狼商人と詐欺師の調停
その言葉の直後にすい、と離れてしまったアリアナの体温を残念に思いながら、ヴォルフはもう一度丁寧に礼を取った。
「………ほお、そなたが例の婚約者か。目に入らなんだ」
ニクラスがふん、と軽く鼻を鳴らす。直接「紹介する」と言われてしまっては、受けないわけにもいかなかったのだろう。
「よい。面を上げて名乗ってみよ」
「──有り難きお言葉」
言いつつ、ヴォルフがすっ、と顔を上げる。
瞬間、周りでハッ…と息を飲む声が響いた。
ヴォルフの冴えた美貌───それは集まった全てのギャラリーを、一時沈黙させてしまったのである。
その『美』は、アリアナの持つ美しさとは種類が違っていた。
彼女のは例えるなら──ふと、「世界はとても素晴らしいのだ」と気付かざるを得ないような大自然を見たときみたく、大きく深呼吸をしたくなるような美しさだ。
対してヴォルフの美しさは、高名な芸術家がその生涯と先人たちの遺した英知を駆使し完成させたみたいな──所謂、「世界にたった1つの逸品」を思わせるようなものだった。そんな洗練され尽くした美しさを、身に宿していたのである。
ヴォルフがアリアナと決定的に違うところは、美しさが武器になり得るということを十二分に理解している上、自分の魅力を底上げする数多の方法を知っていること、だろう。
指先や、毛の1本にまで渡る身振り手振りはもちろんのこと、声音や口角の持ち上げ方、瞬きや視線の動かし方に至るまで──ヴォルフは人を惹き付けるための手管を、全て心得ていた。
甘い微笑みと、優雅な仕草。
そして『商人』らしい「何を企んでいるのか分からない」という目の輝きが、その瞬間、ある種『貴族』には理解できないミステリアスな魅力を演出していた。
「どんなに完成された素晴らしい画も、そこに自分が入り込めばただの背景に出来る」。
ヴォルフはそれを自覚していた。
そしてまさに今、国王と彼の周りに集まる人々全てを含めた1シーンの中へ、見事自分という主役を嵌め込むことに成功していたのである。
「お目通りかないましたことに、心から感謝を。
この度アリアナ嬢と婚約いたしました、ヴォルフ・マーナガラムと申します。アスガルズ国王陛下……」
───初めて目があった国王は、立派な髭をたくわえた中老の男だった。
なるほど、威厳に溢れた面持ちと高貴な雰囲気を纏った人間である。
…まあヴォルフに言わせれば、「いかにも貴族といった感じの傲慢さが滲み出ているな」、ぐらいの印象であるが。
ニクラスは、ふむ、と胡乱げに目を細めながらヴォルフを見た。「…どうにもおかしなほど、際立った男であるな」と、年季の入った声で呟く。
「……さて……、若き商人ヴォルフ・マーナガラムよ。
知っての通り、結婚とは重要な結びつきである。家名に誇りを持つ貴族であれば、なおさらだ」
「仰る通りでございます」
と、ヴォルフは頷いた。ニクラスが、満足気に目を閉じる。
「うむ。………では、問おう。
平民であるそなたは、この崇高なアリアナに、何をしてやれると言うのかな?」
瞼が上がり、ニクラスの冷めた瞳がヴォルフを射抜いた。
しかし、その冷たさにヴォルフが堪えるなんてことは微塵もない。ただ身振りだけは殊勝を心掛けた。「痛いところを突かれてしまった」とでもいうように、肩をひょい、とすくませて言葉を紡ぐ。
「国王陛下のご懸念は、もっともだと言えるでしょう…。
いち商人である私が彼女にして差し上げられることなど、悲しい程に限られています」
言いつつヴォルフはアリアナの肩を優しく掴み、身を寄せた。
彼女がこちらを見る。ヴォルフはいたずらっぽくアリアナを見つめ返した。
愛しい人の耳元で揺れる、大きな緑の宝石。
それを、指の間で挟み煌めかせる。
「私に出来ることといえば───彼女のために、美しい宝石を用意することぐらいです」
その言葉に、周りからはこらえきれない嘲笑が漏れ出た。
「確かにかつて見ない程に大ぶりな宝石ではあるが、商人などやはりその程度」。と、言いたげな雰囲気が漂う中。
たった『一人だけ』が、その顔色を一変させていた。
(なぁ?───この安い舞台にもっと似合いの役者が、リア以外にいるとは思わないか?)
