狼商人は一線を示す
終始ご機嫌なスカーレットに導かれて、夜は家から歩いて程近くのレストランへ向かった。「港が近いから、魚料理が絶品なのよ!」と大変嬉しそうに言われては食べないわけにいかない。ヴォルフはそれを苦笑いして見ていた。
と言うのも、昼飯もまあ結構な量で、アリアナがその時点から食べ切るのに苦労していたのを、察していたからである。
スカーレットの中ではアリアナが、ヴォルフと同じくらい食べれる、という初期設定になっているようだ。『若い人の食事量』の認識が、『食べ盛りの息子』でストップしているので、無理もない。
母は、可愛い客人にすっかりテンションが上がってしまって、その辺の手加減が抜け落ちているのだろうな、とヴォルフは思った。
実際、アリアナは、女性にしてはかなり食べる方だ。しかし、母の熱烈歓迎は、それを上回っていた。そして、アリアナの性格上、そういった厚意を無下に出来るわけが無かったのである。
やたらにこにこしている母と、自分がそうさせていることが嬉しいんだろうアリアナが引き合うようにして笑顔を見せるのが、なんだかどうしようもなく、幸せだった。
──…すごいな、家族と恋人が楽しそうにしていると、こんなにも幸福なのか……。
それに浸ってしまって、歯止めを掛けなかった自身にも非があった、とヴォルフは受け止め、夕飯の大皿はなるべくヴォルフが引き受けたのだった。
「…『本日のオススメ』が軽めの白身魚料理で、命拾いしたな?」
「く………っ、夕飯までに身体を動かせていれば、もっと入ったんだぞ……!!」
と、良く分からない対抗心を見せるアリアナに、思わず笑った。
「嘘つけ、夕飯までにも花壇の水やりや鶏への餌やりに付き合ってたろ?」
玄関側からは見えないけれど、あの家の裏手は結構広い。家を出た頃は小さな林だったと記憶しているが、花壇と家畜を増やすために、少々斬り倒して、場所を確保したようだった。
「あれくらいじゃあ全然足りないよ!
それでも、急にランニングやトレーニングを始めたら、ご両親をビックリさせちゃうだろう?」
アリアナが肩を竦めた。そして笑う。
「……助かったよ。君もかなり食べてたのに。
ありがとう。ご飯を残すのは、主義に反するんだ。」
「それは騎士の?」
「確かに、完全喫食は騎士団の信条だけど、一番は『私の』だな。」
というか、スカーレットさんの料理が美味しすぎるのがいけない……。食べるペースが上がっちゃうのが敗因だ。
と、褒め言葉みたいな言い訳をするアリアナの手を、ヴォルフが繋いだ。そして、ぶんぶん、と振る。
「……ふふっ、どうしたの。」
「父さんと母さんの真似だ。」
数メートル先を行くスカーレットはお酒も入って上機嫌だ。そこを、ランドルフが手を握って─多分転倒防止を兼ねて─帰路へ導いている。
「私は飲んでいないよ?」
「俺は飲んだ。」
「酔わないじゃないか、君。」
「分かった。繋ぎたいから繋いだ。これで良い?」
くすくす、と笑ってアリアナが手を握り返してきた。それを一旦解き、指を絡めて握り直す。
「──なあ。今度、リアの写真も見せて。」
「良いよ!一緒に、小さい頃のユースが写ってる写真もあるんだけど、とっても可愛いんだ!」
「是非とも見てくれ!」と笑うアリアナにつられて、ヴォルフも笑った。
「………ありがとう。」
「?」
写真のこと?と首を傾げるアリアナ。
「ちがう。『今日一緒に来てくれたこと』、だ。
見りゃ分かるだろうが……2人とも、お前が大好きになったらしい。」
「……そうかな?」
「そうに決まってる。」
「そうかぁ……。」
ふわり、と蕾がほどけるように笑うアリアナ。
ヴォルフは、ああ、好きだな、とじんわり実感する。
…おそらく、ヴォルフが一人でやって来たとしても、2人は歓迎してくれたと思う。だが、ここまで和やかに、穏やかな時間は過ごせなかっただろう。
じゃあ、婚約者を連れていれば誰でも良かったのか?と言うと、「そうではない」と断言できた。きっと、アリアナ・フロージ・マクホーンという女性だったから、だ。
