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狼商人は語る

「ボス、手紙が届いてる。」


「ああ。ありがとう、レイバン。」


 ヴォルフが、手渡された手紙の差出人を確認し、素早く封を切って中身を改めた。


 終わりまで読み、更にもう一度、目を通す。


「はぁ………。」


 ヴォルフはため息をつきながら、ペンを取った。恋人へ手紙をしたためるためだ。

 本当は、電話で連絡を入れれば早いのだけど、出来る限り先延ばしにしたい気持ちが、無意識に先行していた。





 アリアナは、寮監を通して受け取った手紙の内容を読み、微笑む。


 どうやら、ようやく婚約者殿のご両親に会えるらしい。


 綺麗で、やや右への傾きが強い文字。それで記されているのは、「『有休が取れれば』で良い」とやたら念押しされた実家へのお誘いだ。

 この様子を見る限り、どのタイミングでもご両親の都合は良いようである。


 こちらに合わせてくれると言うのであれば、早ければ来月──2週間後の週末には休みが取れる。


そのように、ヴォルフへと返信した。




◇◇◇




「見て!ヴォルフ、鯨がいた!」


「ええ?どこだ??」


「分からなかったのか?!あそこだよ、12時の方向だ。」


 アリアナが、珍しい景色を見逃してしまいそうな恋人に、視野を合わせて方向を示そうと、ヴォルフの胸に収まった。


「ほら!すごく綺麗だ!親子かなぁ?」


「……そうだな。」


 対するヴォルフは全く鯨を目視する気はないようで、無防備に自身の懐へ身を寄せたアリアナに目を向けていた。今日のアリアナは、「良家の娘」といったワンピースを着ている。ふわり、とその長くて軽すぎないスカートの裾が海風に揺れた。



 アスガルズからミズガルダへ向かう客船。今いるのはその展望デッキだ。



 はしゃぐアリアナに、ヴォルフは内心ため息をつく。


 ミズガルダの港まで、一日かかるので今日は船上泊だ。貴族の習わしに則って、部屋は別々に取ってある。

 ──だが、今この船にはお咎め役は乗っていないのだ。

 それを、リアは分かっているのか??


 手摺に身を預け、景色に夢中になっているその警戒心の欠片もない後ろ姿を、ぎゅう、と抱き締めてしまいたくなる。


 今なら、彼女を自身の客室に連れ込んでも、誰も文句は言わないのだ。


「───ヴォルフ?」


「………うん?」


 手摺と自身の間に立っていたアリアナが、こちらへ頭だけを振り向かせたので、ヴォルフはその頬を優しく撫でた。


「……………こら。見ていなかっただろう?」


 少し、アリアナが唇を尖らせて言った。


 ──あ。なんだそれ、可愛い。


「うん。悪い。」


 肩を落としてヴォルフから距離を取ろうとしたアリアナを、その腰に腕を回すことでもう一度手摺との間に閉じ込めた。


「──冗談。『見てない』っていうより、『見えない』んだよ。お前、目が良いな。


どこだ?もう一度教えて。」


「本当かな……。」


 と、アリアナが疑わしげにヴォルフを見る。それを肩を竦めることでいなした。


「………良い?ほら、あそこだよ。


あっ!ほら、潮を吹いてる!!」


「お――、本当だ。」


 ヴォルフはようやっとそれを確認出来た。

 動くものには結構反応出来るのだが、それ以外は割と鈍い方なのかもしれない(あくまでもアリアナに比べると、である)。あの遠さだと、鯨はほぼ止まって見えるだろうから、彼女に言われなければ気づけなかった。


「教えてくれてありがとう。初めて見た。」


 と言うか、思い返せば、海の景色はあまり見ない方だった。着いた先での勝負に備えて体力を温存するのが常である。

 そもそも、仕事以外で国境を渡ることはあまり無かったかもしれない。


「……それは、良かった。」


 アリアナは、少しどきどきしてしまった。耳のすぐ後ろからヴォルフの声が聞こえることに、慣れない。



 ──やれやれ。


 ヴォルフは我慢できずアリアナを抱き締めた。


 赤く染まった耳が見えてしまったので、押さえきれなかったのである。

 このくらいで照れてしまうなら、最初から俺のパーソナルスペースに入り込まなければ良いのに。どうやら「意識してしまうこと」と「そうでないこと」の判別が彼女自身、まだまだ付けられていないようだった。



