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女神様は語る

「ここ長くなっちゃったから、削るぞ~!」って修正し始めたはずが、逆に長くなってしまいました。のんびりお読み下さい。

「ユース。急な願いに応えてくれて、本当にありがとう」

「いえ、構いませんよ。姉上が山籠りだなんて、僕も心配ですから」



 連休の3日目。

 ヴォルフとユーストスは、グレイズの隠居先へと向かっていた。昨日、先発でマクホーンのタウンハウスを出発したアリアナの後を、追いかける形である。

 マクホーン領は王都から南側、国道を馬車で半日程下ったところにあり、そこから山道を更に2時間程進んだところが、目的地であるグレイズの住む家だ。


「ぅわっ…」

「!」


 王都の駅構内、人混みを掻き分けていた最中。

 少し後ろからユーストスの控えめな悲鳴が聞こえ、ヴォルフは振り返った。2、3歩戻って、よろける彼の腕を取り、引き起こす。


「大丈夫か?」

「はい…。


…あのっ!すみませ───って、あれ…?」


 ユーストスがキョロキョロと辺りを見回す。多分、すれ違いざま誰かにぶつかったのだろう。そして、先を急ぐ人々は悠長にユーストスからの謝罪を待つことはしなかったらしい。


「行ってしまったのか……」

「お前がわざとぶつかった訳じゃ無いんだろ?こんだけ人がいりゃ、気を付けてても誰かしらにぶつかる……気にしすぎるな」

「そう言うものですか」

「そう言うもんだ。

とにかく今は、乗り場に着くことだけを考えろ。出発まであと15分──急行列車を逃したら、大変だからな」


 貴族として、こういったごみごみとした場に不馴れであろうユーストスには悪いが、時間短縮のため、交通手段には機関車を選んだ。マクホーン領到着後は、駅から馬車で移動する手筈である。



「分かりました、では急ぎま───わっ」

「……ユース」


 言った側から早速人波に揉まれかけたユーストス。


 その手を、ヴォルフが掴んで引き戻す。…くい、と片方の眉を吊り上げて言った。


「迷わないように、手でも繋いでてやろうか?」


「!──はいっ」


「………」


 からかい混じりの提案に、元気な返事が返ってきて───ヴォルフはこっそり面食らった。

 初めて会った時、あれほど敵対心を剥き出しにしていたのが、嘘のようである……。


(家族以外からの『子ども扱い』を、満喫してる節があるよな……)


「………じゃあついでにそこの店で、食い物でも買って行くか」

「え?でも急がないといけないのでは……??」


 言いつつも、ユーストスの目線が既に店へと向かっている。


 ヴォルフは思わず苦笑した。


 ユーストスは確かに華奢で、人から自然と避けられるような風体には程遠いだろう……が、人にぶつかられる要因はきっとそれだけじゃない。

 さっきから、彼が物珍しそうに辺りを見回していたのには気が付いていた……おそらく、そうやって注意力を散漫にさせているせいで、向かってくる人間を咄嗟に避け切れないのだろう。


 ──ヴォルフは、ユーストスの手を握り直した。



「そのぐらいなら大丈夫だろう──ていうか、なんか無性に買ってやりたくなったんだ。付き合えよ」

「……!…ありがとうございます。…ほんとはどんな味がするのか、気になってて……」

「ん。じゃあ、行こう。時間に間に合うように」

「はい!」


 姉似の良いお返事にまた1つ苦笑し、ヴォルフはユーストスを自分の背に入れながら手を引いた。




 ───ガタンゴトン……、ガタンゴトン……、


「どうだよ?初めてのハンバーガーは?」

「美味しいです!なんというか……満足感が違います…!!」

「へえ~…?そりゃ良かったな」


 はぐはぐ、と豪快に齧り付いているつもりなのだろうが、どこかお上品なユーストスに、ヴォルフは吹き出した。



 無事に乗り込めた急行列車。

 ヴォルフとユーストスは、4人掛けのボックスシートに向かい合って座れていた───料金を上乗せし、その列車内でもランクの高い車両に乗ったため、幸い2人の車両には人が多すぎるということもなかったのである。



