第15話 天ケ谷光は忘れない
天ヶ谷光は、異世界転生者である。
前世での名は、エルビィ・フォーチュン。
神に選ばれた身として、『魔王』との戦いに挑んだ『勇者』であった。
もっとも、当時は前世の記憶も無く、普通の少女として過ごしていたのだが。
今を遡ること、一年と少し前。
運命の出会いを果たしたのは、中学卒業を間近に控えた頃のことであった。
◆ ◆ ◆
「くっ……!」
光は、他校の男たちを前に悔しげに呻いていた。
「ひっひっひっ、いい女だなぁ……! この後が楽しみだぜぇ!」
そんな光に、男の下卑た視線が注がれる。
「お前……あんまそういうこと言うのやめろよ……素で引くわ……」
そして、そんな男に対して彼の仲間たちが引き気味の視線を注いでいた。
「いいだろ、俺はこういうのに憧れて不良になったんだからよ!」
「あんまそういう世紀末的な価値観に憧れて不良になるやついなくない……?」
彼らは隙だらけではあったが、周囲を囲まれているこの状況では脱出は難しいと言わざるをえない。
(ここまでか……)
天ヶ谷光という少女は、子供の頃から揉め事の類を目にすると居ても立ってもいられずに首を突っ込んでいってしまう質だった。
正義感の強い子として褒められることもあれば、女の子なのだから危険なことはすべきでないと窘められることもあった。
そしてそのどちらをも、光は内心で否定していた。
(自業自得、ではあるな……周りの注意を聞かなかった報いだ)
自分を突き動かすのは正義感などといった生ぬるいものではなく、ヒリつくような使命感……あるいは焦燥感で。
そしてそれを抱いている時、自分はどんな強敵にだって勝てる力を持っているような気になるのだ。
しかしながら現実にそんなことはなく、危ない目に遭う場面は幾度もあった。
今がまさに、それに当たる。
というか、これまでの人生で最大の危機だ。
「ま、こっちもあんまナメられるわけにもいかねーんでね。悪いが、それなりに痛い目には遭ってもらうぜ?」
「俺らの邪魔してくれたんだ、そっちも覚悟の上だろ?」
「ヒャッハー、滅茶苦茶にしてやるぜー!」
「お前、もう喋らないでくれる……?」
近隣で有名な不良高校の制服を着ている彼らに、女子生徒が乱暴されようとしているところに遭遇したのがきっかけだった。
知り合いでもなんでもない、見知らぬ女子である。
実際、彼女は既に逃げておりこの場にはもういない。
「ともかく……正義ごっこは、ここまでだ」
リーダー格らしき男が、ゆっくり近づいてくる。
(正義ごっこ……言い得て妙だな)
光は、力なく笑った。
事ここに至って尚、やはり光の胸中にはこんな相手に負けるわけがないという根拠のない自信が存在している。
そんな自分に対する、自嘲の笑みでもあった。
(だが……舐めるなよ……! 最後の最後まで抵抗してやるさ!)
しかし実際そう奮起出来た辺り、記憶を失っていてもやはり勇者たる器だと言えるのだろう。
そしてそれは、いざ光が動き出そうとする直前のことだった。
「ちょっとお邪魔しますよっと」
その少年がフラリと現れ、光の前に割り込んできたのは。
「アンタらさぁ……まーなんつーか、ほら、アレじゃん? 流石に女の子一人をこの人数で囲むのは、格好悪くない?」
恐らく、光と同年代だろう。
見た目、どこにでもいるようなごく平凡な少年であった。
「だから、まぁ、アレだ」
とても、荒事慣れしているようにも見えなかった。
「それ以上やるつもりなら、俺が相手になっちゃうよー? なんて?」
冗談めかした調子ではあったが、きっと勇気を振り絞っての行動だったのだろう。
もっとも、それで何が変わるとも思えなかったが。
(っ……! 駄目だ、この人まで巻き込むわけには……!)
あまりに突然のことで呆然と事の成り行きを見守っていた光は、そこでようやく我を取り戻す。
「君……!」
どうにか身を挺して彼だけでも逃がそうと、光は動き始めようとする。
しかし今度も、光が実際に行動を起こす前に状況が動いた。
「チッ……! てめぇかよ……!」
男たちがなぜか苦々しげな表情となったかと思えば、そのまま解散していったのである。
(は……? え、なんで……?)
