壁ドンの神様
原初にして混沌、光にして闇、刹那にして永遠、創造と破壊、存在その物が事象。
故に畏れられ、崇められた。
色々な名前で呼ばれた事がある。
様々だが所詮は人がつけた名だ。
一部の事象を切り取って神と崇める。
人はそういうものだった。
そんな姿も何もかもが混沌が故に確定していない存在の独神。
自ら姿を隠してから那由他とも思える年月が過ぎていた。
余りにも強大すぎる存在は全ての神を滅ぼす。
観察対象が居なくなっては詰らない……。
ただ其れだけが行動の理由だった。
元より誰かに加護を与えるでも無い真に神と言える存在だった。
ただいるだけ……。
にも関わらず【神】とされてしまった。
それが原因なのかは不明だが、時折他の【神】とも関わる事がある。
数百年年に一度位の割合で戦いを挑んできた【神】を名乗る者もいた。
「我こそは混沌を司る者、よって独神と称し何も齎さぬ存在など認めない」
無謀という一言に尽きる行動。
だが挑まれても何をするでもない。
ただそこにあるだけだ。
退屈という想いもないが、ある意味退屈凌ぎにはなった。
混沌を司ると言いながら存在が確定している。
混沌などと笑止でしかない。
近づくだけでその混沌を司る【神】は存在が失われた。
他にも、自分以外を認めない【神】や、戦の【神】、数多の【神】が訪れた事もある。
全てが混沌へと飲み込まれ始原に帰り、そしてまた生まれていった。
自ら戦いを仕掛けた事などないが、時折こうして現れていた【神】も居なくなってから久しい。
【神】さえも崇め始めたからだ。
そうして独神はさらに独になっていく。
独である。
そう感じたのは混沌たる存在としては不思議だった。
それを理解する者は居なかったが……。
その後の楽しみは、自らの存在、その要素である混沌と原初によって生み出された星の世界を観察する事だった。
対象を個人にすることもあれば、国家にすることもあった。
ただ眺めるだけ。
何をするでもなく、暮らしを見つめ、誕生、戦争、平和、喜び、悲しみ、死、様々な物語りを見ていた。
そして数千年を経た今、面白い国を見つけた。
日本。
面白い、そう思った。
混沌としている。
神という存在でさえ混沌の中に放り込まれている。
そう、自分の事さえもその中に取り込まれているのだ。
神でさえ混沌として取り込む事象なのに……。
無性別で男でも女でもない絵姿。
つい失笑してしまった。
なんだこれはと。
存在の確定を持たないが故に男女と別けられるものではない。
だからと言って男の娘で美少女とは意味が判らない。
まさに混沌とした表現。
興味を持つには十分だった。
一部の存在を敢えて確定させてるのも容易い。
創造も一つの力なのだから。
丁度良い具合に何時の頃か取り込んだ混沌の神の部分を抽出して作り出してしまった。
無限の時を過ごし、他の【神】を認識してから数千年経とうが持っていなかった存在。
寄りにも拠って日本で気に入ったその姿を模したのだった。
今までは俯瞰しているだけだった人の営み。
それが今はこうして混ざり同じ視線から眺める事ができる。
面白い、そうしてまた一つの感情をもっていく。
混沌であり有であり無である元の独神とは違う方向へ。
姿形を持ち存在するものになった故の変化が訪れていた。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
とあるコミック系サークルの販売会場。
「そうそう、すげー美人」
「でも背も高いし、筋肉もあるから男性じゃ」
「いや、あれで男だった女の私たちの立場ねーし」
「お前が女だったとわベシ!?」
「抱きたい!」
「いやまて男だろ」
「その前に発言者が男な件について」
「遅れてるな諸君、あの人について知らないとは」
「なんだとっ! 情報プリーズ」
「名前しか知られてない正に謎の人物!ババーン」
「はい、解散!」
「それ、処分しとけよ」
…………
………
……
…
ブースで有料の撮影会が開かれていると、会場の其処やかしこで噂になり、その人物の目撃情報が語られていた。
「あのブースや、やばかったわ」
「え、何々」
「壁ドンしてもらちゃったの~御仲さんに!」
「マジデ! チョットイッテクル」
走り去る女性……壁ドンを希望するからか、顔がほんのりと色付いていた。
「おい、御仲さん来てるってよ!」
「ちょっと抱きしめられてくる」
「そこは抱きしめるのが正しいよね?」
「「解ってねーなぉぃ!」」
「あれ? 可笑しいよね、君たち男だよ」
「クックック抱きしめられたら解る」
「ああ、御仲さんならな」
「「ってわけで行ってくる」」
そして会場では撮影のイベント待ちの列が続く。
整理券を配られていて並ぶ必要も無いのに去らない。
一分一秒でも早く壁ドンを! 抱擁を!
