兎騎士は酒を注ぐ3
───カランコロン。
「いらっしゃい」
「やあ、ボス」
「あら!お戻りね!」
ヴォルフが、もはや馴染みとなっている扉を開けると、三者三様に声が掛かった。
「もっとアリーとゆっくりしてきたら良かったのに」という言葉に、ヴォルフは手を上げて応える。
久々に感じる<R's>では、すでにレイバン、アハルティカ、そして店番のジャックが顔を揃えていた。
「────ジャック、例の酒を」
「はい」
「あっ、ジャック。私とレイバンにもお願い!」
オーダーを取ったジャックが頷き、緑色の液体が入った酒瓶を取る。相変わらずの見事な手捌きを見ながら、ヴォルフはカウンターの席に腰かけた。レイバンとアハルティカの間に空けられていた、ヴォルフのための席だ。
「…で、どうだったの??」
「なかなか大変だったよ。でも剣術大会はなんとかなりそうだ」
「…『剣術大会は』…か。…何か新しい問題?」
ふーっ、とヴォルフは息を吐く。
「結婚に条件がついた」
「…何だって?」
「あら、お金?…はないか。相手は貴族だものね」
「金だったらすぐに結婚出来たんだけどな」と、ヴォルフは肩をすくめた。
「ある舞踏会への出席だ」
グレイズ宅で行われる指導を、入念にチェックしたヴォルフ。
「この様子なら、アリアナを残して行っても問題無さそうだ」と判断できた時点で、ヴォルフは王都に戻ってきていた。無論、しっかりと「怪我と無理はしないように」とだけ言い含めて。
そして、連休の5日目である今日───帰ってきたその足で、王都に構えられている方のマクホーン邸に寄り、届いたばかりの招待状を回収している。
出来るだけ早めに、実物を確認して対策を立てたかったのだ。───それが、今手に持っているこれである。
ヴォルフはカウンターに招待状を滑らせた。
──「アリアナ・フロージ・マクホーン様と、その婚約者殿へ」──。
目に入るのは、そんな書き出しとある模様だ。
「ちょっと、これ…!!……アスガルズ王家の紋章じゃない!!」
「…やられたな」
アハルティカが驚いたように声を上げ、レイバンが苦々しく頭を振る。
「ああ…だが今は、アリアナを剣術大会に集中させたい。
手を貸してくれるか?」
「もちろん。」
「アリーが商会についてくれるためなら、なんでもやっちゃうわよ?」
即座に返ってきた言葉はやる気に満ちていた。ヴォルフは思わず微笑む。
(正直、『婚約しただけ』の状態で、王家主催の舞踏会に乗り込むのはかなり心許ないが…)
きっと、強力な仲間たちがいれば、どうとでもなる。
「ありがとう」
会話に区切りがついたところで、ジャックから声が掛かった。
「───お待たせしました。グラッド・アイです」
緑色の美しい酒を、それぞれが手に取る。
「「「アリアナに」」」
乾杯して口に含んだ。
最近は何かとバタバタとしていた身に、爽やかな甘さが染み渡る…。それに浸ってから、ヴォルフは口を開いた。
「開催日は、剣術大会の2週間後だ。
本番まで、アリアナとは週末にしか調整が取れないから、なかなか厳しいとは思うが…」
マクホーン伯爵夫妻に確認したところ、「婚約者と言えども、結婚前の貴族令嬢が相手の棲み家へ移り住むのは、外聞がよろしくない」とのことだ。
なので、平日は当分手紙と電話のやり取りだろう。
(貴族には縛りが多すぎるな…)
と、ヴォルフは思った。が、それを承知でアリアナを捕まえたのだ。これはもう仕方がないだろう。
「レイバンは、他の出席者の素性を当たってくれ。
アハルティカは、リアに似合うドレスの手配を。
金はいくら使っても良い、任せる」
「「OK」」
ヴォルフは酒を全て嚥下する。
(…俺も、ユーストスに頼んで、アスガルズ貴族のマナーを教えてもらった方が良いだろうな)
そして、鍛練に励むアリアナのことを思い浮かべた。
