兎騎士は酒を注ぐ2
───カランコロン。
「いらっしゃいませ」
……その一瞬、全ての音が止んだ。
まだ開店してすぐだから、客はまばらではあったけれど───それにしたってちょっと異様なくらいに、しん…っ、と静まり返る。
その男女が足を踏み入れただけで、<R's>がまるで別の店のようになってしまった。
「やあ、一週間ぶりだな?」
その雰囲気をものともしない様子のヴォルフが─多分日常茶飯事なのだろう─気軽な感じで声を掛けてくる。
それに、ジャックも軽く目線で挨拶を返した。
「どうも、ヴォルフさん…。…その方たちはご友人で?」
「ま…兼、仕事仲間だな。
カウンター空いてるか?3人座っても?」
「もちろん。どうぞ」
初めて開店後にやって来たヴォルフが、いつもの席に予約が入っていないかを確認してくる。
それに答えたジャックが促し、3人ともが腰を落ち着けたところで………やっと店の喧騒が戻ってきた。狂った調子が、元に戻ってきたらしい。
(…わかる)
ジャックは内心で頷いた。
おそらく店内にいた全員が、この3人の迫力に圧されてしまったんだろう。それにようやく慣れたためのざわめきだ。
(およそこんな庶民向けのカフェバーに顔を揃える面子じゃないことは、間違いないもんな)
そう考えつつ、いつも通り適当に用意し始めたのは、ヴォルフの分のお酒である。
「あっ、私にはオレンジ系のお酒をちょうだい?兎のボウヤ」
手を上げてそう言う美女に、こくりと頷いてから話す。
「ジャック・ロープと申します。……貴女のお名前を伺っても?」
「…あら。怒ったの?ごめんなさい。でもヴォルフが言ってたのよ?」
言われてそちらを見ると、ヴォルフが顔に手を被せてくすくすと笑っていた。
騎士団では、業務中通信機を使って話す時、万が一敵に傍受されても問題ないように隠語を使って指示をだす。
「鹿、B5地点にてA6せよ」というように指示し、指示受けしたものは事前に部隊で周知されていた隠語表で各自復号して作戦を実行する。なお、この隠語表は複写することを禁止されており、作戦前に燃やされるため、その都度暗記だ。そして作戦ごとにまったく別のものが作成される。
だが、騎士個人を指す隠語はほとんど変わることがない。なので、仲間内でも生活に定着していると思う。
ちなみに──アリアナは『鹿』、第1小隊長は『梟』、第2小隊長が『鷲』で──自分は『兎』だ。
正直実家で兎を捌いているのに兎騎士とは、結構複雑な気持ちになる。仲間にからからかわれる時、「ウサギちゃん」などと言われるのも癪だ。
「……………」
ジャックが珍しくむすっ、としていると、そのことに気付いたヴォルフが「まさか本人の前でそんな言い方するとは思ってなかったんだ、悪かったよ」と肩をすくめて謝ってきた。
しぶしぶ許すと、そのタイミングで美女が口を開く。
「私はアハルティカ・フリファクシム。
こっちはレイバン・フガムーンよ。よろしくね、ジャック」
にこっ、と微笑むアハルティカと、軽く会釈するレイバン。
「こちらこそ、よろしくお願いします……レイバンさんは、何にしましょう?」
「うーん、そうだなぁ…。じゃあヴォルフと同じものを」
「かしこまりました」
3つのお酒を、まとめてカウンターに置く。
「「「良き日に」」」
乾杯して口に含んだあと、アハルティカが目を見開いた。
「!このお酒……、」
言われて、首を傾げる──ご所望のものを作ったはずだけれど。
「?『スコーピオン』ですが…」
「意味は『瞳で酔わせて』…、騎士ってみんなこうなの!?」
「いや、アリーはもっとすごかったけど!!」と、大きな声を出すアハルティカに目を瞬く。
「…???」
(まだひと口目なのに、もう酔いがまわった?………いや。そんなはずないけど、一応次のは薄めに作ろう)
「俺はそう言うのの意味はわからん。アハルティカはマメだな」
そう言ったヴォルフに、「あんたは覚えるのが面倒くさいだけでしょっ!」と吐き捨て、アハルティカがグラスを揺らした。
「んふふ…。…今日は本当に『良き日』だったわ…」
「ずいぶんとまあ、ご満悦だな」
「そりゃそうさ。正直『女神のように美しい』って文句には、俺も仰天した」
「信仰の象徴で例えるなんて、アスガルズじゃ最上級の褒め言葉だ」──と、2人の会話に加わったレイバンが、くすくすと笑う。
「ヴォルフはもう慣れたのかもしれないが……普通、顔の整った平民の女が『商売してる』なんて言えば、決め打ちで『この売女が!』とか言ってくるんだぞ?貴族は」
「そんなのマシなほうだわ!『汚い泥棒猫!』とか言ってくる貴婦人もいるのよ?