 とは言っても、その乗客は就労者が大半を占めている。お貴族様が、風景やら食事やらを楽しみつつ乗るような列車で無いことは確かだ。


 そのため、ユーストスには浮かないように、ごく一般的な少年の格好をさせている…、が。

 どうにもその気品のある佇まいと美しさは隠せないようで、周囲からちらほらと視線を集めてしまっていた。


 滅多に手に入れる機会がなかったのであろうハンバーガーは、ユーストスの好奇心をよほど煽っていたらしい……食べるのに夢中になって、帽子が浮いていることにも気づいていない。警戒心などまるでない綺麗な顔が丸見えだ。


「………」


 ヴォルフはその鍔を掴んで、より深く帽子を被らせた。


「!…ぁ、」

「ん」


 物盗りに遇わないようにすることも兼ねた変装であることを、ユーストスにもあらかじめ伝えてある。彼はこちらの意図を理解したのだろう。一度食べるのを中断し、乱雑に下げられた帽子をきちんと目深に調整して、被り直した。


「…ふふっ」


 面白そうに笑うユーストスは、格好も相まってずいぶん年相応に見える。


(弟がいたら、こんな感じだったかな……)


 ヴォルフは一人子だが、ぼんやりとそんなことを考えた。


(───まあ、実際義弟(おとうと)になる予定だが)



「ユースは、自分が愛される術を知ってるな」


 腰かけていた席の手すりに肘を置き、ヴォルフはゆったりと居ずまいを崩す。


 そして「良いことだ」、と頷いた。


 それを聞いたユーストスが、食べ終わった後の紙屑を綺麗に畳みつつ、目をぱちくりとさせてから笑う。


「当然です。あの姉上の弟ですよ?」


「!ははっ…、…確かに」


 ヴォルフは、今頃山に野宿して鍛練を行っているであろう婚約者様を思い浮かべた。


(アリアナの場合は、少し天然ぽいけどな…)


 どちらにしてもこの姉弟は2人とも、人に愛される術を知っている……。



 ───と言うよりかは、『愛されてしまう』状況作りがやたらと巧いのだ。



 アリアナやユーストスと一緒に居る時は、『苦痛だ』と思うシーンが、他の人間と居る時より極端に少なくなる……。それは彼女らが、相手の意思を尊重することを、常に心がけているからかもしれなかった。



 有り体に言うと、『居心地が良い』のである。


 人はそれが永く続くと、勝手に『気が合う』と判断する。



 ──その言動や思考に、実際にはどれだけ大きな隔たりが有ろうとも────である。



(…………)


 例を上げれば自分とアリアナだ。

 彼女と過ごす時、自分達の間には身分や育ち方、そして他人への向き合い方に、酷く高い壁があるのは確かなのに────それを理解していてもなお、付き合っていく上で『不快だ』と思ったことはなかった。


 その壁に『契約』という名の扉を取り付けたのは自分だけれど………それにしたって、彼女は『よき隣人』としての振る舞いが過ぎるのである。



(そうやって『かけがえの無い人間だ』と思わせるだけ思わせるくせに──、)



 ……『築いた関係を使って自身の利益を出す』、ということについては、ほとんど無頓着ときている。




「………」


 ヴォルフは、それが引っ掛かっていた。



「──あ。そうそう…」

「?」


 ユーストスからふいに掛かった声。ヴォルフは考えるのを1度止めて、そちらに目をやった。


「実は、僕も祖父上にお会いするのは初めてなんです。電話で『姉上の婚約者と伺う』ということは、事前にお伝えしたんですが……。


もし受け入れを拒否されても、我が家のカントリーハウスがあるので。寝泊まりについては安心してくださいね」


 そうユーストスが苦笑しながら言う。


「……『初めて』?

