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東京府短編集

Strange Mages

作者: 矢州宮 墨

~登場人物~


加藤マサヒロ:高校生。きっと主人公。そしてトラブルメーカー。

熊田カツヨシ:加藤マサヒロの同級生。苦労人。

音無リカコ:高校教師。上2名のクラスの担任。

秋雨ツミカ:音無リカコの友人。


1.加藤マサヒロと奇妙な落とし物



【1】

 加藤マサヒロは急いでいた。よほどのせっかちでなければ、必要性に迫られず急ぐ者はいない。彼は、むしろマイペースだった。

「うおおおお、このままじゃ遅刻しちまうぜ。」

時刻は朝。彼は私立シイタケ高校へ通学するため、そして遅刻しないために走っていた。

「やれやれ、太極拳に熱中しすぎるのも考え物だな。とにかく急がなきゃな。」

彼の通学路は有って無いようなもの。彼はひたすら無軌道に学校を目指すのであった。それは彼が走り始めてから六分後の出来事だった。

彼は脇目もふらず走っていたわけだが、フェンスを乗り越え、しゃがむように着地した時にそれは彼の眼前に現れた。

「む、これは…本か。」

彼は何気なくそれを手にとった。本はひたすらに黒く、分厚いものであった。そしてその表面には『Ⅳ』とだけ印字されている。

「はて、なんでこんなところに本があるんだか。…あれか、落とし物ってやつか。もしかして。」

彼はこの本をどうするべきか、とりあえず移動しながら考えることにした。


【2】

私立シイタケ高校。それが俺の通う高校である。校風は自由な感じで、居心地はそれなりに良い。時々変な事件が起こったりもするけど、あまり気にならない。俺が知るかぎり、変な事件の中心には俺、もしくは友人の熊田、あるいは担任の音無先生が居るからだ。人間、理不尽な事件に巻き込まれればストレスを感じるものだが、俺の周りで起きている事件というのはいわゆる自業自得ってやつなのだ。

それにしても、この本をどうするか考えている間に高校に到着してしまうとは、我ながら間抜けである。なんだかんだで校門が閉まる前に着けたのはラッキーではあるのだが。むむ、向こうからやってくるのは…ああ、熊田か。

「おーい、熊田ー。」

こういうことは奴に相談するに限る。きっとなんとかしてくれるはずだ。

「なんだよマサヒロ、また変な用事じゃないだろうな。」

なんてやつだ。

「おいおい、いきなりそれはないだろう。ちょっと落し物を拾ったから、その相談だよ。」

「ふーん、落とし物ねぇ…。」

「この本なんだが、どうしたものかと思ってな。」

俺はそう言って本を手渡した。

「う、見た目通り重いな、この本。」

熊田は本を開き、ページをめくり始めた。しかし二、三ページめくったところで手が止まる。

「なんだ?ここから先が開かないぞ。」

「ひょっとして糊か何かでくっついているんじゃないか?」

「ほう、何のためにそんなことを?」

「それはきっと、黒歴史を抹殺するためだろ。」

俺のこの発言を聞いた熊田が、こちらに聞こえる程のため息をついた。

「やれやれ。おっと、マサヒロよ…そろそろ行かないと遅刻になっちまうぜ。」

ハッとして時計を見るともう刻限が迫っていた。

「ぬっ。いかんいかん。」

「その本は放課後にでも音無先生に届けておこうぜ。この辺に交番はないんだしさ。」


【3】

 放課後。それ即ち授業からの開放である。結局例の本は今の今まで俺が預かる運びとなった。俺と熊田は音無先生を目指して職員室に向かっていた。隣りの熊田が口を開く。

「音無先生は相変わらず歩くのが早いな。」

「ああ、まったくだぜ。」

音無先生は帰りのホームルームが終わるとすぐに職員室へ行ってしまう。俺の席は窓際に近いので、先生を追いかけるのには多少不利である。普段はそんなことを気にする必要はないのだが…。廊下の角を曲がると、先生の姿が見えた。

「おーい、先生ー。ちょっと待ってくれー。」

音無先生は足を止め、振り返った。

「んん?どうしたの?」

「うっかり落とし物を拾ってしまったんですが。」

俺はそう言って本を差し出す。

「本。ふむ…。」

音無先生は少しの間目を閉じ、

「ちょうど本に詳しい知り合いがいるから、その人に相談しに行きましょう。」

と言った。音無先生はこの本を妙に警戒している様子だった。そして彼女は携帯を取り出し、その知り合いと思われる人物に電話をかけ始めた。その間、俺は例の本について、何気なく考え事をしていたのだった。



2.骨董品店『プライム・アーカイバ』


【1】

 ようやく店の片付けが一段落ついた。それでも作業すべき全体量からすれば僅かなものだ。これは本格的に人手が要るな、と思いつつ、休憩のためにコーヒーを淹れる。もとからここに道具が揃っていたのは幸運だった。もしかしたら商品だったのかもしれないが、私が使ったこの瞬間からこれは道具という本来の在り方に戻ったのだ。彼女からの電話があったのはその時だった。

 彼女の話によると、彼女の生徒が妙な本を拾ったらしい。その鑑定をして欲しいという話だった。確かに本は好きなのだが、その手の専門知識は無い。しかしながら妙な本と言われればどうしても興味を持ってしまう。私の知識では何も分からないだろうという事は伝えたが、それでも見るだけ見て欲しい、と言われれば断る理由はない。


