第一話『はじまりのひ』
今回が初投稿になります、有瀬と申します。
初心者ゆえの稚拙な文で読みにくい表現、見えにくい描写等々あるとは思いますが、とりあえず最後まで読んでやっていただけると嬉しいです。
――目に映るのは、視界いっぱいの灰色の石の塔。
――耳に入ってくるのは、鳴りやまない人の声の反響。
――鼻につくのは、混じり気しかない汚れた空気の臭い。
――肌で感じるのは、ひと時も安らぎを感じえないせわしなさ。
――そこで最後に感じたのは浮遊感と鳴り響く警笛、そして底知れぬ恐怖と透き通るほどに潔い諦観。
――あぁ、僕は――……。
「――、――い、おい、大丈夫か坊主」
体がゆすられ、夢が中断される。何か大切なことを思い出しそうだったが、それは刹那のうちに無意識の奥へ引きずり込まれ見えなくなる。僅かな感傷が後を引いたが、もう忘れたものは戻ってきそうにない。
眠ってた意識が瞼の外からの淡い光によりわずかに覚醒する。
まず感じたのは瑞々しい草原の匂い。続いて体の下にはやわらかい草のクッションの感覚。草原が風に撫ぜられる音が耳に心地好い。少し肌寒いので、今は朝だろうか。このままずっとまどろみの中に意識を停滞させていたい気さえ芽生えるが、それを邪魔するかのようにまた体がゆすられたので、仕方なく目をこすり上体を起こそうとする。目を開け、ぼんやりとしている焦点を合わそうとすると、
「で、出たぁ!?」
すぐ目の前にいかつい男の険しい顔が自分を覗き込むようにあり、驚いて思わず後ろに倒れこみそうになる。
「出たとはなんだ、出たとは。それが助けてやった恩人に対する態度かよ……」
改めて見上げると、そこには褐色の肌に筋肉質な体を持つ男がしゃがんでいた。男は自分が目を覚ましたこと一応は安堵したのか、険しい顔を今度は呆れたような顔にしつつ立ち上がる。その後ろでは男が連れてきたであろう額に傷跡のある黒い馬が、大声を出した自分を咎めるかのようにこちらを睨んでいた。
自分は半身を起こしつつ、謝罪の言葉を口にする。
「え、あ、すみません。あまりにも顔が近かったから、つい……」
ただ「起こした」ではなく「助けた」などと少し引っかかることを言っていたが、とりあえず様子見もかねて下手に出てみる。
「ふん。まぁいい。ところでお前さん、どうしてこんな何もないところに寝てやがった」
そう言われて辺りを見渡す。
そこは高さ十センチほどの草が延々と広がっている平原で、自分はその周りより少し盛り上がった丘の上にいるようだ。少し離れたところにはうっそうとした森が見えている。自分の後方、はるか遠くの地平線からは昇り始めたばかりの太陽が顔を覗かせ、空高く浮かぶ羊雲をオレンジに染め上げている。空にはまだ淡い藍色のグラデーションがかかっており、雲のオレンジと鮮やかな対比を作りだしている。
――だが、この場所を自分は知らない。
それどころか――自分は自分の身に起こっている異常を初めて認識する。
記憶がない。
いつ、自分はこの場所に来たのか。
何のために、自分はこの場所に居るのか。
どうやって、自分はこの場所に辿り着いたのか。
そもそも、自分は誰なんだ? ――それすらも思い出せない。
自分の名前すら忘れている事実に驚愕する。どうやら自分に関する一切が頭から抜け落ちているようだ。自分に何を問うても、返ってくるのはただ何もない真っ白な、虚無のイメージのみ。そしてそのイメージは自分の存在を否定し、呑み込んでいくようにすら思われて。
わからない。わからない、わからないわからないわからないワカラナイワカラナイ怖い怖い怖い怖い怖い怖いこわいこわいこわいこわいこわいコワイコワイコワイコワ――――
「おい! 大丈夫か!?」
意識の外からの呼びかけにビクッと体を震わせる。気づけば、手は震え、呼吸は浅くなり、顔から血の気が引いていた。耳鳴りとともにやけに大きく早くなった鼓動の音が聞こえる。
見上げると、男が険しい、を取り越して鬼気迫ったような顔で見下ろしていた。
「ぇ、あ、えっと……」
「いいからとりあえずこれを飲め」
そう言われ、差し出された革袋を受け取る。どうやら革袋は水筒になっているようだ。堪らず、中に入ってる水を飲み干す。それだけで不思議と気持ちが落ち着いていく。
「そのまま深呼吸だ。いいな?」
頷き、言われるがまま深呼吸をし、呼吸を落ち着ける。
呼吸が落ち着いた頃合いを見計らって、男が話しかけてくる。