待て、もうすぐ…16歳になるだろう?これまで1度も会う機会がなかったのか?」

「ええ…。話すと長くなるんですが…姉上に見合いの話が出るまでは、お互い連絡も取り合ったことがなかったんです」

「………」


 思わず黙り込むと、ユーストスがポツリと言った。


「…やはり、そう言う関係は異常でしょうか…」


 そして、自虐的な笑みを浮かべるユーストス。彼に向かって、ヴォルフはひょいと肩を竦ませて見せた。


「良いぜ。機関車でも、マクホーン領の駅まで4時間あるんだ。ゆっくり聞かせてくれよ」



 ヴォルフは1度座席に腰掛け直す。

 促すようにユーストスを見ると、彼は信じられないほど綺麗に笑った。



「えっと…じゃあ────、」



 そう言って口ごもる。だけどちょっぴりの照れ臭さを滲ませて語り出したのを見るに……本当はずっと前から、誰かに言ってしまいたかったに違いなかった。




◇◇◇




 自分が『姉』、という存在を認識したのは、2歳頃だったか──とユーストスは思い返す。


 その時から「なにやらこの人物はおかしい」、とユーストスは勘づいていた。


 だって「いいこ、いいこ」と大事そうに触れてくれる手のひらには、いつだってマメが出来ていて、父より、母より、その感触が硬かったから。それが、自分とそんなに歳が変わらない子供において、似つかわしくないものであることは、まさしく肌で分かっていたのである。


 数日置きに撫でてくれない日があるのは、きっとマメが潰れてしまったから。

 自分を汚してしまうんじゃないかと懸念して、「いいこ、いいこ」を自粛しているのだ───というのにも然程時間を置かずに気がついた。



(どうして、『あねうえ』は手をケガしているのかな)


 砂場で遊ぶなら、ちゃんとスコップを使えば良い。それがダメならせめて、手袋を嵌めれば良いのだ。


(『じじょ』や『しつじ』たちは一体何をしているんだろう。『あねうえ』がケガをしないように、助けるのが仕事のはずなのに!)



 そう思って使用人らを観察したところ、父と母以外の者は、まるで腫れ物のように姉を扱っていることが分かった。


 そしてそれは、たまに姉がどこかへ出掛けて行くとき、より顕著になる。



 ──おそらく出掛けていく先に、なにか問題があるのだ──。



「…………」


 マクホーン家本邸の1階にある窓から、一生懸命顔を覗かせて──ユーストスはアリアナを乗せた馬車がどこかへ行くのを見送った。

 自分では活動範囲が狭すぎて、姉が行く先を直接見て確かめることが出来ない。




 ───3歳になる頃。

 ユーストスは、自身の愛らしさを最大限活用してメイドや執事から情報を聞き出した。


 ─「あのね、あねうえが居なくて、さみしいの」。

 ─「ねぇ、どこ行っちゃったの??早く、会いたいよー」。


 覚えたての単語を、舌足らずにつっかえながら話す姿に絆されたのか……執事がこっそり教えてくれた。


 ─「姉上様…アリアナ様は、お祖父上様のところへ行かれているのですよ」。


 ─「だから、なーんにも心配することはございません。すぐに、帰っていらっしゃいますからね」。


 執事は目線を合わせ、噛んで含めるようにそう言い聞かせてきた。


(……なるほど)


 どうやら自分の父の父が、大好きな姉をいじめているらしい。あんな、手がぼろぼろになるまで!


(…わるものめ。僕が大きくなったら、すぐにやっつけてやるんだから)


 「いつか自分が姉を助けてあげるんだ」と、ユーストスは息巻いていた。




 ──4歳になった頃。

 本邸の庭では、マクホーン家主催のお茶会が開かれていた。それは成長したユーストスの公式な御披露目と、お友達作りの場を兼ねていたのだけど──そのときはそんな事情など、気にも止めていなかった。



 せいぜい、「今日はなんだか、たくさん歳の近い子がいて嬉しいな」といった程度である。だから最初は、とても楽しかった。


(──あねうえは、どうかな??)


