表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/34

ざまぁは終わらない

 午前の授業は、内容が頭に入らないわけじゃないのに、妙に集中が切れた。ノートを取っているはずなのに、視界の端に結衣の横顔が入るだけで、ペン先が一瞬止まる。卵焼きの匂いが残っているせいかもしれないし、教室のざわつきがまだ胸の奥に残っているせいかもしれない。


 私は何度も自分に言い聞かせた。浮かれるな。今はまだ途中だ。ざまぁは感情で突っ込むと失敗する。冷静に、正しい手順で、逃げずに進む。

 それでも、結衣がたまに私の方を見て、目が合いそうになるたびに、胸がきゅっと鳴った。負けるな、私。


 授業の合間、隣の席の子が小声で言った。


「柚葉、結衣と仲いいんだね」


 私は、あえていつも通りに頷いた。


「うん。隣だし」


 “隣”という言葉は便利だ。恋にも友情にも使えて、どちらにも寄せすぎない。でも同時に、どちらにもなれる余白がある。私はその余白に、少しだけ救われている。


 結衣がその会話を聞いていたのか、私の方を向いて小さく言う。


「……隣、便利だね」


「便利だよ。結衣がいるから」


 言ってしまってから、私は顔が熱くなるのを自覚した。結衣が固まって、視線を机に落とす。反応が正直すぎて、私も目を逸らした。教室で照れるのは、心臓に悪い。


 ※ ※ ※


 昼休み。


 私は結衣と弁当を広げた。朝の卵焼き騒動があったせいで、周りの視線がいつもより集まりやすい。けれど、担任の“拡散禁止”が効いているのか、直接突っ込んでくる子は少ない。静かな好奇心が漂うだけだ。


 結衣が弁当箱を開けながら、ぼそっと言う。


「……さっきの質問、変な空気だった」


「好きなの?ってやつ?」


「うん」


 私は箸を持ったまま、少しだけ息を整えた。結衣が気にしているなら、逃げるのは悪手だ。曖昧にすると、教室の空気が勝手に形を作る。形ができたら、誰かに利用される。紗羅みたいな人間は、そういう“形”を餌にする。