(月曜から、それぞれ忙しくなる…)
ヴォルフはゆったりと、つかの間の美酒を楽しんだのだった。
「───ね、ね!それでアリーはどうだった?元気にしてた?」
目を輝かせたアハルティカが「もう我慢できない!」と言った様子で、そう訊ねてくる。
レイバンとジャックさえ、興味津々に聞き耳を立てていることに気が付き、ヴォルフはくつくつと笑った。
「ああ、元気だったよ」
「──山に籠ってるのに?」
レイバンが眉を上げて驚く。
「そうよ、どうするの?アリーに事故とかあったら…」
「いや、それはやめさせたよ」
否、ヴォルフとユーストスが訪れるまでの丸一日は、森で生活していたそうだが。
本人は「騎士団での野営で慣れてるから、問題はないよ」と、何でもない顔をしていた。
「まあ実際、リアと森との相性?はすこぶる良いみたいだがな。普段、部隊でも彼女が重宝されるのは、森林地帯での作戦らしいし。
…それに彼女自身も、森を特別視してる…。『自分の長所を発見できたのは、森の中に潜んでいたおかげだ』と言ってた」
同時に、「そこで閃いた戦略が、これまでの騎士人生に強く影響している」、とも。……「騎士になりたい」と願ってから、初めて対峙した敵が<王国の剣>であるあたり、やはりアリアナは規格外だ。
「はあー…っ。なんかよく分からないけれど、多分すごいのね…?それって」
呆気に取られた様子のアハルティカに、ヴォルフも同意する。自分にも、正直意味がわからない。
「まあとにかく、じいさんの協力を得られたのは、かなりデカかった。
なんでも、第2小隊長のベルガレット・ティアチ・フェルビークは、特別顧問時代の教え子だったらしいんだ」
「!?」
その情報に、ジャックが目を見開いた。
「それはつまり……第2小隊長は、<英雄>の弟子……ということですか?」
「ああ」
「なら、なんで……」とジャックが呟く。
きっとこう思っているのだ。───「だったら『師匠の孫』を、喜んで部隊に迎え入れそうなものなのに」、と。
「もしかすると、逆にそのせいで、リアが目の敵にされているのかもな…」
そう言ってから、ヴォルフは顔をしかめた。
(つくづく面倒なじいさんだ…。あれに心を砕くリアの神経が、全く理解できない)
「ジャック、強い酒を」
「どうぞ」
素早く出てきた酒を呷ったところで、アハルティカが口を開いた。
「──ねえ、それで??アリーと恋人らしい休暇は過ごせたの?」
などと、面白そうにからかうアハルティカ。
ヴォルフとアリアナはお互いに契約を交わして『婚約者』の席についているため、そもそも『恋人らしい休暇』自体に無理があるのに───それを分かった上で、発言しているのだ。
ヴォルフはアハルティカの期待に応え、ひどく残念そうな顔をこしらえてみせた。
「察しの通りだ…。旅行気分って訳にもいかないさ、じいさんの家で好き放題いびられてたんじゃな。
まあ、リアは変わらず───いや、やけに無邪気だったけど」
王都支部での勤務が決まってしまってからは、祖父の家になかなか通えていなかったらしい。だから、久々の里帰りでアリアナは童心に帰っていたのかもしれない。
「昨日のいびりなんて、凄かったぞ。
昼時まで庭に居座ってたら、『自分の飯くらい自分で取ってこい』と、じいさんに糸だけ渡されて」
ぶはっ!とレイバンとジャックが吹き出す。
「どうやら、アリアナの祖父はとんでもない御仁であるらしい」──というのが、容易に察せられたからだろう。「お前に食わせる飯はねえ!」の進化版である。
「あっはは!天下の狼商人に、自給自足を要求って!」
ペシペシ、とテーブルを叩いて笑うアハルティカ。
事実、ヴォルフが一歩街へ出れば、どんな上等な肉も魚も目の前に並ぶのだ。そんな生き方をしている男に対して、とんだ当て付けである。家から追い出す気しかない。
「な?ヤバイだろ??
