鹿騎士は会食する
「………なんだ、その大荷物は」
王都支部の出入口前で、停まっている馬車。
そこから出てきたヴォルフが、眉をしかめながら訊ねてくる。
彼が指しているのは、アリアナが背に担いでいるリュックサックのことだろう。それも、ただのリュックサックではない………その全長が、担いでいるアリアナの頭の上から尻ぐらいまである。
迎えに来てくれたことに礼を言ったあと、アリアナは答えた。
「鍛練のために必要な、道具とか食料とか」
据わりが悪かったので、一度肩紐を持って荷物を背負い直す。ガッシャン、と大きな音がした。
「……」
くい、と片眉を引き上げてこちらを見てくるヴォルフ。その視線が痛い。
(良いじゃないか、別に。誰にも迷惑はかけてない…はずだ)
ヴォルフと喧嘩した日──彼は「毎週末のどちらか1日を、情報交換日として空けたい」と申し出てくれた。
「情報交換」とは名ばかりで、一緒にご飯を食べにいく日だ。「契約的な結婚だとしても、お互いを知る機会が必要だ」というヴォルフの心掛けである。もちろん、結婚のため必要な手続きや日取りの調整なんかも兼ねている。アリアナは喜んでその提案を受けた。
電話で簡単にやり取り出来たら、こんな日を特別に設ける必要もなかったのだが…。それはなかなか難しかった。
というのも、拠点内から電話をかけるには、機密保持のため送受信に暗号化がかけられる電話機を使う必要があるからだ。この電話というのが、騎士団総務部の事務所にしか置かれていなかったため、必然的に衆人環視のもと恋人(契約ではあるが)と通話することになってしまい、「さすがにそれは」ということでこの流れに落ち着いた。もちろん、緊急の場合はその限りではない。
手紙でのやり取りでも良かったはずだが…それでも直接顔を見て話すことを提案してくれたのは、自分と同じように、ヴォルフもそれが思いの外楽しいと感じてくれたから、…だと思いたい。
「しめしあわせて会う初めての日だってのに…、」
はあ、と一息つくヴォルフ。
「お互い、要らないもの持ってきちまったな…」
「『お互い』?」
「キャー!ホンットに男前じゃない!!」
ヴォルフの発言に引っ掛かって質問した直後に、女性の美しい声が聞こえた。わりと大声だったはずだが、鈴のように清らかに響いて、もっと聞いていたくなるような──そんな不思議な声だ。
発生源である馬車の窓に目をやる──が、その女性はすでに反対側の扉から馬車を降りはじめたようで、姿は確認できなかった。
そうして馬車を回り込んでこちらに姿を現した女性に、アリアナは息を飲んだ。
(──なんて、美しい女性だろう)
ユーストスの美しさに慣れているため、かなり美への耐性はついている方だと思っていたが……まだまだだったらしい。
それは弟の中性的で完成された美しさとは、全くの別物だったからだ。
女性らしい膨らみをもつ体に、相反するように引き絞られた見事なくびれ。その体の上にはまさに奇跡とも言うべき魅惑的な顔。
女性の包み込むような愛や、母性を感じさせる美しさだ。
アリアナと一緒に、後方で門番に立つ騎士までが、そのあまりの美しさに目を白黒させた。
「えぇと、ヴォルフ…。この方は…」
「……」
戸惑って、ヴォルフに助力を求める。すると、彼は心底気乗りしない様子で美女を見返した。
「ほら。勝手に押し掛けてきたんだから、挨拶くらいしっかりしろ」
そう言われて、女性は「おっと」という表情を作ってから、綺麗に礼をとった。
「これは失礼いたしましたわ。アリアナ・フロージ・マクホーン様。
私、アハルティカ・フリファクシムと申します。
貴女様の婚約者であるヴォルフ・マーナガラムが経営する商会にて、ブランディングを担当していますの」
「本日はお会いできて光栄ですわ」と、にっこり微笑む姿がまさに女神であるので、アリアナは自然に騎士の礼を返していた。
「私の方こそ会えて嬉しいです、フリファクシム様。
貴女のような美しい女性には初めてお目にかかりました。金色に輝く髪は、まさしく神話に出てくる女神のようだ」
「!!…」
途端、目を真ん丸くさせ、固まるアハルティカ。
「?」
