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鹿騎士と狼商人の奮戦

また長くなってしまいました…。お時間ある時にゆっくりお楽しみ頂けたら幸いです。いつもありがとうございます…!

 「この姉弟は見た目も性格も違うけれど、表情の作り方や仕草がよく似ているな」と、ヴォルフは思う。


「「…………」」

「…ほら、時間潰そう。飯でも食って」


 王への挨拶を理由にアリアナを引っ張り出したので、なんとなく3人は玉座のあるホールへとやって来ていた。が、実際にはお目通りまであと数十分ほど掛かる見込みである。


 ヴォルフたちは豪華なお食事達が見事に整列したテーブルの前で、足を止めた。


 そしてユーストスには子羊の煮込みを。アリアナにはドルチェを手渡し、ヴォルフは彼らの精神回復を試みる。…が、姉弟は黙って皿を持ち、項垂れるだけであった。


 何故かと言うと、答えは簡単。

 2人は未だ落ち込んでいるのだ──ヴォルフがファーバー男爵と対峙せねばならない状況を、作り出してしまったことに。


「だから、『別に気にしてない』って言ってるだろ?お前らのせいじゃないよ」


 ヴォルフは苦笑いした。ぶっちゃけ、酷い暴言を吐かれることなんて、この仕事をしていればざらにあるのだ。それ自体は商会にとって大した損害でもないし、その上今回言われたのは理解も出来ない言葉だった。

 ヴォルフはパクリとティラミスをつまむ。


(うん、ちょっと甘すぎるな)


 そう考えた時、ユーストスがカッと眼を見開いた。


「義兄上ッ、何を呑気に!

あんなにも低俗で、時代錯誤な差別用語を使われたんですよ!当然の教養さえ持ち合わせていない屑みたいな人間が、今日日存在するなんて!!」

「………」


 「信じられない!!」と言って憤慨するユーストスに、ヴォルフはうんうん…と頷く。

 そうしながらもう一口、ティラミスをつまんだ。今度は苦い層にも到達し、口の中が丁度良い。


「良いですか?『気にしない』からといって、それが無かったことになるわけでも、正当化されるわけでもないんですよ…!?

~っもう……!ああいった男に姉上が絡まれないよう、俺が付いているべきだったのに……!」


 と、自身を責めるユーストスに、ヴォルフは肩をすくませた。

 義弟には、そこそこ三下を蹴散らした経験があるのだろう。だから分かっているのだ。──「ああいう手合いはきっと、伯爵家嫡子である自分が付いていたなら、そもそも姉に声すら掛けてこなかっただろう」ということを。


 「本当にすみません……」と、ユーストスが謝ろうとした。それを、隣で聞いていたアリアナが遮る。


「いや、ユースにダンスへ行くよう勧めたのは私だよ。だからユースは悪くない!

…それに、そもそも男爵はマナー違反だったんだ。私が無視すれば良かったんだよ、どうか謝らないで…」


 「すまなかったな」。そう言って、アリアナがユーストスの頭を軽く撫でる。

 それから彼女はがっくりと肩を落とした。自責の念が、滝のようにその身を打ち付けているのであろうことは、想像に容易い。


(………?)


 ヴォルフはアリアナの様子を見て首を傾げた。不思議だったのだ。だって、「変な奴に絡まれた」という点では、彼女も被害者のはずなのに。



 ヴォルフはこの時、アリアナがどういう気持ちでこの舞踏会に臨んでいるのかを、正確には掌握し切れていなかった。

 だから彼女が、社交界でのマナーよりも目先の欲を──つまりは、自身で掲げた任務の達成を──優先してしまったことを悔いているだとか、「その結果、穏便に切り上げようと助けに来てくれた婚約者にろくでもない言葉を聞かせてしまった」だとか、「挙げ句、弟に罪悪感を抱かせてしまっている」だとかのその他諸々をまるっと抱え込んで、自己嫌悪に陥っているだなんてことは、全く想像も出来なかったのである。

 特に、アリアナが1つ目の任務──「ヴォルフを悪意から守ること」──に、失敗してしまったと落ち込んでいることに、ヴォルフは気付けなかった。



(うーん…)


