第一章 神条和馬 その1
※こちらの作品はカクヨム、pixiv小説でも連載しています。
※連載ペースはすべて同一ですのでサイトによる先行投稿などは行っていません。
新宿・歌舞伎町。
日本一の繁華街と言われるこの街は、夜でもネオンの光が絶えず、仕事帰りのサラリーマンや海外からの観光客でごった返しており、それらを自分の店に引き込もうと居酒屋やカラオケの客引きが声を張り上げている。
その混沌とした喧騒から少し離れた人気のない路地で、ある揉め事が起きようとしていた。
揉めているのは、いかにも堅気とは言い難い風体の男3人と、パーカーのフードを目深にかぶった、ジャージ姿のラフな若い男1人である。
通常であれば、酒に酔ったチンピラが通りかかった若い男に因縁をつけたように思えるが、どうやら少し様子が違っているらしい。
3人組のうちの1人が、若い男に声をかける。
「兄ちゃん、俺たちがどういう仕事してるか分かってて声をかけたんだよな?」
チンピラの問いに、若い男が平然と答える。
「ああ。というか、そう言う筋の人じゃなきゃ声なんてかけないさ」
「…あんまり極道をなめちゃいかんぜ、兄ちゃんよ」
チンピラの1人が、こめかみに青筋を立てながらドスの聞いた声を発する。
しかし、若者は特に臆した様子もなく、さっきと同じような感覚でチンピラに言い放つ。
「御託はいいから、さっさとやろうや。今日はおたくら含めて、8人はやるつもりだからさ」
若者のその言葉に、チンピラはあることを察して真顔になり、若者に問いかける。
「兄ちゃん、最近ここらで暴れてるっていう極道狩りか?」
その問いに、若者の口元がわずかに歪み、笑みが浮かんだ。それを見て、話していたチンピラもとい極道と、その傍らにいた手下の2人がすかさず身構える。
「…こいつは好都合だった。兄ちゃん、俺たちが今日歌舞伎をうろついていたのは、アンタを探してたからなんだよ。だからまぁ、五体無事で帰れると思うなや」
極道がそう言ったと同時に、手下の2人が若い男に襲い掛かる。1人は手にメリケンサックをはめており、もう1人は腰から短い鉄パイプを取り出して殴り掛かろうとしている。
しかし、若者はその攻撃を避けると静かに両腕を上げて構え、
「シッ!」
という短い呼吸音と共に、まずはメリケンサックの男の顔面に右のストレートを叩き込む。
「ごぼぁっ!」
という声と共にメリケンサックの男の鼻がつぶれ、前歯が折れる。そして折れた前歯と大量の血を吐き出しながら前のめりに倒れて動かなくなった。
「野郎!」
その様子を見て、鉄パイプの男がすかさず反撃に出ようとするが、すぐさま懐に入られ、ボディにショートアッパーが叩き込まれると、さらに顎をフックで撃ち抜かれ、そのまま意識を失った。
手下2人が成す術もなく倒されたのを目の当たりにした極道の男は、
「くそがぁぁぁ!」
と言いながら懐からサバイバルナイフを取り出し、腰だめに構えて若い男に突撃するがあっさりと避けられ、それと同時に左のクロスカウンターで正面から顎を打ち砕かれる。
痛みに悶絶するかと思われたが、顎を砕かれた際にすでに意識を失っていたのか極道の男は膝からその場に崩れ落ち、やがて動かなくなった。
その姿を確認すると若い男は、
「さて、次だな…」
とつぶやいてその場を去ろうとする。しかし、
「いや~見事見事!」
という声と共に、背後から拍手が聞こえたため、その場で足を止めて振り返った。
そこには、自分とそう歳の変わらなさそうな青年がおり、手を叩きながら近づいてくる。青年は若者と話ができる距離まで近づくと足を止め、若者に話しかけた。
