鹿騎士と狼商人の挨拶
「……そろそろ行かなきゃな。」
馬車を待たせ過ぎた。
そう言って、ヴォルフが肩を竦める。
「そうだね………。」
ヴォルフとアリアナは、今一度マーナガラム一家の元屋敷を眺めた。
あの後、泣いてしまうんじゃないかと心配したヴォルフは、ひとしきりアリアナを抱き締めて─なんなら、『お返し』ではない初めての『彼女からのハグ』にご満悦だった─「もっと慰めて」と駄々をこねた。
それが、彼流の照れ隠しだと理解出来たので、アリアナはしょうがないなぁ、という顔を作り「ご挨拶が済んだらね」と言って離れたのだった。
出来上がったコーヒーも飲み終わり、彼の案内で屋敷を回って、ちょうど今、玄関前へ戻ってきたところである。
彼の成長を印した柱の傷。
父と取っ組み合いの喧嘩をしてブチ開け、母にバレないよう2人でコッソリ修理した壁の穴。
小さい頃遊び倒した、父お手製のブランコが掛かっていた木。
きっと、人を雇っているのだ。埃を被っている所は無く、大切にされているのが分かった。
決して、貴族の屋敷のような豪華さや、派手さはないし、中身も家具と呼べるものもなくがらんどうなのだけど。
そこには、確かに。ヴォルフの、そして、家族の思い出が至るところに詰まっていた。
今の彼を形作る、起源となった家。
同時に、ヴォルフを縛る足枷ともなった、特別な土地。
ひっそり佇む屋敷は、家族の帰りを待っているようにも思えた。
家も、鍵を閉め終えて隣に立つヴォルフも、なんとなく、寂しげに見える。
───ごめんね。
でも、もう。彼はここへは帰らない。
今までヴォルフを支えてくれて、ありがとう──
「ヴォルフ。」
「……うん?」
アリアナが、勇気づけるように、ヴォルフの手を握った。
「……早く、君と結婚したい。」
「!」
ヴォルフが、目を丸くした。彼女からそんな風に表現されるのは初めてだったから。
──「早く」、だって?
アリアナが肩を竦める。
「もう、待ち切れないんだ。
お願いだから、私を君の両親に紹介してくれる?」
「、はははっ!」
ヴォルフが堪えきれない、と言う風に笑った。
………きっと、彼は近いうちにここの所有権を手放すだろう。
そして。
彼は、これから、あの小さな家に帰るようになる。
あの、今はまだ、大きなベッドしか家具がない家。
きっと、今にたくさんの思い出が、溢れるだろう家。
───いや、必ずそうしてみせる。私が。
それが当たり前になったら、いつか分かる日が来る。
帰る場所は、土地じゃない。
人の元なんだ、って。
それを分かっていないから、今は気負っているけれど、いずれは。
いつだって君は、簡単に君の「父さん」と「母さん」の元に『帰れる』ようになる。
そして、大体は──────私の元へ。
アリアナは、訓練で良く転々と野営をするから、それが分かっていた。
帰る場所は、仲間がいるところ。
家族がいるところ。
好きな人が、いるところ。
そして、決意を新たにする。
彼のご両親に会わなければ。
会って、────彼との結婚を認めて貰うのだ。
◇◇◇
彼の両親が住む家へ着いたのは、昼前だった。
ヴォルフが荷物を持って、すっ、と地に降りる。
アリアナがその隣に立った。
朝からお世話になっていた馬車が、ようやく役目を終えて、次のお客を探しに駆けて行く。その音に紛れるようにして、ヴォルフが深呼吸した。
「…緊張してる?」
「…お前はしないのか?」
「そりゃあしてるよ。
でも、そうだな……今は、『楽しみ』って方が勝ちそうだ。」
「すごいな、お前。」
ヴォルフが苦笑いし、アリアナの頬を撫でた。凍った湖面の瞳が、アリアナだけを映す。
そして言った。
「───俺は。
お前といると………──勇気が貰える。」
「……どうしたんだ?急に。」
アリアナが可笑しそうに笑った。それに、ヴォルフが肩を竦める。
「茶化してるんじゃないぞ。……これはマジだ。
自分を信じて歩いているリアを見ると………俺は安心する。
俺の歩いている道も………『きっと間違いじゃないんだ』って。」
「……間違いな訳ないよ。」
「ああ、もちろん。その通りだ。
でも、たまに考え込んだりする。
『本当にこれで良いのか?』って………。」
きっと、ついてきてくれる大切な仲間たちは、ヴォルフの誇りを尊重はしても、理解は出来ないだろう─────度々訪れるこの不安も。
「………。」
彼の、言わんとするところは何だろう。
アリアナは黙ってヴォルフの瞳を見つめ返した。
ヴォルフが、アリアナの手を取る。
そして、ニッ、と笑った。
「でも…………
目的のための手段が、一生の『夢』になったりもする─────そうは思わないか?」
「!
