鹿騎士は接客する
───カランコロン。
耳に心地良い音をさせ、扉の入り口に付いた鐘が、新たなお客の来店を知らせてくれる。
「いらっしゃいませ」
ジャックの実家である<Rope's Kitchen>。そこの店員用エプロンを着けたアリアナは、お客をテーブルへと案内した。
「ご注文が決まりましたらお呼び下さい」
優雅に水の入ったコップを置いて、一礼するアリアナ。それを眺めていたジャックの妹──ルカ・ロープが、感嘆のため息をもらした。なお、ルカについてはエプロンの下にしっかり店の制服を着込んでいる。
「さすが貴族令嬢ね……、動作が綺麗~……」
「あれで騎士って言うのが萌えるのよねぇ!」。そのように熱く語るルカの頭を、軽く掴んだのはジャックだ。
「こら、わけわかんないこと言ってないでさっさと冷蔵室からゼリーを持っておいで。冷凍室の肉は俺が持ってくるから」
「もう!お兄ちゃんったら、心配しなくてもアリーを取ったりしないわよ!」
「バカ!」
むふふ、と笑って「ゼリー取って来るわね~」と席を外したルカと、入れ替わりで厨房に入ってきたのはアリアナである。
「ふぅ、…さすが<R's>は今日も大盛況だな!」
「…アル。来た時にも言ったけど、わざわざ手伝うことないんだぞ?
朝から手合わせしてもらったんだ。昼もまわったし…アルも日替わりランチ、食べてたら良い」
「お腹空いたろ?」とジャックが言うので、アリアナは自分のお腹と相談をした。
<Rope's Kitchen>は「軽食が安く、しかもボリュームがあって、旨く提供される!」と人づてに人気が爆発した店だ。
さらに隣国であらゆる飲み物の淹れ方を勉強していたルカが戻ってきたこともあり、一躍王都いちの有名カフェになった。
おすすめは秘伝の甘辛たれに漬かった兎肉の薄切りソテーを、両面焼いたザクザクのパンと季節の野菜ではさんだサンドイッチ。
「今日のランチメニューはイチオシのサンドイッチだぞ」と勧めてくれる友人に、アリアナは笑いかける。
「いや、こちらの都合で匿ってもらってるんだ──このくらいはさせてくれ。
そうだな、念のためもう少し待って………お客さんがある程度お帰りになったら、昼休憩を貰おう。そのときに注文させてくれるか?」
「注文だなんて。いいよ、そのくらい」
「ううん、よくない。だって、ジャックの作るサンドイッチはメニューにある値段の3倍払っても良いほど絶品だからね!このくらいはきちんと払わせてくれ」
「……わかった。じゃあ、とびきり美味しいのを作ってとっとくよ」
「ありがとう!…さあ、他に何かやることはある?」
笑って頷いたジャックにアリアナがそう訊ねると、彼はほんの少しだけ目を伏せてから、こちらを見た。
「ディナータイムのために、この時間から冷凍室の肉を出して解凍させないといけないんだけど………それは俺がやるから、アルはホールの注文頼んだ」
「わかった」
──見たところ、今入っているお客は皆注文が行き渡り、追加の注文が入ることは無さそうだが…。
「───奥の一人客。怪しい動きをしたら頼む」
冷凍室に向かうジャックとすれ違ったときに、ごく小さな声でそう告げられた。
こちらも目だけで了解の意を伝える。…懸念を抱いていたのは、自分だけではなかったのだ。
そう、先ほどから店の奥の席にひっそりと座っている客人…。
頼んだ料理に手をつけることもなく、店の賑やかさにただ静かに溶け込んでいる。
深くローブを被っており、それは顔を隠しているようにも思えた。
「………………」
(どこかから流れ着いたお尋ね者だろうか。であれば、あのローブに隠せる武器はかなり幅広い───、)
「ねぇ、お嬢さん。君もこの店のウェイトレスさん?」
「!はい、臨時ではありますが…。
いかがなさいましたか?」
そこまで思考を巡らせたところで、件の客から声をかけられた。
「あぁ良かった!