 揃ってしょんぼりする姉弟を眺めて、ヴォルフは「さて、一体どうしたものか」と頭を悩ませる。


 本当のところ、こうなった原因はヴォルフにあったからだ。



 貴族の間では、確かに『商人嫌い』が定着している。しかし、実際には『貴族御用達』となっている商会が幾つかあるのだ。

 そのほとんどは、地元の特産を使った商品を卸していて、それぞれの土地を治める領主により貴族間の贈答品として重用される。ある程度、徴収した税を自領に落とすのも、貴族の勤め…と言うわけなのだ。

 その中で、グリンカム商会は見事『御用達店』に選ばれていた。その上男爵を通すことで、何人か貴族の顧客までいたのである。

 …にも関わらず、彼らが羽振りの良いとは到底思えない慎ましい生活を送っているのを、ヴォルフは見逃さなかったし、レイバンは当然のごとく裏を取っていたのだ。


 そこで早速グリンカムと手を結び、マーナガラムが男爵の始末を引き受けた。


 ──それがもう1ヶ月以上前のことだ。


 ヴォルフが『商会長』としての責務を即座に果たしていたなら、今日、ファーバー男爵は夜会に出席していなかった。

 というか、この世に存在していなかった。


 勘違いをしないで頂きたいのだが、男爵にそうした悲劇が起こったとして、あくまでそれは『不慮の事故』──あるいは『市場の淘汰』によるものであり、マーナガラムは関与していない……少なくとも、新聞の記事上ではそうなる。


 ミズガルダを拠点としていた頃のヴォルフなら、獲物をいたずらに長く生かしたりはしなかっただろう。だが、今回はあえて長期の計画を立てている。別に、普段も決して尻尾を掴ませるような下手は打たないのだけど、今回は殊更に足がつかないよう、慎重に慎重を重ねた形である。


 理由は単純。ただ、『アリアナに知られたくなかったから』だ。

 自分が私刑を行う──つまり『騎士団』や司法をあてにしていない、という1つの事実。

 …それがバレて、勤勉かつ誠実に勤務している彼女のプライドを、傷付けたくはなかった。


 ……いや。

 「彼女を傷付けたくない」だなんてのは、都合のよい言い訳だ。


 ただ何よりも………自分が彼女に軽蔑されてしまうのが、嫌だったのである。


 勿論、バレるバレないに関わらず、私刑をしていることに変わりがないのは重々承知だ。

 だが一応、今回は男爵が改心すれば生き残れる道も──まあ、だとしても寿命よりは間違いなく早死にするけど──残してやった。その慈悲に気付けるかどうかは男爵次第で、全くこちらの知るところではないが、ひとまずは万が一にでもアリアナにバレた時、弁明できる程度の公平性を保てた。………ということにしておこう。



 ───さて。

 我が計画によると、男爵は金の回りが少しずつ停滞し始めたことに、気が付いた頃合いだ。


 そうでなくとも、この国における『マクホーン』のネームバリューは、相当なものらしいので。


 男爵はおそらく焦っていたのだ。相手は国王からの覚えもめでたいマクホーン家である。同じ手法で金を稼がれたら、男爵の倍、いや、それ以上の成果が見込めるはず。

 「下手をすると、うちのグリンカムから商品を買わなくなる貴族も出てくるかもしれない……そうなったらこのビジネスはご破算だ!」──と、彼は考えたに違いない。だから、せめてマクホーンと不可侵協定を結び、今ある顧客だけでも独占したかったのだろう。


 しかし、まさか現当主のオスカーへ交渉するのではなく、アリアナが直接狙われるとは思っていなかった。男爵はよほど弱い者いじめがお好きらしい…。『女相手』なら、自身が優位に立てると見込んだか。


 男爵の誤算は、アリアナが弱くなかったこと。

 そして、彼女が男爵とは違ってマーナガラムの実権を握っていなかったこと、だろう。


(当然だ。リアは絶対的に、俺や仲間の意思を尊重してくれている)


 結果、男爵が待てど暮らせど、せっかく捕まえたアリアナから後ろ暗い話が持ち出されることはなかった。

 彼は、内心冷や汗をかいていたはずだ。だがどうやら、自ら協定の『お願い』をするのは、プライドが許さなかったらしい。


 アリアナとは逆に、ファーバー男爵は実質グリンカム商会を支配していた。だから、一般的な貴族よりも更に『商人』を格下に見ていたのだろう……それはまるで、奴隷のように。