それは────」
…………それは、覚えがありすぎる。
アリアナが笑って頷いた。
「リア、お前を愛してる。
─────────さあ、準備は良いか?」
「…もちろん!」
その答えを受けて、ヴォルフが迷いなく呼び鈴を鳴らした。
───キィ………。
「─────…ヴォルフ。」
少しも経たず開いた扉から姿を現した男性が、まさしくヴォルフの父君であるということが、一瞬で分かった。
顔が、そっくりだ。
「……ただいま、父さん。」
「ああ、お帰り。」
笑って、2人は頬を合わせる仕草をした。
ヴォルフの父の後ろから、女性の声がする。
「ヴォルフ!」
「母さん。」
「もぉ、待ってたわよ~!お帰り!」
「…ただいま。」
それは、何か──絵画か、写真にでも納めておきたいような光景だった。
さっきまで緊張していたヴォルフも、それが嘘みたいに、この枠にはまっている。一切のブランクを感じさせない家族の風景だった。
アリアナが、自分でも不思議なほど感慨に耽っていると、ヴォルフの父がアリアナへ目を向けた。
「──彼女が?」
「そう。婚約者のアリアナだ。」
「そうか………やあ、アリアナ様。
ヴォルフが世話になってるみたいで。
父親のランドルフ・マーナガラムです。
お会いできて本当に嬉しいですよ。」
「…………!」
そう言って、挨拶のため顔を寄せてきた父君に思わず固まってしまう。
しまった。完全に、それを返すタイミングを逃した。
それに気付いて、ランドルフが遠慮がちに笑う。
──あああっ、違う!!何か、誤解をさせている!
婚約者殿にそっくりな顔─実際、よく見るとランドルフの方が垂れ目だった─が、急に近づいてきたことに驚いただけで!決してあなた方と私の、身分の違いをとってのことじゃ………!!!
その現場を、ヴォルフが隣でニヤニヤと見ている気配を感じる。どうやら、助け船を出すつもりは無さそうである。この裏切り者……。
増援を期待できない、と悟ったアリアナは「ええい、ままよっ」と、父君に抱き着いた。
「!」
「初めまして。アリアナ・フロージ・マクホーンです。
ええと、その。私、ミズガルダの文化に、まだ馴れていなくって。
私も、あなた達に会えて、とても嬉しいです。
私の言葉、しっかりと伝わっていますか?」
ミズガルダとアスガルズの言語は共通だが、地域によってはイントネーションやニュアンスが全然違ったりする。
言語の発祥はアスガルズだと言われているけど、普段聞いている訛りと違えばお互いに聞き取りづらいので、歩み寄りをして然るべきだろう。
そう思って、気持ちゆっくりめに言葉を紡いだ。
「…ええ。伝わっていますよ。」
ランドルフが、アリアナをぎゅっ、と抱き締め返した。
──なんて、気持ちの良い娘だろう。晴れわたった空のように、暖かくて、心地よい雰囲気を纏った女性だ。
「おい。そろそろ離せ。」
それを、ヴォルフが間に入って制する。
この婚約者様は、油断してると本当にすぐ人をたらしこもうとする。
ランドルフが軽く肩を引き上げてからアリアナを離すと、次に柔らかい衝撃がアリアナを襲った。
「や――ん、可愛いっ!あたしもハグハグ~。」
「わっ。」
ぴょんぴょん、と跳ねて抱き着き、しばらく経ってからようやく顔を見ることが出来た。
「うふふ、思ってたのと違うわ。もちろん、良い意味でねっ♪
遠いところからようこそ、アリアナちゃん!