その様子に、アリアナは違和感を覚えた。
(…だって、こんなにも素晴らしいのだから)
「まさか、褒められ慣れていないということもあるまい…」…などと不思議に思っている内に、アハルティカが気を取り直すようにして口を開いた。
「………あら。でも私、本当は髪の毛真っ黒なんです。今は、夏の新商品のコンセプトに合わせるために、染めているだけですのよ」
「がっかりさせないように、今のうちにお伝えしておきますわね」、と苦笑するアハルティカ。
(なるほど、そう言うことか)
アリアナは納得して頷いた。
アハルティカ自身は、今の状態を「紛い物」だと─それでも素晴らしいことは変わりないのに─思っているのだ。だから、そこを褒められても戸惑うばかりだったのだろう。
「…ということは───、」
アリアナは目を細めて、言葉を紡いだ。
「秋には、本来の貴女にまみえることが出来るのですね」
「………」
「濡れ羽色の髪を持つ貴女も、夜の女神の如く艶やかでしょう」
「………」
「今からお会いできるのが、楽しみだ」
苦笑し「…出来ればそれ以上に、末永く仲良くしていただきたいものですが…」──と、そう言ってアリアナは、アハルティカの爪先まで美しい手を取った。
「…ヴォルフ、この子…」
アハルティカが、ギギギ……とこちらから目線を離し、ヴォルフの方を見遣る。
すると彼は軽く肩をすくめて、「困ったな」とでもいうような顔を作って見せた。
「気をつけろ。リアが女だからと油断してると即堕としに来るぞ。
俺も『瞳が凍った湖面の如く美しい』って口説かれた」
「なにそれ、羨ましい……」
「…………」
2人のやり取りを聞いていたアリアナは、眉をしかめた。
(別に『口説く』だなんて。ただ、その美しさに言葉が口をついて出てくるだけで)
自分にそうさせているのは、ヴォルフやアハルティカ───もとい「美しい」と感じさせるすべてのもの自身なのに。
「…その言い方だと、私が『思ってもいないこと』をおべんちゃらで言ってるように聞こえないか?」と不満に思ったところで、勢いよくアハルティカに抱き締められた。
「私、あなたのこととっても気に入ったわ!ねえアリアナ様、あなたのこと“リア”って呼んでも良いかしら?私の事は“ハル”って呼んで?ね?」
そうおっしゃる女神様に、特に異論はない。が、1つだけ。
「ええと……ありがとう、ハル。…だけど私のことは、出来れば“アリー”か“アル”と」
「………え??でも………」
と、アハルティカが再びヴォルフへ視線を遣る。
「…ヴォルフは呼んでるじゃない!」と言いたいのだろう。
アリアナはこくん、と頷いた。
「─────ヴォルフは特別なんだ」
ピタッ!…と動きが止まるアハルティカ。
目線をよそにやって、口をもごもごとさせるヴォルフ。
(…………2人とも、どうしたんだろう?)
「……っふふっふ……!」
突然、「こらえ切れない」といった笑い声がしたのでそちらに目をやる。
どうやら、今日の馬車には乗客が3人いたようだ。
姿を現したのは褐色の肌に眼鏡をかけた温厚そうな顔立ちの男性。口に当てていた手を、ヴォルフの肩に置いた。
「ボス、彼女には口止めをしておいた方がいい。
どんな風に懐柔しようとしてるか、筒抜けだぞ」
「まったくもってお前の言うとおりだな、今すぐそうしよう。
リア、良いか?その話は秘密だ」
「了解した」
(特にこちらに異論はないので構わない……ところで、そちらは…)
と首を傾げただけで、答えが返ってきた。
「ヴォルフの補佐兼マーケティングを担当しています。
レイバン・フガムーンと申します。お見知りおきを」
「…あなたのことは、“レイ”と?」
差し出された手を握りながら言うと、レイバンがくすくすと笑う。
「どうぞ、奥方のお好きなようにお呼びください」
「レイバンも “アリー”と呼んでやれ。
リアは呼ばれたがりなんだ───だって『仲良しな感じがする』、だろ?」
横からニヤリと笑いながらヴォルフが口を挟む。それにアリアナはこっくりとうなずいた。
「そうなんだ。ぜひ」
「ふっ」
ヴォルフが吹き出す。
「じゃあ、私もレイバンも、あなたのこと“アリー” って呼ぶわね!