 でも、今はもう、彼女を想うこと───想いを煽られること自体に、罪悪感や焦りを感じる必要は無くなったんだよな。



 ──それが。こんなにも幸せだなんて。



 その幸福を感じきって、ヴォルフは彼女を解放した。



 とぉ――くの方で、遠吠えのような物が聞こえた気がしなくもないけど、それには心のなかで耳栓をして聞こえない振りをしておいた。



「………。」



 アリアナがそっとヴォルフへ振り向くと、彼は幸せそうに、熱のこもった瞳でアリアナを見つめていて、蕩けるような微笑みでもってアリアナに応えた。



 ……うぅ……。


 アリアナは呻く。


 やめてくれ、そんな目で見ちゃいやだ。


「どうした?」


「いや………」


 君の、容姿や性格は、私にとって好ましいものだと言える。

 だけど……。



 その視線ひとつにすら、くらくらしてしまう。



 ────だなんて。


 言ったら、君は笑うだろうか……?



 アリアナは、少し迷ったあと、それでも伝えることを選んだ。


「──私、君の瞳が好き。」


 「…これはもう言ったっけ?」と、首を傾げたアリアナに、やっぱりヴォルフは笑った。


「そりゃどうも。」


 極めつけに「何度でも言えよ」、とその耳に吹き込んだのだった。




◇◇◇




 「───……ちょっと、寄り道したい。」


 翌日の朝、船上で食事を終え、アリアナたちは人で賑わう港に降り立った。


「良いよ。どこに行くの?」


「…着いてからのお楽しみだ。」



 ──着いてからの、お楽しみ?


 アリアナは不思議に思った。

 久しぶりの祖国。実家でなければてっきり、銀行か、郵便局へでも行くのかと。どこへ向かうのだろうか。


 ヴォルフは、前もって予約しておいたのであろう馬車に彼女を乗せると、自身もそれに乗り込んだ。


 何となく、車内には緊張感が走っている。アリアナには、それが分かった。分からないのは、ヴォルフが何でもないように振る舞っていること。


 でも、アリアナはあえて、何も言わなかった。

 彼を、信頼している。目的地は危ないところでは無いだろう。なら、このままでいい。





 馬車は、港から太陽の方向──概ね東へ進んでいた。


 ヴォルフから聞いていたご両親の住む家は、港から少し西へ向かった所のはず。


 なので、全く関連性のない場所で─他国から来たアリアナにとってはどこもそうだが─馬車が止まったことにも、アリアナは特段驚くことは無かった。


 すとん、と降車する。


 ヴォルフはエスコートした手を離そうとはしなかった。


 アリアナは笑う。


 ──安心して。私は絶対に、逃げたりしないよ。

 君が不安なら、ずっとこの手を繋いでいるから。


 ヴォルフは握り返された手に、固くしていた表情を少し和らげると、慣れた調子で鍵を取り出した。


「……ちょっと、コーヒーでも飲んで行かないか?」


「良いね!」


 アリアナはそう言って笑ってみせた。もちろん、周りに広がるのは閑静な住宅街で、眼前にそびえる屋敷も全くカフェには見えないのだけれど、その誘いを断る気なんて、彼女には毛頭無かった。




「リア、ミルクと砂糖は──、…しまった。ミルクが無い。」


「じゃあ、お砂糖を2つ。」


 アリアナはクスクスと笑ってヴォルフに伝えた。

 彼はどうやらブラックコーヒー派なようだ。「悪いな」と告げて、コーヒーを淹れ始める。

 アリアナの方は、コーヒーより紅茶派で、特にその淹れ方や豆の種類にもこだわりがない。少し甘ければそれでいい。


「さて……」


 ヴォルフが、キッチンの前にあるテーブルまでやって来た。

 アリアナは既にそこの椅子に座っている。……というか、座るところがここしかない。


 この立派な屋敷には、家具がほとんど無いのだ。


 ヴォルフはテーブルを挟んでアリアナの向かいに座った。


 コーヒーが落ちるまでに、何から話すか……。


 と言った感じのヴォルフに、アリアナが静かに問い掛けた。


「………ここは、ヴォルフの家?」


「ん、まぁ、そうだな。───いや、そう()()()家、だ。」


「………。」


 ヴォルフの纏う雰囲気が、一層硬くなる。ふぅ、と彼から息が吐き出された。


「…実は、両親に会う前に、お前に話しておきたいことがあって……」


「そうなの?…それは、どんなこと?」


「………、」



 ヴォルフが、上唇を舐めた。



 ────……わあ。………君って。


 アリアナは思わず微笑む。


 ──話したく無いことを一生懸命伝えてくれようとするとき、そんな表情(かお)するんだな。



 ……君のことを知れて、嬉しい。

 そう、思ってしまう。

 なんて、光栄なことなんだろう、って。



 どこまでも暖かい緑の瞳を見て、ヴォルフの心が凪いでいく。


 ──…言ってみようか?


