鹿騎士と雷神の隠れ子
最近過去の回想が続いて申し訳ありません。次話から戻ります!
───結局あの後アリアナは、対第2小隊長用の稽古をつけて貰えるよう、グレイズに頼み込んだ。
思った以上に早かった、アリアナからの協力申し入れ。
それにかなり驚いていた様子のグレイズではあったが、すぐ目を潤ませて快諾したのだった。
2人のやりとりを見届けたヴォルフは、ユーストスと共にひとまずマクホーン家のカントリーハウスへ帰った───のだが。
その次の日。
今度は1人で、またグレイズ宅へと訪れていたのである。
「っ、うぅ―――ん…………、!」
2日連続馬車で山道を来たせいか、さすがに腰の疲労を感じる……。ヴォルフは1度大きく伸びをしてから、歩を進めた。
そこに、──キンッ!!と響く金属音。
「良いぞ、アリアナ。よし、今度はもう少し距離を取ってみよう。相手から目線を逸らさず、肩の反動に身体全体が持っていかれないよう意識しながら………」
「こうですか、祖父上」
「いや、少し違う。それだと肩の力だけに頼りすぎだ。見ていろ、腕を振り上げた時の角度と腰の捻転度合いは───、」
ちょっとした家がもう1つ建てられそうな程開けた庭の向こうで、訓練に励むアリアナとグレイズ。
ヴォルフは彼女らを、玄関近くから眺めた。
「…………」
──やはり、いくら国の英雄と言えども、寄る年波には敵わないらしい。
対戦式でというよりは、仮想敵を作り出し、それに対するアリアナの動きを見てグレイズが指導する……という方針を取っているようだ。2、3度実演して見せたあとは、アリアナに任せてその様子を監督している。
「!……む、」
武器を振るうアリアナから、安全のため距離を取ろうとしたグレイズが、その拍子にこちらへ気づいた。ヴォルフは軽く会釈する。
「どうも」
「ちッ…!なんだ、わざわざ見張りに来たのか?」
「ええ。貴方が本当に条件を守っているのか………それをしっかり確かめないといけませんから」
グレイズは、集中して鍛練を行うアリアナに、悪いネズミを近づけたくないらしい。追い払うためにこちらへずんずんと歩を進めてきた。行く手を阻むようにして目の前に立たれる。
自分より身長の高い大男に、恐ろしい顔で迫られても、ヴォルフは身を退かなかった。
ひょい、と身体を傾け、その影からアリアナを眺める。
「…ですがどうやら、開始には遅れてしまったようですね。
こちらに泊めていただければ、本邸からの移動時間を0に出来るのですが……」
「誰が貴様なんぞを泊めるかッ!さっさと王都へ帰ってしまえ!」
「いやいや、世は連休中なんですよ?私も『婚約者』と一緒に過ごして、たまには羽を休ませないと」
「それをする権利はあるでしょう??」と言って肩を竦めると、グレイズは「むぐぐ…」と唸りながら顔を真っ赤にさせた。
「おや!」
ヴォルフはその様子に、わざとらしく目をぱちくりとさせる。
「お祖父様…もしやそのお顔、熱中症では?一旦お部屋に入って涼みましょうよ。
──……おーい!アリアナ!休憩にしよう!」
「ヴォルフ?!…ほんとに今日も来てくれたんだな!」
振り返ったアリアナの散らした汗が、光を反射して煌めいていた。
「武器を片付けたらすぐ行く!ちょっと待っててくれ!」と頬を上気させ話すアリアナに、ヴォルフは「急がなくて良いぞ」と返す。
「あっ、貴様!!何を勝手に!」
「…」
そう食って掛かってくるグレイズに、ヴォルフはゾッとするほど冷たい視線を向けた。
「───5歳の少女に山籠りをさせる…。…そんなお方に、彼女の健康管理を任せられるとお思いで?」
「!…」
「アリアナ嬢は私の婚約者です。