それで、まあ……俺は森で生活なんてしたことないからさ。『糸』と言えば釣りぐらいしか思いつかない。
それで川に行ったんだが…、」
ここでもアハルティカ達が声を上げて笑った。
「あんた、そーゆーとこあるわよね!ふふっ…!…えっ?だって針もないんでしょ??『釣り』って何か知ってる??ヴォルフ」
「なー。変に素直って言うか」
「嫌味が効いてなさすぎて、逆にアルのお祖父さんが気の毒ですよ」
ヴォルフは無言で肩をすくませる。
分からないことでも、他人から笑われるようなことでも、「とりあえずやってみて様子を見よう」という精神が、自分には染み付いているのだ。「出来そうにないことでも、興味を持ってひとまず取り掛かってみる」………その思考のおかげで、商会がここまで大きくなったとも言えた。
「そう笑うなよ。カフスボタンでもくくりつけて垂らせば、何かは引っ掛かるかもしれないだろ?」
と、ヴォルフ自身も笑いながら言う。
自分がその時着けていたカフスボタンは、キラキラと複雑な色に輝いていたので、ルアー代わりくらいにはなるかと思ったのだ。
その時の様子を、ヴォルフが続けて語った。
「それで、ボタンを外そうとしたら────」
─────バシャリ。
と、身体に跳ねてきた、水。
「…最初は『人ぐらい大きな魚がいるのか?』って思ったよ。結構幅も深さもある川だったからな」
ヴォルフは慎重に川面に寄り、大きく平べったい岩の上から、その身を乗り出した。…すると。
─「ふふっ、驚いたっ?」。
ざぱっ、と水面から姿を現したのは、魚ではなく黒の練習着を着たアリアナだった。さっきの水掛けは、彼女の悪戯だったらしい。
─「あっ…!ごめん、…思ったより濡れたな」。
と、こちらを見て途端に申し訳無さそうにするので、ヴォルフは「汚れても構わない服を着てきたから、濡れるくらい問題ない」、と返した。
「──で、『なんでそんなとこにいる?』って聞いたら、『君が無理難題を言われても困らないように、昨日のうちから色々罠を仕掛けておいたんだ。だから釣りはしなくて良いよ』ってさ。
あのじいさん、孫に思考回路を完全に掌握されてんだよ」
正直「あんなに生き生きとした祖父上は久しぶりだ。ヴォルフのおかげだよ」との言は、腑に落ちないが。…そして、アリアナは言う。
─「だから、適当に遊んで時間を潰してから、魚を持って帰ろう。ね?」。
─「今見てきたけど、こーぉんなにおっきなのが掛かってたぞ!」。
と、両手をぐーんと広げてから、いたずらっ子のように緑の目をキラキラさせて笑うので、こちらも吹き出してしまった。
「───たしかに、糸を渡されたからって、無理に使う義理もないんだよな。知識さえあるなら、罠を張るほうが断然効率が良い。
休暇中2人でしたことといえば、後学のために罠の仕組みを教えてもらったことくらいかな」
…不思議なことに、アリアナは他人のためならば、非常に柔軟な思考が出来るらしかった。応用を効かせて婚約者を空腹から救うことくらい、朝飯前と言うわけだ。
「家に大量の魚を持ち帰った時の、じいさんの顔!あれは今思い出しても笑えるよ」
ここまで言った時点で、アリアナの貴族令嬢とは思えぬ振る舞いに、アハルティカはひいひい笑い転げていた(もともと笑い上戸の気がある)のだが、ヴォルフはさらに重ねる。
「で、その時……俺が冗談で『最初、人魚姫かと思ったよ』って言ったんだ。そしたらリアのやつ、なんて返事したと思う??
……真剣に困った顔をして、『…君はなかなか気障だな?』ってさ。
あいつ、自分を棚に上げて…」
ヴォルフがしかめっ面をしながら言うと、アハルティカはあーはっはっ!と笑った。ジャックとレイバンは苦笑いだ。
そう。アリアナにはそういう所があった。あたかも「自分は人を過剰に褒めたりしませんよ」とでも言いたげな振る舞いをするのである。…誰の目から見ても、アリアナが1番の人たらしなのに!
(納得がいかない…)
と、ヴォルフは思う。
こちらとしては、一応結婚を申し込んでいる身なので、歯の浮くような台詞を婚約者然として吐くことには意味があるし、やぶさかではないのだ。…けれど。
(お前の場合は地だろうが)
………しかも、本人が意図せず発揮するため始末が悪い。
それにあわせて、自身の見た目に対する評価にも鈍感だ。せいぜい、「令嬢らしくはない」という程度の自覚が根付いているくらいだろうか。
(でも、そこをフォローしてくれるアハルティカがいれば、今後の社交も成果を上げるかもしれない)
人を魅了してやまないアリアナが、正しく自身の『使い方』を覚えることが出来たなら……。
「────……」
仲間たちと話すことで、光明が見えてきたヴォルフは口許に弧をえがいた。
引き続き、楽しい夜は更けていく───。