 自身の意図がいまいちアリアナへ響かず、四苦八苦していたところへ、他でもない『それ』が間に割って入った。そのことが、余計に男爵の神経を逆撫でしてしまったのである。



 ───ヴォルフは、アリアナといる男爵を目にした時点で、彼が逆上する可能性を予期していた。

 故に、アリアナから引き離すためにしても、普段であれば別のやり方を模索しただろう。間違っても男爵本人を、直接相手取ったりしなかった。


 私刑が表沙汰にならないよう、いつもより念を入れて回りくどい手口を使っているのだ……それを無に帰すような危ない行動は、取らない方がいい。


 ──だが、ヴォルフは両者の間に割り込んだ。


 あの奪い取ることにだけは長けた汚らわしい男が、今宵の美しいアリアナの視界に入っていることが───そして、言葉を交わしていることが、ヴォルフは心の底から許せなかったのだ。


 つまりは妬いた。

 アリアナの、男爵に向けるやんわりとした微笑みが、ほんの少しの間だけ、ヴォルフに冷静さを奪わせたのである。


 …そのせいで多少騒がせてしまったが、別にこの姉弟を揃って謝らせるほどの想定外が、今夜発生したわけではない。単に自分で蒔いた種が芽吹いていたので、責任を持って摘み取っただけだ。…言い換えると、『間接的にアリアナのお陰で生かされている』という現状さえ自覚せずに、よりにもよってその恩人を同類以下と見なしていた愚か者を、()()()()()()()甚振(いたぶ)って身の程を弁えさせた。ただそれだけのことなのである。


 ──「だから少し罵られたぐらい、自業自得なんだ。そもそも、俺の立てた計画のせいだし」──。


「………」


 だなんて、姉弟に言ってやれないヴォルフは、悩んだ末に、ニッコリと微笑んだ。


「うん、ユースは本当に良くやってくれたよ。マジでありがとうな。

…きっとお前がいなけりゃ、リアに悪い虫が群がってたろう」


 ヴォルフは小声で語りかけ、ユースの後頭部をぽんぽん、と撫でた。


 事実、「アリアナ嬢のやけに顔の整っている婚約者が、平民である」という情報を聞き付けてから、アリアナを口説こうとする紳士は、後を絶たなかったのである。彼らは、アリアナがヴォルフと別行動をしている間のチャンスに賭けていたのだろう、掟破りも何のそのだ。

 しかし、自分の代わりに「絶世の美少年」、「女神」と誉めそやされるユーストスが睨みを利かせていたのと、アリアナ自身がマリアムに教育された夜会のマナーを固く守っていて、決して婚約者以外の男性に自ら声をかけようとしなかったことが重なり、全く歯が立たなかったのである。

 褒められたユーストスは、「へへ…」とほんの少しだけ得意げに笑い、ヴォルフからの感謝を受けた。さっきよりは、気分が上向いたようだ……子供らしくて大変よい。


(うん。もっとそういう風に笑ってろ)


 「後は、その姉の方だが……」と、ヴォルフはアリアナに向き直る。

 彼女の長い睫毛が、伏し目がちにしているせいでよく目立っていた。唇がきゅっと合わされて、いつもより小さく見える。


「リア」

「…なんだろう?」


 アリアナが、微かにすん、と鼻を鳴らした。


「俺は正直、お前が真剣に怒ってくれたことが嬉しかった。本当だぞ?男爵に何言われたって、それだけで釣りが来る」


 と、ヴォルフが肩をすくめて言う。本心だったのに、アリアナはこちらが気を遣った、と思ったらしい。


 彼女がぶんぶん頭を横に振ったせいで、耳に着けられたイヤリングがぐらぐら揺れた。


「私の落ち度で君が酷い言葉を浴びせられたのは、事実だよ。……慢心してそれを防げなかった自分自身に、私は失望してるんだ」

「おいおい…。さすがの俺も、済んだことはどうにもしてやれない」

「…そうだろうとも。失敗からは『学ぶ』ことしか出来ないからね」


 そう言って、アリアナが苦し気な横顔を見せる。彼女がその言葉を、「だからキッパリ割り切る!」という意味で使ったのでは無いことが、ヴォルフにも分かった。むしろ「もう永遠に取り返しのつかない間違いを冒してしまった」と考えているのが、明白に伝わってくる態度である。