貴方の代わりに私が適度な休息を促したって、何の問題も無いでしょう。
…いや。むしろ、そこは私に預けていただいても良いぐらいだ───。…これは、貴方にとっても親切かつ妥当な提案なのでは??」
以前、レイバンらお荷物付きの情報交換日に、アリアナからそう聞いたとき。…ヴォルフは、耳を疑ったのだ。
今回、こうして朝っぱらから山道を来たのも、アリアナの様子が気掛かりだったから。グレイズが彼女に虐待まがいの指導をするようなら、彼を牽制する必要があった。
……「稽古をつけて欲しい」とは言ったが、こんなところで無茶な特訓をされ、アリアナに潰れられては困るのである。
「、それは…」
「───それは誤解だよ、ヴォルフ」
気がつくと、剣を片付けたアリアナが、すぐ側まで迫っていた。
彼女が、そのままグレイズと自分の間に入り込む。
「………」
そうされてもヴォルフは黙ったまま、グレイズから目を逸らさなかった。………アリアナの苦笑が、耳に届く。
「あの当時は、私が無理言ったんだ。それにそう長い時間でも無かった…。
───婚約者への説明が足りていなくて、申し訳ありません。祖父上」
「……む…」
「…ヴォルフ」
「…………。」
アリアナ自身の口からそう語られても、ヴォルフは譲る気にはなれなかった。
だって、アリアナはグレイズをいたく敬愛しているのだ。自身の婚約者と揉めないよう、この昔気質で頭が固く、「自分から折れる」ということを知らなそうなジジイを、彼女が無理に庇い立てしていたって、何の不思議もない……。
「………」
ヴォルフはアリアナをちらりと流し見た。
(もしそうなら、そう言え。何か、別の手立てを考えるから)
と。…そんな思いを込めながら、ヴォルフはアリアナの眼をじっ……と見つめたのだけど。
「?」
アリアナの瞳は、いつも通りきらきらと輝くばかりであった。
あろうことか、にこっと笑って───
「…せっかくですし、お茶も淹れて長めに休憩しましょう!さあ、2人ともリビングへ」
と言って、こちらの背を優しく抱えてくる始末である。
それを聞き、グレイズがピクリ、と眉を動かした。大方、孫娘の暫定婚約者を自宅に上げたくないのだろう。
しかし、肝心のアリアナは何を勘違いしたのか、その様子を見て「大丈夫!2人で説明すれば必ず分かってもらえます!」とグレイズを鼓舞した。
そして、彼女がこちらに向き直る。
「君は誤解しているんだよ、ヴォルフ。お茶でも飲みながら聞いてくれ、あの時のことを」
「………」
そう言ってポンと背を叩かれても、足で突っ張る自分に、アリアナが目を丸くした後。
彼女は困った顔で───でも、ちょっぴりはにかみ笑いを浮かべて言った。
「………結婚して、家族になるんだ──そういうことは、きちんと話しておきたい。………だからヴォルフ、」
「……聞いてくれるか?」───と。言葉を添えたアリアナに、グレイズは苦虫を噛み潰したような顔をする。
アリアナのお願いに、驚くほどあっさり胸が軽くなったヴォルフは、そんなグレイズを尻目に、笑みを浮かべて言ってやった。
「お前がそう言うなら」
………こうしてアリアナとグレイズらの口から語られることになったのは、今から16年前の出来事である────。
◇◇◇
────ある晴れた日。
森にひっそり佇む家の中、リビングで新聞を読んでいたグレイズは、あることに気がつきため息を漏らした。
憂いの対象は、閉じたキッチンの窓………。もとい、その外から覗く、縁からはみ出たふわふわの髪の毛である。
「またやって来たのか…、この子ネズミめ」
「はい!またやって参りました、祖父上!」
