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推しは尊い、尊いは正義

 翌朝。


 私はスマホの画面を見つめたまま、固まっていた。


『……風華でいい』


 ……風華でいい。

 それって、呼び捨てじゃなくて、距離の話だ。

 会長と一年生の距離じゃない。

 幼馴染の距離。

 それより、もう少しだけ――近い距離。


 布団に顔を埋めても、熱が引かない。

 心臓が落ち着かない。

 私は息を吸って、震える指で返信を打つ。


『……風華。おやすみ』


 送信。

 既読がつく。

 返信は――すぐには来ない。


 来ないのに、私の心臓は勝手に跳ね続ける。

 これが、恋なのか。

 それとも、守られて安心しただけなのか。

 どっちでもいい。今はまだ、決めなくていい。


 ※ ※ ※


 駅前。


 風華は、いつも通りの顔で立っていた。

 制服の上に羽織ったカーディガン。揺れない姿勢。凛とした空気。


 なのに――私だけが、昨日と同じようにいられなかった。

 呼び方が、喉に引っかかる。


「……お、おはよ」


 風華が僅かに目を見開き、それから小さく微笑んだ。


「おはよう、柚葉」


 それだけ。

 それだけなのに、私は心の中で叫んだ。


 ――今、私、会長って言わなかった!

 ――呼べた!呼べてしまった!


 風華は何も言わない。

 でも、歩き出す時に私の歩幅に合わせる速度が、ほんの少しだけ優しくなる。


 ……ずるい。


 ※ ※ ※


 教室に入ると、昨日よりさらに空気が落ち着いていた。

 噂は燃えやすい。

 でも"公式の処理"が入ると、一気に冷める。

 それに、人は新しい話題にすぐ移る。


 私の席に、隣の席の子が弁当箱を持って近づいてきた。


「昨日の約束、覚えてる?」


「……うん」


「じゃ、今日……一緒に食べよ」


 私は頷いた。

 今日は逃げない。

 逃げないって決めた。


 ――決めた、はずだった。


 昼休み。


 弁当箱を開けて、箸を取った、その瞬間。


 教室のドアが、また開いた。


「柚葉さん」


 入ってきたのは千景だった。

 風紀の腕章。表情は真面目。

 でも、目だけが私を確実に捉えている。


 教室がまたざわつく。


「え、風紀が何しに……」


「柚葉、また何かあったの?」


 隣の席の子が不安そうに私を見る。

 私は慌てて首を振った。


「ち、違う……!」


 千景が淡々と言う。


「柚葉さん。昨日渡した連絡先、登録できた?」


「……できました」


「よかった。もう一つ。

 もし今日、校内で不快な接触があったら、すぐ連絡して」


 ……それだけ。

 それだけなのに、"私だけに特別に言いに来た"という事実が、教室の空気を変える。


 千景は帰ろうとして、ふと止まった。

 そして、私の弁当を見て言う。


「……卵焼き、好き?」


「え?」


 急に何の話。


「卵焼き。柚葉さんの弁当に入ってる」


 私は顔が熱くなる。


「……す、好きです」


「……今度、作る」


 ――作る。


 その一言で、教室の数人が「え?」って顔をした。

 私も「え?」って顔をした。


 千景はそれ以上何も言わず、静かに教室を出ていった。


 扉が閉まった後、隣の席の子が固まって言った。


「……え、柚葉、風紀に……推されてる?」


 私は必死に否定した。


「ち、違う!推されてない!」


 ……たぶん。


 ※ ※ ※


 五分後。


 今度は浅葱が、ノックもせずに教室のドアから顔を出した。


「柚葉ちゃーん!生徒会室、寄って〜!」


 そして、私のクラスの女子たちに向かって、にっこり笑う。


「柚葉ちゃん、私の推しなんで」


 教室がざわぁ!と湧いた。


「推し!?」


「え、先輩、推しって言った!?」


「何それ、面白い!」


 私は顔が熱くなる。


「浅葱先輩!!」


「なに?事実じゃん。柚葉ちゃん、尊い」


「尊いって……!」


 浅葱は私の机の横まで来て、肩を抱くみたいに寄ってくる。


「いやさ〜、謙也の件で落ちてた柚葉ちゃんが、立ち上がって、ちゃんと笑えるようになって。

 それってもう、主人公じゃん?推すしかないっしょ」


「主人公……」


「うん。柚葉ちゃん主人公。私は推し活担当。

 で、会長はガチ勢」


 その瞬間、教室の入口に影が差した。


「浅葱。柚葉ちゃんの時間を奪わない」


 風華だった。

 会長の空気をまとったまま、なのに――私を見る目だけが少し柔らかい。


 浅葱がニヤニヤする。


「会長、来た。ガチ勢来た」


「ガチ勢じゃない」


「じゃ、何勢?」


 風華は一拍だけ黙って――私を見た。


「……保護者」


「保護者!?!?」


 教室が爆笑する。


 私は死にそうだった。恥ずかしさで。


「ふ、風華……!」


 呼んでしまった。

 教室の空気が、また一段ざわつく。


「え、会長のこと名前で呼んだ?」


「やば、幼馴染って本当なんだ」


「距離近くない?」


 風華の耳が赤くなる。

 私の耳も赤い。

 浅葱は勝った顔をしている。


 真白が、教室の入口に現れた。

 相変わらず無表情。

 なのに、発言だけが刺さる。


「結論。柚葉は学校全体から推され始めている。

 これは"反転後の現象"。正常です」


「正常じゃないよ!!」


 私は思わず叫んだ。

 教室が笑う。

 笑いが、私を包む。


 ――私、笑われてるんじゃない。

 笑わせてる。

 そこが決定的に違う。


 風華が私の方へ歩いてきて、低い声で言う。


「柚葉ちゃん。昼、ここで食べる約束なら、無理に連れ出さない。

 ……でも、終わったら生徒会室に来て」


「……行く」


 返事が、すっと出た。

 私の意思で。私の言葉で。


 浅葱が私の背中をぽんと叩く。


「はい、推しの意思確認とれました〜!

 今日も尊い、供給過多!」


 私はもう、笑うしかなかった。


 ※ ※ ※


 昼休みの後半、生徒会室に向かう途中、廊下で女子がひそひそ話しているのが聞こえた。


「柚葉ってさ、可愛いよね」


「分かる。なんか守りたくなる」


「推しって感じ」


 ……推し。

 その言葉が、さっきより現実味を増している。


 私、彼氏を寝取られたはずなのに。

 傷ついたはずなのに。

 なんで今、こんな――。


 生徒会室の扉を開いた瞬間、浅葱が両手を広げた。


「いらっしゃいませ〜!柚葉推し本部へ!」


「本部にしないでください!」


 真白が淡々と紙を出す。


「柚葉推し規約、作りました。

 第一条:柚葉が嫌がることをしない

 第二条:無理に選ばせない

 第三条:困ったら助ける

 第四条:笑顔を優先する」


「規約作るのやめて!」


 千景が静かに頷く。


「第一条、重要」


 風華は私の隣に立って、ほんの少しだけ目を細めた。


「……柚葉ちゃん。

 あなたがどう思うかは、あなたが決めていい。

 でも、私たちは……あなたを大切にしたい」


 胸が、熱い。

 私は一歩だけ前に出て、息を吸って言った。


「……じゃあ、私も。

 みんなのこと、大切にします。

 ……だから、推しとか本部とか、ほどほどにしてください」


 浅葱が目を輝かせた。


「うわ、推しが"こちら側"に来た!」


「来てない!」


 でも、私は笑った。

 それだけで、今日の私には十分だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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