「…なあ。お前の機嫌を直してやりたい。俺はどうしたらいい?」


 …率直に問うと、アリアナが困った顔をする。


「…情けないけど、それが私自身にもよく分からないんだ」

「ふうん?」

「………ただ、今はむなしくてやるせなくて……。…悔しい、ような……」

「…つまり?」

「……落としどころがわからないんだよ」


(…『落としどころ』??)


 ヴォルフは内心で繰り返した。アリアナにどんな素晴らしい正義感や道徳心が根付いていると言っても、今そんな言葉が選ばれるのは、奇妙に思えたのである。


(だって、それじゃまるで()()()()()喧嘩したみたいじゃないか)



 やっぱり今日のアリアナは───いや。ここ最近の彼女は、どこか変だ。

 妙に焦っているし、緊張しているし、不安定になっている。



 ヴォルフはこうなる前のアリアナを振り返ってみた。彼女はいつだって、その指針を自ら決め、最後までキチンとやり抜いていたと思う。アリアナが持つ恐ろしい程の明朗快活さは、そこが根元だ。


 なのに未だ契約の履行中であるはずの今、彼女の特質は失われていると言っても良いだろう…。

 ヴォルフはそんなアリアナの異変を、「苦手だと言っていた社交に挑むのが億劫で、ナーバスになっているのだろう」と考えていた。最悪、彼女が契約への責任感からその悩みを打ち明けられなかったとしても、「自分がそれをフォローしてやればいい」、と。……が、どうやらそういうことではないらしい。


 だって、さっきの彼女の口振りは、まるでこちらに「叱って欲しい」みたいに感じたのだ。


(リアにとって…俺は『良き相棒』のはずだ───それがどうして、仲間割れを望む??)


 ヴォルフは途端に、「よく知っている」と思っていた『アリアナ』と言う存在が、薄いベールにくるまれてしまったかのような心地がした。こんな現象は、彼女と出会ってから初めてのことだった。



「………」



 瞬間。不思議なことに、背筋をゾクゾクとした何かが走る。



 ───「その心許なく拙いベールを、思い切り引ん剥いてしまいたい」。



 それがヴォルフの本音だった。……だって、明確に隠されていると分かれば知りたくなってしまう。


 …いや、それも嘘だ。


 隠す隠さないの話ではない──自分は、アリアナのことならすべて、知り尽くしてしまいたいのである。



「…………、」


 ヴォルフはごくりと喉を鳴らした。

 自分が、獲物に背を向けられた瞬間襲い掛かるような野生動物ではなく、人間であったことを、アリアナには感謝して欲しい。ヴォルフは真面目にそう思ったが、項垂れるアリアナはこちらの視線に気付いていない。



 …今日だけで、自分は何回我慢しただろう?

 彼女に好きになってもらうまでに、あと何回……これを繰り返したらいい??



(…………)


 ヴォルフの胸が、締め付けられてギリギリと痛む。あわせて、先の長さに気が遠くなるような心地がした。……いい加減、ジリジリとした欲求を抑えることが難しくなっている。見ない振りをするのにだって、パワーがいるのだ。