うんざりした口調を心掛けたのに、返ってきたのは元気な声。
グレイズは窓に近寄り、それを上に引き上げた。
そこにいたのは、自分と同じ髪色をした少女───孫のアリアナ、5歳である。
「帰れ。」
「嫌です。」
「…このやりとりも何回目だ?」とグレイズは額を手で押さえた。
この子栗鼠のように愛くるしい孫が、親に秘密で我が屋敷に通うようになってから、もう数ヶ月経つ。ばれたら、こっぴどく叱られることは明白だ。だから、毎度毎度それとなく「ここへは来るな」と伝えているつもりなのに。…どうやら、彼女には全く効いていないらしい…。
「…どうして来てしまうんだ?お前は」
「だって、祖父上のお話って、とっても面白いんですもの」
(…何が面白いものか)
以前来訪した際、「血で汚れた経歴を語れば、アリアナが恐れおののいて家に逃げ帰ってくれるのではないか」───と、そう期待して思い出話を聞かせたのが悪かった。しかし、今更後悔しても、後の祭りなのだ。……というのも。
「なら、もうお前に話すことは何も無い。わかったら遅くなる前に帰れ」
「『話すこと』がなくても、『教えること』はありますでしょう?」
「だって私、騎士になりたいんですもの!祖父上みたいな!」………と、そう言って笑うアリアナ。
えへん、と小さな胸を張る少女に、グレイズは頭を抱えた。
「また、それか………」
そう………何を思ったか、この小さく弱く、可愛らしい孫は、自分に憧れ「騎士になりたい」などと言い始めたのである。
最初はなんの冗談かと思った。
(お前の父と母を精神的に追い詰めた元凶である俺に『憧れる』、だなんて───)
…そんなことを言う意味が、分からない。
もしかすると、しょぼくれてしまったこの元英雄に同情したのだろうか?
もしくは、「お前の父も、昔は騎士を目指していたのだぞ」などと、懐かしんで話したのが悪かったのか?
確かに、「もう手を出せなくなってしまった自分の代わりに、息子ら家族を守ってくれるものが居てくれたら」──と、考えてはいたが、それを1番の弱者に求めるほどは落ちぶれていないつもりだ。
初めてそれを言われた時、カッとなった自分は、怒鳴り散らしてアリアナを退散させたが、翌週にはケロリとした顔で、彼女はまた現れた。
それも、可愛い盛りの少女が着るようなフリフリのドレスでなく、わんぱくな少年に着せるいつ汚して帰ってきても良いような、ヨレヨレの服を着て。
───嫌な予感がした。そして、それは当たった。
取っ捕まえて、無理やり馬車に押し込み、お付きの侍女とともに強制送還した、さらに翌週。
……今度は、耳下まで髪の毛を切ってきたのだ。
「どうするんだ、髪は女の命と言うのに。伸びないんだぞ、すぐには!」──と、思わず心の中で叫んだのを覚えている。
本当に、あの時の息子夫婦への申し訳なさといったら無かった。
そんな風に、「ああ―――」と膝をついて呻く祖父に、きょとんとした顔をする孫。…そんな表情をされると、もうなにも言えなくなる。
─「祖父上、お腹でも痛いのですか?」─。
などと心配そうに、ひねくれ者の頑固爺へ声をかけてくれる孫に、グレイズは大きなため息をついたものだ。
(…この子は優しい。本当に純粋で一途で、家族が仲良くなることを切に望んでいる)
だから、どこで勘違いをしたのか知らないが、「私が父上の代わりに騎士になれば、何もかも元通り」、とでも思っているのやもしれない。
(…だったら、なおさら)
この子を危険な目には合わせられない。だって、オスカーが認めていなくても、アリアナは大事な大事な、自分の孫なのだから。
息子の大事にしているものを守れなくて、なにが英雄だろうか。