 私はできるだけ軽く言った。


「私は、結衣と仲良いのは本当。結衣が私の味方ってのも本当。……それで十分じゃない?」


 結衣は箸を止めて、私を見た。言葉に引っかかったみたいに。


「……十分?」


「うん。今はね」


 “今は”を付けたのは私の正直だ。

 今は、十分。

 だけど、未来は分からない。


 結衣は小さく頷いて、視線をおかずに落とす。


「……柚葉が決めるなら、それでいい」


 その言い方が、胸を温かくする。結衣は私を急かさない。奪わない。勝手に決めない。私が一番欲しかった距離感を、ちゃんと差し出してくれる。


 私は弁当の蓋を少し動かして、結衣の方へ寄せた。


「今日も、少し分ける」


「……いいの?」


「うん。結衣の卵焼き、もう一回食べたい」


 言った瞬間、結衣の顔がまた赤くなる。


「ばか……!今それ言う?」


「言いたくなった」


「……言われたら、明日も作りたくなるじゃん」


 私は箸を止めた。


「え」


 結衣も止まった。言ってから気づいた顔。

 教室の雑音が遠ざかって、心臓の音が近くなる。


「……今の、聞かなかったことにして」


「するわけない」


「……柚葉、ずるい」


 私がずるいなら、結衣もずるい。

 私は笑いそうになるのを堪えながら、卵焼きを一切れ口に運んだ。


 美味しい。

 味も、状況も。


 ※ ※ ※


 昼休みの終わり際、スマホが震えた。風華からだ。


『放課後、少し時間ある?短くでいい』


 私は一瞬迷った。今日は結衣と駅まで一緒に帰る流れを作っていた。だけど、風華の連絡は“安全”と“戦略”に直結する。今の私は、どちらも手放したくない。


 私は結衣を見た。結衣は私の顔を見ただけで察したように言う。


「……風華から?」


「うん。放課後、少しだけ」


 結衣は少しだけ口を結んで、それから、ちゃんと笑って頷いた。


「行っておいで。私、待つ」


「待つって、どこで?」


「……駅。いつものとこ。柚葉が来るまで」


 その言い方が健気で、胸がきゅっと鳴る。

 私は結衣の手元を見て、正直に言った。


「……ありがとう。すぐ行く。長くならないようにする」


「長くなってもいいよ。柚葉が必要なら」


 必要。

 その言葉に、私は一瞬だけ目が熱くなった。

 必要とされることが怖かった時期がある。必要とされた分だけ、簡単に捨てられたから。

 でも結衣の“必要”は、私を縛るためじゃない。私を支えるための必要だ。


 私は頷いた。


「……行ってくる」


 ※ ※ ※


 放課後、廊下に出ると、空気が少し張っていた。取り巻きの件があったから、身体が勝手に警戒する。でも、警戒は悪じゃない。必要な装備だ。


 階段を下りたところで、浅葱に呼び止められた。


「柚葉!今日の卵焼き、事件だったね」


「事件扱いしないで」


「だって教室が一瞬で平和になったじゃん。あれ、すごいよ。柚葉が笑って、結衣が照れて、周りが『あ、なんかもういじめる空気じゃない』ってなるやつ」


 浅葱の言い方は雑だけど、核心を突いてくる。

 私は短く息を吐いた。


「……平和、続くといいけど」


「続けるんだよ。柚葉が中心なんだから」


 中心。

 その言葉が、少し怖くて、でも少し嬉しい。


 私は風華のクラスの前で立ち止まった。廊下の窓から差す夕方の光が、床に長い影を作っている。扉の向こうから、誰かの笑い声が漏れる。自分とは別の世界みたいに聞こえた。

 でも今は、そこに足を踏み入れる勇気がある。


「……失礼します」


 風華が廊下に出てきた。視線が合う。相変わらず落ち着いた顔。だけど、私を見る目が少しだけ柔らかい。


「来てくれてありがとう。歩きながら話そう」


「うん」


 私たちは並んで歩く。風華は歩幅を、私に合わせてくれる。言葉にしない優しさ。

 それだけで、胸が整う。


「今日の教室、どうだった?」


「卵焼きで騒いだ。結衣が作ってくれて……その、私、嬉しくて」


 風華は一拍置いてから言う。


「……よかったね」


 昨日より、少しだけ自然な“よかったね”。

 でも私は、風華の目の奥に小さな揺れを見た気がした。

 嫉妬、と言い切るには違う。

 でも“私の知らないところで柚葉が幸せになるのが、少しだけ寂しい”みたいな揺れ。


 私はその揺れに、心がくすぐられた。


「風華も、可愛いとこある」


 言った瞬間、風華が止まった。


「……今、何て?」


「可愛い。浅葱も言ってた」


「浅葱の言葉を根拠にしないで」


 風華の耳が少し赤い。私は内心で小さくガッツポーズをした。ラブコメは、こういうところで回る。


 風華は咳払いを一つして、話題を戻す。


「本題。紗羅の動き。今日、クラスで“柚葉が周りに言いふらしてる”って方向で話してたらしい」


 私は胸の奥が冷える。でも同時に、理解もした。来た。想定通りの印象操作。

 だからこそ、私は感情で動かない。


「……どうする?」


「やることは同じ。柚葉が“言いふらしてない”ことを、自然に見せる。あなたが普段通り教室で過ごして、余計な発信をしない。それだけで矛盾が出る」


「矛盾?」


「言いふらしてるなら、柚葉の周りは“話題”で埋まる。でも今、埋まってるのは卵焼きと……結衣でしょ」


 風華の言い方が少し刺さって、私は思わず笑ってしまった。


「……そこ、ちょっと嫉妬してる?」


 風華が真顔で言う。


「してない」


「即答こわい」


「怖くない。事実を言っただけ」


 私がくすくす笑うと、風華は小さくため息をついた。


「……柚葉が笑えるのはいい。けど、油断はしないで」


「うん」


 風華は歩きながら、私の手元を一瞬だけ見る。


「結衣さんと、手を繋いだ?」


「……結衣は同学年だから“さん”やめて」


「……結衣と、手を繋いだ?」


 言い直したのが可笑しくて、私はまた笑った。


「うん。繋いだ」


 風華の横顔が、ほんの少しだけ固くなる。

 でも次の瞬間、淡々と頷いた。


「分かった。柚葉が安心するなら、いい」


 その“いい”が、優しいのに少しだけ強い。

 私はその強さを、嫌じゃないと思ってしまう自分に気づいて、慌てて視線を前に戻した。


 話は短く終わった。風華が「帰りは気をつけて」と言って、私は頷く。

 そして私は駅へ向かって走り出した。結衣が待っている。そう思うと、足が勝手に速くなる。


 これがラブコメなら、ここで転ぶ。

 私は転びかけて、ギリギリ踏ん張った。


 ――危ない。

 結衣に会う前に怪我したら、笑われる以前に心配される。


 駅前に着くと、結衣がいつもの場所にいた。私を見つけて、ふっと安心した顔をする。


「……遅くない?」


「遅くない。結衣が待ってくれた」


「待った。柚葉が来るまで待つって決めたから」


 私は息を整えながら、言った。


「……ありがとう。帰ろ」


 結衣が頷いて、私の手を取ろうとして――一瞬止まる。周りの目を気にしたのかもしれない。

 私はその迷いを見て、先に手を差し出した。


「今日も、繋ぐ?」


 結衣が、ほんの少しだけ驚いた顔をして、それから小さく笑った。


「……繋ぐ」


 指が絡む。温かい。

 私は思う。卵焼きより、手の温度の方が効く。

 それを認めるのは悔しいけれど、今は嬉しさが勝つ。


 帰り道、私の胸の奥で、小さな確信が育っていく。

 私はもう、奪われる側じゃない。

 私は自分で選ぶ。

 そして、選んだ人たちと、堂々と笑う。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