【2】

 骨董品店に向けて歩行する。後ろには生徒2名。いかにも男子高校生らしい話題で盛り上がっているようだ。それにしても骨董品店に居るとは思わなかった。しかし昔のことをよくよく考えてみると、彼女はそういう古めかしい物が好きだったような気がする。この本も彼女の興味の範囲に含まれるのだろうか。歩きながら本を観察してみたが、見れば見るほど奇妙な本だ。そして何より、不気味な感じがする。具体的にどこがどう不気味なのかは判然としないが、私の直感は明らかに良くないものを想起させている。それとも冷たい秋の風がそうさせているのだろうか。


【3】

骨董品店に到着したのは辺りが薄暗くなってきた頃だった。

「ふーむ、なかなかボロい店だな。」

ついうっかり、思ったことを口に出してしまう。

「お前なあ、なんの躊躇いもなくそんな事言う奴があるか。」

すかさず熊田が意見した。さて、先生の話だとここに本の専門家のような人が居るらしいのだが…。

「いらっしゃーい。」

店の中から女性の声がした。一瞬遅れて声の主が姿を現した。

「来たよ、秋雨。」

先生はいつにも増して最低限の言葉しか発しない。秋雨というのがこの人の苗字なのだろう。

「こんばんは。二週間ぶりくらいかしら。」

「たぶん。」

秋雨さんは、紺とも黒ともつかない色の服を着ていた。黒く、長めの髪も相まって夜と混ざりそうな感じがする。そして彼女の眼は儚げで、その奥には底知れぬ何かがあるような気がする。

「これが例の本なんだけど。」

音無先生が本を手渡す。

「どれどれ。」

秋雨さんはその本をじっくりと観察している。そして本を開き、ページをめくり始める。しかしその手はすぐに止まった。やはり最初の方のページしか開かないようだ。

「ふむ、これを調べるのにはそれなりの時間がかかりそうね。」

「鑑定できるの?」

「できる範囲でやってみるわ。」

彼女はそう言うと本を机に置いた。そして少し首を傾げてこう言った。

「ところで鑑定料を貰いたいんだけど。」

「え…。」

俺、熊田、そして先生はほぼ同時に互いを(うかが)った。視線が交差する。割り勘か、割り勘ってやつなのか。それは勘弁して欲しいところだ。俺たちが沈黙していると、秋雨さんが口を開いた。

「えーと、持ち合わせがないならこの店の片付けを手伝うってのはどうかしら?」

当然、選択の余地は無かった。

 結局俺たちは翌日、鑑定料として片付けを手伝うことになった。折角の休日が台無しである。


【4】

 ああ、明日は肉体労働か。そんなことを考えながらいつものように布団に入った。明日は少し早めに起きよう、日課の太極拳は欠かせないから。俺はすぐに眠りに落ちた。

 何かの文字が見える。おかしいな、目はしっかり閉じているというのに。そうか、これは夢なのか。漢字に平仮名、アルファベットやアラビア数字、ギリシャ文字︙知っているのはそれくらいで、見たことのない文字もあるようだ。こういうものを見ていると頭が痛くなる。この痛覚は本物なのか、やけにリアルに感じられた。俺はベッドから落ちて頭でも打っているのだろうか。

 眼前を漂う文字は水槽に入れられた魚のようだ。その文字群の中から、ある文字列が浮かび上がった。でもそれはよりによって読めない文字で、読もうとしたが徒労に終わった。文字列が光り輝いて︙

「うう…うん?」

目が覚めた。どうやらベッドからは落ちていないようだ。

「やれやれ、なんだったんださっきのは。」

ひとり毒づいてまた目を閉じる。今度は妙な夢を見ないことを願いつつ、俺は眠りへ落ちていった。


【5】

 気が付くと私は幻灯の中に居た。そのように錯覚させる光景が目の前にあった。ところどころに4~5メートルの大きな直方体や、ひたすらに広いだけで高さがない噴水のようなもの、そして数段しかない階段があった。非常に高い天井はドーム状になっている。そしてここにある物全てに投影されている幻灯が、この世界の象徴と思われた。それはパステルカラーより彩度の高い中間色で、無数の三角形と四角形によって構成されていた。おそらく深い紺色と思われる天井ではオーロラのように揺らめき、おそらく白い床や構造物では表面に貼り付いていた。私はこの世界を歩いていた。意味もなく、目的もなく、時々立ち止まりながら。

これは私がベッドに入ったあとの出来事なので、おそらく夢であろうことはすぐに分かっていた。しかし途中で秋雨ツミカを見かけた時、なぜか彼女を追いかけなければいけないという義務感、使命に似たものを感じた。階段を飛び降り、疾走し、必死に追いかけたが結局最後までそれは叶わなかった。

置いて行かないで欲しいと願ってしまったために、夢が終わってしまった気がした。どうしてそんな事を思うのか。因果関係やロジックが破綻しているのは、やはり夢だからなんだなと、寝ぼけた頭で納得して再び眠ることにした。まだ朝は遠い。