(────今度こそ、必ず守る)
……アリアナが産まれたときは、失敗してしまった。逃げ出してしまったのだ。『守るべきもの』から。
終戦し、蓋を開けてみればただの『家庭を顧みない老兵』に成り下がっていた自分には──この小さく虚弱な生命を守ることなど、到底出来はしない!……と、そう思ったのである。
妻の命、息子の進路……それらに続いて、また何かを取り零すのが、恐ろしかった。
……その結果、息子夫婦からの信用は地に墜ちてしまったわけだが。
そのことは本当に辛かったし、ずっとずっと後悔している───。息子とその嫁の手を取り、「今後はお前たちの家庭を守る手助けをさせてくれ」と言えていたら、どんなに良かったか…………、と。
だが、だからと言って、自身が産まれる前に起こった軋轢の尻拭いを、この子にさせるわけにはいかない。
(次に突拍子もない行動を起こす前に、家へ帰さねば)
そう決心して、グレイズはキッチンの窓をピシャリと閉じた。
◇
アリアナは待った。
侍女が、「もう帰りましょう、旦那様に知られてはお叱りを受けてしまいます…!」と顔面蒼白でこちらに訴えかけてくる。が、それは毎度のことなので、アリアナは「もうちょっと!」とばっさり返し、キッチンの窓の外でうずくまった。
祖父は自分がこうして待っていると、必ず庭─もはや森だが─に行く。その目的は、屋敷の敷地と自然の森との境界になっている、外柵の見回りである。
ぐるっと張り巡らされたそれに、壊れている箇所はないか、獣が入り込んだ痕跡はないかを、入念に確かめるのだ。柵の向こう側はもちろん、1度、敷地の中でも大きな獣を見かけたことがあるので─その時は祖父が一緒にいて、見事追い払ってくれた─、きっとここで生きるには必須の警戒なのだろう。特に、小さな子供を迎え入れるときには。
そしてアリアナはいつも、見回りをするグレイズの後ろに、付いて回った。
ドレスだと、背の高い草に阻まれて非常に歩きづらい。なので、アリアナは『雷神トールの冒険』─実在の<英雄>が大活躍する様を描いた冒険譚だ─を読ませてくれた領民の男の子に、服を借りた。
マクホーン家には、貴族の威厳というものがまだ備わっていないため、皆気安く接してくれるのだ。
次に、長い髪が枝に引っ掛かるので、髪を切った。
母のマリアムは絶叫していたが、自分にとっては然程大きな問題ではなかった。だって、なんとしてもこの、祖父についていきたかったから。
アリアナはそれほどにグレイズとの見回りが好きだったのだ。彼は、アリアナでも歩きやすい道をいつも厳選してくれていたし、それでも難しい場合は、困った顔でこちらを振り返ったあとに─おそらく「ここまで来て置いていく方が危険」と判断したのだろう─肩車で川を渡ってくれたりした。
祖父は優しい。こんなに愛情深い人は見たことがない。だが同時に、大変な不器用でもあった。
アリアナはそういうところも含めて、祖父が大好きだ。
あの大きなしわくちゃの手で、国民の命を守ってきたのかと思うと誇らしかったし、「自分もそうなりたい!」と思うのに多くの時間は掛からなかったのである。
(祖父上はこんなに素晴らしいのに───、)
どうして両親と祖父の仲はギクシャクしているのだろうか、とアリアナは不思議に思った。だって───。
父に「大好き!」と伝えると、父は目尻を下げて、「私も大好きだよ」と言う。
祖父に「大好き!」と伝えると、祖父は目尻を下げて、口をもごもごとさせる。
その時の顔はそっくりなので───きっとピッチリ閉じた口のなかで「俺も大好きだよ」と言ってくれているに違いないのだ!