アリー、あなたの噂で、社内は持ちきりなのよ」
「結婚式の準備まで待てなくて、会いに来ちゃったわ」と、アハルティカは楽しそうに笑った。
「ええ?それは気になるな」
「…じゃあ、そろそろ行くか。続きはレストランで話そう──……リア、2人が同席しても……?」
ヴォルフがどこか微妙な面持ちで、こちらに確認してくる…。
(突然の増員で、私が気を悪くすると思っているんだろうか……)
──そんな心配は、全くいらない。
アリアナはにこっと笑った。食事を共にする人数は、多ければ多い方が良いのだ。
「もちろん大歓迎だよ!」
「………」
アリアナは元気よく、そう返事した。
◇◇◇
「それでね、守衛室のステラさんが言うの。
『あんなに麗しい女性は初めて見た』、って。
それで社内は男も女も騒然よ」
「ああ、あの時案内してくれた女性はステラさんと言うんだね」
4人掛けの、2対2で向かい合ったテーブル席。
昼食のためにレストランへ入り(鍛練の道具たちは馬車に置いてきた)、席について料理が運ばれてくるまでの間、アハルティカはいろんなことをアリアナに語って聞かせてくれた。
マーナガラム商会アスガルズ支社では、「獰猛な狼のように冷酷無比だ」と呼び声高い商会長が突然やって来たので社員たちがびくびくしてる、だとか。
それがどうやら結婚相手探しのためであるとの情報に、女性社員たちが皆色めきだったこととか。
しかしながら、お貴族様狙いであると知って皆が撃沈したこと。「それなら」と、今度はそのお相手予想で賭け事がなされていたこと。
『商人』との結婚を承諾するぐらいの貴族だ。ならば「相当金に困っている」か、「貰い手のない不器量」か、「よっぽどの変人」か───の3択だったのに、唯一「本人を見た」という管理係が、「大層男前なご令嬢だった」と口にしたことから、賭けが成立しなかったこと、などなど。
アリアナは一通り聞き終えてから、口を開いた。
「アスガルズ貴族が『商人』と結婚するのって、そんなに異例なことなのか??」
どれだけ階級に隔たりがあるといっても、自分やヴォルフみたいに、事情があって結婚している人間も、いくらかはいるはずだと思ったのだ。貴族間の世間話に疎い自分が認知していないだけなんだろう、と。
首を傾げて言うアリアナに、一瞬ポカンとしたあと、アハルティカは輝くように笑った。
「そりゃあそうよ!だって『世界の中心』と名高いアスガルズ王国の、さらにトップの血縁を持つ人たちだもの。
彼らは『神様』───つまり『王族』を信仰しているでしょう?
でも『商人』が信ずるものは『お金』のみ!」
人差し指を天に向けて立て、パチリとウィンクをする。
「そう言った人間を、貴族は受け入れないわ。ましてや私たちはアスガルズの王族への信仰のないミズガルダから来てるしね」
そのように告げるアハルティカに、「うーん」とアリアナは考え込んだ。
「でも、民たちの生活を潤すためには『お金』だって必須の要素だ。
民が満足して憂いなく過ごすことが、私たちを『貴族』たらしめる」
「父上の受け売りだけれど…」と、アリアナは続けて言った。その時。
─────ふわ、
「…?」
「……」
…と。驚く程自然に、隣に座るヴォルフの手が伸びてきて、アリアナの頭を一撫でした。
「……、」
ついでのように頬の輪郭を指の背でなぞり、そして離れて行く。
それは、あたかも当然のように行われた行為だった。………そんな訳がないのに。
「???」
呆気にとられて隣を見ると、まるで何事も無かったかのようによそを向いて座っている。
(───夢か?今のは)
レイバンが、口を開いた。
「アリーの家は少し特殊ですよ。代々騎士家系で、それぞれに一代貴族だったところへ、お祖父様のご活躍。爵位を授与されたのは、実質先代からだ」
「だから、『商人』に対する差別意識が低いのでは?」──そう言われ、「たしかに」とアリアナは思った。