【6】

 この季節の朝は独特の寒さを感じる。空気が澄んでいる気がする。ゆっくりと体を起こし、ベッドから抜け出す。暖房だ、暖房が欲しい。すぐさま暖房のスイッチを入れ、日課の太極拳を始める。しっかりと目を覚ますためにはこれが一番だ。

「うおお。」

起きてすぐ動かしたせいか、時々関節が音を立てる。そういえば昨日は妙な夢を見たんだったな、と記憶を辿る。5分ほど回想していたが、その夢の内容はほとんど忘れてしまっていた。約束の時間まではまだ余裕がある。ゆっくり朝食をとることにした。


【7】

 再び骨董屋に来たわけだが、昨日と変わらずボロい店のままだ。周囲は朝靄に包まれていて、そのせいか店が怪しく見える。

「お、マサヒロか。意外と早いな。」

「よう熊田。なんかお前眠そうだぞ。」

熊田の表情を読み取るのは難しいが、今の熊田はあからさまに眠そうにしている。

「実は昨日、妙な夢を見てしまってな。」

こいつもか。

「ふむ、どんな夢だったんだ?」

「それがはっきりとは覚えてないんだがな…えーと……………」

熊田は片手で頭をおさえ、そのままの格好で数秒停止した。そして

「すまん、忘れた。」

と言ったのだった。

「俺も昨日は変な夢を見たんだ。偶然って怖いぜ。」

「偶然、なのか…?」

「偶然以外のなんだって言うんだ。俺だってたまには夢くらい見るぞ。」

「む、そうか。ところで店主はどこだ?」

俺は周囲を見渡すがそれらしい人影は見えない。仕方がないのでしばらくその辺をうろつく事にした。



3.はじまり


【1】

 店に全員が揃ったのはおよそ三十分後のことだった。…店主は居ないままだが。

「それで、何をすればいいんだ?」

漠然と尋ねてみる。

「この店をきれいにして欲しいのよ。見ての通りだからね。店の中も散らかってるし。」

ふむ、なるほど。結構な時間が掛かりそうだと思っていると、音無先生が口を開いた。

「ところで秋雨、この店について色々訊きたいんだけど。」

「なにかしら?」

「そもそも何故この店の片付けをしようと思ったわけ?店主の知り合いか何かなの?」

「私がその店主よ。言ってなかったかしら?」

「…え?」

珍しく音無先生が驚いている。

「ちょっと色々あってね。ちょうど仕事を探してる時だったから、店を譲るっていう話に乗ったのよ。片付いたらここを店舗兼自宅にしようかと思ってるの。」

「いくらなんでも思い切りが良すぎるな。…そういえば昔からそんなだったような気が。」

「アイデンティティの永続性があるってことかしら。ふふ。それより片付けについてなんだけど、まずは店の中から始めようと思うの。」

その場にいた中で異議を唱える者はいなかった。いくら外観が綺麗になっても店内が荒れていては店としての機能が損なわれる。妥当な判断だと思った。

 そしていよいよ片付けが始まった。店内はやけに荒れていて、廃墟か何かを連想させる。

「随分荒れてるな、これは。」

「おいマサヒロよ、もう少しオブラートに包んだ言い方はできんのか。」

と熊田が言う。

「そんなこと言ったってなぁ…。」

う、なんか熊田の目線が冷たい。いつにも増して冷たい。そっと音無先生の方を見る。相変わらず気だるげにしている。しかしその視線はどことなく鋭い。うーむ気まずい。これは気まずい。

「よ、よし、さっさと片付けようぜ。」

場の空気を変えるべく、率先して作業を始めた。

 その事件が起きたのは俺が片付けを開始してから十数分後のことだった。片付け作業の傍ら、秋雨さんがこう発言したのが事の発端である。

「そういえばこの本、三ページ目までしか開かなかったのよね。」通常、本というのはタイトルのみが書かれたページを一ページ目とする事が多い。そしてその裏にあたる二ページ目は目次や出版社・作者関連の権利表示のページになっているのが定番だ。そしてその隣が問題の三ページ目。本文が始まる事の多いページであり、実質上の一ページ目とも言える。

「ああ、俺が試した時もダメでしたよ。」

と熊田。その現場は俺も目撃している。

「さすがにこの状態だと鑑定以前の問題ね。」

秋雨さんはそう言いながら再び本を開きはじめた。

「あら?次のページが開いちゃったわ。でもこれ以上は無理みたいね。」

本は呆気無く四、五ページを開放した。その時、俺は何かを思い出した。その感覚自体は不思議なものではなかった。物忘れはよくある事で、それを思い出すのもまたよくある事だからだ。奇妙なのは、何を思い出したかがまるで分からない点だ。一体俺の頭はどうしてしまったのか。頭のつくりが特段に良いわけでは決してないが、人間として通常備わっている程度の記憶力はあるはずだ。そのはずなのだが…。

「これは栞…じゃないわね。誰かのメモが出てきたわ。」

と秋雨さんが言った。危うく思考の迷路に踏み込むところだった俺は、そのメモを見るべく秋雨さんのところに向かった。よくよく考えてみれば、俺はこの本の中身を読もうとはしなかった。ついでに中身も見てみよう。