(父上は、それに気づかなかったのかな?それか、今までは『大好き!』って伝える機会がなかったのかも)
そこまで考えたとき、ひっそりとキッチンの裏口が開く音がした。───予定通りだ。
「祖父上、見回りですか?このアリアナがお供いたします」
「……ああ」
(…あれれ? )
アリアナは小首を傾げた。
いつもはここで、「着いてくるな!」「いえ、行きます!」の問答があるのに。
不審な点は、そこだけではなかった。さらに、普段は屋敷で待たせる侍女に、見回りに付いてくるよう指示したのだ。
「おかしいな」とは思ったが、深くは考えなかった。
(今日も、祖父上と散歩が出来る。そして今日こそは絶対、騎士になるための稽古をつけてもらうんだ)
「そふうえっ……、祖父上!」
「……。」
のっしのっしと倒れた大木を乗り越え、岩肌を飛び越えて登る祖父に、アリアナは力一杯呼び掛ける。しかし、全く待ってくれない。そして、振り向いてもくれない。
(どうしよう、このままじゃ見失ってしまう!)
「…アリアナ様、『もう着いては来るな』と言う意味でございますよ。
…ね、ほらもう父上様のところへ戻りましょう?」
侍女の言った言葉。それを、アリアナは聞こえていないフリで流した。だって、認めたくない。
(今まで、こんなことなかったのに。祖父上、どうして───っ、)
なんとかして、道を塞ぐように倒れた木を跨いでやろうと四苦八苦していると、崖を登った先から祖父が見下ろして言った。
「早く戻れ、アリアナ。この程度のことも出来ないお前には、騎士になることなど到底出来はしない!!」
「───!!」
アリアナはピタリ。と、動きを止める…。
耳を塞ぎたくなった。
(どうして……そんなことを言うのですか?そんな……、…ひどいことを)
その答えは、すぐに分かった。
「お前の父と折り合いが悪いのは、お前のせいではない。だから、お前が同情してこの爺の願いを叶えようなどとする必要は無し!もちろん望んでもおらん!!!」
「・・・・・。」
言われて、アリアナは愕然とした。生まれて初めて受ける、頭を殴られたかのような衝撃。
───自分の語った夢が。…どういうわけか祖父を、ジリジリと追い詰めていたのだ。
それも………こうしてわざと傷をつけて拒絶するようなやり方を、選択させてしまう程に。
(祖父上、そうじゃないんです。そうじゃ───、)
…たしかに、<英雄>の正体が、頑なに両親が名前を伏せてきた存命である祖父だと気づいたとき、「皆が仲良く過ごせるように手を尽くしたい」、とは思った。
「そのためならばどんな犠牲を払っても良い」、とも。
…だが、今は違う。
(───『私』が、なりたいのです)
……だからアリアナは……悲しい誤解を解くような言葉を。それから「ごめんなさい」を。グレイズに言おうしたはずだった。
しかし。
「───『同情した』などと、誰が言いましたかッ!!!」
口から飛び出したのは、全く違う言葉。それも、小さな体から発せられる声とは思えない大音声であった。
木々が、大気が、ビリビリと震える。
大きすぎて、アリアナ自身もビックリするほどだったが、それでも口は止まらなかった。頭が霞がかる。喉の奥の奥にまで空気が触れ、目元がカ――ッと熱くなって。
「ッここで丸め込めば済むとお思いのようですが、今朝すでに『騎士になりたい』と両親に申し上げました!!」
「!?」
「父上と母上は……泣いて私に謝って……、っ」
……アリアナは、今は亡き祖母と同じ緑の瞳に、ギラギラと力を込める。
その時、やっと気付いた。
────「自分は怒っているのだ」、と。
「どうして、私が『私のやりたいこと』を言っただけで泣くのですか!?謝るのですか!?