と、ヴォルフは目線を移し問う。
(例えば、俺と────)
「…………」
ヴォルフは、ニッコリと『彼』に笑って見せた。
もちろん、目は笑っていない。
凍った湖面の瞳は、氷点下をどんどん進んでいる。
────さあ。そんなところにただ突っ立っていないで。
(お前の真骨頂を見せてみろ、トリックスター)
◇◇◇
「……………」
アイスグレーの瞳が、確かにこちらを見ている───………。
それに気付いた男は、国王の隣で静かに目を細めた。
この国の王位継承者であり、偉大なアスガルズ国王ニクラスの唯一の息子───。
その名も『フレデリック・ロキ・アスガルズ』は、この平和な世界に飽き飽きしていた。
父ニクラスの治世は、実に平穏で、豊かで、満たされている。それを、臣下も国民も、他国の王ですらが喜び褒め称え、崇めている。
ただ、それがあたかも『偉大なこと』のように称されるのが、フレデリックにはずうっと前から疑問だった。
(『賢王』?…まあ、それでも良いさ。でも、なんでそれが『偉業』になる?)
そして思うのだ………「それは、先代が引き起こした戦争を収めたからだろう?」………と。
……なら、厳密に言うと父が偉大なのではない。
そう言われるべきは、戦争を『始めた者』である祖父だろう。
『平和な国を作る』という覚悟の証明のように、父は跡継ぎを一人に絞った──だから、この国の頂点を引き継ぐのは自分だけ。
故に、周囲の馬鹿共は言う──「お父様のように、偉大な王と成られてください」、と。
だが、成れるわけがないのだ。
だって、戦争はもう起こっていない。
父や、父が目を掛ける『マクホーン』の老いぼれのような、『終わらせた者』にはもうなれないのだ。今さら言っても後の祭り──だって、世界は平和なんだから。
「じゃあ、戦争を始めよう」。
(───だなんて。そんなそんな…滅相もない)
「謀反」?「反逆」?あるいは「革命」?世界に向けた「裏切り」、「暗躍」、「侵略」に「虐殺」………。
どれも面白そうだ。けれど、この国はいずれ自分の物になり、アスガルズは変わらず世界の中心であり続けるのだから……。
(…どうせ手に入れるなら、落ち着いた世界が良いに決まっている。そうだろう?)
フレデリックはその問い掛けに「そうだ」と返すべきだと分かっていた。
(…だが、だがなァ?)
それでもほんのちょっと。ほんのちょっぴりだけ、刺激が欲しい。
予定調和染みたこの世の中を、すこぅしだけ、面白くするような。
その手法が、リスキーであればある程、気持ちが高揚する。
だが、どれだけ自分が<それ>に近付いても、或いは足を片っ方突っ込んでぶらぶらっとしてみても、「何かが突然襲ってくる!」だなんてことは無いので、「なぁーんだ、こんなものか」と、いつもガッカリしてしまう。
──そう。これまで、<それ>に実体は無かったのだ。
漠然とした概念が転がるのみで、そこに明確な何かが居る気配はなかった。ただ『なんとなくヤバい』と勘が訴えるのみで。
でも今は、その真っ暗闇の中に、確かな息遣いと足音が聴こえる。………すぐ耳元で、何者かの唸り声がした。
氷玉のような双眸だけが、闇に浮かび上がって此方を見ている。
(ようやく現れたか)
──フレデリックは知らず知らず、にんまりと微笑んでいた。
(──────待ち焦がれたぞ。私の<破滅>)
◇◇◇
ヴォルフは辟易する。
(───コイツは『本物』だ)
国王のすぐ側に控える王子の、爛々と光る瞳。あれは完全にキマっている。
世間知らずとなまじ高い知能のせいで、恐怖心がバグっているのだろう。
たまにいる、底の無い奈落をその淵ギリギリで見下ろすことに快感を得る人種だ。
その瞬間『そちら側』が自身を捕捉しているなどとは考えもしていない──いや、それすらも刺激に変えているのかもしれない──という感じだった。
その証拠に、王子がこれまで散々してきた『火遊び』の一角を紐解くであろうマスプルヘイム産の宝石を突きつけてみても、「新しいオモチャを見つけた!」と言わんばかりにワクワクとした面持ちでこちらを見ている。
