表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/26

彼氏を寝盗られた私だけど

 翌日。


 教室に入った瞬間、私は一番に"隣の席"を見た。

 昨日の約束。今日、一緒にお昼。


 隣の席の子――名前を呼ぶのが、まだ少しだけ照れくさい。

 私は今まで、友達の名前を呼ぶのにこんなに神経を使ったことがない。


「……おはよう」


 声をかけると、その子は少し驚いた顔をして、それからすぐに笑った。


「おはよう、柚葉」


 名字じゃない。

 "柚葉"って呼ばれた。


 胸がきゅっとなる。

 呼び方って、こんなに心臓を揺らすものだったんだ。


「……昨日、ありがとね。待ってくれて」


「ううん。私も……ちょっと、心配だったし」


 心配。

 その言葉が、優しい。

 でも"哀れみ"じゃない。ちゃんと"隣の人"の言葉だ。


 私は机に鞄を置きながら、そっと聞いた。


「……ねえ、呼び方。私は、あなたのこと……どう呼べばいい?」


 その子は一瞬固まって、頬がほんのり赤くなる。


「え……えっと……好きに呼んでいいよ。でも……名前で呼ばれるの、ちょっと……嬉しい」


 嬉しい。

 私も嬉しい。

 同じ温度がそこにある。


「……じゃあ、"結衣"って呼んでもいい?」


「……うん。柚葉に呼ばれるなら」


 その返事だけで、胸の奥の硬いものが少し崩れた。


 ※ ※ ※


 昼休み。


 私は約束通り、教室で弁当箱を開けた。

 この机、この椅子、この空気。

 まだ完全に平気じゃないけれど、"逃げない"と決めた場所。


 結衣も弁当を広げて、ちらりと私を見る。


「……ねえ、柚葉」


「なに?」


「昨日のこと、ちょっとだけ聞いてもいい?無理なら、無理でいい」


 ――無理なら無理でいい。

 その言い方が、私の心に優しい余白を作る。


 私は一度箸を置いて、息を整えた。


「……うん。少しなら」


 結衣は、嬉しそうに頷くんじゃなくて、ただ真剣に頷いた。

 "面白がらない"頷き。


「私、ずっと思ってた。柚葉が急に元気なくなって、でも理由を言わないで……周りが勝手に噂してるの、すごく嫌だった」


 私は目を伏せる。

 嫌だったのは私も同じ。

 でも、嫌だって言う勇気がなかった。


「……何も言えなかった。言ったらもっと壊れる気がして」


「うん……分かる」


 分かる、の一言で、喉が熱くなる。

 私は少し笑って誤魔化した。


「……私、弱いよね」


 すると結衣が、すぐに首を横に振った。


「違う。弱くない。柚葉って、強いよ。強いから黙って耐えちゃう。……でも、それって、ひとりで戦ってるってことじゃん」


 胸がきゅっと痛くなる。

 当てられた。


 私は声を落とした。


「……ひとりで戦うの、もうやだ」


「じゃあ――」


 結衣は、お箸を置いた。

 そして、机の下で、そっと私の手の甲に触れた。


 びく、と私は反射的に身体が揺れた。

 触れられること自体が怖いわけじゃない。

 でも、触れられることに"意味"があると分かってしまうのが、怖い。


「ごめん、嫌だった?」


 すぐに離そうとする。

 その"引く速さ"が、また優しい。


 私は慌てて首を振った。


「嫌じゃない。……びっくりしただけ」


「……よかった」


 結衣は、今度は"触れたままにしていい?"とでも言うように、指先だけで私の手を確かめる。

 私は逃げなかった。

 逃げなかった自分に驚く。


 その時、教室の入り口がまた少しざわついた。


 浅葱が顔を出したのだ。


「柚葉ちゃーん……って、おっ?」


 浅葱の視線が、机の下――私たちの手に吸い寄せられる。

 にやり、と口角が上がった。


「え、なに。教室で百合してる?」


「してません!!」


 私は即答した。顔が熱い。

 結衣も慌てて手を引っ込める。


 浅葱は楽しそうに笑う。


「いいじゃんいいじゃん。健全な推し供給。会長〜!柚葉ちゃん、クラスでイチャついてる〜!」