これから先もずっと、『負い目があるから』といって、私を『かわいそう』と断じるおつもりなのですか!?」
もう、飽き飽きだった。
どんな気持ちがあったとしても、こちらの意思を無視されるのは堪える。自分自身をもっと見てほしい。芽生えた自我を、優しく尊重してほしい。
……これは、言うなれば反抗期だったのかもしれない。……子供っぽい、未熟でご都合主義な自己主張。
それでも、確かに本気だった。
「……よろしいでしょう。私の覚悟をお見せいたします」
ふーっ、ふーっ、と肩を上下させて息を荒げる。
「私が祖父上に勝ったら!!騎士のなり方を教えて下さい!!!」
「…っ待て!アリアナ…ッ」
その瞬間に、アリアナは姿を消していた。
近くに控えていた侍女に捕まるよりも前に、子供ゆえの身軽さで跳躍し、生い茂る草むらの中へ身を隠したのだ。
グレイズは木の影によって視界が阻まれてしまう崖上から即座に降り、アリアナを探した───が、その姿はどこにも見当たらなかった。
◇
「ああ、…ああ。今探している。本当にすまない…」
受話器を持ったグレイズ。その向こう側の電話口で、オスカーが取り乱している。
それはそうだ。……なにせ、愛する娘が、獣が出るかもしれない森で一人きりなのだから。しかも、アリアナは黙ってここに来ていたので、オスカーにとっては全てが寝耳に水のはず。
「大丈夫だ。奴の目的は俺だからな。すぐに捕まえて帰す。
アリアナに会えるのが嬉しくて…。──今日までお前に黙っていた、俺の責任だ。本当にすまない。
帰したら、ここにはもう来させるな」
それだけ言って、返事を聞かずに電話を切った。
(さあ、森に入ろう)
アリアナは利発な子だが……所詮は5歳の子供だ。真っ暗闇は怖いし、正体のわからない物音に怯えもする。
柵沿いから音をたてながら追い込みをかけ、包囲網を中心に向けて狭めていけば、すぐに尻尾を出すはずだ。
直ちに、グレイズは計画を実行した。
森を知り尽くしたグレイズにかかれば、子供が隠れられそうな場所もすぐに思い当たる。それらを確認しながら、音をたててアリアナを誘導した。
そうしてやると───狙った通り、彼女は敷地の中央に作っておいた焚き火の前へと、姿を晒したのだった。
「…さあ、観念しろ。アリアナ」
「……。」
アリアナは設置された火を背に、木の棒を握りしめて対峙していた。グレイズは諦めの悪い、緑に輝く眼差しを、真正面から見つめ返す。
(…ここで、完膚なきまでに叩き潰すのが、アリアナのためだ…)
グレイズはそう思った。
志した理由がなんであれ、貴族令嬢が騎士になどなれるはずもないのだから。
「…っやあああ!!!!!」
追い詰められてやぶれかぶれになったのか、アリアナは棒を振りかぶってこちらに向かってきた。…護身用のナイフと小銃を持っているグレイズに、である。
だが、グレイズはそれらを使わなかった。アリアナに武器を向けるつもりは毛頭ない──し、棒を持った彼女よりも、グレイズの腕の方が早く対象に到達する。
グレイズは大きな手で、アリアナの横っ腹を掴み、そのまま地面に叩きつけた。
「ぐっ………ぅ!」
アリアナはごろごろと軽い体を転ばせる。そのまま1本の木の根本に衝突し、止まった。
グレイズは、彼女が手放した木の棒を取り上げる。
(これで武器もない)
丸腰のアリアナには、もはや1%も勝率はない。
「…アリアナ…、」
「!」
諭すような口調になった自分に、はっとしたのだろう。アリアナはせめてもの抵抗に、木に足をかけて、木葉に身が隠れるところまで上っていってしまった。
(ずいぶん、距離を取られてしまったな…)
「……………」
(──いや、悲しむ権利など、俺には無いのだ)
何しろ、アリアナを否定したのは、自分なのだから。彼女がどういった経緯で夢を語ったのかは分からない。けれど、自分の「もう会わない」という覚悟は、もはや揺るぎようのないものなのだ。
(これで踏ん切りがついた)
グレイズの頭が、しん…、と冷静になる。
そして、ちょっぴりだけ思った。
「こんなに心を寄せてくれているのに、申し訳ない」、と。
もしかしたら、全く気持ちを受け入れるつもりのない自分に、アリアナは泣くかもしれない。……だが、それも一時的なもの。
時間が経てば、「元英雄の祖父」のことも、「騎士になりたい」などと戯言を抜かしたことも、きれいさっぱり忘れるだろう。
(────これが最後だ)
グレイズは、静かにアリアナが登り詰めた木へと歩みよった。
「アリアナ、もうやめよう。分かっただろう?