ヴォルフの母親、スカーレット・マーナガラムよ。よろしくね。」
「アリアナ・フロージ・マクホーンです。よろしくお願いします。」
赤毛で切れ長の瞳が美しい美人だ。
『ちゃん』付けで呼ばれたことなど無いので、ちょっと照れてしまう………でも、歓迎の気持ちはビシバシ伝わってくるので、純粋に嬉しい。
「さあ、入って入って!
ヴォルフの手紙が来たときから、あたしスッゴく楽しみにしてたの!
今日だって、もう随分前からご飯の準備が出来てたのよ。
アリアナちゃんの苦手な食べ物が入ってないと良いんだけど…。今から温め直すわね!」
ぎゅ、っと手を握って、ルンルンで家へと招き入れられる。ヴォルフとランドルフは、その勢いに慣れた様子で後から続いた。
「ここで座って待ってて。え――と……」
リビングの二人掛けソファにアリアナを座らせると、スカーレットは目の前のローテーブルに置かれていた数冊の分厚い本を手に取り、背表紙を確認し始める。
そして、振られた数字の若い順に積み上げた。
「……じゃーん!アルバム!
ヴォルフが産まれてからの物よ!ぜーんぶ引っ張り出してきたの。これでも見ていてね。」
「あ、ありがとうございます…!
えぇと、でも何か出来ることがあれば私もお手伝いしますが…。」
「えっ?!ああ、良いのよ。気にしないで?
それにあたし、キッチンには人を入れない質なの。」
「そうですか……。」
その瞬間、スカーレットが顔色を変える。
「………あっ、違うの…!
息子の恋人に意地悪してるんじゃないのよ?
その~……何て言うか…………。」
スカーレットが眉根を寄せて考え込んだ。
だけど、上手く形容出来無かったようで、困ったようにアリアナを見つめる。
「…ごめんなさい。でも、ホントにそうなの………ヴォルフにも聞いてみて。」
途端に勢いが無くなったスカーレットに、アリアナは笑った。
「大丈夫です、理解していますよ。
家庭を守る女性にこそ、家庭内にテリトリーが必要ですから。」
「!」
マクホーン家でもそうだった。
マリアムにとっては、自身の寝室がそれで、決して中に人を入れようとはしなかったのだ。…きっと、日によっては起き上がれないほどに体調を崩す自分を見られたくなかったんだろう。本当にまずいときは、母に呼ばれて、父だけが入室を許可されていた。
「……ふふっ。」
「?」
スカーレットは嬉しそうに笑った。
当然のことであるが、この家に、今まで自分以外の女性はいなかった。だから、こうして『理解される』のは初めてだ。ものすごく気分が良い。
「アリアナちゃん、ご飯もうちょっと待てる?」
「え、ええ。それは全然…?」
「そ。良かった!」
スカーレットがうきうきとキッチンに向かった。
せっかくだもの、食後のデザートも作っちゃおう!
「父さん、ちょっと話がある。」
「ああ。」
ヴォルフはランドルフと廊下で話し込んでいる。その間に、アリアナは用意されたアルバムへとありがたく目を通すことにした。
◇◇◇
「わぁ………。」
どのページを見ても可愛い。なんだ、これは。
アリアナは、休むことなく手を動かしていた。もう、一冊目を見終わりそうだ。
どれも、とても幸せそうな良い写真ばかりだ。写真館で撮ったのであろう家族写真を主に、色々な写真が飾られていた。
殊更に気になったのは、幼いヴォルフが一匹の犬………?と一緒に写っている写真。
「これは………」
「──うわ、それ。
…………母さん、……勘弁してくれよ……。」
ちょうど、ヴォルフがリビングへと入ってきた。どうやら、ランドルフとの会話が終わった後、アリアナの荷物を何処かへ運んでくれていたらしい。
そして、一目で状況を把握したようだった。
「なぁに~、呼んだぁ?ヴォリー!」
「ヴォリー……。」
「いやっ、いい!!何でもないよ、母さん!」
キッチンから飛び込んできた大声に、ヴォルフも大声で返す。アリアナが笑った。
「……はあ。」
「荷物を運ばせてしまってすまない……ありがとう、ヴォルフ。」
「ああ、いや別に良い。
あの勢いには誰も逆らえないからな。後で部屋も案内するよ。」
「分かった………ふふ、良い家族だね。」
「うん。……まあ、な。」
「それに、可愛いあだ名だ。」
ヴォリー?