光は、狐につままれたような気分で彼らの背をぼんやりと見送った。
(格好悪い、って言われたから……とか……? 不良というのは、そういった面子を大事するものだと聞いたことがあるし……)
思い当たる理由など、それくらいしか浮かばなかった。
「ふぅ……」
光と同じく不良たちの後ろ姿を見送りながら、少年が軽く息を吐く。
「またやってしまった……こういうのは卒業しようと思ってたのに……でも、今回のはしゃーないよな……喧嘩にもなってないし、セーフ……ギリセーフ、なはず……」
それから、何やら悩ましげにブツブツと呟き始めた。
「いや、そんなことよりも」
かと思えば、思い出したかのように光の方に振り返ってくる。
「あんま無茶するもんじゃないぜ? まぁ、俺も人のこと言えた義理じゃないけど……」
なんて、言いながら。
そんな彼と目が合った、瞬間。
『……え?』
二人同時に、呆けた声を上げた。
光の口からは、勝手に声が漏れていた。
ビリリと脳内に電流が走ったような、そんな感覚と共に。
少年とは、間違いなく初対面である。
しかし、間違いなく知っている。
全く真逆の確信を、同時に抱いた。
トクントクンと、心臓が妙に激しく高鳴っている。
「なんだ、勇者様だったか」
一方、少年の口調はどこか砕けた調子となった。
勇者様。
生まれてこの方、そんな風に呼ばれたことなどない。
にも拘わらず、なぜだかとてもしっくり来るような気がした。
「だったら、余計な手出しだったな」
と、少年が苦笑する。
「えぇと……申し訳ない、どこかで会ったことがあったかな……?」
遠慮がちに、光は問いかけた。
「あぁ……まぁそりゃ、勇者様が俺のことなんて覚えてるはずもないか」
少年の苦笑が深まる。
「その、勇者様というのは……私のことを、言っているんだよな……?」
恐らくそうだろうとは思いつつも、そう尋ねずにはいられなかった。
「ん……?」
すると、少年は怪訝そうに眉根を寄せる。
「まさか、人違いか……? いや、流石にこんな人が二人といるとも思えんが……てことは、記憶が……? そうか、そういうパターンもあるのか……」
思案顔で独りごちる少年。
「……悪い、今のは忘れてくれ」
やがて結論が出たのか、片手で謝意を示しながら軽く頭を下げた。
もっとも、光としてはこの印象的な出来事など忘れられるわけもない。
そう、思っていたのだが。
「そんで……これは、ただの独り言なんだけどさ」
一番、光にとって忘れない記憶として刻まれたのは。
「今度は、自分の幸せのために生きてほしい」
少年の、その言葉と表情であった。
同年代とは思えない、包み込んでくれるような大人びた微笑み。
「前の時は、アンタに救ってもらうしかなかった一般人としての願いだ」
光には、少年が何を言っているのか一つもわからなかった。
「アンタはもう、十分に役割を果たしたんだからさ」
けれど、なぜかその言葉は妙にストンと胸の内に落ちてきたように感じられた。
天ヶ谷光は、揉め事の類を目にすると居ても立ってもいられずに首を突っ込んでいってしまう質だ。
そうさせるのは、ヒリつくような使命感、あるいは焦燥感で。
時にそれは、自分ではない誰かの意思が介在しているような感覚ですらあった。
誰にも相談出来なかったが、それを苦しく思ったのも一度や二度のことではない。
誰に言われるでもなく、自分はそう在らねばならないと信じ込んでいた。
けれど。
「今度は、俺だって少しは助けになれると思うから」
そうでなくて、良いと。
光の事情など一切知らないはずの少年が、そう言ってくれているような気がした。
物心付いた頃からずっとずっと胸に重く伸し掛かっていた何かが、取っ払われたような気分だった。
「今みたいに、さ」
微笑む少年を見ていると、ドクンドクンと心音が更に高鳴っていく。
「悪いね、急にわけわからんこと言って。今のは、全部俺の独り言だから」
笑みをイタズラっぽいものに変化させて、少年はさっと身を翻した。
「あっ……」
咄嗟に引き留めようと手を伸ばした光だが、何と言って良いものやら言葉が出ない。
そうこうしているうちに、少年は立ち去ってしまった。
それを、呆然と見送った後。
「学校……いや、名前だけでも聞いておけば良かったな……」
しばらくの間、光はこのことについて酷く後悔することとなる。
数週間後に高校の教室で彼と再会する、その日まで。