 ぱっ!と姉を探して振り返る。

 見ると、アリアナも多くの幼い令嬢たちに囲まれていた。

 ユーストスはきゃっきゃっ、と大変楽しそうな彼女たちの様子に、寂しさと安心の両方を覚えた。


 ──が。その瞬間、あることに気がついてしまったのである。



 ……アリアナの、肌の色が違う。

 他の令嬢たちは透き通るような白い肌なのに、姉は日に焼けて浅黒い肌をしていた。


 ……アリアナの、髪が違う。

 他の令嬢たちはみんな髪を長く伸ばして垂らしているのに、姉はさっぱり耳下で切り揃えている。



「……ッ、!!」


 ユーストスはだっ!と走り出した。

 アリアナの周りに集まる全ての令嬢たちを押し退け、姉の腰辺りにしがみつく。


「~~~~っ……」

「わあ…!どうしたんだ、ユース。…日に当たって気持ち悪くなった?」

「……、……、…」


 令嬢方とのお話を邪魔して、無言で抱き付く自分にも、姉は優しかった。


「大丈夫か?お水を持ってくる?…いいの?そうか…よしよし」


 何も言わず、首を横に振るだけの自分を、姉は責めずに優しく撫でてくれた。



 「きっと、姉を取られたように感じて癇癪を起こしたのだ」──と、周りは思ったに違いない。


 そうではなかったはずだが、このときの気持ちは言葉にしがたい。あえて表すなら、「びっくりしてしまった」というのが一番近いだろうか。


 「姉が自分とは違うようだ」というのは分かっていた。

 ──だが、他のみんなとも違っていたなんて。


(どうして、どうして)


 ユーストスは訳も分からず、歯をギリギリと喰い縛った。




 ──5歳になったとき。

 ユーストスは出掛けていくアリアナの手を引っ掴んで、屋敷から出さないようにした。


「どうして行くの!?行かないで、あねうえ。

一緒にあそぼう?」


(『そふうえ』のとこへなんか、行っちゃダメだ!)


 そう言うふうにすると、姉は困った顔をしつつも何回かに1回は屋敷に留まってくれた。

 それがアリアナを助けているようで誇らしく、ユーストスはご満悦だった。


(そうだ、わるもののところへなんか、行かせなければ良いんだ)



 ……だが、姉が『祖父の元へ通う』ということ自体を、やめることはなかった。


 そうなってくると、だんだんイライラが募ってくる。


(どうして?せっかく僕が、頑張って守ってあげてるのに)


「…~~っ、」



 姉と、姉を見送るため集まった使用人たち。…彼らの居る玄関ホールで、ユーストスは小さな拳を握りしめた。

 自分の親切心が、大好きな姉に受け入れられないという事実が、耐え難かったのだ。


 それで…………、ユーストスは遂に、言ってしまったのである。



「…分かったッ!!じゃあ、僕も行く!!!」



 ───── ビ シ リ 。



 と。まさしくその場の空気に、ヒビが入った。


「「「……!!!」」」」


 周りの使用人たちが、皆慌てたように目を白黒させている。



「え…」



 ユーストスはその異様な雰囲気を感じ取り、立ち尽くした。


「……もう、ユースったら……」


 と、アリアナの小さな苦笑だけが、ホールに響く。

 「…すまない。でも、それはまた今度だ」と言い残し、ユーストスの頭を撫でたあと、彼女はそのまま馬車に乗って行ってしまった。



「………………。」


 置き去りにされたユーストスは、まるで迷子にでもなったような心地だった。

 これまで姉を食い止めるため、わがままは色々言ってきたが………明らかにさっきのは、今までと様子が違っていたから。


(…もしかして。いや、まさか──)


 姉が手にマメを作るのは。

 姉が祖父の家に通うのは。

 姉が他の令嬢と違うのは。



(………僕の、せい?)



