狼商人は誓われる※*
「暑い……し、人が多すぎる…」
「そう?マスプルヘイムの支社へ、視察に行ったときよりかは涼しいんじゃない?」
───王立騎士団、王都支部。
そこに足を踏み入れて早々、ぐったりと言ったヴォルフに、軽やかに答えてみせたのはアハルティカだ。その手に持った日傘を、くるくると指先で遊ばせている。
2人のすぐ後ろに続くレイバンは、入場した際に手渡された支部全体の見取り図を眺めていた。
夏に向けて、太陽の日差しがどんどん強くなっていく中。
こんな日は出来れば外に出ずに、適当な書類仕事でもこなしていたいと思うタイプのヴォルフであったが、今日は違った。
本日は王都の一大イベント───騎士団の剣術大会、1日目であるからだ。
アリアナはグレイズにみっちり稽古をつけて貰ったあと、以降の週末は全部、タウンハウスのマクホーン邸で─なんと、あの屋敷の庭には鍛練用の広場がある─同じ練習を続けていたらしい。さらに平日も、訓練後の余暇時間を使い、共同闘技場で研鑽を重ねていたようだ。
その成果を見せるため、アリアナはヴォルフ達一行を、剣術大会に招待してくれた。
──「平日だし…、君にも仕事があるだろうから、無理にとは言わないんだけど…」──と。
…珍しくしどろもどろになりながら、3人分の入場券を渡してきたアリアナを、腕を組んで「ふむ」と見下ろしたのは、連休明けからさらに1週間後のことだった。
◇◇◇
舞踏会用のドレスを作るため、採寸をしにアハルティカとデザイナーを引き連れてやってきた、マクホーン邸。
「…………」
「…………」
伝えたいことはそれだけだったのか、アリアナから次の言葉が出てくることはなかった。そのため、2人の間には沈黙が降りてしまう。
別に、返答に困ったわけではない………。ただ、少し驚いてしまったのだ。
もちろん、自分は決闘を避けようとしていたアリアナを無理に焚き付けた張本人なのだから、しっかりと責任を持って、その行方を見届けるつもりではあった。
なんなら、すでに仕事の調整もついている。
というか、今まさに、現在進行形で舞踏会用の対策を取っている真っ最中なのだけど。
でもそれは、ヴォルフが勝手にやっていること。
自分がアリアナの試合を観戦に行くこと自体は、彼女にとって然程重要じゃないと思っていた。
………だからまさか、こうして彼女の方からご丁寧に招待いただけるとは、思ってもみなかったのである。
「………ええ、と…」
……返事の無いヴォルフに、何を思ったのか目を伏せてしまったアリアナ。
ヴォルフはすぐさま手を伸ばし、そのふわふわした頭に触れて、こちらを向かせた。
…それでも目が合わない。
だから、出来る限り優しい声を作って名前を呼んだ。
「リア」
「………。」
おずおずと上目で見てくるアリアナ。その頬を、するすると撫でた。
「お前が勝つとこ見るの、楽しみにしてる」
「!」
途端、アリアナがパッと華やいだ笑顔を見せてくれる。それに苦笑しながら、ヴォルフは「入場券をありがとうな」と伝えた。
おそらく、平日の開催ともなれば父のオスカーは観戦に来られないだろうし、学校に通っているユーストスも同じだ。母であるマリアムについては、暑い中長時間の観戦をすることに、肉体的な不安があるのだろう。
(リアは物心ついたときから剣を握っていたみたいだからな…。……騎士団の仲間以外じゃ、仕事での成果を見せられる人間が限られているのかもしれない)
と、ヴォルフは思った。
あの歳の割に屈強すぎるじいさんでなく、自分を選んでくれたことが素直に嬉しいし、誇らしい。
(今度会ったら、今日のことを入念に聞かせてやろう)
と、ヴォルフは悔しがるグレイズの顔を思い浮かべたのだった。
◇◇◇
「招待客用の観覧席は……反対側の足場の、向かって右側。『F列より上』とあるぞ」
「おー、日除けがあるのか、ありがたいな」
近くで見れる最前列も良いかと思ったのだが……かなり日差しも強いし、何より座るスペースが無い。ヴォルフ達はありがたく招待客用の座席に座らせていただくことに決め、そちらへと足を向けた。
全部で6つある試合用のステージ。
そこでは既に試合が始まっていた。それらを囲むように足場が組まれており、特設の観覧席としているらしい。
一般客用の観覧席に座れなかった観客達が、規制線の外で大勢立ち見観戦している。ヴォルフ達は周りに集まる観客達を迂回して、招待客用の指定された観覧席に移動した。
3人で座れて、かつ陽が移動しても影が無くならない位置に何とか陣取る。
「にしても、これだけ人が集まるとは。
ほぼ全員、地元に住んでいる人間か、騎士の親族だろうが……。ものすごい盛り上がりだな」
「活気がある」というより、もはや「熱狂している」と言える。
