呼んでいる声がする (その3)
雨は瑠子の住んでいる街に降り注ぐ
3回目です
風の音駅に着くとすっかり日が暮れて雨の夜はもの悲しくアスファルトは
雨水で乱反射していた。
いったいあの人何があったというのか何か声をかければ良かったのか、あんな悲しそうな顔をして。
雨の中で泣いていた、あの名も知らぬ人。
雨はじゃんじゃん降り続いている。
家の下の坂に来るとそこはさながらウオータースライダーの様な感じになっていた。
どうしよう、洪水かノアの小舟は出ないのか瑠子は考えた。
いやばかげた事を考えている場合じゃない。けれど、どうやってこの坂を登れば良いのか。
夜の闇はあたりを包み、外灯は、頼り無くほんの数本あたりを照らしている。
しかたない、行くしかないではないか、我家に辿り着く為には。
ずぶずぶと足首まで浸かりながら坂を登る。
自分のアパート、イエローハウスにたどりつく頃には濡れ鼠の様になっていた。
こんな姿は、誰だって他の者には見られたくは無い。
しかし、運の悪い者というのはそんな時に限って願いは叶えられない
階段の上にいたのだ。
猫男が。
彼は驚いた表情をして
「わお、すごいずぶ濡れだね。やっぱり出かけるのやめよ。」
それだけ言うと、自分の部屋に引き返しドアを閉めた。
その姿を唖然として見送った瑠子は、憤慨した。
何よ、それ、私は外に出るか出ないか測るリトマス試験紙か、こんなになっているというのにその態度、自室に入って張り付いた服を家用のスエットに着替えながら 瑠子は悲しくなった。
その時、あの泣いていたあの人を思い出した。
もっと何かあの人にかけられる言葉は無かったのだろうか
猫男を冷たいと思うけれど私も同じだ、だから罰があたったのかもしれない。
あの男は猫には優しいのであろう
けれど、人間には冷たい、そういう事って有るよ。
きっと今日会ったあの人も、猫男みたいな冷たい奴に酷い事言われたのかも。
濡れた服を脱ぐと悲しい気持ちがあふれてきた窓の外では雨はまだ降り続いている
その夜はその気持ちのまま眠りについた。
早朝ドアの叩く物音で、目が覚めた
枕元の減色の目覚まし時計を見ると午前6時だった。
こんな朝早く誰?
ドアの近くまで行きドアスコープを除いてみた。
そこには猫男が立っていた
昨日冷たい態度を取られた事を思い出した
「何ですか。」
「大丈夫だった、風邪引かなかったかなと思って。」
どの口で言うか瑠子は憤ったが、慇懃無礼に返した。
「いえ、大丈夫です。どうも。」
「あ、それは良かった。」
何が良かったよどうしたのよ、いったい。
「あのさ、突然だけど、海見に行かない?」
「はい?」
「ほら、海見てたでしょ、」
「あ、見てたけど。」
「だから一緒に行こうと思って。」
「同じ海を愛する者同士語ろうかな、なんてさ。」
「何それ、?」
「まあね、俺、今日大学無いかさ、待っているよ。10時にね、いい?」
それおかしいでしょ。
「あの、冗談・・・・」
「冗談じゃないよ。」
冗談以外に何があるのかと瑠子は心の中で思った。
そう言うか言わないかのうちに、猫男は消えた
そうか、からかっているのか
いや、ちまたではやりの何とか商法、詐欺?
そうだわ、瑠子はばかにすんじゃないわよと思った。
行くもんか誰が行かないわ断じて
午後から仕事だしそんなばかなことしてられない
そう堅く心に誓った はずなのに
好奇心か
時間が近づくと足は海辺に向いた
昨日は雨がザンザン降っていたが、今日は晴れている
波も穏やかで人も疎だった。
本当にいるのかしら
昨日、海を見ていた場所に目をやると見覚えのある後ろ姿が立っている。
猫男だ。瑠子は警戒して近づく事にした。
アスファルトの道路から砂浜に出た。
スニーカーが軽く沈む、歩きづらい。
猫男は、海をじっと見つめていた
ついに2メートル斜め後ろまで来た
横顔を見ると本当に海に見入っている感じであった
その表情に思わず笑ってしまった。
詐欺師にしては、間が抜けてるわね。こんな近くに来て気がつかないなんて。
あたりには、波がよせて音をたてている。サーフィンをする人が数人風を切っている。
瑠子の視線を感じたのか不意に彼が真剣な表情でこちらを見た。
その時、何故だろうか
ドキッとした。
いつもひょうひょうとした顔つきが
急に真顔でこちらを見つめた時に一瞬、時が止まった。
大きな波が打ち寄せて二人の足を濡らした
後ずさった時よろけて転びそうになった
猫男は瑠子の腕を掴んだ。
何この少女マンガみたいな展開と思った
冷静にこう言った。
「あ、ありがとう」
「来てくれたんだね」
彼は嬉しそうに微笑んだ
その爽やかな笑顔に見惚れてしまったそれが我ながらしゃくに障った。
悪人らしくないわよ。
瑠子は心の中で呟いた
彼は、詐欺まがいの話はしてはこなかった。
予想に反して本当に純粋に海を見てるだけだった
海は太陽の光りにキラキラ輝いている。
ショップに行く時間になってしまった。
「わたし仕事に行かなきゃ」
慌てて言った。
「ああ、そうなの。何の仕事してんの。」
「雑貨屋。」
「へえ、いいじゃん。」
何が良いのよ、いい加減だなと思った
そして怪しい会は終わり気が進まない仕事場へ向った。
今日もマーマレードはあまり客はいない。
向かいのブテックの派手な格好の店員が歩いて来た。
雨が降って来たわよと言いながら。
「あんなに晴れていたのに、おかしいな。」
訝しい思いで瑠子は、外の様子を想像した。
長い仕事が終わり駅ビルから出ると本当に雨が降っていた。
空はどんよりと雨雲に覆われていた。
貴代奈店長が貸してくれた青い傘をさした。
また、坂が水浸しになったらどうしよう
そんな事を考えながら寂しげな雨の街を歩いた。
いつも通るカレー屋、入りたいけれど一人では入れない
いつもこの側に来ると同じ事考えてるなと思った。
ぼうと歩いていたせいか、何者かと傘が当たった。
「すみません。」
焦って瑠子は言った。
ほぼ、同時に同じ様な言葉が聞こえた
「すみません。」
その声に覚えがあったので、思わず振り向いた。
「あの、こないだはありがとうございました。」
その瞬間すぐわかった
昨日、泣いていた彼女ではないか
「いえ、あ、あの後雨大丈夫だったですか。」
「はい、ありがとうございます。」
「良かったですね。私はウオータースライダーで。」
「え?」
「あ、家の近くに坂があってウオータースライダー的に雨水が。」
「ええ?ウオータースライダー?」
と、言ってくすっと笑った。
彼女が笑った事が、瑠子は嬉しかった。
「あの、あたし、樹野瑠子、あなたは?」
「あたしは、並木蓮花です。」
「蓮花さん?素敵な名前。」
彼女の表情はぱっと輝いた。
雨は降り続いている。
読んでいただいてありがとうございました