 どくん、と心臓が嫌なように脈打つ。



 それからのユーストスの行動は早かった。

 図書室に篭ってマクホーン家の歴史を調べ、父が王都へ出張している際に書斎へ入り込み、自分が産まれる前に付けられた日記を、難しい言葉は調べつつ読みふけった。


 ……そこには偉大な祖父の功績と、『伯爵家』としてのマクホーンの成り立ちが記されており………それらを統合すれば、姉のこれまでを推察するのは容易かったのである。




 祖父は戦場にて類い稀な武功を上げ、爵位の授与をされた。

 が、その後も与えられた領地に戻ることはなく、一線で戦い続けた。


 残された父は当時すでに騎士見習いであり、翌年から騎士となることが決まっていたらしい。祖父の後を、順調に追いかけていた…と言っても良いだろう。


 しかし運悪く、その年の夏。

 領地に嵐がやって来て、農作物は枯れ──氾濫した河は民たちの家をさらってしまった。


 そこで、父は騎士となる夢を諦める。

 国王からほとんど無理やりに与えられた領地だとしても、そこには幾人もの領民が生活しているのだ。父に、『その人々を見捨てる』という選択肢はなかった。


 父は、運営建て直しのため奔走した。この頃すでに祖母は儚くなっていたため、右も左も分からなかった父は、とにかく独学で勉強と視察を重ねた。


 問題は冬だった。

 災害によって受けた傷をどれだけ癒そうとも、戻らない物だってある……。それは食糧だ。

 とうとう前年までの備蓄分が底を尽きかけ、父は絶望した。

 ……死ぬほど頑張った。…だが、手は及ばなかったのである。



 何もかも諦めようとしたとき───現れたのが、南のマクホーン領へ休養に来ていた母であった。

 彼女は偶然にも、アスガルズのずいぶん北にある、大地も凍る極寒の地を治める貴族家のお嬢様だったため、冬を生き抜く術を熟知していたのである。


 2人はお互いに手を取り合い、なんとか冬を乗り切った。


 そして、春が来たとき、戦争は完全に終結したのである。




「……………」


(領地へ戻ってきた時──そふうえは、何を思ったんだろう)


 騎士としての誇りを捨てた、父への怒り?

 はたまた全てが変わり果て、居場所が無くなっていたことに対する寂しさ?


(……わからない)


 ……とにかく、祖父はその後、時を開けずに隠居してしまったのである。



 父と母は春にすぐ結婚し、幸せな家庭を築いた。が、もともと病弱であったことにあわせて、父と祖父の仲の悪さを気に病み、母は体調を崩しがちだったという。

 元々、南の暑すぎる夏には耐え切れなかったのかもしれない。


 だが、そんな中でも母は懐妊した。これには父も祖父も大喜びだった。母も、自身と腹の子が夫と義父の間を取り持つ架け橋となれたことを大層嬉しく思っていた。



 ………が。

 産まれたのは女児であった。それも早産で小さな小さな。



 ────それが、(アリアナ)だ。



 彼女の小さな手に触れられることを、父は涙して喜んだ。しかし、祖父はそうではなかった。


 「せめて元気に、健康に産んであげられたら良かったのに。それも出来なかった」……そう思い込んだ母の体調は、どんどん悪化していった。



 ──『マクホーン家はこのまま、負の連鎖に取り込まれる』──。



 屋敷中の皆がそう思ったが、結局、そのようにはならなかった。


 姉が、まるで夏に芽吹くひまわりのように、ぐんぐんと成長していったからである。

 「アリアナが声を上げて笑うだけで、暗く淀んでいた屋敷の中に日が射し、一迅の爽やかな風が吹き込んでくるような心地がした」──と、父の手記には記されている。


 そして、もうすぐ姉が5歳になるという頃。

 彼女は御者と侍女に我が儘を言って、よく祖父の家へ遊びに行くようになった。

 2人の間に、どんな言葉があったのかは分からない。しかし、祖父は姉と心を通わせ、彼女へ騎士になるための手解きをするようになった。

 そして徐々にではあるが、父と母に歩み寄るようになっていったのである。


 父には複雑な思いもあっただろう。「アリアナを1度退けたくせに、今さら歩み寄りも何もあったものか」と、憤ったかもしれない。

 しかし……何よりもアリアナ本人がそれを望んでいたため、父も拒絶は出来なかった。



 祖父は、戦うことで得た資産のほとんどを注ぎ込んで、本邸の近くの風が吹く丘に、避暑となる別邸を建てさせた。

 そして、母の故郷の針葉樹を多く取り寄せ、別邸を守る影となるように林を作ったのだ。

 母は何よりその心遣いを喜び、夏に限らず多くの時間をそこで過ごした。徐々に回復を見せる母に、ようやく運が回ってきたと思ったその頃──極めつけに起こった奇跡が、2度目の懐妊である。