お前が、俺の婚約者で良かった。
これからも、ずっと隣でそういう風に笑っていて欲しい。
そのために、もう一度あのじいさんに会いに行く必要があるのだけど、一旦考えるのは止めにしておいた。
どういう経緯であれ、恋人との初めての旅行である。最後まで目一杯楽しまなくては。
考えるのは、アスガルズへ着いてからで良い。
◇◇◇
────眠れない。
ムクリ、とアリアナはベッドから身を起こした。
通された寝室は、ヴォルフが昔使っていた部屋のようで、今のヴォルフが使用しているみたいな大層大きな机ではなく、少々低めの勉強机が置かれている。
だが、眠れないのは慣れない環境にいるから、というわけではない。
きっと、昼に飲んだコーヒーのせいだ。
コーヒー自体は訓練中、疲労した身体に鞭打つために、割りと飲むのだけど、今日は運動量に対して余剰だったか。
起き上がって、部屋を出る。眠れない時には「寝よう、寝よう」と念じるより、一旦ベッドから出てリセットしたのちに再度入眠を試みるのがアリアナのやり方だった。
音も立てずにドアを開け、手洗いに向かう。
用を足してそこから出ると、リビングにぼんやり灯りが点っているのが見えた。
待ってましたとばかりに、スカーレットが顔を出す。
「アリアナちゃん、こんばんは。」
「!……今晩は。」
「眠れないの?──実はあたしも。
今日は本当に良い日だったから、寝るのが勿体なくって。
…でも、アリアナちゃんが、晩酌に付き合ってくれたら、良い夢が見れちゃうかもな~?──なんて。
……どう?」
アリアナちゃんには、今あま~いホットミルクをいれたとこよ!
と、話すスカーレットに、アリアナは思わず吹き出した。随分と準備がいい。
「………ええ。ありがとうございます、いただきます。」
甘い甘いミルクを飲むと、なんと10分、20分程で睡魔が襲ってきた。それに気付いたスカーレットが「おやすみなさい」と言ってアリアナの頬にキスする。アリアナの方も、キスを返した。
「最後までお付き合い出来ず、すみません──どうか、良い夢を。……おやすみなさい。」
それに、スカーレットがにこにこと笑うので、アリアナも嬉しくなった。そうして、先にアリアナがリビングから抜け出たのだった。
「─────何してる。」
…背後に、熱を感じる。
「ぅ……ん……?」
下げていた顔を上げると、目の前の鏡にヴォルフが映っていた。
「何してる」、って───
「え、と。眠れなくて、スカーレットさんと一緒にホットミルクを……。」
飲んでいたから、歯磨きしないと。……だろ?
鏡越しに、背後に立つヴォルフと会話する。
水を止めたアリアナの両脇に、ヴォルフの手が伸びてきて、それが洗面台につかれた。
アリアナの眠気が、また何処かへ行ってしまいそうになる。それはいやだ。
アリアナは、睡魔を必死で引き留める。
ヴォルフったら、どうしたんだろう?寝惚けてるのか……?
鏡の中のヴォルフの目が、ギラギラと輝いている。
そして、牙を見せた瞬間。
「───ヴォルフ。」
、……………クッソ…………っ!!!
まただ。またしても、タイミング悪く邪魔が───いや、制止の声が掛かる。
ヴォルフが、思わず目をぎゅっと閉じた。
アリアナは訳がわからず、取り敢えず握っていた歯ブラシを手放す。
「さすがに、こんなところで、ってのは余裕が無さすぎるんじゃないか?」
「ッ、───…うるせぇよ……クソ親父。」
「おお、こわい。」
凄むヴォルフに、微塵も震え上がってはいない様子でランドルフが近付いてくる。
そして、アリアナの手を取ったかと思うと、スルリ、とヴォルフの囲いから連れ出した。
それから、アリアナの顔を眺めて言う。
「…………なるほど。」
「?」
「確かに、これはヴォルフが可哀想だな。」
「え?」
「……余計なこと言うな。」
ヴォルフが苦々しく吐き捨てる。
「そんなに辛そうにしてる我が子を、放っとけると思うか?