「ちょっと俺にも見せてくれ…じゃなくて、見せてください。」

「ええ、いいわ。」

秋雨さんはそう言うと本を差し出してくれた。さてたまには活字を読もうと意気込んでいた俺を待っていたのは、到底解読不能な文字列と記号のようなもの、そして大量の図形だった。ひとまず俺はメモの方に目を移す。メモは日本語で書かれていて、メモというよりは手紙のようだった。そしてその内容がこれだ。


****************************************


 かつてこの世界に魔術が存在していたというのは驚くべきことなのだろう。しかし

私はその片鱗を知っている。この手紙が表出しているということはおそらく封印が解

け始めている。どうか世迷い言と思わず最後まで読んでほしい。

魔術とは世界の理を運用し得る機構だったが、万能ではなかった。世界を改変しな

いという前提で設計されていた筈だったのだが、それは不可能なことだったのだ。少

しづつではあったが世界は歪み始めた。実質的な効果が現れる程ではなかったが、い

ずれ異変が起こる事は明らかだったのだ。

 そして魔術という概念はここに封印された。しかしそれは永遠に続くものではない。

できることなら再び封印を施してほしいのだが、後世の人間には無理難題だろうから

せめて人目につかぬところに保存してはもらえないだろうか。


追伸:封印をよく思わぬ者たちがこの本を取り戻そうとするかもしれない。出来る限

   り用心されたし。


****************************************


とてつもなく、壮大な話。これを信じられる人間は居るのだろうか。さすがの俺でもこれは怪文書としか思えない胡散臭さだ。

 さて、この事件が進展するのは案外早く、具体的には十秒後のことだった。

 俺は一度深呼吸し、気を取り直したつもりになって本に目を戻した。この本も手紙同様、怪しさの塊である。そもそも見たことのない文字で書かれているし、挿絵かと思えばそれは図形の集合体だった。

既視感がある。強い既視感がある。俺はこの本の中身を見たことはないはずだ。少なくともこのページは絶対に見ていないはずだ。このページは昨日の時点では開かなかったから見ることはできない。当然、熊田が開いていたのはその前のページなので横から覗き見たり、たまたま視界に入ったとしてもこのページではないはずだ。それにもかかわらず、何故か初見とは思えない。直感が激しく主張している。

いつ、どこで、なにを見たというんだ。

記憶が巻き戻る。現在から過去に向けて時間が逆行するように。今まで見てきた光景が逆再生され、すさまじい速度で「そこ」に行き着いた。逆行の間、俺の意識ははっきりしていたが、記憶を辿ろうとはしなかった。過去への逆行は俺の意思と関係なく、勝手に進んでいった。終着点は昨日の晩。そう、あの夢だった。内容を忘れるには特徴的すぎる夢。今まで見たことのない特異な夢。それが既視感の正体だった。

俺はあの夢のなかで、本の内容を見ていたのだ。


【2】

着々と作業が進む中、俺は相変わらず夢のことが気になって仕方がなかった。既視感の正体が夢だけではないような気がしていた。いい加減頭を切り替えたいところだ。

そういえば熊田や音無先生もあのメモを読んでいたようだ。しかし動揺した様子はない。たぶんあの内容を信じていないのだろう。当然である。俺のように妙な夢でも見ないかぎり真に受ける人間なんていないだろうから。魔法とか、超能力とか、そんなファンタジーチックなものに憧れた時期を思い出す。そういうものが存在しないと分かっている今でも空想するのは楽しいものだ。俺がこうして過去の思い出に浸っていると、熊田が声をかけてきた。

「なあマサヒロ、変な夢を見たとか言ってたよな?」

「ああ。」

片手間で返事をする。

「内容は忘れたと言ってたな。」

「ああ。でもさっき思い出したぜ。実はあの本の内容に似ている︙いや、まるで同じだったんだ。」

「なに…?つまり予知夢ってことか?」

「ああ、今日になってやっと開いたページの内容を見たんだよ。偶然にしては出来過ぎだろ?」

いよいよ俺はいよいよこの奇妙な出来事を真面目に考え始めてしまった。思考の迷宮というのはたちが悪いことに、難しい問題に限って出口が無いものだ。いくら考えても一つの結論に収束していく。

これは偶然ではなく、俺たちは何かとんでもない事に足を踏み入れてしまった。


【3】

 二人が同じような夢を見るとはなかなか奇妙な出来事だ。それだけなら単なる偶然と考えるが、あの本とメモのこともある。実は俺たちは想像もつかないようなトラブルに巻き込まれているのかもしれない。特に気がかりなのは魔術についてだ。実際にあの本は五ページより先が開かず、その原因はまるで分からない。マサヒロが見たという夢がどういうものなのかは分からないが、俺が見た夢はかなり抽象的な夢だった。人間は睡眠中にその日の記憶を整理する。夢はその整理の過程を覗き見ているようなものだと解釈されることが多い。夢の内容は辻褄の合わないことが多いし、それ故に今見ているのが夢だということはすぐに分かる。ここで重要なのはどんな内容の夢であれ、それは何らかの具体性を持つということだ。例えば、死んだはずの人間に会う、ランニング中に空を飛ぶ…などなど。

しかし昨日俺が見た夢は違う。夢で見た光景は純粋な図形群だった。円や多角形といった平面の図形が重なりあい、無限の形が生み出されていくのを見た。そこから何かを読み取れるわけでもなく、なんとなく図形群の輪郭を目で辿っていたらいつの間にか夢から醒めていたのだ。


