第1章「隣の家のくしゃみ」
隣の家から、大きなくしゃみの音がした。お父さんのような、おじいちゃんのようなでかいくしゃみだった。
「お兄ちゃん、どうするの?ミクミン食べられちゃうで!」
今年10歳になったばかりで、一つ年下の弟のゆうすけが聞いてくる。去年のクリスマスにもらったゲームをしているところだった。
「今、隣の家からくしゃみの音がしなかった?誰かいるのかな?」
「何言ってんの?隣はだれも住んでいないよ。」
確かにそのはずだ。隣は空き家でだれも住んでいない。でも、こうすけの耳にははっきりとくしゃみの音が聞こえたのだ。
こうすけとゆうすけは、さくら小学校に通う剣道好きの小学6年生と5年生の年子兄弟だ。顔は似ているが、性格は正反対で、兄のこうすけはゲームオタクでマイペース、弟のこうすけがスポーツ大好きなお調子者だ。
こうすけの住んでいる街は、さくら団地といって、数十年前に再開発された古い団地のため、古い家ばかり並んでいた。でも。最近になって、こうすけの家族のように空き家をリフォームしたり、新しい家に建て替えて移住してくる家族も増えてきている。
「あーあ、ミクミン食べられちゃったじゃん。」
ゆうすけはゲームに夢中だ。
今日は日曜で剣道教室の日だけど、城崎先生の都合が悪くて練習は休みだった。お母さんは、2週間前から体調が悪くて入院している。入院する少し前から、ご飯も食べられなくて、動くのもつらそうになっていた。子どものこうすけから見ても、どんどん痩せていって体を壊していることが見て取れた。
お父さんは一度仕事から帰ってきてから、夜に病院へ行っている。3歳の妹のあすかのお世話は、こうすけとゆうすけが協力してほとんどやってあげている。あすかをお風呂に入れたり、ご飯を食べさせたり。大変だけど、あすかなりに状況を理解していて、2人のいうことを素直によく聞いてくれる。
お父さんは、病気についてこうすけにだけ教えてくれていた。弟のゆうすけには内緒の約束だ。ゆうすけとこうすけは1才しか違わないが、物心ついた頃には弟のゆうすけがいたので、必然的に兄として自立せざるを得なかった。ゆうすけは、今でこそ明るくてお調子者な性格だけど、本来はとても怖がりなヤツだ。小学校2年生まで1人でトイレに行けなかったのでこうすけが付き添ってあげていたし、学校から1人で帰ることができなかったので、なるべくこうすけと時間を合わせて下校していた。こうすけはいつもお母さんにゆうすけのことを頼まれていた。兄として弟と妹を守るという責任を必然的に背負ってきたのだ。
今日はお父さんも仕事が休みだから、あすかを連れておかあさんのお見舞いに行っている。こうすけとゆうすけは2人で留守番をしていた。こうすけとゆうすけもお母さんに会いたかった。
なんとなくくしゃみのことが気になって庭に出てみると、隣の窓からなにか動く影が見えた。いつもは雨戸が閉まっていて中は見えなかったはずなのに、今日は開いている。こうすけは不思議に思って、じっと家の中を見た。
何かが動いている。暗い灰色のような、濃い焦げ茶色のような、人影にしてはずいぶん小さい。こうすけはこっそり隣の玄関の前に行き門を開けた。門はすっと開いて、まるでこうすけを招きいれているようだった。こうすけは足音を立てないようにそっと庭に入った。
木の陰に隠れて、窓の方を覗くとソファに座っている人影が見えた。その瞬間、こうすけは驚いて固まった。それは、体は人のような姿をしていたが、顔は完全にフクロウだったからだ。まん丸で大きなぎょろぎょろとした目。くちばしのようにとがった口元。頭は丸くて、茶色と白が混ざった羽に包まれていていた。そのフクロウは人の形をした体で椅子に座っているが、大きさはまるで子どものように小さかった。3歳の妹のあすかと同じくらいの大きさだった。
その影がぱっとこっちを見た。黄色く輝くまん丸な目とこうすけの目がバチっと合った。いや、完全に目が合っていた。しかし、そのフクロウは何事もなかったようにソファに座ったまま本に視線を戻した。
しばらくのあいだこうすけは動けず、フクロウおじさんを見つめていた。すると、おじさんが両手を広げてフワァっと立ち上がった。その姿はフクロウが翼を広げて飛び立つように軽やかで、今にも飛び立ちそうだった。
こうすけは、見つからないようにそーっと動き、心臓がバクバクしているのを必死に落ち着かせながら、こっそりと家に戻った。
「ゆうすけ!!隣の空き家におじさんがいる!!めっちゃ変なの!!フクロウおじさん!!」
焦って思わず叫ぶような声が出てしまった。一瞬の間を置いてからゆうすけが返事をした。
「は?何言ってんの?」
ゆうすけが半笑いでこちらの方を振り向いた。途端に、びっくりした形相をした。
「あれ?お兄ちゃん?どこ?」
ゆうすけの目の前に立っているのに、きょろきょろとこうすけの姿を探している。
「お兄ちゃん、どこでしゃべってるの?」
こうすけは目の前に立っているのに、ゆうすけはソファから立ち上がってダイニングテーブルの裏を探し始めた。
「ここにいるだろ?どこ見てんだよ。」
「だから!どこにいるんだよ?」
ゆうすけはまだウロウロと探している。
「いつまでジョーダン言ってんだよ。」
と、こうすけが言いながらふっと自分の足元を見ると、あるはずの足がなく、床が透けて見えていた。ぎょっとして、手や身体を触ってみる。確かに自分の体の感触がある。それなのに、目では何も見えないのだ。
「え?ウソだろ?」
こうすけが思わず声を出した瞬間、ふわっとこうすけの体が見えるようになった。
「わっ!!お兄ちゃん?!どこから出てきたの??」
驚いているゆうすけとようやく目が合った。
「ずっとここにいたよ!僕にも自分が見えなかった!」
ゆうすけに説明しながら、こうすけは自分でもおかしなことを言っていると思った。
「さっき、くしゃみの音が聞こえたかって聞いただろ。気になって隣の家を見に行ったんだ。そしたら、いつもしまっている雨戸が開いていて、フクロウおじさんがいるのが見えた。そうか、フクロウおじさんに気付かれなかったのは、あの時から僕は透明人間になってたのか。」
「お兄ちゃんどうしちゃったんだよ?フクロウおじさんってなんだよ?」
ゆうすけは自分の兄が勉強のしすぎで、ついに頭がおかしくなったんだと思った。
「ゆうすけも来てみてくれよ。」
こうすけの誘いにゆうすけはしぶしぶついて行くことにした。兄の頭がおかしくなったのなら、それは自分にとっても大問題になってしまうからだ。
2人は、隣の家にもう一度行くことにした。