──余計だと言うなら自分で何とかしてみせろ。」
それを、ランドルフが説き伏せた。
しばらく睨み合いが続いたが、ヴォルフが折れる。
「はあ…………分かってるよ。──外してくれ。」
「ああ。なら良い。」
そう言って、ランドルフはアリアナに笑いかけた後、洗面所から出ていく。どうやら、手洗いから部屋へと戻る途中だったようだ。
「えっと……ヴォルフ……。」
「待て…………取り敢えず、送る。」
「う、うん…。」
アリアナは、ヴォルフの後ろをとぼとぼ、とついていった。
「リア。」
「……………ヴォルフ。」
「…大丈夫。今日はひとまず寝ろ。」
部屋の前へやって来ても、浮かない顔をしたままの婚約者様。彼女に、おやすみ、と言って額にキスしようとしたところ、それを押さえられた。
「まって……寝れないよ。眠れるわけない。
……さっき、ランドルフさんが言っていたのは、どういうこと?」
君が………「可哀想だ」って。──「辛そうだ」って。
「今……何か、私に関することで、まずいことがあるなら、教えてくれないだろうか?
言ってもらえたら、直せるように全力を尽くすよ。」
そう誓う。
自身の胸に手を当て、不安そうにしながらもしっかり見上げてくるその姿に、ヴォルフはついに観念した。
……俺は、あの夜会の日に比べて、すごく我慢強くなっていたと思う。
アリアナを誰の目にもつかない部屋へ誘導することも無かったし、それとなく同意とも取れる言葉を引き出すこともしなかった。
……だけど、「我慢出来る」だけで、それらの感情が無くなった訳ではないのだ。
我慢した分だけ、着実にフラストレーションは貯まっていっている………これほど頻繁に、そして軽率に煽られていては、尚更だ。
誰も悪くないのに、それが暴発してアリアナに矛先を向けてしまう───だなんて悲劇が起きる前に、先手を打つのも…………ひとつの手なのかもしれない…………。
ヴォルフはため息をついた。
「じゃあ、言うけど。」
「!…………うん……っ!」
「お前を抱きたい。」
「……………………………?」
止めろ。頼むから「え?今日もぎゅっとしたよな……?」って顔を素でするな。どうなってんだ、貴族の──いや、マクホーン家の教育は。
そのまま彼女が両腕を開いて見せる前に、ヴォルフはアリアナの耳元にずい、と顔を寄せて言い放った。
「───────。」
「っ!?!?!?!」
…ようやく意味を理解したらしいアリアナが顔を真っ赤にさせる。
───ちゃんと、分かっているつもりだった。
だけど、結局はどこか伝承染みていて。実際のところ、リアルさはなく、ほとんどその手前のじゃれ合いのようなものまでで、アリアナの認識は止まっていたのかもしれない。
──まさか、本当に『君』が、『私』を??
「なっ、そ、そういうのは、結婚してからするものじゃ……?!」
「うん。」
「えっ……、と言うか……今?!?!」
「うん。」
アリアナが、あたふたと無意味に手を振る。
だって、だって。夜会の時みたいに、何か雰囲気がすごく盛り上がっている訳でもないのだ。
今日に至っては、ただ、そこに存在していただけなのに…?!
──まあ、ヴォルフからすると、普段見せない襟ぐりが大きく開いたネグリジェ姿で目の前をうろつかれるだけで、相当な破壊力なのだけど、それはアリアナの知るところではなかった。
ここまでストレートに言われて(言わせて)、やっといろんなことに気が付く、と言うのも大概だけれど、更に悪いことをアリアナは自覚してしまった。
───私、きっとヴォルフに本気でお願いされたら、断れない。
……それ程に、彼に惚れきっている。
「……これは………確かにまずいな……。」
「うん。」
「えっと、今までごめんなさい………。」
「うん。」
「これから私も気を付けるけど、何かあったら遠慮せず言ってくれ…!」
「うん。」
「け、結婚までには、ちゃんと勉強しとくから……!」
「………うん?」
「ぉ、おやすみなさい……っ。」
「……ああ、おやすみ。」
アリアナは急いで扉を閉めてしまった。
これからしばらく、彼女は意識してしまって俺に身体を触らせないだろう。
おやすみのキスをしそびれたことだけが、ヴォルフは心残りだった。




