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鹿騎士と狼商人の商談

(──『ヴォルフ』……!!!)


 その名を聞いて、アリアナの全身に雷のような衝撃が走った。同時に、体から全ての力が抜けていくのを感じる……。

 が、気合いを込めてなんとか平静を保った。


「……では、本日の責任者に確認してきます。少々お待ち下さい」

「ああ、よろしく頼むよ」


 アリアナは焦りや絶望がその足取りに現れないよう、最大限に気をつけて厨房へと向かった。

 そして、心配そうな顔をしたルカと、今しがた冷凍室から戻ったばかりのジャックに声をかける。


「と、言うわけなんだ。申し訳ないが、昼の休憩をいただいても良いだろうか…?」

「こちらは全然大丈夫だけれど…」

「…どうした?アルがそんなに動揺するなんて珍しい。聞いてたところ、特に問題なさそうに見えたが…」


 「…俺から断ろうか?」と聞いてくれる友人。「そうしてもらったら…??」と不安そうに頷きながらこちらを伺うルカ。…しかしアリアナは、その申し出を首を振って辞退した。

 笑顔を見せて安心させようとしたけれど、引き攣っていたためその効果はなかったかもしれない。


「いや、良いんだ。……私の自業自得だから」




 ギクシャクとした動きにならないよう気を遣いながら、アリアナはヴォルフの待つテーブルへと向かった。


「……では。僭越ですがご同席させていただきます」


「まあ、そんなにかしこまらないで」


 ニコリと笑って、向かいの席に着席を促される。

 ……その所作には、こちらを緊張させまいとする相手の優しさが、滲み出ていて。


「………………………」


(…ああ…、………どうしよう)


 と、アリアナは遠い目をした。

 罪悪感に、今にも心臓を押し潰されてしまいそうだ……。物理的な衝撃だったらいくらでも受身がとれるというのに、本当に勘弁してほしい。


「────お客様。失礼いたします。…アル、昼食だよ」

「……!」


 このどうにも重苦しい空気を、友人は察してくれたらしい。厨房に立っていたはずのジャックが、配膳をしに来てくれた……とても良いタイミングである。

 おかげで、アリアナの心が少しだけほぐれた。ついでに、サンドイッチの香ばしい匂いが空腹を思い出させてくれる。


「…ありがとう」


 柔らかく笑ってそう答えると、ジャックが目だけで意図を伝えてきた。


 ─「何かあったらすぐに呼んで」。


「……」


 その心遣いに感謝して、アリアナは小さく頷く。それを見届けると、ジャックはヴォルフに向かって礼をしてから、テーブルを離れていった。



「…ふむ」


 その様子に、何やら納得したような声を上げるヴォルフ。

 そちらに目を遣ると、先ほど「美しい」と褒めたばかりの瞳が、こちらを捉えていた。


「彼は、君の恋人?…あー…、と…」


 少し言い淀む。きっと、目の前に座っている初対面かつ自己紹介もまだの相手を何と呼んだものか、迷っているのだろう。

 …それを受けて、アリアナは遂に腹を括った。



「──『アリアナ』です。


アリアナ・フロージ・マクホーンと申します。

ヴォルフ・マーナガラム様」


「!」



 男が、僅かに目を見開く。


 ……きっと、ひどく驚かせてしまったに違いない。見ず知らずの人間から思いもよらない名前が飛び出してきた時の衝撃は、相当なものだから。自分もついさっき体験したところである。



「そんな……じゃあ、」


「……」


 ────そう。

 何の因果か、今偶然にも対峙している目の前の男性こそが。



「……君が……、『アリアナ』嬢…?」



 本日のお見合い相手───


 …『ヴォルフ・マーナガラム』氏、その人なのである。



「……………はい」


 アリアナは観念して頷いた。


「………見合いのために隣国ミズガルダより海を渡って、遥々いらしてくれたことに………。まず、感謝と謝罪をいたします」

「……………」


 そう言って、深く深く、頭を下げた。

 ……きっと上手くすれば、何も知らない風にその場を濁すこともできただろう。しかし性分として、これ以上誤魔化すことなんて出来なかった。

 だって、もうすでに不当な手を使って、目の前の彼を蔑ろにしてしまっている。


「なぜ見合い前にこのようなところで働いているのかと言うと、あなたとの見合いに出席するつもりが端からなかったからでございます。


…大変、失礼なことをいたしました」


「…いえ、こちらこそご令嬢に失礼な物言いを。


……あの。貴女さえ良ければ──こうなっている理由を、伺っても?」


 混乱しつつも、現状把握につとめるその姿にアリアナはこっそり賞賛を送った。

 良家との縁談のためにやって来たというのに、その相手が全く令嬢らしくなく、かつ約束をすっぽかすために街のカフェに身を隠している、なんて。普通なら、理解することも拒絶してしまうような案件だろうに。