 リアが、いつもしてくれるみたいに────そう、ひたすら、真っ直ぐに。


 ヴォルフが観念したように笑った。それが合図。


 ──さあ、どんと来い!


 そう言うみたいに、アリアナが姿勢を正した。



「リア……聞いてくれる?」


「もちろん!」



 アリアナが破顔した。



◇◇◇



 マーナガラム家は、裕福な家庭だった。

 そう……今からちょうど10年程前までは。


 ヴォルフの父は金貸しを生業としていた。

 学生時代、経営学を学んだ父。そして母も、女だてらに金の計算が飛び抜けて出来たため、2人で始めた会社はそう時間をかけずに軌道に乗った。


 小さいながら、地域に密着し、その土地の経済を回すのに一役買うようにすらなって。

 その経営には何の問題も無いように思われていた────が。


 ただ一点。


 ヴォルフの父には、人を見る目が無かった。


 正確に言うと、一旦懐に入れた人物が心変わりをすることを───そう、まさか金庫の有り金を全て盗んで逃走するだなんて───想定もしていなかったのである。


 犯人は、度々両親の会社を手伝いに来ていた青年。

 地元の大学に通う貧乏な学生で、卒業後はこの会社への入社が決まっていた。

 だけど、何を思ったか彼は──噂によれば、当時交際していた女性に唆されたのだ、と言われているが定かではない──世話になっているヴォルフの両親が、その日たまたま交通事故に遭ってしまったヴォルフの看病に掛かりきりになっている間に、堂々と事務所から鍵を持ち出して、犯行に及んだのだ。



 しばらくして、犯人は捕まったが、金が返ってくることは無かった。経営する会社の信用は地に墜ち、畳まざるを得ない状況へと追い込まれてしまう。

 被害金額を穴埋めし、従業員たちの退職金を補償するため、家と土地と家具を売った─────それが、この家だ。



 それにより、ヴォルフはこの齢にして世知辛い手のひら返しを経験することとなるが、それは彼の鑑識眼をより強く、正確なものへと引き上げるきっかけともなった。



 そんなことよりも、ヴォルフが耐えきれなかったのは


 ────否、許せなかったのは。



 父が、そこからの再出発をしなかったこと、であった。



 ヴォルフは、父を心の底から尊敬していた。

 彼ならば、この苦境からも、必ず返り咲いて、なんなら前よりも大きな会社を構えることが可能だと思っていたし、父にはその情熱がある、と信じて疑わなかったのだ。




 しかし、父は引っ越した小さな家で、古ぼけたギシギシ音を立てるロッキングチェアに腰掛け、




 「これで満足だ」─────と、言った。




 その時、ヴォルフの中で、何かが崩れ去った。



 夢から醒めた、と言っても良いかもしれない。



 完全無欠で、理想だったスーパーマン。

 だが、()()()()()()()()()()で、いとも簡単に、綺麗さっぱりと、彼からその輝かしい能力は失われてしまった。



 ──こんなことが、あって良いのか?



 ……………………………いや、良いわけがない!!!!



 当時、ヴォルフは16歳だった。

 家を─彼はそう思っていないが─飛び出して、独学で経営を学び、まず果物を売って元手を稼いだ。

 色々な教授の講演会に顔を出していたヴォルフは、ある優秀な学者の目に止まり、彼の誘いで本格的に起業の勉強をするため、大学に通い始めた。


 役に立つと思ったことは何でもやったし、学びを得られる人間からは、何でも教わった。


 最短距離で、グングン進む。


 磨かれ切った人を見る目が、ここに来て真価を発揮したのである。


 失敗が無いわけでは無かった。むしろ、駆け足で前に進んでいるのだから、その分短いスパンで苦悩は訪れていた。


 だけど、その度に。


 得難い仲間たちが集い、彼を支えてくれた。ヴォルフの守ろうとする力が、取り戻そうとする強い信念が、あらゆる人間を惹き付けて止まなかったのである。




 親元を離れて5年後、彼は、『彼の実家』を取り戻すことに成功していた。


 これは、ヴォルフにとって、記念すべき節目であり、両親たちにとってもそうなると思っていた。



 ──だけど、そうではなかった。



 久々に帰った家には、母の趣味である季節の花々が咲き乱れ、木々の間には、父が作ったのか、ゆったりとした寝心地の良さそうなハンモックが。そして、家の中からは、楽しげな笑い声と、のんびりとした音楽が聞こえて。