「さすがは元ボクシング東洋太平洋チャンプ、高山伸。引退したとはいえ、実力は相変わらずってか」
その言葉を聞き、若者こと高山は真剣な表情を浮かべ、青年を敵意と共に睨みつける。しかし青年は特に気にする様子もなく、懐から取り出したタバコに火をつけ、一服しながらさらに続けた。
「高校時代からボクシングの才能を発揮してインターハイを連覇。卒業後はプロの道に進み、異例の速さで東洋太平洋王者になるも、3年前に事故で入院を余儀なくされ、ジムの意向により引退。退院後はアングラ系の格闘大会で日銭を稼いでいたアンタが、今は歌舞伎町でヤクザ狩りに勤しんでるとはね…。かつてのファンが知ったら泣くなこりゃ」
青年の話した内容に、高山は心の中で驚愕する。目の前のこの青年は、どういう理由かは分からないが自分の経歴を知り尽くしたうえでこの場に立っている。明らかに、偶然通りかかった者ではないだろう。
「何者だ、お前?」
高山が当然の疑問を口にすると、青年は口から煙を吐き出し、ゆっくりとした口調で答える。
「神条和馬。依頼屋だ。ある筋から、アンタの身柄を抑えろって依頼されてる」
「依頼屋?」
「なんでも屋みたいなもんだよ。裏専門のな。それで提案なんだが、このまま黙ってついてきてくれないか?そうしてくれると手間が省けて楽なんだよ」
「嫌だと言ったら?」
高山が拳を構え、殺気を放ちながら問う。すると青年こと和馬は頭を掻き、困ったような声で答えた。
「う~ん。まぁ、その時はお約束の、力づくで…ってやつかな?」
その答えを聞くと、高山はフッと笑い、
「面白い!」
と言いながら即座に和馬との間合いを詰め、先ほどと同じように右ストレートを放つ。
しかし、和馬はそれを瞬時にバックステップで避けて距離を取り、くわえていたタバコを地面に吐き捨てる。
「やっぱこうなるか…。まぁ、予想はしていたけどね」
そう言いながら和馬が構えると、高山もステップを刻み、戦闘態勢に入る。
「誰の差し金かは、倒した後でゆっくり聞かせてもらうぞ」
高山がそう言うと、和馬も笑いながら答える。
「上等。まぁこうなった以上、一応本来の肩書きで名乗らせてもらおうか」
そう言って、和馬は表情を引き締め、静かに言い放つ。
「総合戦闘術、次元無双流当主、神条和馬。こんな形だが、真剣勝負としていかせてもらう」
言い終わると、和馬は高山との距離を一気に詰め、顔面に拳を繰り出す。しかし、高山はその攻撃を避け、お返しにジャブを繰り出すも、和馬はそれを捌き、ガードしていく。
そこからはインファイトでの打ち合いとなった。お互い凄まじい速度で拳を繰り出し、避け、捌き、一進一退の攻防を繰り広げていく。
そして、攻防によって互いの実力を探りあった2人は同じタイミングで一度離れ、ある程度の距離をとって向かい合った。
「中々やるな…。現役時代でも、俺とこのレベルで殴り合える奴はいなかったぞ」
高山が和馬に向かって声をかけると、和馬も応じる。
「アンタこそ、腐ってもチャンピオンだな。世界獲っただけのことはある。でも…俺も手数には自信があるんだ」
そこまで言うと、和馬は数回呼吸をして息を整え、まっすぐに高山を見据える。そして、先ほどとは比べ物にならない速さで間合いを詰めると、恐ろしいほどのスピードで拳の連打を高山に見舞った。
「くっ!」
高山そう短く叫び、パリングやフットワークで和馬の攻撃に対応するが、それよりも早く拳がまるで霞のように飛んでくるため対応が間に合わず、やがて両腕を曲げて顔面のガードに徹し、防戦一方となってしまう。
それを見た和馬は、ガードが甘くなった腹部に、
「ふんっ!」
という声と共に強烈な左のアッパーを叩き込んだ。その威力に、高山の体が浮き、