【4】

「おい熊田よ。ちょっと聞いてくれるか。」

マサヒロの奴がそう言ってきたのは作業がもう少しで終わろうかという時のことだった。

「んん?どうした、急に改まって。」

「実はだな、例の夢のことをずっと考えていたんだが…魔術とやらが使えるような気がしてきたんだ。」

どこから突っ込んだらいいのか分からん。思えばこいつは何かと荒唐無稽な奴だ。そういう意味では平常通りではあるが…。

「えーと、じゃあ試しに使ってみればいいんじゃないか、その魔術とやらを。」

「何か起こったら教えてくれよ~。」

随分やる気になっているようだ。マサヒロは目を閉じるとなにやら難しい表情を浮かべている。ふと奴の後ろに視線を移すと、音無先生と秋雨さんが棚を動かしていた。二人に持ち上げられた棚はちょうどマサヒロの後ろを通過していく。その時、棚の上にあった小瓶が棚から落下し、運の悪いことにマサヒロの頭に直撃したかのように思われた。だが、その小瓶は頭に当たる直前、何か光る壁のようなものに阻まれた。小瓶はその『壁』でバウンドすると床へ落ち、割れた。そしてどういうわけか俺は、マサヒロが使った魔術が【石頭】だということを理解していた。店内が少し騒がしくなる。マサヒロは小瓶が割れた音に驚いた様子だった。どうやら小瓶が辿った経路を見ていたのは俺だけらしい。

 さっきの出来事について順を追って考えてみる。まず小瓶は偶然にもマサヒロの頭上へ落ちていった。この時は特に不思議な事は起きていないはずだ。次に小瓶が光る壁に阻まれる。その『壁』はマサヒロの頭に小瓶がぶつかりそうになったまさにその時、一瞬だけ現れた。小瓶は『壁』に阻まれ、床に落下して割れた。そして『壁』を見た瞬間、俺の頭は謎の知識を得たようだ。魔術という概念を理解したわけではないが、マサヒロが使ったものが【石頭】という魔術であることと、その効果を知った。『壁』を見て、「あれは何だ?」と思うより先にその知識が湧いて出たのだ。それもごく自然に。赤いリンゴを見て、「このリンゴの色はなんだろう?」と考えずともリンゴが赤いことが分かるのと同じ感じだ。

「マサヒロよ、お前がさっき使ったのは…【石頭】だ。」

「な、なにぃ?」

さすがのマサヒロも驚いているようだ。

「どうやら頭部限定でバリアを展開できるらしいぞ。」

「なんか地味だな…。てか本当にそんなことできるのか?」

「じゃあもう一度やってみるといい。あ、目は開けといてくれよ。」

「おう。」

マサヒロは先程のように集中し始めた。魔術の効果を確かめるため軽くチョップしてみる。振り下ろした俺の手は、マサヒロの頭に到達する手前でバリアに阻まれた。少し痛いが大したことはない。

「おお、おおお?」

どうやらマサヒロは魔術の効果を理解したらしい。

「うーむ、地味だがすごいな。これならうっかり壁に頭をぶつけても問題なさそうだな。」

「おいおい、そのバリアは唱えてから一〇秒くらいしか保たないぞ。」

「えー。てことはつまり、前もって何かにぶつかるってことが分かってないと意味ないってことじゃんか。」

「お前にしては賢いじゃないか。要はそういうことだよ。」

「ふーん、まあいいか。ところでお前は何か使えないのか?」

「全く使えそうな感じはしないが︙」

その時、俺の頭に閃きが訪れた。忘れていたことを突然思い出したような、思いがけぬ幸運に出くわした時のような感覚だ。心拍数の上昇を感じる。俺はズボンからポケットティッシュを取り出し、手のひらに載せた。そしてそいつに意識を集中していく。するとそのポケットティッシュは勢い良く飛んでいき、マサヒロの顔面に直撃した。

「痛てぇ!何だ今のは!」

「すまん、ポケットティッシュだ。今の魔術は【瞬間加速】といってな、見ての通り何かを瞬間的に加速する魔術なのだ。」

「な、なんて魔術だ。ポケットティッシュじゃなければ即死だったかもしれん。」


【5】

 手品という意味での魔術ならば練習を積めば会得できそうな気もするが、本当の意味での魔術が使えるようになるというのは実に空想的な出来事だ。あれを目撃するまでは存在すら否定していただろう。熊田の手刀から加藤の頭を守ったあの光る障壁。あれは疑いようもなくこれまでの常識を覆すものだった。近年のテクノロジーの進歩には少々驚かされるが、そのメカニズムはまだ理解の範疇を出ていない。そういった意味ではまさに、魔術は常識の外に存在している。どういう仕組みなのかも分からず、それどころか何が起きたかを正確に理解できない点においては脅威的だ。現代においては、ほぼ全ての現象が科学で説明できる。私が音無リカコであるということ、つまり自分が自分である事と同じくらい、それは確かな事実のはずだった。