 ヴォルフは、いやな予感に胸が軋んだ。



 ──いや、違う。これは、ただの疎外感だ。5年も経てば、感じて当たり前の。



 そう、自身へ言い聞かせた。



 だけど、それは───『やはり』と言うべきか。ヴォルフの、間違いだったのである。



「お前の気持ちは嬉しいよ。だけど───


父さんと、母さんはあの家に戻るつもりは無いんだ。」



 ヴォルフは、家に一歩も踏み込むこと無く、その場を去った。



 とても、そこにはいられなかった。



 走って、走って、



 やっとたどり着いたのは、彼が取り戻した、彼の生家。



 俺の、俺()()の─────







 ヴォルフは、それから本当に、精魂尽き果てるのでは無いか、という勢いで、仕事に打ち込んだ。

 彼には、もう、それしか出来ることはなかった。


 『実家』は戻ってきた。


 だけど、まさしく、戻ってきたのはそれ()()であった。



 過去は、戻ってこない。


 父の情熱も、

 俺の憧れも、

 あの時の、生活の全てが。





 もう、戻ってこないのだ───。





◇◇◇



 手放してみると、経験と金以外に、この手に舞い込んだものはたくさんあった。


 立派に形となったマーナガラム商会と、ついてきてくれる仲間と。



 ────そして、目の前に座っている彼女。




「あれを………『帰省』の一回にカウントして良いなら、『父さんたちの家』に帰るのは、5年ぶりだ。」



 ……ああ。

 ………………彼女は、どう思ったかな?



 彼女たちの一族は、不器用ながらも、お互いを大切にしている。


 対して、俺はどうだ?


 一方的に距離を取って、あまつさえ、裏切られた、と。

 都合良く、絶望して。

 一度も、家族を省みなかった。



 いや。それをしてしまっては、今までの俺が、全て否定されてしまう、と恐怖していたのだ。



 だが、今それを隠し通して両親に会っても、彼女はその不自然さに気がつくだろう。



 だから、話しておかなければならなかった。


 そもそも、いずれは解決せねばならない問題であったし、いい加減ヴォルフの方も心の整理がついた段階だったので、この機会に両親と会うのは良い。


 しかし、『人を大事にする』という行為において、ずば抜けた才能を発揮する彼女に、軽蔑されるであろうことだけが、ヴォルフは恐ろしかったのだ。



 黙ってしまったヴォルフの手を、アリアナが取った。


 ……16歳で、先達もなく社会に出るのはどんなに心細かっただろうか。


 いや、それ以前に。もしかすると、敏い彼は、犯行に及んだ男の不自然さを前から肌で感じていたかもしれない。

 どうして、止められなかったのだろう、と後悔した夜もあったかもしれない。はたまた、交通事故に遭わなければ、と自分を責めた時もあったかも。





 家族の歯車が狂ったのは、自分のせいだ、と───思ったことが?





 テーブルを挟んでいることが、もどかしい。


 君の緊張で固まった体を、抱き締めて溶かしてやりたいのに。



 ──いや。


 すれば良い。今すぐにだ。



 ヴォルフは離されてしまった手に、不安になった顔でこちらを見上げてきた。


 アリアナは、すぐさま椅子から立ち上がって、彼を上から被さるようにして抱き締めた。


 ああ、もう。

 君ってば体が大きいから、全然足りない。


 もっと、もっと、抱き締めてあげたいのに。



「君は、頑張り屋だな……。話してくれて、ありがとう。


余計に会いたくなったよ。君のご両親に。」


「………!」



 ヴォルフが下から彼女をキツく抱き締め返した。



 ──ほんと?


 俺のこと、きらいになってない?



 ヴォルフは、騎士じゃない。


 だから、その瞳に薄く涙の膜が張ったとしても─どうか、咎めないでほしい。


 アリアナが、それに気付いて笑った。



「君の瞳が好き───って、前も言ったな。」




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