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神様はここにいる。

作者: きよこ

 そこは、私にとっての聖域だった。



 まだ幼い、男だとか女だとか、そういう区分をまだ充分には理解していなかったあの頃。胸のふくらみを恥ずかしく思い、自分が『女』であることを自覚し始める、そんな年齢。

 まだ十歳になったばかりのあの時の思いは、鮮烈な、それでいて不透明に、記憶の底でたゆたっている。



 男という生物を心の底から信じる日が来るとは思えないのだ。

 信じることが出来ない。

 血のつながりでさえ、興味と好奇心と欲の前では消え去ってしまうのだから。



 ***


 私の部屋には、誰にも入らせない場所がある。母はそれを「気持ち悪い」といい、父は「変な趣味だ」と笑う。

 インテリアショップで買ったフラフープのようなわっかで作られた天蓋を天井につるし、薄いレースの布地の上に、ワインレッドの布地を重ね、一メートルほどの空間を隠している。

 その中には、小さなテーブルを置いており、マリア像を飾っている。キャンドルの形をした小さな電球で光を灯し、私はまるでキリスト教徒のように祈りを捧げるのだ。

 別に、キリスト教徒なわけじゃないし、変な宗教にはまっているわけでもない。

 そうすることで、心の平安を保とうとしているだけ。

 小さな聖域。私だけの場所。私の、誰にも見られたくない、知られたくない秘密。


 あの映画と同じだ。最後にどんでん返しのある、ブルースウィリスの映画。霊感のある男の子が、霊から逃れるために赤いテントを作る。そこにはずらりとキリスト像やマリア像が並べられ、教会のように彼を守っていた。

 私もそれを作っただけ。映画のまねをしただけだ。


 逃げる場所が必要なのだ。心の闇に、触れられないために。



 ***



 私がひとつ違いの弟と風呂に入らなくなったのは、胸のふくらみが気になり始めたからだった。同時に、弟もまた、そうやって女になっていく私から、性に対して興味と関心を抱いたのだろう。

 夜、寝ている時。私の部屋に侵入してくる影を認めたのは、ちょうどその頃だった。

 股の間にねじりこまれる手を、私は夢だと言い聞かせた。大事な部分に触れ、まさぐるその手を、夢の産物と信じた。

 目をぎゅっとつぶり、時間が過ぎ去るのをひたすら待った。夢は、いつか覚める。悪夢は、悪夢でしかない。目覚めれば終わる、ひとときだけのもの。

 あの影は、弟なのか。あの手は、あの視線は、弟以外の何者なのか。

 幽霊だと思い込もうとした。そういう幽霊もいると、テレビで見た記憶もあった。


 そして、今も、そう思い込もうとしている。

 だから、私には、あの聖域が必要なのだ。




 ***


 記憶は少しずつ薄れ、消えていくものだ。

 思春期の私は、そういう行為を恐れた。男の人が自分をそういうことをする対象として見ることを恐れた。

 恋をすることはあっても、両思いになることはあってはならなかった。両思いになること……付き合うということは、それが直結することだったからだ。

 けれど、高校生ともなると、誰とも付き合ったことがない、セックスの経験が無いということが『恥』に変わっていった。

 誰もが大人の階段を上っていくのに、自分だけずっと踊り場で踏みとどまっていることが恥ずかしかったのだ。

 そしてそれは、自身の恐怖心を乗り越え、大人となることへの一歩を踏み出すきっかけとなった。

 私は、男を欲し、あの頃の記憶を、心の一番奥深くに無理やり押し込んだのだ。


 あの思いが、消えることはないと、わかっていながら。



 ***


 弟がはっきりと口にしたのは、その時だけだった。

 胸を見せろ、と。そう、告げてきたのだ。

 服を無理やり脱がされ、小さくふくらんだ胸を見られた。

 体が震えて、ただ、怖かった。


 胸を見られたことだけじゃない。

 幽霊は、弟であると、確信したからだ。




 ドラマのような恋愛なんて、ドラマの中だけの話だ。

 セックスをすることへの背徳心をごまかすための、でっちあげた感情だとしか思えない。

 その『人』を好きだと、言えるのだろうか。愛だとか恋だとか、そんなものはまやかしで、快楽を得るための本能にあやつられているだけなんじゃないか。


「好き」と言葉に出して、そういうあいまいで不確定のもので自分も相手も騙して、抱いて、心地良さに溺れるために、それだけのために、恋愛感情が存在するじゃないか……。




 聖域にこもり、祈りを捧げる。

 神様。この世に、本当に愛や恋は存在するのでしょうか?

 私は、いつになったらこの恐れと疑心を取り払い、人を愛することが出来るのでしょうか?


 神様、とつぶやきながら、私は自分に問い続ける。

 神様は、自分の内にだけ存在する。本当に助けてくれる神様なんていやしない。

 私を助けることが出来るのは、私だけ。

 深淵から脱け出すために必要なのは、私の力だ。



 ここで、祈り続ける。カーテンで区切られた、薄明かりにぼやけるこの場所で。

 力を蓄え、いつかの自分に思いを馳せる。


 恐れることはない。信じる。

 信じるのだ。

 永遠は存在しない。だからこそ、この苦しみから脱け出すことも出来るのだと。


 いつか、近くても、遠くてもいい。未来のいつか。

 私は誰かを愛し、また、誰かが私を愛してくれると。

 そんな日が来ると、ひたすらに、祈る。


 自分の胸の、奥深く。

 私の内にいる、私という神様に。

 未来を願う。


 愛し愛される日が必ず来る。必ず。

読んでくださり、ありがとうございました!


何か感想があれば教えてくださると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです 最終的には神ではなく自らにしか、闇は拭えない、と……。 実存主義的な主張をお見受け致します。 主人公が、または、世の中のどこかに存在するであろう同じような境遇の方々が、…
[一言] タイミングよく、投稿をお見かけしました。 いや、相変わらずお上手だなと。美しい毒の吐きかたというのか、感服いたします。 癒されは…しないけれど、なんだかすっきりしました。 お姉ちゃんに幸…
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