「浅葱」


 廊下の向こうから、風華の低い声が飛んだ。

 浅葱が肩をすくめる。


「はいはい。冗談だよ。でもさ、柚葉ちゃん。教室で居場所作れてるの、めっちゃ良い。隣の子、いい子じゃん」


 浅葱は結衣に向かってウインクした。


「柚葉ちゃんのこと、よろしくね〜」


「え、は、はい……」


 結衣が小さく頭を下げる。

 浅葱は満足そうに去っていった。


 私たちは、少し気まずく沈黙した。

 でも、その沈黙は嫌じゃない。

 むしろ――同じ秘密を共有したみたいな、甘い沈黙。


 結衣が、小さく笑った。


「……浅葱先輩、すごいね」


「……うん。すごい」


「でも、さっきの……」


 結衣が言いかけて、止まる。

 私は心臓が跳ねる。


「……さっきの、私、嫌じゃなかったよ」


 私が言うと、結衣の目が少しだけ潤んだように見えた。


「……私も。嫌じゃない」


 その一言で、机の上の世界が少し明るくなる。

 私は気づいてしまう。


 私、教室が怖かったんじゃない。

 "独り"が怖かったんだ。


 結衣は、私の弁当の中を見て言った。


「……卵焼き、綺麗。柚葉、料理得意?」


「得意じゃないよ。母が作った」


「そっか……じゃあ、今度、私が作ってくる。柚葉に食べてほしい」


 その言い方が、まっすぐで、逃げ道がない。

 でも嫌じゃない。むしろ、嬉しい。


「……楽しみにしてる」


 私はそう言って、笑った。

 結衣も笑った。


 その瞬間、私の中で確信が生まれた。


 私は、もう一人じゃない。

 風華たちだけじゃない。

 教室にも、私の味方がいる。


 そして――その味方は、私を"特別"に扱ってくれる。


 胸が、甘い。


 ※ ※ ※


 放課後。


 帰り支度をしていると、結衣が小さく声をかけてきた。


「柚葉、今日……一緒に帰れる?」


 私は頷きかけて、ふと脳裏に"生徒会室"が浮かぶ。

 風華たちが待っている場所。

 でも、今は――教室の結衣も、私の大事な場所になり始めている。


 私は一瞬迷って、それから正直に言った。


「……ごめん。今日は生徒会に寄る約束があって。でも、駅までなら一緒に行ける」


 結衣は少しだけ寂しそうに笑った。


「うん。駅まででいい」


 その"いい"が、健気で、胸が締めつけられる。


 私たちは並んで教室を出た。

 廊下で待っていた浅葱が目を輝かせる。


「おっ、隣の子と帰るの?尊い〜!」


 その奥で、風華が私を見ていた。

 目が、少しだけ鋭い。


 ……嫉妬?


 そんなはずない。会長だし。

 でも、風華は確かに私を見て、何か言いたげに口を開いた。


「柚葉ちゃん。……今日は、生徒会は短めでいい。無理に来なくていい」


 無理に来なくていい。

 なのに、声が少しだけ低い。

 心の奥が、ざわつく。


 私は結衣の手を見て、風華を見て――小さく息を吸った。


 ……これが、ハーレムの始まりなのかもしれない。


 でも、私は決めた。

 奪われるのはもう嫌だ。

 だから私は、奪われない形で、選ぶ。


「……駅まで一緒に行って、帰りに生徒会室寄ります。風華、待ってて」


 呼んでしまった。

 "風華"。


 風華の耳が赤くなって、浅葱が「うわ〜!」と騒ぐ。

 結衣が驚いた顔で私を見る。


 私はその視線に、逃げずに言った。


「……ごめん。私、大切な人が増えてきてて」


 結衣が、少しだけ笑った。


「うん。……柚葉が幸せなら、いい」


 その言葉が、胸に刺さった。

 優しすぎる。

 だからこそ、私はこの子も大切にしたい。


 駅へ向かう道。

 私は結衣と歩きながら、心の中でそっと呟いた。


 ――彼氏を寝取られた私だけど。

 周りの女の子たちが、私を好きすぎて。

 私の世界を、勝手に明るくしてくる。


 ……そして私は、その明るさを拒まない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