期待に満ちた目は狂気にも似た光を帯びていて手を出せない。
「今日は狩衣!」
「でも昨日の執事風も捨てがたい」
「明日は、明日は何!」
独神のことだ、御仲と名乗っている存在変化した(便宜上、彼としておくが)彼は楽しんでいた。
有名コスプレ会場に現れる謎の男装の美男氏として。
性別は不明、だが男でも女でも構わないと多くの客が詰め掛ける。
この状況を説明するには、ある出会いを語らなければならないが割愛させて頂く。
ともかく、御仲悠は現在進行形で撮影会を行っていた。
今の姿勢を表すなら『幸せホールドリバース』
女性を後ろから抱きしめつつ顔の真横から視線を当てるように首を傾げて耳元に囁く。
男性にも女性にもともに大人気の撮影風景。
専属のカメラマンが撮影、現像、そしてお渡しとなる。
ワンポーズを凡そ5分で撮影して、1枚の撮影費がなんと1万5千円。
にも関わらず2枚、3枚を希望する猛者がいるのは恐ろしい。
一度10枚を希望する女性が現れてから一回で3枚までに上限が決まった程だ。
噂でもなく所属して欲しいと願うプロダクションが押しかけた程。
とはいえ、流石に戸籍もなにもない彼が所属する話を受ける訳もなかった。
普段は喫茶店でのウェイターをこなしているが撮影がNG。
ここでなら注文を受け付けて壁ドンで囁いてくれたり、顎をなでてもらえたりと人気は留まる所をしらない。
7割が女性3割が男性という比率だが……。
「10分休憩はいりまーす!」
「「「お疲れ様です~」」」
「ハハ、じゃあまた後でね」
「「「はいぃ」」」
サービス精神は学んでいるようだ。
何故撮影会なのか、などとは今更の疑問だが……。
「狩衣大成功だね!」
「ちょっと動きづらいけど、好評だったよ」
カメラマンのこれまた女性か男性かわからない人物が語りかける。
名前は一条七緒、撮影しやすい服装が原因で判り辛いが女性だった。
そしてこの世界へ御仲を引き込んだ張本人でもあり、喫茶店も彼女の店であった。
衣装やこの施設の契約など一手に引き受けるやり手であるが、同時に特殊な性癖をもつオタクでもある。
だれが見てもカメラマンであるが、これは彼女の趣味の領域。
本業は全く別で財閥の跡取り娘。
何が拗れればこうなるのかと思うほどのエリートでもあった。
御仲に出逢った事は彼女にとっても御仲にとっても幸運だっただろう。
特に一条財閥の面々は喜んだ。
時折姿を消す七緒が大人しくなったからだ。
ある意味ぬか喜びでもあったが知らぬが仏、放っておいた方が互いの為など吐き捨てるほどある事態だった。
経歴不明の人物という事であっても財閥からすれば何の問題も無い。
動けば戸籍ぐらいは……という程に力はある。
それよりも天災と呼ばれる程の七緒の頭脳が経営にむく事こそが重要だと一族の長老達は判断した。
そして御仲はそんな七緒の天衣無縫ぶりと無駄な才能を気に入った。
まさに運命というものがあれば悪戯な出会いが果たされたと言える。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「では、撮影再開します」
その合図を待っていた次の人物が現れる。
「か、壁ドン顎耳でオネガイシャッス!」
壁ドンの話を聞いて走った女性の撮影が始まる。
要望は王道の中の王道といえた。
ドンッ! とセットに背を預けた女性の顔の斜め上に手がつかれて、御仲の顔が近づいてくる。
そして顎に手を添えてキスを迫るようにしながら耳元へと顔が近づいていく。
「ヒゥッ」というのは女性から漏れた声、驚きなのか嬉しさの余りなのか……。
耳に息を吹きかけられれば声も思わず漏れよう……。
そして囁かれる言葉、この時点で左手が腰に回されていなければ腰が砕けて女性が座り込んでしまう。
「さぁ、子猫ちゃん、望みをいいなっ」
「もう……ダメェ」
完全に膝が震えて崩れ落ちる女性を抱え上げてソファへと運ぶ。
これで撮影は完了となる。
この光景を眺めるのが何よりも至福である七緒も満足していた。
意味が判らない人も多いであろうがこれが七緒の性癖だった。
深くは語るまい。
「よ、宜しくお願いします、アキレスで『死に行く戦友を送る』膝上胸部ホールドでお願いします!