その後私も彼らを真似て何かを念じることにした。心の中にある僅かな引っ掛かりに意識を向けつつ、目の前にあったガラス球に狙いを定める。するとそのガラス球は5センチほど浮いたが、やがて地球の重力に再び捕らえられ、元の位置に戻ったのだ。地味にすごい魔術のような気がしてくるが、実際のところどうなのかは分からない。なにせ使った私自身がこの魔術の効果や仕組みを、正確には知らないのだから。つまり物が浮いたのは、重力と逆向きの力が働いたからなのか、それとも物に働く重力が弱まったからなのか、それすら定かではなく、どの程度の物なら浮かせることができるのか、またそれを決めるのが大きさなのか質量なのか、など疑問を挙げればきりがない。果たしてこれが何の役に立つのかと言われればそれは答えようがないのだが、いつか何かの役に立つのではないかと少し期待してしまっている。

ところで、私の友人である秋雨ツミカもいつの間にやら魔術が使えるようになっていた。熊田の説明によれば、彼女の魔術は『説明書』を作る魔術だという。

「で、これがその説明書ってやつなの?」

「ええ、一応そうみたいね。」

秋雨が差し出した『説明書』はわずか一ページ、まさに紙切れ一枚だった。

「あの本に使ったらこうなったの。どうやら説明書の内容は私の理解が及ぶ範囲に限られるみたい。」

「ふぅん。ま、あなたにはわりと向いてる魔術じゃないの。」

私は説明書を受け取り、軽く目を通してみた。


****************************************

 ・この本には魔術が封印されている。

 ・封印は徐々に解けていっている。そのためこの本に関わると魔術を覚える可能性がある。

 ・魔術を使うと痕跡が残る。それは魔的な者たちを引き寄せる。

****************************************


「なんか最後にすごいことが書いてある。」

「ええ。そうみたいね。あくまで予想なんだけど、魔術の痕跡が何かを引き寄せるなら、この本自体もそうなんじゃないかって気がするわ。」

「つまりどういうこと?」

「封印が解けていってるってことは、中に封印されてたものが徐々に出て行ってると考えるのが普通よね。現に私たち魔術が使えるようになってるわけだし。つまり、この本は常に魔術のオーラみたいなものを放出している。」


【6】

「にしても驚いたぜ。まさか先生や秋雨さんまで不思議な力に目覚めるとは。」

「俺もだよ、マサヒロ。だが今日一日で驚くべきことが多すぎて、半分感覚がマヒしてるよ、俺は。」

「きっとあの本のせいだよな。えーと、俺のやつが頭にバリアを張る魔術で、先生のは物をちょっと浮かせるやつ、それから秋雨さんが説明書を作る魔術で、それからお前は何かを一瞬加速する魔術が使えるんだったな。」

「ああ。それから見た魔術の効果が分かる。」

そういえばどうして俺だけ魔術らしきものを二つも習得しているんだろうか…。

「うーむ、これはどうしたらいいんだろうな。いかんせん地味だぜ。」

「派手なのを覚えられても困る。特にお前の場合は。」

「むむ…。」

やはりこういう現実離れした事象というのは人目をはばかるべきなんだろう。そうに違いない。秋雨さんの説明書にもそのようなことが書いてあった。類は友を呼ぶ、魔術の痕跡は魔術に関する“何か”を引き寄せる。

「ま、いいか。別に魔術を使わないことで死ぬわけじゃないし。」

とマサヒロは語る。その通りだとは思う。しかし…

「おっと、向こうも片付いたようだな。さ、行こうぜ。」



4.帰路


【1】

 店の片付けが終わったあと、俺たちは魔術と例の本について少し話し合った。秋雨さんの説明書によれば、魔術の痕跡は何かを引き寄せるらしい。そういうわけで魔術は使わないようにしようと、いう風に話がまとまった。そして本についてはこの店に保管しておくことになった。どこかに捨てたところで、また誰かに拾われる可能性がある。川底や海に沈めてしまおうという意見もあったが、皆が習得した魔術によって何かしらの問題が起きた場合、頼りになるのはこの本だけなのだ。

「じゃあこの本は任せる。よろしくね、秋雨。」

「ええ。今日は皆お疲れ様。気が向いたら遊びに来てよねー。」

 外はもう暗く、冷たい風が吹いている。思えばもう十一月も終わりに近づいている。

「寒くなってきたわね。車で来ればよかったかな。」

「家まで近いんで大丈夫ですよ。なあ熊田よ。」

「そうだな。」

ここから家まではおそらく徒歩二十分。問題ない。マサヒロや音無先生が住んでいるマンションは道中にある。そこまでは徒歩十五分くらいだろう。

「では行こうか。」

先生が先んじて歩き出す。俺とマサヒロはあとに続いた。

 夜の街は静かだ。かつて過密な人口を抱えていたとは思えないほどに。そして建物の壁は住民たちの要請に応え、年々防音処理が行われていた。三人の足音と、ビルの合間を縫う風の音だけが響いている。狭い空を仰げば、やたら明るい月が見える。この辺りは街外れと言っても過言ではない程に人通りがない。その割には昔の名残で建物だけは沢山あって、当然の事ながらそれらの多くは廃ビルである。