 アリアナは依然としてこちらを恋愛対象とは考えていない……だから、こうやって己を隠して見せるのは、駆け引きの一環などではないのだろう。

 というか彼女は、そもそも男を翻弄して悦に入る女じゃない。


「───……」


 ヴォルフは顔色ひとつ変えずに、握り拳を作った。

 赤く充血する前に、フ…ッと力を抜く。



 ………静かに息を吐いて、ヴォルフは腕組をした。

 残念ながら今、無意識に焦らしてくる彼女と──いや、自分が勝手にそう感じてるだけだけど──、丹念に向き合っている時間はない。

 何せ、国王との挨拶はもう十数分後にまで迫っているのだから。



 ヴォルフは、別の方向へ舵を切ることにした。

 彼女がこちらからの批難をお望みとあらば、そうしてやれば良いのだ。一時的にでも構わない。アリアナの気分を、どうにか回復させてやらなければ。

 ───隠し事については、後からじっくり聞き出せば良い。


 ヴォルフは眉を吊り上げ、怒った顔を作った。


「あ゛ー…。『別に気にしてない』って言ったけど、やっぱりなんかムカついてきたな。何なんだよ?あのクソ野郎は……」


 言うと、アリアナががっくりと項垂れた。


 「…ごめん、傷付けて……」と彼女が謝る前に、ヴォルフは首を傾げて言う。



「まあでも、そうだな──リアが『もう一度踊ってくれる』ってんなら、少しは気分も晴れる、かも?」


「!」



 すると、目を見開いて、パッ!とアリアナがこちらを見上げる。ヴォルフはいつも通り、人を食った顔で彼女を見つめ肩をすくませた。


「いかが?」

「……もちろん。君のためなら………喜んで」


 アリアナが、ぎゅう…と眉根を寄せながら言う。

 厚かましくも、ダンスの約束を取り付けることに成功し、ヴォルフはホクホクだ。

 いや、自分でもどうかとは思う。しかし、アリアナの中でわだかまりを残したまま王の前に出ることだけは避けなければいけないから───そう、しょうがなく、だ。

 救われたように息をつく彼女に対し、もちろん罪悪感はある……………砂粒1つくらいは。



 ヴォルフの貪欲さに気づかないアリアナは、泣き笑いのような表情を浮かべた。相変わらず、涙は溢れていないのだけれど。


(………やっぱり、今日のリアはおかしいな…)


 と、そう思ったところで、アリアナからきゅう、と指先を握られた。右手の小指と薬指の先だけ。

 驚いたヴォルフが「どうした?」と言葉を発する前に、アリアナが言う。



「君がこうして見限らずにチャンスをくれるなら───次こそは必ず、」



 …と。何かを言い掛けたアリアナが、こちらの指から手を離す。食事に手をつけ始めていたユーストスの隣で、彼女はぱくっ、と小さなケーキを頂くと、皿を片付けヴォルフに向かい合った。


「すまない、ダンスは後だね。話もここらでおしまいにしなくちゃ」


 アリアナが、いつものようににっこりと笑う。

 ヴォルフは思わず目を細めた。



「──さあ、2人とも行こう。そろそろ時間みたいだよ」


 気配に敏いアリアナは、1番に気が付いていたようだ。

 振り返ると、玉座への列中───オスカーが手を掲げて、こちらに微笑みかけていた。





「マクホーン家、ここに参上致しました。国王陛下」


 「今宵はご招待下さり、誠にありがとうございます」と続けたのはオスカーである。そんな定型文の挨拶を合図に、ヴォルフも含めた一同は礼を取る。


「おお、オスカー!昨年も善く領地を治めたそうだな。すっかり領主が板について」

「ありがたきお言葉です。それも陛下の治世のお陰でございます。心から感謝いたします」

「ははは、よい、よい。堅苦しい挨拶は抜きになさい」


 挨拶待ちで列を成した貴族たちと、挨拶を終え歓談に勤しむ貴族たちとで、そこには人集りが出来ていた。

 真ん中は、ぽっかりとスペースが空いている…。そこへ、アスガルズ王国第125代目国王『ニクラス・オージン・アスガルズ』が、マクホーン一族と、その長女の婚約者を快く迎え入れた。…かのように思われた。


「さあ、()()()()()()()の者達よ、(おもて)を上げなさい」


(──おっと)


 と、ヴォルフは上唇を薄く開く。

 自分以外の4人が、顔を上げた。国王の周りに侍る貴族達が、きっと面白がるようにこちらを見ていたに違いない。幸いなことに、頭を下げたままのヴォルフにはそれが見えなかった。


(随分とまあ、古典的な見せしめをなさる)



 と、その時────。


 カツン…ッ、と。


 ヒールを高らかに鳴らし、ヴォルフの一歩前に出たのは、アリアナだった。

 燃えるような瞳で前を向くアリアナが、大理石の床に映っている。


 それはまるで、早速走った緊張感を掻き消そうとするかのようで。


(おいおい──…さっきから何だよ?)