「そろそろ落ち着いたか? ここにいる理由を聞いただけだってのにいきなりどうしやがった」
「すみません、それが、忘れてしまったみたいで……」
またあの白だけのイメージが頭に浮かんで茫漠とした恐怖と不安に襲われるが、頭を震わせることで何とかそれを抑え込みたどたどしく言葉を紡ぐ。すると、男は何かを察したようで、神妙な顔になる。
「なるほど、記憶喪失ってやつか。名前とかも覚えてねぇのか?」
黙って首を横に振る。
「わかった。とりあえず落ち着いて話せるところにいこう。立てるか?」
男はそう言って手を差し出してきたが、
「いえ、大丈夫です。もう一人でも立てます」
自分は取り乱した姿を見られたことに対する羞恥が今更になって湧いてきたため、子供のように強がってしまう。
だがそれを見た男は安心した様子で、
「よし。一人で立てるなら問題ないな。じゃあ馬に乗れ、俺の村まで行くぞ。俺の村はそんな遠くないところにあるからな、日が完全に昇り切るころには着くはずだ」
そう言いながら男は梯子のように二段になった鐙に足をかけて馬に乗る。自分もそれに続いて乗馬するが、
「この馬、なんか大きくないですか?」
馬の横腹を上ってる最中、思ったことを口にする。男はがたいが良いが、その男でもあと二人は乗れそうなぐらい背――というより胴体――が大きい。男三人を悠々乗せられる馬というのはなかなか聞かない。頭から足までの高さも二・三メートルはありそうだ。
「あぁ、村の自慢の一頭だ。名前はエシュカってんだ。狩った獲物を運ぶときこれぐらいの馬の方が何かと便利だしな。交易にも使える。だが女の子に大きいっていうのはちょっと失礼だと思うぜ?」
「え?! 女の子だったんですか?! ごめんねエシュカちゃん」
額に傷痕の残る漆黒の馬――数々の戦いを駆け抜けてきた歴戦の牡馬、みたいな印象を勝手に抱いていたのだが、そうではなかったおようだ。逆に主人にその身を尽くす従順な牝馬だったりするのだろうか。
そんな妄想はさておき、自分前方にあるエシュカちゃんの頭に向けて先ほどの非礼を謝る。後ろからしっぽの打撃を食らってしまう。……だが、力はさして入れていなかったのか寧ろさらさらしていて気持ちがいい。
「しっぽがさらさらだし、やっぱり女の子なんだね」
とりあえず思ったことを口にしてみる。
「こうも言ってるし、許してやれよエシュカ」
ガインさんからもフォローが入るが、やっぱりエシュカちゃんとしては不服だったようで、不満げに鼻を鳴らしたっきり黙ってしまう。
仕方なく自分はガインさんにさっきの話でもう一つ気になったことについて尋ねる。
「ところで……さっきの言い方だともしかして狩りに出かける途中だったりしましたか?」
「ん? おう、まぁそうだな。だが別に気せんでいいぞ。むしろ俺にとっちゃ好都合だったぐらいだ」
おずおずと問いかける自分に男は気にしなくても良いとばかりにあっけらかんと答える。
「好都合、ですか?」
「気にせんでいい、こっちの話だ。……よし、乗ったな。じゃあ出発するからしっかりつかまりな」
自分がエシュカちゃんに乗ったことを確認してから男は手綱を持ち上げ、勢いよく振り下ろさんと腕に力を込める。
「ま、待ってください。最後に一つだけ聞いてもいいですか」
男は腕から力を抜き、真正面に向けていた顔をこちらに九十度ほど回転させる。
「ん? なんだ?」
「名前を聞いてもいいですか? まだ聞いていなかったような……」
「おっとすまねぇ、まだ名乗ってなかったか。俺の名前はガイン。ガイン・カサスってんだ。改めてよろしくな」
男、もといガインさんは拳を後ろの自分の方へ突き出し、自分もそれに応じる。
「はい、よろしくお願いします!」
「じゃあ今度こそ出発するぜ」
ガインさんの声でふと我に返り、自分はガインさんの胴にしっかり腕を回す。するとガインさんが勢いよく手綱を振り下ろし、それと同時にエシュカちゃんは高いいななきを静かな平原に響き渡らせ、勢い良く走り出した。
「は、速ッ?!」
いきなりエシュカちゃんが速度を出したため、慣性でガインさんに回していた腕が引き剥がされそうになる。さらにガインさんがある程度盾になってくれているが、前から吹き付けてくる風も強烈で目を開けていられない。
「舌噛……から余……なこと喋る……じゃ……ぞ……!」
ガインさんがこちらの方を向きながら何かを言ってきた。風の音がうるさく途切れ途切れにしか聞こえなかったが、言わんとすることは伝わったので腕をより強く締めることで応じる。それにガインさんは頷き、顔を前に向けてまた手綱を振り下ろし、エシュカちゃんの走るペースを上げる。