誰も狙わないっつーの、あんな狸ジジイ!」
過去の事例を思い出したのか、プンプンと怒って見せるアハルティカを他所に、ヴォルフは目を細めた。
「それ、リアに話したら『ハル自身の清廉さを理解しようとしないなんて、嘆かわしいにも程がある!』──とか、『私がその場にいたら、うっかり斬り捨ててしまうところだった』──とか言い出すぞ。きっと」
済んでしまったことなのに、大激怒するアリアナが想像出来てしまい、ジャックもくすっと笑う。
「やだー、言われたぁい」
うだうだ言いながらアハルティカはスコーピオンを飲み干した。
度数は高いはずだが難なく呑み進めているので、「酒ではなくアルに酔っているのだな」と察する。
アハルティカが、空のグラスをカウンターへ差し戻した。
「ね、ジャック。緑のお酒をちょうだい。
ちょうどアリーの瞳みたいな」
───「私、わかってるんだから」。
とでも言うような瞳で見上げられ、思わず責めるようにヴォルフを見る。
…と、彼は「そりゃ冤罪だ」と身振りだけでこちらに示してきた。
(……え。俺ってそんなに分かりやすいのか?)
と、内心で焦るジャック。それすら悟ったのか、アハルティカが「大丈夫、ただの勘よ♪」と魅惑的に笑った。
ジャックは観念してお酒を作り出す。緑色のリキュールが、瓶の縁からカップへ鮮やかな橋を作り、電球の光を跳ね返した。
「へえ、綺麗なもんだな。俺も貰おう」
それを見ていたヴォルフが、1杯目の酒を呷ってグラスを空にする。
「じゃあ俺も便乗だ。この店のお酒はみんな美味しいみたいだからね」
続いてレイバンも、空になったグラスを振る。
ジャックはそれにこくり、と頷いて──その後、少し唸った。
「…ヴォルフさんには作りたくないな…」
「なんだと?客の要望に答えてくれないってのか?」
口を尖らせてこちらを見てくる、じとっとした目。
ジャックはそれに耐えきれず、ため息をついてから慣れた手つきでお酒を作った。
ココナッツミルクの代わりに、ココナッツリキュールを入れて、全体に透明感を。そして、緑色が少し強めに出るように。
「お待たせしました。
『グリーン・アイズ』です」
「意味は『見つめないで』。……あなた、ちょっと後ろ向き過ぎない?」
「そんなだからぽっと出にかっさらわれるんだ」
「もっとガンガンいかないとアリーには気づいてもらえないぞ?」
「うるさいな?!このオトナたち!?」
(──さては、心は学生気分だな!?)
「色もちょっと薄いぞ?」などと、やいやい言われてうんざりする。
3人はグイ、と飲み干した。
「「「やり直し」」」
「…………………………」
…はあ―――っ、と長いため息をついたあと。
ジャックはあるお酒に手を着ける。
さっき使ったメロンリキュールじゃなくて…、もっと濃い──彼の人の瞳に近い色の、お酒。
(結局言えずじまいになった気持ちを、この人たちの前で表すのは………少し、気が滅入るけれど)
……ジャックは丁寧に、丁寧に仕上げた。
「──どうぞ。
…………『グラッド・アイ』です」
差し出したのは、透き通るような緑。本来そのお酒の特徴とも言える『濁り』をさせなかったのは………ジャックがそうあるべきだと思ったからだ。
アハルティカは、グラスを手に取ってゆっくりと回し、光が透けるのを楽しんだ。
「───『君にときめいて』………か」
「…うふふ、なかなか良いんじゃない?」と、お褒めの言葉を頂く。……どうやら、合格点だったらしい。
「「「アリアナに」」」
チン、と乾杯してからアハルティカはニコニコ笑って口をつけた。
「………」
甘い……が、その後すぐにミントの爽やかな味が広がって、くどくない。
……いつまでもいつまでも、飲んで酔っていたいような気持ちにさせられてしまう……そういうお酒だ。
──「この『うさぎさん』も、そんな気持ちなのかしら…?」──などと、長い片想いにアハルティカが思いを馳せたことになんて、ジャックは気が付かなかった。
──3人はこのお酒が大層気に入ったようで、来店した際必ず1杯は頼むようになったとか──。
◇◇◇
「──でもヴォルフ、一番驚いたのはあんたによ」
何杯目かのグラッド・アイを飲みながら、アリアナの話に花を咲かせていた頃。アハルティカがポツリと呟いた。ヴォルフは眉を上げて聞き返す。
「なに?」
「だってあんた、寄ってくる女は皆『使える』か『使えない』か、でしか見てなかったでしょ?