「………。」
ヴォルフは、面白く無さそうに口をつぐんだ。
少々眉を歪める。
当時より、可愛過ぎてその愛称で呼ばれるのは恥ずかしかった。
ヴォルフはどさり、とアリアナの隣に腰掛ける。
「だろ?俺ってばこの頃女の子よりも可愛かったからな。」
色々とやけっぱちになって、ヴォルフは開き直った風に言った。
「皆に "ヴォリー" って呼ばれてたの?」
「いいや、そう呼ぶのは母さんだけだったな。
そもそもヴォルフ自体が短くした名前だから。」
「そうなのか?」
「父さんは、最初俺を "ヴォルフガング" って名前にしようとしてたんだってさ。だけど、『もっと呼びやすくて親しみ易い名前の方が良いだろう』ってなってな。
そうだ……変わり種では、 "ルフィ" って呼ぶ奴も居たか。」
それを聞いたアリアナが、「至極同意だ」と言わんばかりに、うんうん、と頷いた。
「なるほど、確かに親しみ易さは重要だ。何に置いても、ね。それでなんだけど──……」
「うん?」
「私は君のこと、
……… "ルゥ" って呼びたいんだけど、どう思う?」
…………これも、可愛すぎるだろうか?
アリアナは少しだけその頬を染めながら言った。
君の真似では無いんだけど、私にも私だけの君の呼び名があるといい。
そう思ってしまった。君の生家を訪れ、私の知らない君の歴史を感じてしまっては、なおさら。
「…。」
………本当に、お前は。
ヴォルフは内心頭を抱えた。
───俺ばっかり舞い上がらされてる。
ちょっとの悔しさはあったが、それ以上に気分が良かった。アリアナがどんな形であれ、自分を欲しがってくれたのが素直に嬉しい。
……で、なんだ。ルゥ?
ヴォルフは天上から舞い戻ってきて、よくよく考えてみた。
………いや、正直悪くない。リアの口から舌っ足らずにそう呼ばれるのは、なんと言うか、こう──相当にクるものがある。
「あっ。もちろん、君が嫌なら呼ばないよ。」
慌てて逃げ道を作ろうとしてくれるアリアナを制した。
「──良い。お前の好きなように呼べよ。」
いつでも応えてやる。
そう言って、アリアナの柔い頬を、ヴォルフが撫でた。
その後も、アリアナが楽しそうにページを繰るのを見つめる。たまにアリアナが「これは何の時の写真?」と話を振ってくるのでその都度ぽつぽつと答えた。
正直ヴォルフはつまらない。
過去の俺なんか見て何が楽しいんだ、隣にいる俺だけ見てろ───と、思わなくもなかった。が、アリアナがあんまりにも夢中なので、それは胸の内に留めた。
一冊目の最後まで見て、気になっていた写真のページに戻ってくる。
「この、犬と写っている写真だけど…………いや、これは───『犬』か?」
どこからどう見ても、狼だ。
アスガルズでは、野生動物を飼うときその危険性ゆえ、かなり厳重な飼育能力と管理責任の審査が課せられる。だから、アリアナにとって─いや、たぶん他の誰でも─、こんなに小さな子供が、気安く狼と写っている様は異様だった。
「犬だよ。」
「……本当に?」
ヴォルフが、ぷっ、と吹き出す。
「本当だよ。
見ろよ、この時点でコイツは成犬だけど、狼にしては小さすぎるだろう?」
「う、う―――ん……??」
いや、狼にしては小さいけど、犬にしては大きいよ。たぶん。
「さてはお前、犬を飼ったことないだろ。」
「……ないね。」
「……飼いたいって言ったら、怒る?」
「それって素敵だ。」
「やった。」
ヴォルフが屈託なく笑った。
そして、「まあ、コイツは父さんが山から拾ってきた犬なんだけど」と呟いたのだった。