代々騎士として働いてきたマクホーン家の中には、国王直属の近衛騎士として勤めた者もいた。
『神様』と『その恩恵を受ける国の人々』という図式よりは、『主従関係』としてより身近な関係を築いてきたのである。
マクホーン家の『歴史の長さ』は、『信仰心』とイコールにはならなかった。忠誠心には重きを置いているが、「代々国を支えてきた実績がある!」というよりは、身を張る(物理)タイプの忠誠心だ。
(どうやら我が家は、貴族家にしてはなかなか型破りらしい…)
それは、当人でも自覚出来ていなかったこと。
「なるほど、そういうことだったのか…。
レイはよく調べているんだね」
「…!」
レイバンはハッ!とした顔をしたあと、うつむいてばつが悪そうに答えた。
「………ボスの婚約は、商会にとっても一大事ですので…」
その隣に座るアハルティカが、心配そうにアリアナとレイバンを交互に見やる。
アリアナは苦笑した。どうやら、「結婚するにあたって念入りに下調べしたことを、責められている」…と、レイバンに勘違いさせてしまったらしい。
「貴族で、適齢期なのに未婚の女性だったからヴォルフに選んで貰えたのかと思ってたけど…、」
アリアナは、レイバンを見て安心させるように微笑んだ。
「…もっとたくさんの要素が絡んで私と出会ったみたいだね。それってすごい確率だと思う。
奇跡みたいだよ。選んでくれてありがとう」
「婚約できてラッキーだった」と、肩をすくめて冗談混じりに告げる。
「!……っ」
するとレイバンは、眼鏡を押し上げて、目頭辺りを人差し指と親指でぎゅっ、と押さえた。
「………感謝をするのはこちらです。
俺にかかれば、ボスの条件に見合った婚約者を探すことなんて朝飯前だけれど……その中でアリーに会えたのは、間違いなく僥倖でした」
ずらした眼鏡を戻して、「ありがとうございます」と話すレイバン。
その表情が、ずいぶん明るく柔らかになったように見えて、アリアナは嬉しくなった。
「…………………」
「!…」
隣からの視線を感じたのでそちらに目を向ける。今度はしっかりヴォルフと目が合った。
凍えるような寒さによって、奇跡的に産み出されたみたいな───ただでさえ複雑な色をしている瞳。
それが、今は溶け出すみたいな熱を孕んで、潤んでいるように見える……。
「…ヴォルフ?」
「うん?」
──それは瞬きの間だった。
頬杖をついてこちらを見ているその湖面の瞳から、サッパリと熱が消え失せる。
その時初めて、ヴォルフの意図が読み取れないことに、妙なもどかしさを覚えた。
「………」
(何かあるなら、言ってくれたら良い)
そうすれば自分だってきっと、力になれるはず
「──ハイっ」
パチン!と、アハルティカが手を打ちならす。
「ね、じゃあ今度はアリーの話を聞かせてっ?
さっきの荷物、家で使うの?」
「ああ、いやあれは……マクホーン領にある祖父上の森で使うんだ。あれが一式ないと、野宿生活が危うい」
「はあ!?お前、いつもそんな冒険小説の主人公みたいなことしてるのか!?」
思わずと言ったように、ヴォルフがそう問いかけてくる。
「いや、普段はしないんだ。私も5歳くらいにして以来かな…」
それ以外では、きちんと祖父の家に泊まらせてもらっている。
「───でも、今回は絶対に勝ちたいんだ」
アリアナはその緑の瞳をキラリと光らせた。
自分にとって祖父の管理する森は、過去大きく成長出来たと言う点で、特別な場所でもある。剣術大会まで残り1ヶ月──集中して己を磨ける環境に身を置き、鍛練をしなければ……。
本日から、アスガルズ王国は祝日の巡り合わせで9連休を迎える。
今日1日を休養日として、明日から祖父であるグレイズのもとへ行き研鑽を積む。最終日前日は午前中で切り上げて調整の予定だ。
「………。」
ヴォルフが黙ったまま考え込んでいるため、声をかける。
「ヴォルフ?」
今度はちゃんと、答えが返って来た。
「悪い、アリアナ。それ、俺も行って良いか?」