実のところ、マスプルヘイム共和国にて質の良い宝石が度々出土するのは、アンテナを張っている優秀な商人なら誰もが知るところであった。
彼らがこの金になる事業の発展に手をこまねいていたのには、それなりの理由がある。こう言った発展途上の国で、莫大な利益が出る仕事を局所的に浸透させると、貧富の差が生まれ内戦を引き起こしかねないからである。
現地の一部を買収し、人を雇用するというやり方では駄目なのだ。『国』として、仕事を統治する必要がある───つまり、国家事業である。
そうなると、『商人』ではおいそれと手を出せなくなってしまう。平民は誰も、マスプルヘイムという『国』にビジネスを持ち掛けられるようなコネクションを、持ち合わせていないのだ。
だから、マスプルヘイムを支援しつつこの事業を軌道に乗せられる者がいるとするならば、どこぞの王族か、それに準ずる強力な貴族家であろうということは察しがついていた。
そして、アスガルズの『貴族』、ユーストスが宝石について知っていたのが、決め手となった。
おそらく、王子の取り巻きのうち、誰かが宝石を猫ババしてアスガルズ国内に流している。そいつから詳細が漏れているのだろう。
まぁ見た感じ、刺激欲しさに王子がわざと裏切り者を泳がせていたとしても、全く驚かないが。
とは言え、「どうして宝石を流通させる必要があったのか」という理由までもが、芋づる式に判明してしまったことは、間違いなく奴の想定の範囲外だろう。
マスプルヘイムより産出した宝石の内、特に純度の高いものが、かの国より外へ持ち出されていた──殆どが、とある国の船によって。
その船を所有するのが、アスガルズ王国より西に位置する国、スヴァルタイン王国だったのだ。
『人』の動きは隠せても、『金』と『モノ』の動きだけは誤魔化せない。『商人』とは、それを見極めるプロなのだ。
ヴォルフは挑発するように上唇を捲り、歯を見せて嗤う。
(──さあ。…名前を伏せてコソコソやるってことは、パパに叱られたくは無いんだろう?王子サマ)
と、内心で自由の利かないフレデリックを小馬鹿にする。
スヴァルタインの姫君は、王家のみならず国民たちにも深く愛される、通称『妖精姫』だ。その美しさ、箱庭育ち故の純真さを、誰もが愛した。──それは、ヨートゥン帝国の第一王子さえも。
(ヨートゥンへの嫁入りが決まっている姫君に手を出したのは、黙っててやる)
と、ヴォルフはフレデリックを目線だけで脅す。いや、そんなのは聞こえが悪いか……ただ、『お願い』をしているのだ。…「バラされたくなきゃ手を貸せ」、と。
だって、貴族たちの目の前で踊らされるのが、アリアナであって良いわけがないのだから。
ヴォルフは黙って、眉を引き上げる。
(ほら。俺と踊れよ、王子サマ)
その瞬間、フレデリックの瞳が怪しく光った。
「…相当面倒な野郎に、手を出してしまったかもしれない」───。
と、ヴォルフはこっそりため息をつく。こちらが押しているはずだが、フレデリックは逆にそうされることを楽しんでいる。
「まあ、それもそうか」とヴォルフは勝手に納得した。戦後も関係が微妙なヨートゥンを相手に、婚姻が破綻してもおかしくない火遊びを仕掛ける奴が、マトモな訳がない。下手をすれば戦争一直線だ。
だが、宝石集めが趣味と名高い姫君はきっと、嫁入り道具の中へきちんと大粒の宝石を忍ばせたに違いない。それは彼女にとって、アスガルズの貴人から贈られた、きらめく愛の証だから。そして、うっすらと涙をためて、ヨートゥンへと向かったのだろう。
「良い思い出だったわ」、と。利用されていたとも知らずに、そう言って。
───さながら、結婚詐欺師の手口である。
ヴォルフは内心ため息をつく。
フレデリックは必ず食いつくだろう。…だが、今後が思いやられた。
「王の言う、リアの『より良い選択肢』というのはまさか、このイカれた男の側室とかではないだろうな?」と、ヴォルフはうんざりしながら考える。