 と、視界の端に見える婚約者様に対し、ヴォルフは思わずクスリ、と笑う。

 今日彼女はずっと、こちらに気を遣って立ち回ろうとしてくれている。男爵との一件でもそうだった。


(やたら守ろうとしてくれるじゃないか?)



「国王陛下。僭越ながら、この場を借りて私からご報告がございます。発言をお許しいただけますか?」



 そう言ったアリアナの声は固かった。

 が、それは凛と会場に響き、誰にも無視は許さない。──この国の頂点にさえも。


「…ほう、良いだろう。何かな?可愛いアリアナ」



 <英雄>の孫から国王への直々の報告に、玉座を取り囲む貴族からの視線が、一挙に集中した。


 それを、「社交は苦手なんだ」とかつて語った彼女が一身に受け、ヴォルフと貴族の間に立ちはだかる。


 どうやら今日のアリアナは、こちらをいちいち惚れ直させないと気が済まないらしい。


 顔は伏せたまま、ヴォルフは片眉をひょい、と引き上げていた。


(俺の婚約者様は、本当に格好いい)


 今夜のアリアナは一段と綺麗で可愛いのに、何故かそう思う。


 その優雅で貴婦人然とした装いや振る舞いを上回り、アリアナの純粋に人を想う強さや覚悟と言ったものが、(ほとばし)ってはヴォルフの目を灼いた。


 ──正に太陽。

 正しき者には温もりと安心を。悪しき者には容赦なく煌々と照りつけて、その影を浮き彫りにする。全ての人間に、その光は平等に降り注ぐ。


 彼女はご多分に漏れず、自分のことも陽の下に置こうとしているのだろう。

 それは、アリアナが人生の中で当たり前にしてきたことで、悪気はない。100%の善意だ。


 ………だけど、「正直癪だな」とヴォルフは思う。


(俺は、お前の『家族』じゃないし、『守るべき国民』でもないんだ)


 ───それらとは、一線を画す存在になりたい。


 「一方的に守られたい訳じゃないんだ」、と。

 「『俺を守ろうとしてくれるお前』を、丸ごと守ってやりたいんだよ」、と。

 「そして隣を任せてもらえるような、お前の方から弱い部分を晒け出してもらえるような、そんな人間に、俺を格上げして欲しい」、と。


 ……自分がそう言っても。…きっと。


(リアは……分かっちゃあくれないんだろうな)



 ─────こんなにも………、好きなのに。



「………ん」


 ヴォルフは苦しくなって、思わず小さな呻き声を漏らす。ぐつぐつと煮えたぎった恐ろしい程の愛情が、何も知らない婚約者様へ降り掛かるのを押さえたかった。


 アリアナはその声を聞き付けたのだろう。瞬間、ヴォルフの視界にかろうじて映るアリアナの指先がピクン、と震えた。

 そして、強く固く、彼女の拳が握りしめられる。



「お許しを感謝いたします、国王陛下。


既にお耳に入っているかと存じますが、私はこの度、ヴォルフ・マーナガラムと婚約いたしました」


 「回りくどい言い方をしないところがアリアナらしい」、とヴォルフは思う。アリアナは実に単刀直入な言葉でもって、身の上を説明した。その言葉通り、婚約が成立していることは、王家も当然下調べ済みのはずだ──でなければ自分たち宛に招待状など届く訳もないのだから。