「『剣術大会』と銘打っているだけで、実質即死しないだけの闘技場みたいなものだからかな」
「『即死しないだけ』…」
アハルティカはレイバンの言葉を切り取って繰り返した。
「即死はしないが、悪くすればじわじわと死んでゆく」───。
…実際、この大会にて騎士生命を絶たれた者や、治療を行っても間に合わず命を落とした者も、かつてはいたらしい。
「ルールによると………。
20分ある戦闘の中で、降参を宣言するか、武器を取り落とした時点で試合終了らしい」
時間内に勝負がつかない場合、階級が下の対戦者に軍配が上がる。同じ階級の場合はコイントスで勝敗を決めるとのこと。
「なるほどな……」
「……私、なんだかドキドキして来ちゃったわ」
アハルティカが若干顔を強ばらせながら、心配そうに胸を押さえた。
「そんなに身構えなくても大丈夫だろ。リアは命を捨てるほど、勝ちに拘ってるわけじゃない。万が一大怪我しても、降参せずに血を流し続けたりはしないはずだ」
(だって───リアは『騎士』を続けたいんだから)
ヴォルフはそう思った。…まるで、アハルティカにではなく、自分に言い聞かせるみたいに。だが、心臓は変に動き始めてしまった。ドクドク、ドクドク、と。
「………ふ――――……」
(───大丈夫。アリアナは勝つ)
最近起こる、論理的でない脈拍の変化。
ヴォルフはそれを、深い呼吸で捩じ伏せた。
少なくとも今日これから行われる試合は、自分の身勝手な策によるもののはずなのだ。
だから。
(───『髪の1本だって傷つけさせたくはない』、なんて)
「…………」
そういった想いを抱くことがお門違いであり、正しく相棒であってくれるアリアナへの裏切りだとも思えた。
(……過剰だ。リアだって、そんなのは望んでない)
お互いの利害の一致。
それがきっかけで契約結婚を結んだはずなのに、ここ最近………自分はアリアナへ心を寄せすぎている。
────ビ――――っ!!
と。笛が時間切れを告げ、6つのステージから一斉に騎士が捌けた。……いよいよ次が、アリアナの試合。
新しい参加者たちが続々と入場を始めた。
その中でアリアナのダークブラウンの髪だけが、ヴォルフの目に焼き付く。
ちょうどヴォルフ達が観戦しているスタンドから1番近いステージに、アリアナは足をのせた。
「来たっ!アリーよ!!」
「がんばれー!!」
「………」
───ヴォルフは一瞬、真っ直ぐ立つアリアナから目を背けた。
…この我が儘で、醜く捻れた気持ちには気付かれたくなかったからだ。
「………」
いつだって、やりすぎな程にまっすぐ気持ちを返してくれるアリアナである。…そんな彼女には、出来ればこちらもクリアな気持ちを返してやりたいのだ。
実のところ───ヴォルフがそんな風に思ったのは、生まれて初めてだった。
これは何も、自分が『普段から他人には言えない感情を抱いて生きている』、というわけではなく。むしろ、その逆。
これまではそのように思う間もなく、透明で一点の曇りなくいられたのだ。
人間には、常に立場と思惑がある──ヴォルフはそれらに則った上で、完全に相手を掌握できるだけの力を備えていた。
それ故に、割りきれず感情を持て余してしまう今の自分に、違和感と嫌悪感がある。
思わず目を細めると、対戦者であるフェルビーク第2小隊長と言葉を交わしていたアリアナが、唐突にこちらを見た。
「───……」
「、」
ヴォルフは一瞬、息が止まった。
招待客用の観覧スペースは決まっている。なので、アリアナからもこちらの大まかな居場所は予想できるのだろう。
……だが……、この視線はそんなあやふやな山勘ではない───。
間違いなくアリアナは、ヴォルフただひとりの目を射抜いていた。
「…………」
全てを見透かしたようでいて、その実その大きな懐で優しく包み込もうとしてくれているだけの、緑の瞳。
それは今日も平気で、ヴォルフの葛藤を受け入れようとする。
「!………」
その証拠に、アリアナは腰に差していた剣をスラリと抜いて、こちらに掲げて見せた。
いつものラフな格好でなく、鎖帷子を仕込んだ訓練用の騎士服に身を包むアリアナ。その口は、不敵な笑みを称えており、一瞬ギラリと輝いた目はいっそのこと勇猛だ。
────どっ!!!と、ここら一帯から歓声が沸き起こった。
野太い男の声だけでなく、黄色い声が多分に混じっているのは気になるが。
「…ハッ!」
ヴォルフは思わず笑い、勝利を誓うアリアナに手を軽く上げて応えた。
それを見て、アリアナが満足そうに笑った気がした。
番外編を追加しました。「ここらで休憩したいな」という方はどうぞお楽しみ下さい。
▼対応するお話「洋裁師は語る1」
https://ncode.syosetu.com/n8272ha/3/
読んで下さりありがとうございます!