 ──いや。それと、やつも知らぬ間に、その心の奥底に根を下ろしている猜疑心も、か。


 ヴォルフはきっと、「父と同じ轍を踏むものか」と思っている。だから、人を完璧に『信用する』ために、保険をかけているはずだ。


 それはきっと、あらゆる関係性や、金や、契約に基づくものなのだろう。


 だから、そんなヴォルフが5年ぶりに、しかも「婚約者を連れて行く」だなんて内容の手紙を寄越したときは、戦々恐々とした。

 最悪、お互いの利害が一致しただけの、形式的に『信頼できる』人間を連れてくる可能性がある………。だとしたら、ヴォルフをそうしてしまった親の責任として、何がなんでも結婚を思い止まらせなければ、と思っていた。

 情の無い結婚以上に、実りのないものはない、と個人的には考えているからだ。


 しかし、その予想は大きく外れた。


 現れたのは、緑色の宝石みたいな瞳を輝かせて恋人の帰郷を見守る、実に気立ての良さそうなお嬢さんだったのだ。


 そして、ランドルフや妻のスカーレットにも、その溢れんばかりに抱え込んだ愛情の片鱗を、感じさせてくれた。それもたった一日で、だ。



 ────逃す手はない。息子に必要なのは、彼女だ。



 それが、ランドルフには分かっていた。


 だけど。


 同時にヴォルフの性格も分かっていた。


 あいつは、まるで一線から退いた俺を詰るように、功績を立て続けている。随分前から、その名はこののんびりとした田舎にも轟くようになっていたけれど、「まだ足りない」とばかりに前へ突き進んで。


 ───先が、見えないのだ。


 そんな調子で歩んで、転んだり、怪我をしたりはしないだろうか。何か、危ないことに巻き込まれたり、首を突っ込んだり。病気だってするかもしれない。


 それでも、あいつは前に進むのをやめない。やめたら俺と同じになる。それは敗けだと思っている。


 だから………もしかすると、家庭を省みない時もあるかもしれない。


 アリアナさんが困っているとき、それに気付くことが。

 彼女に危険が迫ったその瞬間、そこへ一番に駆けつけることが。


 ………出来ないかもしれない。


 息子の名誉のために、誓って言うが、あいつは貴女を心底大事にしたいと思っている。


 ただ、それ以上にあいつ自身が危機的状況に陥り、彼女の手を掴み損ねてしまう可能性を、ランドルフには否定出来なかったのである。


 ───しまったな。


 「それでも、ヴォルフと一緒にいて欲しい」、と伝えたかったのに。

 考えれば考えるほど、それは息子可愛さの図々しいお願いのように思われた。


 だって、そもそも彼女程の女性が、ヴォルフと一緒になる、というのが既に分不相応だ。

 アリアナさんならば、他にいくらでも貴族の貰い手が見つかる。


「…………。」


 言葉を紡げなくなったランドルフを見て、アリアナは察した。


 ……きっと、ランドルフさんは、私にヴォルフを任せて良いものか、決めかねている。


 当たり前だ。大事な一人息子だ。離れていても、一番に彼のことを考えてくれていたはず。

 だが、ヴォルフはこれからまた他国へと離れるのだ。しかも、任せるのがこんな小娘とあっては………。


 アリアナは奥歯を噛み締めた。

 安心して貰うために、私が出来ることはあるだろうか…。


 ヴォルフを大切に思う彼だからこそ、どうか結婚を認めて貰いたかった。


「ランドルフさん。」


「!ああ…」


 はっ、として、ランドルフはアリアナに目を合わせた。彼女の瞳が、朝日を受けてピカピカと煌めいている。


「安心してください。私は騎士です。」


「えっ?」


 ランドルフは虚を衝かれる。


 騎士?………貴族のご令嬢が??


 だが、すぐに持ち直した。それは、ある種魅力的な要素に思われたからだ。


 ──そうか……、であれば、申し訳ないことではあるけれど、自分の身を最低限守って貰う、ということは可能かもしれない………



「ですから、()()()()()()()()()()()()()()。」



 ? ? ? ? ?