(誰がやるか、こんな頭のおかしい野郎に俺のリアを)
「どら息子を放し飼いすんな、王宮に鎖で縛り付けとけよ。『マクホーン』よりそっちを見とけ」…と、よっぽど一人息子に甘いらしい国王にそう忠告してやりたかったが、ヴォルフは片眉を引き上げて再度王子の方を見た。
フレデリックが、ふいっと口を開く。
「──少しだけよろしいですか?陛下」
「おお、何だ?フレデリックよ」
と、ニクラスが息子の言葉に頷きながら、先を促す。
「お言葉ですが、今の時代、商人の勢いも馬鹿に出来ません。
他の貴族に先駆けて婚姻を結ぶというのは、ある意味マクホーン伯爵の慧眼とも言えましょう」
「……ほう?何故そう思うのか?」
フレデリックは、ツヤツヤした黒髪に縁取られた整った顔に、人好きのする笑みを浮かべて言った。
「勉学のため、私が見て回った国々の中には、完全に領主と商人の経済力が逆転している地域もありました。
そうなると、領地を善くするための公共事業にも、人が集まりません。なぜなら低賃金で働くよりも、商人のもとで働いた方が、何倍も金を手に入れられるからです。
こうなっては、領地が廃れる一方でしょう?
商人が『国のために働く』というのならば話は別ですが、彼らは己の利益しか考えぬ者たち…。それは期待できないでしょう」
つらつらと並べられた『商人』へのヘイトスピーチに、ヴォルフは涼しい顔で返す。
「さすが、世界の中心アスガルズの王太子であられる。殿下の知見の広さには舌を巻いてしまいます」
フレデリックが一瞬、ニヤリと笑ってから言った。
「……きっと、マクホーン伯爵は先の災害で、領地を建て直す苦労を分かってらっしゃるんでしょう。
ならば、そうした事業の障害となりえるものは、早い内から掌握しておく。
──実に効率的な、良い手だと思われますが」
途端、周りにいる貴族達が、一転してフレデリックとオスカーへの賛辞を口にし始めた。
─「さすが、優秀なフレデリック様。身分が違うからこその利点に目を向けられて……」。
─「それでもまさか、愛娘のアリアナ嬢を嫁に出すだなんて。オスカー殿のなんと領民思いなことか…」。
「ふむ…………」
フレデリックの言葉と、周囲の貴族たちの反応を聞き、ニクラスは少しだけ考え込んだ。……そうしてから、ニコリと笑う。
「フレデリックよ。しばし見ぬ間に成長したようだな。父として、王として、誇りに思うぞ」
王子の言に一理あると思ったか、それとも「後継が安泰だ」と貴族たちに示すことの方を優先したか───それは定かでないが、ニクラスはこの話を一旦打ち切ることに決めたようだった。
方々から、上品な拍手が鳴り響く。
「その程度で矛先を下げるなら、最初から向かってくるんじゃねぇよ」と、ヴォルフは内心で国王を詰った。
そして王子の方も、誉められているというのに、先ほどヴォルフに寄越した異様にキラキラした瞳のうち、3分の1も熱量がない微笑みで、それらに応えていた。
アリアナは、その区切りを見逃さない。
「──国王陛下、王太子殿下。今宵はよい報告ができましたことに、感謝いたします」
アリアナがそう言い、綺麗に礼をとった。
オスカーがそれに重ねる。
「長くお時間を頂いてしまい、申し訳ありませんでした……どうやら後のご挨拶がつかえているようですね。陛下、本日はここまでで失礼したく。
マクホーン家とその婚約者一同、王家のますますのご繁栄をお祈り申しております」
「……ああ。また顔を見せなさい」
「かしこまりました。では、これにて失礼いたします」
再度全員で礼を取り、5人は玉座を囲う人垣を抜け出る。
やっとの解放に足取りが軽くなっているのを、周りに気取られないよう気を配りながら、一同は歩いた。
「………」
──邪悪さと無邪気さ。
相反する性質を同居させた視線が、去ろうとするこちらをじっと見ていた気がしたが、ヴォルフはそれを全て無視した。
フレデリック様、『マーナガラム』執着ルート待ったなし。なんだかんだ王家の血は争えないようで。ヴォルフも御愁傷様です…。