 父も祖父も母も姉も、屋敷中の皆が手を上げて喜んだ。



(………そうして産まれたのが、僕だ)


「…………」



 ユーストスは、パタリ。と書物を閉じた。


(…僕が産まれたとき、皆はどう思ったんだろう)


 小さな頭で、考えを巡らせる。


(待望の長男が生まれたのは、間違いなくあねうえのおかげだ)


 女児であるからと言って距離を置いた祖父の心を開かせ、女の子らしい遊びは一切せずに剣を振るい、1人きりで家族を繋ごうと尽力してきた。



(…だけど、僕が生まれてどうなった?)



 マクホーン家の救世主である姉は、その瞬間皆にとって壊してはならないガラス細工へと変貌してしまったのではないか?

 間違っても男児である自分が、彼女に取って代わることがないように──と、周りは常に神経を磨り減らしていたのでは?


(……でもあねうえは……『そうじゃない』、よね??)


 ユーストスは考え込む。


(だって、一番僕を可愛がってくれているのが、あねうえなんだから)


「……、…、ぅ…」


 気がつくとユーストスは大きな瞳から止めどなく涙を溢していた。


 そして、決心する。


(あねうえが出来ないことは、全部、僕がやる。もう我が儘も言わないし、家を継ぐための勉強だって寝ずにやる。社交で舐められないようなマナーや言葉遣いも)


 むしろ、これで姉を支えられる人間に「なろう」と思えなければ、それは嘘だろう。


(全部、全部)


 これからは自分が、姉を守るのだ。


(あねうえがこれ以上、もう何も心配せず、自由に暮らしていけるように)




◇◇◇




「……」


 黙って耳を傾けていたヴォルフが突然、ヒョイ、とユーストスの帽子を取り上げる。


「あっ、ちょっと!」


(わざと変装してるのに、なんで帽子を取るんだ!)


 ユーストスはそう思って、帽子を追いかけた。


「こっち来い」

「…?」


 ヴォルフが、対面でなく隣の席へと誘導してくる。


「まったく……。姉貴とおんなじ顔してるなぁ」


 ため息混じりにそう言われて、隣に腰掛けつつ反論した。


「…嘘だ。よく『似てない』って言われるんですから」

「いや。泣いてる顔が」


 それを聞き、ぷっ!と思わず吹き出す。


「それこそあり得ないです。だってそもそも、姉上が泣いてるところなんて、見たことがない」


「………」


 「それに僕だって泣いていないでしょう?」と続けたが、相手は何も言わなかった。

 そうしている内に元通り、帽子が被せられる。


「…なあ。アリアナは自分の意思で、騎士になりたかったんだと思うぜ?

その他の色んな良いことは、ただの副産物だ」

「!」


 ユーストスはポカン、とした。


(…『副産物』?って、もしかして僕も含めて?)


 ヴォルフが構わず続ける。



「リアが『騎士を続けたいから結婚する』って言った時の目は、マジだった。『誇りを持ってる』って言ったときも」


「!………」


「だからさ、『お前のせい』な訳が無いんだ。ユースは何も気にしなくて良い。



今まで、良く頑張ったな」



 「あーあ、こんなに優しい義弟が出来るなんて、俺は幸せ者だ」。…そう言ったヴォルフに、頭を引き寄せられた。


 ちゅ。


「!、」


 帽子の上から、何かを軽く押し付けられた感触。…多分、親愛のキスだ。


 …自分より危険で。

 …自分より大人で。

 …自分より強い。


 そういう、家族じゃない人───姉と自分の、理解者からのキス。


「…へへ」


 ユーストスは、照れ臭くなって笑う。



「姉上も、たまにしてくれるんです」



 そう言うと、ふ、と笑ったヴォルフから「知ってるよ」と返事があった。





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