「この辺りは結構暗いなぁ。月が出ていなかったらライトが要るぜ。」

「そうか? 俺はそこまで暗いとは思わないが。」

「熊田、お前やたら夜目が利くよな。」

「どうやらそうらしいな。生まれつきこうなんだ。」

そう、この目は生まれつき光に敏感なのだ。昼間は少々眩しく感じるが、生活に支障が出るほどではない。どちらかと言えば、この目の色のほうが問題だった。どういうわけか白目の部分が黒いのだ。理由は分からないが、機能的には支障は無いようだ。問題といえば初対面の人に怖がられることくらいで。医者に診てもらい、検査も受けたが何も分からなかったのだ。そんなことを考えているうちに、辺りはますます廃ビルだらけになっていた。


【2】

 人が暗闇を恐れるのは、今も昔も変わらない。おそらく古代の名残であろうその恐れは、俺を警戒させるには十分だった。周囲の灯りが少なくなっていくに連れて口数は減っていき、何かを話している時は意識の一部を周囲の暗闇に向けていた。そんな時、視野の片隅で俺は異質な光を捉えた。青白いLEDの灯りの中、その一点だけが暖色の光を放っている。マサヒロも、先生ですらもその光には気づいていないようだ。その光の正体を確かめるため、視線を動かした。まさにその時、その光が急速に接近してきた。俺とその光の間にはマサヒロがいる。俺はとっさにマサヒロの肩をつかみ、歩を止めさせた。

「うおっと、いきなり何を…」

光はマサヒロの頬のすぐ横を通り過ぎた。

「な、なんだ、今のは…。」

「危ないところだったな、マサヒロ。怪我は無いか?」

「ああ、だが直撃していればヤバかったと思うぜ。かすってもいないのに熱を感じたからな。」

「つまりあれはかなり高温だと考えられるわけだな。」

極力冷静になろうと努めていると、音無先生が囁いた。

「…向こうに人影が見える。一旦ビルの陰に隠れましょう。」

先生の視線の先にあるのは廃ビルの間にある細い隙間で、人一人がようやく通れるくらいの幅だった。そしてその奥には、暗さのために不明瞭だが確かに人影があった。

 何かのトラブルに巻き込まれそうな時、嫌な予感とまではいかなくとも何となく気が乗らない時、そんな時は身を引き、背を向け、元の日常へ立ち返ることが平穏な生活を送る上で最も重要である。それが俺の考えだ。ましてやこんな、見るからに危険の真っ只中に居るのなら尚更そうするべきなのだ。隠れてやり過ごすか、全力で逃げる。誰しもがそうするだろうし、俺もそうするだろう。だが一つだけ忘れてはいけないことがある。今、この場には俺と先生の他に、凄まじいトラブルメーカー…またはシイタケ高校最大の阿呆、加藤マサヒロが居るということを。


【3】

 マサヒロが人影の方へ駆け出してから約一秒後、俺はとっさに後を追っていた。考えるより先に足が動くとはこのことか。心の片隅で、柄じゃないなぁと思いつつ、ひたすら走る。マサヒロとの距離はなかなか縮まらない。このまま隙間を抜けるかと思ったが、途中で人影は通用口に入ったらしく、マサヒロはその後を追って中に入っていった。当然俺もそれに続いた。ビルの中は暗く、非常灯すらついていない。本当に廃ビルらしい。階段を駆け上がる足音が反響している。

「上か︙。」

幸い体力にはまだ余裕がある。俺は大きく息を吸い込み、再び走り始めた。

 階段の途中でマサヒロに追いつくことはなく、とうとう屋上まで来てしまった。目の前にはマサヒロが居て、そこから十メートルほど先に例の人影があった。その人物はフードを被り、マントのようなものを身に着けているようだ。月明かりはあるが、そいつは別のビルから伸びた影に埋もれるように佇んでいる。

「気をつけろ、熊田。奴はかなり素早いぜ。」

マサヒロが振り向かずに言う。

「だろうな。で、これはどういう状況なんだ。」

「増援を待っていたところだぜ。というわけで、今から作戦会議でも…」

その時、人影が片手を挙げた。

「ああ、なんてこった。そんな暇は無さそうだな。」

またあの光が現れる。

「驚いたわ。あれは一体何なの…」

いつの間にか音無先生も追いついたらしい。しかしどうするべきか。話し合いを持ちかけたところで、相手に知性があるかどうかすらわからない。とりあえず今はあれを避けなければ。人影が手を振り下ろすと同時に、物凄い速さで光の球が飛んできた。ああ、これは時速百キロは出てるんじゃないだろうか。

「こっちだ!」

マサヒロの一声により、三人が同じ方向に走る。光の玉は真っ直ぐ飛んでいったらしく、誰にも命中しなかった。視線を人影の方に戻す。人影は再び片手を挙げていた。

「ああ、なんてこった。また撃ってくるぞ!」

そこからは、ひっきりなしに飛んで来る光球を走って避け続けていた。しかし、人影は少しずつこちらとの距離を詰めてきていたのだ。

「まずいぞ、どんどん距離が短くなっている。どうする、マサヒロ?」

「そんなもん俺が聞きたいくらいだぜ。そうだ、お前の魔術で石でもぶつけてやったらどうだ?」

「俺も一度はそれを考えていた。だが、この場所を走っていてそれは無理だと気づいた。ここには投げられそうなものは何もないようだ。」

そう、いくら廃ビルと言えど耐久性はあるらしく、外壁やタイルの欠片などはまるで見当たらない。逆に考えると、その耐久性の高さ故に今まで取り壊しを免れているといっても間違いではないだろう。