すまないが、ナイフとフォーク…それとナプキンをいただけないかな?」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
ナイフとフォーク、そして紙ナプキンをテーブルへ運ぶと、ローブの男はぱさり、とあっけなくフードを脱いだ。
「悪いね。美味しそうな匂いに惹かれてサンドイッチを頼んだんだけど……、このあと商談があるのにうっかりしていた」
<R's>は早く安く食べれるのが売りなため、サンドイッチの半分に紙を巻いて出される。そのまま手掴みでガツガツと食べれるようになっているのだ。結構厚みがあるから、素直に手で行ってしまうと、頬張った時に自慢のソースが溢れて、衣服に垂れてしまうかもしれない……。
アリアナは合点が行き───しかし、未だ警戒は解かずに相槌を打つ。
「いえ、こちらこそ配慮が足りず申し訳ありませんでした」
「いやいや。俺もすぐにウェイトレスさんを呼べば良かったんだ。
ただ、厨房の彼が目を光らせているものだから、なかなか声をかけづらくって」
「!……」
「待てをかけられた犬の気持ちだった」と言いつつ、男は丁寧な仕草でサンドイッチに巻かれた紙を解いた。
「こんなに美味しそうなのに、ずいぶんにらめっこをしてしまったな」
「冷めてなきゃ良いんだが」と言う男に、アリアナは思わずくつくつと笑って答えた。
「きっと厨房の彼─ジャックも喜びますよ。そんなに褒めていただけて。
…ただ、妹たちが悪い男に絡まれないか常に心配しているんです。
悪意はないので許してやってもらえませんか?」
「そんなに“悪い男”に見えた?」
さも心外だとばかりに片眉を引き上げて聞いてくるので、ついにアリアナは笑ってしまった。
「ふふっ…!いえ、“とびきり良い”男です」
「リップサービスだとしても嬉しいね」
「本心ですよ」
ちょっと茶化したように男も笑った。
──…実際、リップサービスだなんてとんでもない。男のグレーがかった茶色の髪も、笑ったときに見えた鋭い犬歯も、まっすぐに通った鼻筋も。
全てが噛み合って、見事な造形美を作り出していた。
美形揃いの貴族の中でも類を見ない。きっとこのまま夜会に放り込んでも、埋もれず存在を主張するだろう。
「特に目が美しいですね。
私は騎士で、訓練のため一度雪山に野営したことがあるのですが───」
アリアナは言いつつニコリと笑った。
「あなたの瞳はそこで見た、凍った湖面のようです。
それが夜明けの光に照らされてあまりにも綺麗だから、それまでの疲れが吹き飛んだような心地がしたのを思い出しました」
(──本当にとんでもなく雄大で……。朝日に照らされて明るくなるまで、野営地が湖の真ん中であることに気づかなかったんだよな。そのあときらきら輝く湖面に、団員が穴をぶち開けて食料調達してたっけ)
自分とは違い、狩り場にたどり着いていたことを喜んでいた仲間達のことを思い返しつつ。
アリアナはさりげなく身分を明かすことで、「ジャックがいなくても、私が目を光らせているぞ」と念のため男に牽制をした。
「…へぇ」
一瞬。男のアイスグレーの瞳が、僅かに揺れたのを見た。
「じゃあ、うっかり妹さんに声をかけないよう気を付けよう」
「それが良いです。
今厨房でデザートの準備をしている美しい赤毛の少女が長女のルカで、あちらでお客様と話している愛らしい少女が末っ子のミルです」
ルカとミルの二人は、作業をしながらもアリアナと男の話に聞き耳をたてていたので、顔を真っ赤にした。
──兄の友人であるアリアナは、奇をてらうことなく褒め言葉をくれるので、どうにも照れてしまうのだ───あの女性とは思えない麗しい見目もいけない。
「…なるほど」
一度頷いたあと、男は湖面の瞳でアリアナをとらえた。
「──だが、君も負けてない」
「綺麗だ」と尖った歯を見せて笑う男に、今度はアリアナが目を泳がせる番だった。
(──…『綺麗』?)
「………ええ、と…」
──街の警らに出たとき、お嬢さん方に「格好いい!」だとか「まあ、なんて凛々しい!」だとかの声をかけられることは、よくある。が…。
……きょとん。としているアリアナに目を細めたあと、男は言った。
「────俺の名前はヴォルフ。
お客の数も減ってきたし、君も食べないか?この後の商談を思うと緊張してきてしまった。
誰かと話でもしていないと、食事が喉を通りそうにないんだ」