推し、推される
翌朝。
駅前で風華と合流した瞬間、私は昨日よりも自然に言えた。
「……おはよ、風華」
風華の目が一瞬だけ柔らかくなる。
「おはよう、柚葉」
その短いやり取りだけで、胸の奥が落ち着く。
私はもう"壊れた自分"のまま学校に行くわけじゃない。
誰かの手が、確かに私の背中に触れている。
校門をくぐって廊下へ入ると、視線が少し集まるのが分かった。
でも、もう刺さらない。
ただの"確認"の視線。
そして、時々混ざる"羨ましい"みたいな熱。
教室に入る前、風華が小さく声を落とした。
「柚葉。無理しそうになったら、目を合わせて。それだけでいい」
「……うん」
私は頷いて、教室の扉を開けた。
結衣は、もう席にいた。
私に気づくと、ほっとしたみたいに表情が緩む。
「おはよう、柚葉」
「おはよう、結衣」
私の中で、何かが静かに整う。
この席、この距離。
ここが"教室支部"の中心になりつつある。
※ ※ ※
昼休み。
私は弁当箱を開いて、結衣の方へ少しだけ体を向けた。
"教室で食べる"という当たり前のことが、私にはまだ小さな挑戦だ。
「今日の卵焼き、結衣の分もあるよ」
結衣が目を丸くする。
「……いいの?」
「うん。昨日、差し入れもらったし」
結衣は少し照れくさそうに笑って、箸を持つ。
「じゃあ……一個だけ」
私が卵焼きを結衣の弁当へ入れる。
その仕草が、妙に家庭っぽくて、頬が熱くなる。
結衣が小声で言った。
「……柚葉って、こういうの自然にできるの、すごい」
「すごくないよ。ただ……結衣に食べてほしかっただけ」
言った瞬間、結衣の箸が止まった。
私も止まった。
言葉が、思ったより直球で出てしまった。
「……っ、柚葉、そういうの……ずるい」
「ずるいって何」
「……嬉しくなる」
結衣の声が小さくて、でも確かで。
私は胸が熱くなる。
その時、クラスの女子二人が私たちの机の前で立ち止まった。
「ねえ、柚葉」
名前で呼ばれる。
前だったら、それだけで心臓が縮んでいた。
「昨日さ……ごめん。私たち、噂に乗っちゃってた」
もう一人が続ける。
「正直、何が本当か分かんなくて……でも、柚葉が傷ついてるのは分かったのに、何も言えなかった」
私は箸を置いた。
怒りがないわけじゃない。
でも、今の私は"壊す"より"作る"を選びたい。
「……謝ってくれて、ありがとう。私も、言えなかったから」
二人が少しだけ安心した顔をする。
「……それでさ」
片方が、言いにくそうに視線を彷徨わせる。
「柚葉って、今……生徒会長と仲いいんだよね?」
来た。
この質問は、まだ私の心臓を揺らす。
でも、私は隠したくなかった。
隠すと、また"奪われる"から。
「……うん。昔から知ってる。今も助けてもらってる」
すると、もう一人が目を輝かせた。
「すご……!柚葉、なんか……推したくなる」
推したくなる。
またその言葉。
私は苦笑してしまった。
「推さなくていいってば……」
その時、結衣が――静かに言った。
「でも、柚葉は推されてもいいと思う。柚葉って、ちゃんと優しいし……頑張ってるから」
結衣の声は大きくない。
でも、教室の空気を変える強さがあった。
私は思わず結衣を見た。
結衣は、私から目を逸らさない。
――守ってくれてる。
私の胸が、きゅっと鳴る。
女子二人は「そっか」と頷いて、去っていった。
残ったのは、私と結衣と、少し甘い沈黙。
「……結衣」
「なに?」
「さっきの、ありがとう」
「……当たり前だよ。柚葉の隣、私だから」
その言い方が、少しだけ独占的で。
私は嬉しくて、困って、笑ってしまった。
※ ※ ※
放課後。
私は結衣と一緒に下駄箱へ向かった。
今日は"駅まで"じゃなくて、"途中まで"でもいいから一緒に帰りたいと思っていた。
靴を履き替えたところで、廊下の向こうから声が飛ぶ。
「柚葉ちゃーん!」
浅葱だ。
この人は本当にタイミングが良すぎる。
浅葱は私と結衣を見るなり、ぱっと笑う。
「おっ、今日も教室支部、順調っぽいね?」
「支部って言わないでください……」
浅葱は結衣にウインクする。
「結衣ちゃん、偉い。柚葉ちゃんを教室で守ってくれてる。推し活の鑑」
「推し活じゃないです……」
結衣が小さく否定するのが可愛くて、私は笑ってしまう。
その背後から、風華が歩いてきた。
相変わらず静かな存在感。
浅葱の騒がしさすら整えてしまう。
風華は私を見る。
「柚葉。今日は……どうする?」
どうする。
それは"生徒会室に来て"じゃない。
私の意思を尊重する問い。
私は結衣を見る。
結衣は少しだけ目を泳がせて、それから私に小さく頷いた。
「……駅まで、一緒に行く」
私は風華に言う。
「今日は結衣と駅まで行ってから、生徒会室寄る。短めで」
風華は僅かに目を細めて頷いた。
「分かった。待ってる」
その言葉が、胸を温かくする。
千景が廊下の角から現れて、淡々と告げた。
「……今日は人が多い。駅まで、私も遠目で見る」
「護衛が増えてる……」
真白も現れて、一言だけ。
「帰宅導線の安全性、確認する」
「真白まで……」
浅葱が笑う。
「はいはい、柚葉ちゃん、VIP確定!」
私はため息をつきながら、でも笑ってしまった。
※ ※ ※
帰り道。
結衣と並んで歩く。
人通りの多い道でも、私は以前ほど怖くない。
結衣が隣にいるから。
「ねえ、柚葉」
「なに?」
「……今日、教室で。みんなの前で私が"隣"って言ったの、嫌だった?」
私は首を振った。
「嫌じゃない。むしろ……嬉しかった」
結衣が少しだけ笑って、声を落とす。
「……じゃあ、もう一個。駅で……手、繋いでもいい?」
昨日より、ずっと自然なお願い。
私は頷いて、手を差し出した。
「うん」
結衣の指が絡む。
温かい。
それだけで、私は"ちゃんとここにいる"って思える。
駅が見えてくる。
別れが近づくのが、少しだけ寂しい。
私は小さく言った。
「……結衣。明日も、隣にいて」
結衣が一瞬固まって、そして――強く頷いた。
「……うん。私、柚葉の隣にいる」
握った手に力が入る。
私はその力を、ちゃんと受け止めた。
――私の教室支部は、今日も崩れない。
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