…お前には無理だ」
「うっ……うぅ~……、」
ザワザワと揺れる生い茂った木の上から、呻き声とも泣き声ともつかぬ声が聞こえる。
「さあ、そんなところにいないで、降りておいで。
森を歩きすぎて疲れたろう。暗くて危ないから、馬車までは俺が抱っこして帰ってやる。……ほら…最後くらい、俺にじいさんらしいことをさせておくれ」
(…『最後』と言わず、これからも抱き締めてやれたら、どんなに良いか……)
そんな風に考えた自分に、グレイズは嘲笑を浮かべた。
(馬鹿者め)
「未練がましいのも大概にしろ。こんな大事になってしまったのだぞ」──と自分自身を叱り飛ばす。
(オスカーはますます俺から距離を取るだろう。だから、これが……きっと最初で最後の抱擁になる)
「…………。…さあ、アリアナ……」
呼び掛け、軽く腕を広げて見せたときだった。
ザザザザッ!!
焚き火の揺れる光に合わせて、降ってくるアリアナの影。それは実物よりも、大きく揺らめいて見えた。
(いや、実際に大きい。なんだ、あの手にしている物は)
咄嗟に、アリアナから取り上げた棒で受けるまでは、分からなかった。
近くで見て、ようやく分かる。
(───鹿の角だ)
抜けた鹿の角。それを見つけてきて、あらかじめこの木の上に忍ばせていたのだ。
グレイズは悟る。アリアナが第2の武器に、あえて鹿の角を選んだ理由を。
「っ……」
──それはアリアナが、己の『弱さ』にきちんと向き合っているからだ。
「うああぁッ……!!!」
「…!!」
ギチギチ…ッ!と木の棒が悲鳴を上げている。
いなしにくい形状の武器を、まんまと弱い木の棒で受けさせられた。高所からの落下速度も足した威力で、棒ごとこちらを叩き切るつもりだ。
(最初からこのために……っ!)
当然、正面から戦えば圧倒的パワー差で負ける。
それを加味しての作戦だろうが、この高さから飛び降りる度胸、どんぴしゃで攻撃を当てるセンスがなければ出来ない。
(……しかも、それが出来たとして──力を逃がしにくい武器である分、少しでも己が競り負ければ、勝敗はついてしまうんだぞ………!)
だとしても。………確かにこれが、『勝つ』ためにとらねばならない、アリアナの最善手だった。
(───なんと豪気な………っ!!!)