 「まだ顔を上げることさえ許されていない婚約者殿を、マクホーン家と連名で呼びつけたのは王宮側なのですよ」、とアリアナは周囲に向けても訴え掛けているのだ。


 ──「今のヴォルフへの待遇はあまりにも横暴だ」、「これ以上、彼に惨めな思いをさせようものなら、例え主君と言えども許しがたい」と。彼女はそう表明しているのである。



 ニクラスはアリアナの静かに燃える闘気を、明るい声色で消し飛ばしにかかった。


「ああ、そうであったな!いやはや、これはめでたい。

しかし、はて…?そのような名の貴族は記憶にないが……。どこの国の者かね?」

「ミズガルダです。

そして、貴族ではございません。彼は商人です」

「…何?──なんと!!」


 わざとらしく驚いた声が、ヴォルフの耳にも届いた。


「おお、可哀想なアリアナ。私は胸が痛いぞ。

オスカーよ、領地の経営のことならば私に何でも相談なさい、手を貸そう」

「ありがとうございます、陛下。しかしながら、そのご心配は無用でございます」


 穏やかながら、「主張を翻す余地などない」と分かる声音で、オスカーが応える。


「先ほどお褒めの言葉をいただいたように、我が領地は何の問題も抱えておりません。


(ひとえ)に誇り高き我が娘、アリアナの決心が身分の境を超えたというだけのこと。

そして私達家族は、娘の決断と幸せをなによりも尊重しております故」


 「金銭的価値を理由に結婚を強要したのではない」、とオスカーが暗に言い含める。

 ニクラスは「ふむ……」と声を漏らした。



()()がな………、それは真かな?」



 グレイズが、ヴォルフとアリアナの結婚に反対していることを、ニクラスは知っているのだろう……2人は裏で繋がっている。少なくとも、今回の件では。

 大方、グレイズへ夜会の招待を打診した際、彼の孫の婚約を聞きつけたのだろう。いや、もしかするとそれより前から知っていたのかもしれない。王家は何よりも、グレイズに貸しを作りたいのだ。



「もちろんでございます。この名にかけて、誓いましょう」



 国王からの揺さぶりを、オスカーは即答で返した。

 それにより、ヴォルフの胸は熱く打たれる。


 オスカーは『温和な父親像』を体現したかのような人間だ。だがその実、内に燃える焔を完全に掌握し、相手に気取らせないだけの精神力と才覚を持ち合わせているのである。


 でなければ、彼の父であるグレイズを終戦後も自国へ縛り付けるために、決して無視できない規模の領地を与えた挙げ句、その運営の苦しさを戦地の父へ知らせたり、それを理由にした父の帰国を許さなかった国王へ、ここまで穏やかに対応出来る訳がない。

 結果マリアムと出会えたため、少なからず相殺されている、というのもあるかもしれないが。


 そんなオスカーが、この婚約を王の前で正面から後押ししてくれたことに、ヴォルフは感謝した。



「ああ、そう頑なにならないでおくれ、オスカー。

ただ単に『より良い選択肢』の可能性があることを、忘れないでいて欲しいだけだ」


 言いつつ、ニクラスはアリアナへ声を掛ける。


「よいか、可愛いアリアナ。

国のために長く尽くしてくれたお前の祖父に、私たち王家は本当に感謝しているんだよ。

本来、お前たち家族と過ごすべきだった多くの時間を、グレイズから奪うことになってしまった……。そのことを、心からすまないと思っているのだ………この気持ちは、伝わっているな?」

「勿体無きお言葉です」

「そして、グレイズが持つ騎士としての誇りを、女性であるお前が継いだ。それは、並大抵の覚悟ではないだろう。


この上お前を、素性も知れない他国の若者に嫁がせたとあっては、我々アスガルズ王家の面子が立たないのだ。

頼ってくれさえすれば、私たちは全力で手を尽くすと言うのに」


 やたら思慮深さに溢れた言葉が、つらつらと並べたてられ空気中に浮遊する。

 アリアナが、それらを切り裂いた。


「国王陛下。

私が騎士として剣を取ることに、貴方様がその尊きお心を砕く必要などはございません。


私自身が、この国に身を捧げることを望んでいるのですから」


 ───その言葉に、集まる貴族の人垣から嘆息が漏れ出た。

 それは同情的で、哀れみに満ちていて、例えば感動的でドラマチックな演劇を眺めているかのような。…そんなため息だった。


 ヴォルフは、淀みないアリアナの受け答えから、これが彼女にとって慣れた問答であることを悟る。


 横目で見ると、オスカーの後についていたユーストスの表情が、氷のように固まっていた。美しいばかりで、それ以外は何も読みとれない───というか、温度がない。

 この安っぽい茶番のお陰なのだろう。口さがない者達が、「ユーストス様は養子なのではないか」というあるはずもない噂話を広めたことは、レイバンを通じてヴォルフの耳にも入っていた。最近までユーストスが剣に全く触れなかったこと、そしてマリアムがアリアナを出産直後、子を成せないほどに体調を崩したことが周知の事実であったのもその要因である。