こうして、「自分」はガインさんの村へ出発することとなる。――全ては運命定められた通りに。
――――――――――――――――
平野を駆け抜け、すぐに遠く見えていたうっそうとした森に入る。薄暗い森の中でもエシュカちゃんはほぼスピードを落とさずに獣道を駆け抜ける。しかし、半刻もしないうちにエシュカちゃんはスピードを緩め始め、やがて少し明るくなったところでエシュカちゃんは止まり――
「おい、着いたぜ」
そう言われ、降りようとしているガインさんから腕をほどく。森を駆け抜けている途中で開ける努力を放棄し、強く閉じていた瞼も同時にゆっくり開ける。森では特別整備された道ではないにせよ、道として体裁を保ってる道を走ってきたわけだが、されど獣道は獣道。順調だったが、道に突き出した木の枝や葉っぱなどに当たりまくったため、あまり快適とは言えない旅路だった。……などと、ここに辿りつくまでのことを思い返しつつ、辺りを見渡す。
まず目に入ったのは目の前にある家々――村というには少しばかり小さい、集落と言った方がいいような人々の生活の営みの場だった。ここはどうやら今しがた抜けてきた森の少し開けた場所のようだ。集落の周りは例のうっそうとした森に囲まれていたが、集落の地面は土がむき出しになっており、ところどころに草が生えている程度だ。家は木造の平屋が主で、一軒につき一つぐらいの割合で土壁の小屋がある。
「坊主、観察はすんだか? そろそろエシュカから降りてやってくれ。エシュカを休ませにゃならん。少しばかり飛ばしてきたからな」
「え、そうだったんですか? 迷惑かけてごめんよ」
慌ててエシュカちゃんから飛び降りる。その際、地面との思わぬ高低差で足を挫きそうになったが、何とか持ち堪える。
一応エシュカちゃんに謝罪はしたが、そっぽを向かれてしまった。どうやら嫌われてしまったようだ。だが、一瞬満更でもなさそうなように見えたのは自分の気のせいだろうか。
そんなことを思っていると、ガインさんがエシュカちゃんを連れて歩き出したので慌てて
「はは、嫌われちまったのか。まぁこれから仲良くなるチャンスなんていくらでもあるさ」
しかし、どうやらガインさんから見ても嫌われてしまったらしい。満更でもなく見えたのは気のせいだったみたいだ。
ところで、今のガインさんの物言いだと――
「いくらでもある、ってのはどういうことですか? もしかして――」
「あぁそのもしかしてだ。どうせ帰る宛ても忘れちまったんだろう? 記憶が戻るまでは俺が面倒見てやるよ」
「そんな……いいんですか?」
「俺も家に帰ったら女房しかいない生活に飽き飽きしてたとこだからな。困ったときはお互いさまってやつだ」
「それならお言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます」
ガインさんの懐の広さに思わずその場に立ち止まってその頭を下げる。平原でたまたま通りすがりに見つけた、記憶を失った少年。成り行き上、と言うのもあるだろうが、それでもその厄介者でしかない少年を引き取るという優しさは、それを受ける側にとっては感涙ものだ。
斜め前を歩くガインさんはこちらに半身を振り返せて、
「んな大げさな。まったく、律義なこった」
呆れたような声を出していた。しかし上目使いで仕草を窺うと、少し気恥ずかしげに人差し指で鼻をかいている。満更でもないようだ。
「ほら、早く顔上げてこっち来い。置いてくぞ?」
そう言ってガインさんは歩き出す。自分は運命の巡り合わせの良さに感謝した。そしてガインさんも見た目によらず可愛いところあるよな、なんて浮かれながら少し前に見えるガインさんの広い背中を慌てて追った。
その後は村の外周を歩いていくような形で、集落の外れにあるエシュカちゃんの馬小屋まで誰にも会わず、誰も一言も発しないまま歩いていった。日は完全に昇り切っていた。青い空に白い雲。一呼吸ごとに吸い込む森の空気が甘い。自分は多幸感に浸って顔をほころばせながら、エシュカちゃんが土を踏むズシズシというちょっと重めの馬の足音を楽しみつつガインさんに少し後ろに付いて行った。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
出来れば批判や感想、気になった点をどしどし言ってくれると助かります。何卒。