「ええと、ならば、そうだな…うむ、小銭とか?」

「取り出すまでが一苦労だな。小銭を探してる間に不意打ちを食らったら笑い話にもならん。」

不意に、音無先生がゆっくりと、両手を前に突き出して…

「仕方ないわ。二度と使わないと思っていたけれど。」

その手には拳銃が握られていた。なぜ、先生が、それを。その疑問は乾いた破裂音の前に霧散した。やはり本物のようだ。これならば、ひとまずこの危機は乗りきれる。そう思いたかった。

「…効いてない、みたいね。」

人影はまるで無反応だった。もしかしたら弾丸は命中しなかったのかもしれないが、先生なら百発百中だという謎の印象があった。

「やべえ、また撃ってくるつもりだ。ああ、まずいぞ。」

マサヒロが珍しく慌てている。人影は両手を挙げ、光の球を発生させている。どうやら本気を出してきたらしい。何か方法はないか、ひたすら考える。飛び道具に使えるようなものはない。あったとしても、相手は拳銃すら効かない可能性だってある。とすれば、この状況を打破し得るものがあるとしたらそれは………

 そうだ、一つだけ可能性がある。今の状況をよくよく考えてみると、俺たちは非常識極まりない事件に巻き込まれている。相手が使っているのは魔術か、それとも俺たちが知らない超常現象的な力だろう。毒をもって毒を制す、つまりこちらも魔術で対抗するべきなのではないか。

「マサヒロ、ちょっと危ないかもしれんが協力してくれ。あと音無先生も。」

「お、おう。それでなんとかなるなら。」

「ええ。」

「まずマサヒロ、【石頭】を使ってくれ。」

「なるほど、まずは守りを固めるわけだな。…よし、念じたぜ。」

問題はこれからだ。自分で考えた作戦だから仕方がないが、少々タイミングがシビアな段階がある。

「それから先生、マサヒロを浮かせてくれ。」

「わかったわ。でもこれってまさか…」

マサヒロが宙に浮く。およそ十センチメートルくらいだろうか。そしてついに、人影が光球を放った。その光球は今までより一回り大きく、そしてそれはマサヒロを狙って放たれたようだ。

「よし、いける。…すまん、マサヒロ!」

俺は【瞬間加速】をマサヒロに使った。マサヒロは迫り来る光球に向かって頭から飛んでいった。そしてその頭にかけられた【石頭】の魔術が、見事に光球を打ち破っていた。光球は空中で弾け飛び、消え去っていたのだ。そしてマサヒロはそのまま人影に向かって滑空し、ついに人影に命中した。いや、人影を“貫通”していた。そう、人間砲弾と化したマサヒロが命中したのは人影の胸のあたりだ。マサヒロは人影を通り抜けた後、屋上に着陸していたのでとりあえず無事のようである。一方、謎の人影は上半身が綺麗さっぱり無くなっていた。恐る恐る近づいていくと、残った下半身が倒れ、そのまま灰のような粒子となって崩壊していった。

「何だったんだ、こいつは…。」

「それはこっちが聞きたいぜ…いや、それよりも熊田。お前人を飛び道具にするとは恐ろしいやつだな!」

灰のような残骸の向こうで、マサヒロが立ち上がりながら声を上げる。

「ああ、すまんな。だがうまく行って良かった。」

「む、まあ何とかなった事は確かだ。でも吹っ飛んでる最中はこのままビルから落ちるんじゃないかと、気が気じゃなかったぞ。」

「ああ、俺もヒヤヒヤしてたよ。うん。」

「ま、それは私も同感ね。」

音無先生がため息混じりに言う。ああ、この中で先生が一番不安に思っていたかもしれない。

「さて、それじゃ帰りましょう。ここに長居する意味はきっと無いわ。」

先生の一声により、俺たちは元の帰路に着いた。

冷静になって考えてみると、やはり今回の一件はあまりの異常さ故いまだに現実感が無い。しかしこれは夢や幻ではない。今後、また何かの厄介事に巻き込まれる可能性について考えを巡らせた。それから先生が持っていた拳銃のことも。だが今はとにかく疲れていた。これまでの日常が形を変えていくような感覚から今は目を背けたかった。どうやらその気持ちは二人も同じようで、誰も今日の出来事には触れなかった。そして個人的に思うことだが、あの拳銃について話すことは無いだろうと思う。気になるといえば気になるのだが、それでもきっと口にしない。…拳銃を構える先生の目が、とても悲しそうだったから。



5.Epilogue


 例の事件からちょうど一週間が経った。幸いにもあれから厄介事には巻き込まれていないのだ。そして今は放課後で、俺はあの骨董品店に向かっている。というのもマサヒロが何か思いついたらしく、その話し合いをするらしい。その思いつきが良い思い出になるのか、はたまた良からぬことになるのか、それは分からない。未来のことは、良くも悪くも誰一人として知ることはないのだ。それにしても随分寒くなってきた。あと半月もすれば雪が降り始めるだろうか。なんて考えているうちに骨董品店に到着した。そして俺はそっと扉を開けた。マサヒロの思いつきに、良い意味で期待しつつ。


―終―


この話はこれで完結です。

また彼らの話を書くと思いますが、ほぼ独立したエピソードになると思います。

そのため連載形式にはしておりません。

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