 アリアナは深く息を吸った。


「先ほどもお話しいたしましたが、私は騎士です。

…これが貴族の令嬢として、とても誉められた職でないことは、承知しています」

「………」


 相手は既に聞きの体勢に入ってくれていた。呆然としすぎて声が出ないのだ、とは思いたくない。



「ですが──私はこの仕事に誇りを持っています」


「!」



 今度は、長く長く息を吐き出す。


「結婚し、どなたかの夫人になってしまえば、私の仕事は夫がいない間の領地経営や、邸内の切り盛り、社交での情報収集となってしまいます。


もう国民を守るために剣を取ることは、出来ない」


 アリアナは震える手を、ぎゅうっ…!と握りしめた。


「わかっています。

成立させるつもりが無い見合いの席なんて……設けること自体が、お相手への不実でしかない。


けれど……どうしても家族には、その理由を話せなかった」



 ───ことの発端を説明するには、アリアナが生まれた頃まで遡らなければならない。



 …当時、両親と祖父の仲は険悪だった。

 先の戦争で<国の剣>と言われるまでになった英雄の祖父。彼は、息子にも騎士となることを望んでいた。……が、アリアナの父は、突如与えられたマクホーン領を治めるために、領主として生きる道を選んだのである。



 以来、微妙に距離の空いてしまった親子。


 ───それでもいつの日か、元気な男児を授かって……その子が騎士の誇りを継いでくれたならば────、


 …と。祖父を含め、皆がそう期待していたはずだ。



 しかし。そんな中ようやく生まれた待望の孫は、まさかの「(アリアナ)」だったのである。



 しかも、母は子を多く残せるほど、丈夫な身体ではなかった。そのため、「次の子は望めないだろう」と医者からも言われていて。だから───



 ………だから。幼き日のアリアナは望んで、剣を取ったのである。



 …それは自然な流れだった。愛する家族のためにそうするべきだったし、自分自身、そうしたかったのだ。


 だが、「騎士を続けるため」という理由で独身を貫けば、優しい家族は引け目を感じるに違いない…。


 そう思うと、どうしてもどうしても……打ち明ける気には、ならなかった。──適当な理由で、騙す気にも。



 もちろん、家族以外を騙して良い理由には決してならない。だから、これまで紹介されてきた殿方には、包み隠さずその旨をしたためた断りの手紙を送っていた。


 ─「貴方には全く非がなく、自分自身が騎士の仕事を続けたいためのわがままである」ということ。

 ─また、「例え結婚したとしても、騎士として国中を駆け回っていた自分では、そもそも貴族の婦人として貴方に不釣り合いだ」ということ。

 ─「こちらが見合いの場に出席することはないため、それを理由に貴方から見合いを断っていただいて構わない」ということ。


 最後に、心からの謝罪と「この手紙の内容については内密にしていただきたい」ということを記して。



 納得してくれた相手からは、事前に了承の連絡があり見合い自体が開かれることはなかった。開かれる場合でも、見合いはその実、律儀な相手からの体裁を取り繕った断り申し入れの場となっていたのだ。


 これまでのお相手には心底感謝している。

 そんな手紙ではとても贖えないほどの無礼を、許して下さったのだから。




「……………」


 目の前に鎮座する相手について、アリアナは考えた。


 ご多分に漏れず、ヴォルフにも同様の手紙を送っていたはず。……しかし、彼ははっきり驚いていた。もしかすると何か手違いが起きて、便りがミズガルダまで届いていなかったのかもしれない。


「…本当に、申し訳ありませんでした。どうかご無礼をお許し下さい」


「…」


 ヴォルフからの返答はない。アリアナは肝を冷やした。


(──あぁ。いつか、こんな日が来るのではないかと思っていた。今までは運が良すぎたんだ──)


 知らずごくり、と喉が鳴る。


(…膨大な慰謝料を要求されたらどうしよう。いや、騙し討ちのようなことをしたのだから、それも甘んじて受けるのが筋だ。騎士の月給で、細々と返していける額なら良い…)


 恐る恐る目線を上げてみると、相手の顔は思っていたのと違った。


 顎に手を当て、「…うーん」と何かを考えているようだ。


「…貴女のおっしゃりたいことは分かりました」

「…!」

「ですが、貴女を見るに……本当は、もう限界なのでは?」

「!そ…れ、は…」


 そう。自分の将来を案じる家族にも、真剣に伴侶を探している相手にも不誠実である今の自分は、到底騎士として胸を張れる状態ではない。



(──……『限界』。そうか、限界だったのか)



 アリアナの胸に、ストンと落ちたその言葉。



「私が、救って差し上げましょうか?」


「…え?」



 アリアナは思わず聞き返していた。

 真っ白く尖った牙。

 それが、唇の隙間から覗く。


「貴女が仰っているのは、貴族と結婚した場合の話でしょう…??───私は違う」


 「同じ対応をされては困るな…」と言いたげに、ヴォルフが肩をすくませた。


「私は商人です。

貴女に『詫びる気がある』というならば、こちらの流儀で取引と行きましょう」


 アリアナは、ヴォルフの瞳が瞬間ギラリと輝いたのを見逃さなかった。

 ここから完全に、お互いの立場が変わったことを悟る。



「俺は、商売のために貴族の人脈が欲しい。

お前には、あいにく領民も領地も用意してやれないが、騎士の仕事は続けさせてやれる」


「よし、わかったなろう。夫婦」





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