「………うん?」



「心配はごもっともでしょう。


ですが、私には、彼以外の相手は考えられない。」



「」



「だからどうか、彼の伴侶に私を選んで頂けませんか?」



 ……何を、言っているんだ?彼女は。


 ──どうして、貴女が。


 まるで、全身全霊をかけた必死さで、求婚を──



「こら。」


「わぁっ?!」



 突然、後ろから声が掛かった。



「あんまり熱烈な言葉を、俺以外に聞かせるな。」


「っ、ヴォルフ!!」


「………おはよう。朝飯だってさ、母さんが呼んでる。」


「あ、ありがとう。今行くよ!」



 振り向いた視線の先には、リビングへと繋がる扉を開けるヴォルフがいる。


 アリアナは昨夜のことを思い出し、途端に気まずくなってしまって、ランドルフの返事を聞かずにリビングへと戻ってしまった。



 ぽかん、と口を開いたままのランドルフに、ヴォルフが笑った。


「父さんも。」


「あ、ああ……。」


 ……「選んで頂けませんか」、だって?俺もスカーレットも、一目で貴女が気に入ってしまったというのに。


 彼女は。アリアナさんは、一体──……?



「な?最高だろ、俺の恋人。」


「……っはは、」



 片眉を引き上げて自慢してくるヴォルフに、ランドルフはようやく笑い声をたてたのだった。




◇◇◇




「ねえねえ、アリアナちゃん。


昼はあたしとお買い物に行かない?港町を案内してあげる!


でね、終わったら、一緒にお夕飯の食材を見ましょう?

アリアナちゃんの好きなもの、何でも作ったげるわ!」


 スカーレットのその言葉は、アリアナにとって大変ありがたい申し出だった。


 どんな顔をして接すれば良いか、分からなくなってしまったヴォルフと空間を同じくするより、随分気が楽であるし、何よりさっき食べ終わった昼御飯が、お腹を圧迫して苦しかった。

 腹ごなしも出来る上、それとなく原材料から夕飯の量を調整することが可能かもしれない。


 こっくり、と深く頷いて、「ご一緒します」と告げたアリアナに、スカーレットは嬉しそうに笑った。


「ヴォリーも行く?」


 どきっ、としたアリアナを知ってか知らずか。


「……いや、良い。待ってるよ。

女同士で弾む話もあるだろうしな。」


 楽しんで、と言って肩を竦ませたヴォルフに、アリアナはホッ、と胸を撫で下ろしたのだった。





 ───サワサワ、と枝が風に揺れる音がする。

 それに合わせて自身の身体も微かに揺られ、大変心地良い。

 年をとって、まとまった時間が取れるようになったら、俺も買おうかな………。


 木陰と言っても日差しが強いので、顔には麦わら帽子を被せている。


「おい、そこは俺の特等席だぞ。」


「──父さん。」


 ヴォルフが鍔を引き上げて父を流し見ると、ランドルフが実に愉快そうに笑っていた。


「よっ、と…」


「やめろ、壊れる。」


 ハンモックに横たわるヴォルフの脚側にランドルフが腰掛けようとするので、思わず苦言を呈した。


「そんな柔に作ってないよ。破れないさ。」


「違う。木が軋んでるんだよ。」


 腰掛けてから、確かに内側に寄った気がする両方の木を見て、ランドルフが驚いたようにヴォルフへ目を向けた。


「───……そうか。お前、大きくなったなぁ。」


「…そりゃね。」


 本気で感心したような言い様に、ぷい、とヴォルフが帽子をかけ直して顔を逸らす。


 それに、ランドルフが笑った。


「お前から『書斎で眠らせてくれ』、って言われた時は驚いたけど、貴族は色々大変なんだな。この家は部屋数が少なくて悪い。」


「いや、良い。助かったよ。」


 父が、キャンプ用の野外ベッドを出してくれたお陰で、小さなソファや固い床で寝るよりも、それなりに眠れた。…少々早めに目は覚めてしまったが。


「にしても、お前が婚約者を連れてくるなんてなぁ……。」


 しかも『貴族』だと聞いて、商人と結婚しようとするくらいだから、もっと高飛車で、金品に目が無い人間がやって来ると思っていた。


 そう言ったランドルフに、「いや、そのはずだった」と言うのはやめにしておく。彼女が貴族の中でも──というか、人として規格外だっただけである。代わりに肩を竦ませた。



「ふふ、アリアナさん。


……上手くやったみたいじゃないか。」


「……おかげさまで。見事に避けられてる。」


「でも、悪い感じじゃない。

あれは、初めてお前の正体を知って驚いた………ってのと、『照れてる』って感じだ。」


 初々しくて、可愛いじゃないか。


「………。」


 どん、とヴォルフが無言で父の背を膝で打った。


 昨夜、アリアナさんを部屋まで送り届けた後、こちらの部屋まで聞こえるぐらいの深い深いため息をついてから、やっと本来の目的のため─おそらく水を汲みに─キッキンへ戻ったお前の足音を聞いて。