マニアだった。
「パトロクロスよ!……どうして君が……誰がっ、敵はきっと私がこのアキレスが取って見せるぞ!」
パシャッとシャッターが落ちる瞬間に語りかけてくる。
「今晩……」周囲には聞き取れない程の小声。
「なるほどな……了解した」と御仲は答える。
握手をして見送る彼はそっちの客だったようだ。
若干趣味を含んでいる旨が多分にありそうだが。
時折だがこうして訪れる者がいる。
使いであったり本人であったり様々だが、要するに【神】としてのお誘いであった。
先ほどの人物は【神】の使いであった訳である。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
撮影会を終えた御仲と七緒がリムジンにのって帰宅する。
本来なら電車で会場を去るのだが、このあたりは警備の関係上仕方が無い。
「今日はお誘いがあってね、夜は出かけてくる」
「そう、明日の撮影は?」
「問題ないさ、そっちが優先だから」
【神】からの誘いだろうが御仲には基本的に関係ない。
長期に渡っての招待ならもっと事前に連絡すべきだと断ってしまう。
そして七緒はそのあたりの話も含めて唯一知っている相手であり、よき理解者でもあった。
肉体を持ったが故に衣食住は確保する必要があるのは致し方ない。
無くてもなんとかなるが、それでは楽しみが減ってしまう。
七緒は自分の欲求がみたされ、御仲は衣食住が満たされる。
そんな関係である。
天災という名を持つほどの七緒だからこそ受け入れられている事も御仲は理解している。
故に互いの関係を保つ努力は怠らない。
撮影は七緒の為にも自分の楽しみでもあるのだから、【神】など二の次の扱いとなっても仕方が無かった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
普段着と言う名のスーツを着た御仲がひっそりとした雰囲気の神社へと訪れた。
昼の撮影会にやってきた使いの主の取り仕切る場である。
「お出で頂きましてきょ、恐縮ですぅ」
「ああ、構わないさ仕方が無い事だしね」
「申し訳御座いません、急にお呼びするなど……」
「知らない仲じゃないし、構わないさ」
一応は既知の仲。
神格と言うもので言えば差が有りすぎる。
例え極一部でしかない御仲とはいえ元が元だけに並ぶ者はいない。
御仲は謂わば端末でしかない存在ではあるが、それは主に繋がっているという意味だ。
土地の守護をしている神では話にならない。
仮にその本体でも話にならないのだから当然だろう。
存在としての神である御仲ならば信仰など関係ないが、土地などを司る分神などはその信仰によって大きく存在がかわってくる。
今話している相手は本体こそ少彦名命と有名な神ではあるが現状では土地の氏神となっている。
神妙に喋りもせずにさらに控えている者達などは摂社や末社にいる地主神や系譜の神、塞神などの道祖神が祭られているのでその神霊といったところ。
誤った習合などで勘違いされたりする事も多い神達だ。
「で、これか……」
「はい、呪を施してしまわれました」
時折こうした事が起こる。
神域といえど人の妬みなどそういった事を願う者が存在する。
そうした負の感情が育てば力を失ってきている者達に悪影響がでる。
一昔前なら考えられない事態である。
何故神社で黒魔術なのか。
懇々説教を交えて説明頂きたい話だ。
ともかくお百度などのお願いは良い。
それに良くある、いやあってはいけないが、藁人形など古式ゆかしい呪も本人が呪われる事を除けばどうという事は無い。
しかし、黒魔術や意味の不明ながら何故か力を持つような類の物は良くない。
謎の現象が生まれてしまう事がある。
次元に穴が開いたり、異界と繋がったりと大変な事になることさえあるのだ。
そうした物事を解決するのが、本業では無いが実体を持った力のある【神】としての御仲の奉仕活動になっていた。
「まあ、この程度なら簡単だから、離れておいて」
「はい、宜しくお願いいたします」
全員が離れたのを確認して本来の力の一部で打ち消すだけ。
全てを虚としてしまえば呪であろうが関係はない。
「よし、終わったよ」
「「「「有難う御座います、助かりました」」」」
「んじゃ宴会しようかっ」
随分と馴染んだ様子だが、これが報酬である。
全員が分神といえど数百年からの時を生きている。
面白い恋の話や出来事を見ているのだ。
場合によっては本体である神からの情報もある。
お気に入りは建速須佐之男命と姉の天照大神のやり取りなどの逸話であった。
かなり脚色のされた話も多く、実話を知っている彼等の話は面白い。
流石日本の神だなと御仲は思う。
他にも神代の時代と言われていながら兄妹で婚姻したり、夫婦喧嘩で殺伐とした内容で民を巻き込んだりしている。
御仲が好むのも無理は無い程の話は大量にあった。
ドンチャン騒ぎは続いていく。
酒宴は昔から神様の宴では定番なのだから。
そしてまた御仲は今日もコミック系サークルの販売会場へと向かう。
時折自分の描かれた薄い本など購入したりと楽しみが多いのだ。
全ては自分の楽しみを満たす為に。
そして今日も彼は壁に手を当てながら優しく、そして力強く呟く。
「怯えなくていいのさ、君はもう僕のものなんだから」