「…ふぐっ!」
グレイズは張り詰めていた大腿から力を抜き、膝を軽く屈伸させた。武器だけでなく身体全体を使い、アリアナの攻撃を弾き返す。
その反動で、バキリッ…!と木の棒が砕け散った。
アリアナの方も、角を取り落とす。
必死につかもうと踠いているが、手が痺れているのだろう。うまく取れない。
「う、う~っ!!……!、!」
「敗けてしまった」───そう思い、倒れ伏して涙を溢すアリアナを、グレイズは驚愕の視線で見つめる。
「………」
(この子には、騎士になるための圧倒的な才能が備わっている───)
……しかも、すべてのハンデを帳消しにする程の才が。
「───アリアナ。」
「そ、ふうえぇ……っ!」
ボロボロと涙を溢れさせるアリアナの両脇を、下から掴んで立たせる。
「今まで、お、お世話っ…にっ」
ぐずぐずと最後の言葉を紡ごうとするアリアナ。その頬を、グレイズは拭った。
「──………良いか?覚えておけ。
騎士は簡単には泣かない」
「……!」
ポカンとこちらを見上げるアリアナの頭を、ぐしゃぐしゃとかき混ぜたあと。
「……………、」
(いい加減……俺も自分の『弱さ』に向き合わなければな…)
グレイズは膝を付き、ぎゅう、とアリアナを抱き締めた。
…実のところ───グレイズは嬉しかったのだ。
生涯の大部分を注ぎ込んできた職業に、他でもないアリアナが「なりたい」と言ってくれたことが。だからもし……自分の在り方を理由に、彼女を否定してしまうのならば………。…いや。本心では「彼女の意思を尊重したい」と思っているならば。
───孫娘に誇れるような自分に、ならなくては。
「…………ありがとう…………」
グレイズは、思わずそう呟いていた。…が、アリアナの鼻を啜る音が大きすぎたので、彼女に聞こえていたかどうかは定かでない。
この大がかりなかくれんぼが終了するまで、実に約8時間の時が経っていた。
その後、グレイズはオスカーに直接会って、今回の件を謝罪し………あわせて「アリアナを騎士とするための稽古をつけたい」、と申し出たのだった。
実際のところ、オスカーがそれらを許してくれるとは、到底思えていなかったグレイズ。
しかし、オスカーはその予想を裏切った。
拙く形式張ったこちらの謝罪を最後まで聞き終えた息子は、自分がアリアナを『要らない子』としていたわけでないことを理解してくれたのである。
その上、「アリアナの望みであれば」と、今後騎士になるまでの稽古さえも、了承してくれたのだった。
◇◇◇
「──いや、それにしても、じいさんを含めてマクホーン家はアリアナに依存しすぎだ。
負い目を感じるあまり、リア自身への理解を疎かにしてるだろ」
長く話し終えたアリアナとグレイズに、ヴォルフが口を開く。
「実際、負い目を感じるなりに助けようと行動に移したのはユースだけだ」
そうヴォルフはグレイズを糾弾する。
あまりに砕けたその言い草に、グレイズはピクリと眉を動かした。
ヴォルフの主張を聞いていたアリアナは、首を傾げる。彼に言いたいことがあったのだ。
「そう言う君だって、私に確認を取らずに不正を働いたばっかりじゃないか」
「…。」
どうやら、それを言われてはぐうの音も出ないらしい。口を引き結んだヴォルフに、今度はグレイズが目を笑わせている。
「………………」
だがヴォルフの言う通り、マクホーン家の者達が、心の深い部分で「アリアナに申し訳ない」、という感情を根付かせているのは、事実だった。
「そんなふうに思う必要はない」とアリアナが言ったところで、その罪悪感は消えないのだろう。
(だからこそ『騎士を続けたいので結婚しない』、とは言えなかったのだから)
今後も、愛する家族が手放しに自分の真意を理解しようと努めることは、難しいのかもしれない。
(けれど…)
「…もう、大丈夫だよ。だってこれからは、君が理解してくれる」
「!」
「…んだよな?」と言って、アリアナは隣に座るヴォルフを見上げた。
(…いや、本当は『理解』なんて難しいことはされなくていいんだ。…ただ、ほんの、ほんのちょっとだけ───フラットに、私を見てくれたら)
それはある種の予防線だった。口にはしない、自分にだけの。
…だが、ヴォルフは目敏くその不安に気付いたらしい。───本当に、よく見てくれている。
ニッ、と笑って、彼がこちらの頬を撫でた。
「もちろん。俺たちは『家族』である前に、れっきとした『相棒』だからな」
そう言ってパチリと片目を瞑ったヴォルフに、アリアナは心底安心したのだった。
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