 ランドルフが感じたのは、情けなさやらカワイさやらだ。2人がすごく微笑ましかった。



「悪かったよ、馬鹿にしてるんじゃないぞ。」


「………ふん。」



 それでも、笑いを堪えきれないランドルフに気付いていて、ヴォルフは鼻を鳴らした。


 だが、内心ほっとしている。第三者から、「悪い感じじゃない」と太鼓判を押されるのは、それなりに安心へと繋がったからだ。


 知らない間に、自分とは違う邪な感情を向けられていたと知って、彼女が気持ち悪がったり、引いたりしていないようで良かった。やっと正しく、「怖い」という感覚を認識できたらしい。


「それは、お前のこれまでの我慢があってこそだ。


……頑張ったんだな。」


 優しい声音に、ヴォルフはうっかり目頭が熱くなった。


 ………うん。俺、頑張ったんだよ。

 アリアナのことだけじゃない。あれから今まで、めちゃくちゃ頑張ったんだ。


 そして、それはようやく手に入った。


「父さん。」


「うん?何だ?」


「──色々、悪かった。酷いことも言ったろう、俺は。」


「ふっ、あんなの。仔犬に噛まれたようなもんだ。」


「それはそれでムカつくな……。」


 くつくつ、とランドルフの抑えた笑いが自然のなかに響く。


「……今だから言うが、俺も。


お前に対して言葉が足りなかったことは、悪かったと思ってる。」


「──言葉?」


「ああ。


何も俺は、たった一回人に裏切られただけで人生を諦めた訳じゃない。


ただ、その方向性が変わっただけだ。


仕事のために、おちおち息子の危機にも駆けつけられないような『父親』にはなりたくなかった。」


 ま、肝心のお前はその後いなくなっちまう訳だが。


 そう続けられた言葉に、ヴォルフは気まずげに喉を鳴らした。



「それを伝えて、お前を呼び戻すことをしなかったのは、お前が素晴らしい才能を秘めていたからだ。


引き止めれば、それが成長の妨げになることは目に見えていた。」



「!」



「結果的に、お前には随分険しい道を歩かせてしまったな。

──怒ったか?」


「…………怒ってないよ。」



 ────むしろ、感謝している。俺なら出来る、と信じてくれたこと。



「俺も、今だから言うけど───


家を出る前も、出たときも、俺は父さんを尊敬していた。変わらず理想だったんだ。」


「………。」



「だけど………。



誰かに『理想』を背負って貰おうだなんて………



──俺はダサかったな。」



 家を出て、すぐに気がついた。


 描くだけじゃ、到底足りないね。



「自分で成る方が、断然面白い。」



 アリアナは───そのための、覚悟と勇気は──既にこの手の中だ。



「俺はやるよ。


必ず、世界で一番になる。」


「…………!」



 身を起こして、顔に被っていた麦わら帽子をひょい、と取り、代わりにランドルフの頭へ被せた。


「……もっと、大きな一面を飾ってやるから。」


「!」


 見たのか。お前の活躍をひとつも残らず切り抜いたスクラップブックを。

 突然の申し出に、書斎の中の一番手に取りやすい棚に置いてあったのを、慌てて隅の方へ隠したのに。いや、冊数が多すぎて、隠しきれていなかったのかもしれない。



「譲るよ、ハンモック。」



 そのまま降りて、ヒラヒラと手を振りリビングへ戻るヴォルフを、ランドルフは何も言えずに見送った。



 ───しばらく見ないうちに、随分とまあ生意気になったもんだ。


 どうやら、可愛い息子がまだ、幻想の中の俺の背中を追っている──だなんて、思い違いも良いところだったらしい。


 ……既に、自分だけの夢を追いかけていた。


 そのことに気がついて、ランドルフは寂しさと、それ以上の誇らしさを胸一杯に感じたのだった。




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