 マリアムの顔色が悪い。彼女が家族以外の人と会う時濃い目の化粧をするのは、こんな時のためだったのだな、とヴォルフは理解する。淀んだ思考の渦をぶつけられるのは、肉体的にも精神的にも堪えるものだ。特にマリアムは身体が弱く、そうした影響を受けやすいのだろう。悪くなった血色を隠すために、彼女は前もって厚化粧をするのだ。そのお陰で、見事近くにいる家族とヴォルフ以外、マリアムの異変に気付く人はいないようだった。


 何かと『可哀想』で『悲劇的』なこの一家を、顔色を変えず眺めているのは、ベルガレットくらいのものなのだろう。



 ヴォルフは、床に映るアリアナの姿を見つめた。


(…本当に、そうか?)


「………」


(お前は、悲劇のヒロインをつとめるような人間か?)




 いや────役の方が、不足だろう。




 憐憫も同情も、全てを弾き返して余りあるほどの輝きに、アリアナは満ちている。どうしてここにいる連中は、それが理解できない?


 ヴォルフは不思議だった。本当に、心の底から。


(リアは───リア自身の強い意思で、騎士になったんだ)



 その時、ヴォルフはようやく肌で実感することができた。

 貴族が、用意されたレール以外の道を選び取ることの難しさを。

 ──そして、自らの意思でそれに向かい合うことに決めてしまった、幼き日のアリアナの尊さが。



 瞬間、ヴォルフの周りに眩い光が満ち満ちた。

 10年前───普通のクソガキが、無謀にも『世界一』を夢見た時のことを思い出す。



(…やっぱり、俺は『商人』で良かった)


 今再確認できた。そう在ることが、自分の誇りであり、ここに存在するどの貴族たちにも優る強みだ。


 ヴォルフは堪えきれずに笑う。


 はじめから、この上流階級に自分ほどアリアナと真に寄り添える男など、居なかったのだ。



(悪いな、じいさん。この勝負は俺の一人勝ちだ)


 ヴォルフはグレイズが歯噛みする様を思い浮かべた。


 ああ──……信じられない程、心の内が軽い。

 魂が華やぎ、体の奥底からマグマのように沸々と燃え滾ってヴォルフに力を与えた。


 するりとアリアナの腰へ手を回し、自分の方へ引き寄せる。

 毅然と直立しているように見えたアリアナは、驚くほど軽い力で胸に収まってくれた。


(……なんだよ、お前。そんな顔して)


 覗き込んだアリアナの表情は、緊張で頬が強ばって、睫毛が微かに揺れていた。こうして近くで見なくちゃ、きっと分からなかっただろう。

 アリアナを抱き寄せた勢いで、ヴォルフは一歩前に踏み出し、彼女に並ぶ。


 アリアナの耳元で、ふ、と笑ってから口を動かさずに吐息で語りかけた。


 こんなつまらない演目は、




「───虫酸が走るぜ」


「……!」




 瞬間、アリアナがこれでもかと言う程に目を見開いた。

 …そして、思わず、だろう。

 気が抜けたように、子供みたいな顔して、ぷっ、と吹き出した。



(───ああ。愛しい)



 ヴォルフはアリアナを労るように……冷えてしまったその体に自分の熱を移すように、彼女の腰を優しく撫でた。とにかく安心させてやりたかったのだ。


(待ってろ、リア。すぐ決めてやる)


 …というか、もう決まっている。さっき、確信した。


(俺が一番強い。そして、強さとは───何て言ってたっけ?)


 ──そう。


 「相手を思いやること。相手の弱い部分を包み込んでやれるだけの、実力と気概があること」──。


(…だったか?)



「……失礼しました。恥ずかしながら、久方ぶりの装いで足元がよろけて」


 と、アリアナが言う。彼女がこちらの脇に手を回した。そこにぎゅう、と一瞬力がこもる。


「ですが、婚約者のお陰で大事ありませんでした。

紹介させてください。


──彼がミズガルダの商人、ヴォルフ・マーナガラムです」




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