この青春は絶対に奪わせない
翌朝、目が覚めた瞬間から胸が落ち着かなかった。昨日のやり取りがまだ指先に残っている気がして、布団の中で何度も手を握っては開いた。たった数行のメッセージでここまで心が揺れるのが悔しいのに、嬉しさが勝ってしまう自分がもっと悔しい。
鏡の前で制服の襟を直しながら深呼吸する。今日は笑う日。怖いことが起きても、全部に飲まれない日。そうやって“予定”に落とし込むと、心の中に一本、支柱が立つ。
玄関で靴を履いているとスマホが震えた。結衣からだ。
『おはよう。今日ちょっと早く教室行っていい?柚葉に渡したいものある』
“渡したいもの”の四文字で心臓の回転数が上がる。期待は転ぶ。分かってるのに、口元が勝手に緩む。
『いいよ。私も早めに行く』
送信してから、無意味に髪を整えた。これは身だしなみじゃない。気持ちの置き場所を探している動きだ。
※ ※ ※
教室に入ると、結衣はもう席にいた。机の上に何かを隠すように置いて、落ち着きなく筆箱を動かしている。私の足音に気づいて顔を上げた瞬間、表情がふっと柔らかくなった。
「おはよう、柚葉」
「おはよう、結衣。早いね」
結衣は周りをちらりと確認して、私の机の上に小さな包みを置いた。ハンカチで丁寧に包まれた、手のひらサイズの箱。手作りの匂いがする。
「これ、卵焼き」
脳が一瞬止まった。昨日の会話が現実になって、胸が変な音を立てる。
「卵焼き……?」
「昨日言ったでしょ。作るって。作った。……味見してほしくて」
ぶっきらぼうに言い切ったのに、耳がほんのり赤い。私は嬉しさが喉まで上がってくるのを押し戻して、なるべく普通に頷いた。
「ありがとう。結衣、すごい」
「すごくない。焦げてないだけ」
その言い方が可愛すぎて危ない。私は包みを開けた。ふわっと甘い卵の匂いが立ち上る。まだ少し温かい。朝からわざわざ、私のために。
その瞬間、後ろの席の子が顔を出してくる。
「え、なにそれ。手作り?」
結衣が反射で答える。
「私が作った」
教室の空気がぱちんと弾けた。ざわつきが一段上がって、視線が集まる。私は思ったより平気だった。嫌な視線じゃない。これは好奇心で、悪意じゃない。扱い方を間違えなければ怖くない。
私は卵焼きを一切れ箸でつまんで口に運んだ。甘さが控えめで、出汁がふわっと香る。私の好みに寄せた味で、胸の奥がじんと熱くなる。
「……美味しい」
「ほんと?」
「うん。すごく」
結衣はほっとした顔をしたのに、すぐに視線を逸らす。照れ隠し。分かりやすすぎて、私は笑いそうになる。
そこで、悪気のない直球が飛んだ。
「結衣、柚葉のこと好きなの?」
教室が一瞬静まる。答え待ちの空気。結衣が固まる。私も固まる。心臓がうるさい。こういう時に黙ると、噂が勝手に形になる。私はもう、噂に形を与えたくない。
だから私は、ラブコメの救命具を投げる。
「それ、朝から重くない!?卵焼きが主役の日だから!」
何人かが吹き出した。空気が緩む。結衣が私を睨むみたいに見て、でも目尻が少し笑っている。
「……柚葉、変なフォローしないで」
「変じゃない。命懸けのフォロー」
「命懸けって大げさ」
そのやり取りで、いったん場が戻る。私は結衣の反応を見て、胸の奥で小さく安堵した。今のは守れた。結衣のことも、自分のことも。
そのタイミングで教室のドアが開いた。
「柚葉ー!いる?」
浅葱だった。入ってくるなり机の上の卵焼きを見て、即座に状況を理解して顔を輝かせる。
「うわ、朝から手作り!?結衣やるじゃん。教室の空気、恋の匂い!」
「匂いとか言わないで!」
私は即座に止めたけど、浅葱は止まらない。止めるほど燃える。
「でもさ、柚葉が元気な顔してる。これが一番でかい。ざまぁって、こういう形でも刺さるんだよ」
ざまぁ、という単語で一瞬現実が戻る。でも戻ってきた現実が前より苦しくないことに気づく。私は笑える場所を持っている。しかも教室で。
結衣が小さく言った。
「……浅葱、声大きい」
「ごめんごめん、つい。今日テンション上がっててさ」
浅葱がわざとらしく小声になって、私に顔を寄せた。
「ねえ、風華に報告した?たぶん今、嫉妬で机に穴開けてる」
「開けないって!」
否定しながら、想像できてしまって口元が緩む。私はスマホを取り出して、短く送った。隠すとまた変な形になるから、先に情報を整える。
『今朝、結衣が卵焼き作ってきてくれた。教室がちょっと騒がしいけど大丈夫』
既読がつくのが早い。返信も短い。
『卵焼き?』
たったそれだけなのに、圧がある。私は思わず笑った。結衣が不審そうに私を見る。
「……何笑ってるの」
「風華が、たぶん今、想像してる」
私はもう一通送る。煽る気はない。誤解を作りたくない。
『結衣と分けて食べた。すごく美味しい』
既読。
『……分けたならいい』
その返事が“許可”みたいで可笑しい。結衣が画面をちらりと見て、ぼそっと言った。
「……風華、可愛い」
「結衣、今なんて?」
「何も言ってない」
絶対言った。言ったのに誤魔化すの、ずるい。私は結衣の頬を見て、朝から熱くなっているのを自覚する。私たち、ラブコメの体に弱すぎる。
浅葱が机の端に肘をついてニヤニヤする。
「ほら、もう回ってるって。二年の青春、詰め合わせ」
私は浅葱の口を塞ぎたくなったが、結衣に向き直った。今の空気の中で、ちゃんと言いたい。卵焼きのことも、朝から揺れた気持ちのことも、軽くしすぎず重くしすぎず、ちょうどいい場所に置きたい。
「結衣、ありがとう。朝から嬉しかった」
結衣は小さく頷いて、目を逸らした。
「……喜んでくれたなら、それでいい」
その一言で胸が温かくなる。私はもう一口、卵焼きを食べた。美味しい。美味しいだけじゃ足りない。結衣が私を“隣”として扱ってくれている現実が、美味しい。
私は少しだけ意地悪をしたくなる。
「じゃあさ、明日も作って」
「調子乗らないで」
「乗ってない。お願い」
結衣が私を睨んで、でも最後に小さく言う。
「……考える」
その“考える”が、もう“やる”に聞こえてしまって、私は耐えきれず笑った。
傷ついた私が、また“好き”で揺れている。
それは、取り戻した証拠だ。
そしてこの揺れは、あいつらには奪えない。
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