「かはっ…」
という声と共に肺の空気がすべて吐き出され、両腕のガードが緩む。そこに、和馬の右のストレートが高山の左の頬に決まり、そのまま路地の壁まで吹き飛ばした。そして、ぶつかった壁にそのまま背中を預け、高山が膝から崩れ落ちていく。
その高山の姿を見ると、和馬は口から深く息を吐き、気力を整えてから倒れている高山の方に近づいていった。
しかし、高山の体まであと一歩といったところで、和馬は異変を感じてすぐに距離をとる。意識を失ったと思われた高山の口元から、「コー、フーッ、コー、フーッ!」という奇妙な呼吸音が聞こえており、それと同時に高山の体から得体のしれない気配を感じたのだ。
そして、和馬が警戒して構えなおしたと同時に高山が起き上がり、和馬の方を見据える。
その瞳は充血して血走り、肌も熱によって赤く、そこに血管が異常なほど浮き出ており、まさに異様な姿となっていた。
「おいおい…。なんか必殺技か?」
和馬が軽口を叩いた瞬間、それを合図にしたかのように高山が和馬へと突進し、先ほどよりもはるかに速いスピードで右のストレートを和馬の顔面めがけて打ち出す。
「…っと!」
和馬はとっさに首を振ってそのストレートを避けるが、その鋭さによって右の頬が切れ、そこから一筋の血が流れる。
「マジかよ…」
和馬が驚きと共に小さく漏らすが、高山はその声を意に介さず、和馬に猛攻を加えていく。先ほどの洗練されたボクシングの動きとは違い、多少荒っぽさはあるものの、速さと重さは比べ物にならないほど上がっており、それを捌く和馬は防戦一方となった。
「ちっ!!」
状況を打開すべく、和馬は一度舌打ちをすると同時に前蹴りを高山の腹部に叩き込んで動きを止めると一度距離をとり、息を整えながら静かに構えなおす。
「…少し本気で行くか」
そう言った瞬間、和馬の顔から先ほどまでの軽い雰囲気が消え去り、代わりに目の前の敵を倒すという確固たる意志が宿る。
そんな和馬を見て、高山が
「うおおおおおおおおおおおお!!」
という、まるで獣のような雄叫びを上げて突撃し、先ほどのように猛攻を加えようとした。
しかし、和馬は短く息を吸った後、渾身の力を込めて高山の膝に強烈な下段蹴りを放つ。
「シィッ!!」
という和馬の声と共に蹴りが命中した高山の膝からベキッ!という音が響き、突進が止まる。そして和馬は下段蹴りを放った足でそのまま踏み込むと、脇で力を溜めていた左の正拳を繰り出し、高山の胸の中央を貫いた。
「ごぼはぁっ!」
高山の口から苦悶の声と息が同時に吐き出されると、体の変化も消え、やがてその場にゆっくりと仰向けに倒れこむ。
完全に閉じられた目と、意識がなくなったことを確認した和馬は、
「ふいーっ。あーしんど…」
と言って構えを解き、懐からタバコを取り出して一服した。そして、ゆっくりと煙を吐き出しながら、高山に起きた変化について考える。
変化してからの高山は身体能力こそ格段に上がっていたが、技の繊細さは消えていたため、強化というよりは暴走、むしろ最後の獣のような雄叫びを聞く限り、狂化といった方が適切かもしれない。
何か特殊な技なのだろうか?と考えをめぐらすが、答えが見つからなかったため和馬は思考を放棄し、ポケットから絆創膏を出して先ほど斬られた右頬に張り付ける。
そしてそのまま携帯を取り出すと、依頼主に連絡をとる。
「依頼完了。歌舞伎町裏手の路地に倒れてるから、あとはそっちで処理しといてください」
それだけ告げると、和馬はゆっくりと元来た道へと歩き出し、そのまま新宿駅へと向かった。
その胸には、高山の使った奇怪な技のことが色濃く残っていた。