『使えない』子は千切っては投げ、千切っては投げ」
「………」
(……人聞きの悪さも、ここに極まれりだな)
と、ヴォルフは考えた。
「『使える』子は骨抜き、まさに『肉と皮だけで頭空っぽなんじゃないの』、ってくらいあんたに依存するように仕向けてたくせに。
アリーの………あの様子と言ったら!」
思い出して堪えきれなくなったのか、軽くテーブルを叩きながらアハルティカが笑う。ヴォルフは彼女の言葉を聞き終えてから、1つずつそれを訂正していった。
「おい。俺がそんな悪どいこと、いつしたって言うんだ?するわけないだろ。
今までもだって、少なくとも俺の意思で『依存させよう』としたことなんてない……。向こうが勝手に惚れるんだ」
ひょい、と肩を竦ませつつ言うも、アハルティカは「あー、ハイハイ」といった感じで取り合わない。
「リアにだって、ごく普通に『相棒』として接してるつもりだが?」
酒をくぴりと含みながら言うと、これにはすぐ反論があった。
「うそ!あんたの視線、とっても熱っぽかったわ。
アリーがまっ…たく気づいてないから笑っちゃうところだった!」
「ねぇ?レイバン?」と話を振られたレイバンも、思い出したのか「あー…」と声を出した。
(なんだよ、『あー…』って)
「言いたいことがあるなら言ってみろ」と、ヴォルフが手振りでレイバンを詰る。すると彼は苦笑して話を微妙に逸らした。
「…というか普通、婚約したてなんだから、連休中ぐらいもっと婚約者との楽しい予定を立てても良いはずなんだが…ふっ…『山籠り』って…!」
「!…ね!!それね!!」
あはは、と二人が笑い出すので、釣られてヴォルフも笑ってしまった。
ひとしきり笑ってから、ヴォルフは手を口に当てて考え込む。
「…でも、実際結婚の障壁になりうるのは、グレイズ・トール・マクホーンだ。
顔を合わせるのにはちょうど良い機会だった」
「ここが正念場だ」とヴォルフが呟くと、レイバンとアハルティカの目が鈍く煌めいた。息を潜めて悪巧みをする。
「アリーの幼少期に、多大な影響を与えたのは間違いないからな…」
レイバンは目を瞑った……これは、彼が深く考え事をする時の癖だ。こうする時、レイバンは集めてきた膨大な情報を、頭の中で切り抜き精査している。そして必ず、ヴォルフの得たい情報を語るのだ。
「───彼女が5歳の時……、
…いや。…………………ヴォルフ、」
「ああ」
レイバンは目を開き、報告を中断した。ヴォルフは頷く。
そして、言いかけたレイバンの言葉を引き継いだ。
「わかってるさ、レイバン。これからはアリアナに直接聞く。嫌な役回りをさせて悪かったな」
レイバンはふっ、と微笑んだ。
「嫌だなんて思ってないよ」
「………」
(『だけどこのまま嗅ぎ回るのには、いささか罪悪感が育ちすぎた』───と、言うところか)
ヴォルフは薄く笑む。
きっと、アリアナが商会にもったいないほど善良であることが、今日だけで分かりすぎるくらい分かってしまったから──、レイバン自身がそこから手を引きたがっているのだ。
「ま、一応婚約者だからな。
これからは正攻法でなんとかするさ」
と、そうは言ったが………まずは、この見合いで祖父であるグレイズと結託していたユーストスに、間を取り持って貰うのが良いだろう。
この計画の筋書きは、そこそこの貴族家と婚姻を結んで、上流階級へのパイプを作る、というものだが……成功させるには、ひとつ気を付けなければならない前提がある。
それは、ヴォルフが契約者の家族たちとの間に、「是非貴族たちに紹介したい」と思わせるような関係性が築けていることだ。
(さて、どうするかな)
ヴォルフは静かに喉を鳴らした。