第9話 幼女師匠の初配信
チュン、チュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。
爽やかな朝だ。
時刻は朝の7時。
夜型人間が多い配信業界において、あえての早朝配信。
理由は単純。俺の肉体(三歳児)が、早寝早起きを強要してくるからだ。
美結はまだ夢の中。部屋の防音は完璧。
隣室では、咲夜が眠い目をこすりながらモデレーターとして待機してくれている。
モデレーターというのは、配信のコメント欄を管理する役割のことだ。
咲夜がいてくれるおかげで、俺は画面とトークに集中できる。
モニターの中で、銀髪の美少女『AL1-SA』が、朝の光を浴びるように微笑んでいる。
待機所の同接(同時接続者数)は……三十人。
早朝にも関わらず、咲夜のファンや、通勤中の暇人が見に来てくれているようだ。
「……よし」
俺は息を吸い込み、開始ボタンをクリックした。
『あー、あー。テステス。……お早う、人類』
第一声。
可憐な少女のガワから発せられたのは、気怠げなトーンの幼声だった。
「おつアリー。見た目は幼女、頭脳はおっさん。電子の妖精AL1-SAでーす」
咲夜が考えたキャッチコピーを棒読みで読み上げる。
一人称は、普段通りの「俺」でいく。
コメント欄が、ポツポツと動く。
『おつアリー』
『朝はっや』
『幼女?』
『声かわいい』
『頭脳はおっさんw』
反応は上々だ。
俺は手元のプラスチックのコップを持ち上げた。縁に口をつけ、豪快に呷る。
ゴク、ゴク、ゴク……プハァッ!
マイクに、喉を鳴らすいい音が乗る。
「くぅ~……! 朝の一杯は五臓六腑に染み渡るな」
『朝から酒!?』
『飲みっぷりがおっさんw』
『酒焼けボイス』
「残念ながら、麦茶だ」
俺は空になったコップを置いた。
「中身はおっさんだが、この肉体は未成年なんでな。本当なら、キンキンに冷えた中ジョッキで一杯やりたいところだが……法律という名の壁に阻まれている」
『実質ビール』
『中ジョッキw』
『設定乙』
『悲しきバ美肉おじさん』
掴みはOKだ。
さて、変にキャラを作るのはやめよう。疲れるし、ボロが出る。
俺はただ、誰かと話しながらゲームがしたいだけなんだ。
「よし、んじゃ早速ゲームやるぞー。今日やるのはこれだ……スーファミの名作『悪党レイザー』」
画面に、ドット絵のタイトル画面が表示される。
プレイヤーが悪魔となり、地上に魔物の巣食う街を作り上げ、攻めてくる天使軍団を撃退するという、一風変わったアクション・シミュレーションゲームだ。
「最近リメイク版が出たらしいが、俺はあえてオリジナル版をやる。ドット絵の温かみが目に優しいからな」
『うわ、懐かしい』
『リメイク出てたなそういえば』
『チョイスが渋い』
『知ってる、神ゲーだ』
リメイクの話題を出したおかげか、単なるレトロゲー好きとして受け入れられているようだ。
「まずはシミュレーションパートだ。人間どもを扇動して、悪の限りを尽くさせるぞー」
俺はコントローラーを操作し、マップ上に魔物の巣を配置していく。
天使が雷を落としてくるが、華麗にスルーして民家を焼き払う。
「ほらほら、燃えろ燃えろー……ひゃっはー! 汚物は消毒だー!」
『かわいいのに台詞が物騒www』
『世紀末w』
『楽しそうで草』
ああ、楽しい。
ゲームも楽しいが、こうして誰かに向かって喋るのが楽しい。
ここ数年、俺の話し相手といえば美結と咲夜くらいだった。
二人とも悪い奴じゃない。むしろ、大切なママ達だと思ってる。
けど、やはり異性相手だと、どこか気を使う。
母親とビジネスパートナーだから、なおさらだ。
こうやって、なんの気負いもなく、不特定多数の「誰か」と、たわいもない冗談を言い合う。
そんな当たり前のことが、今の俺には新鮮で嬉しかった。
『お前ら、最近どうよ? 景気いいか?』
俺は手を動かしながら、世間話を振ってみる。
『ぼちぼち』
『今から会社……鬱だ』
『満員電車なう』
「はは、そりゃお疲れ様だ。電車かぁ……都会の人は大変だよなぁ。俺のところは地方都市だったから、通勤は車だったんだよなー。好きな歌をかけて歌いながら運転してたもんだが……」
懐かしい記憶を語りかけて、ハッとする。
いかん、ナチュラルに前世の話をしてしまった。
あまり特定されるようなことは控えないと。
「……ああ、いや、今のナシだ。俺は幼女だから会社なんて行ったことないしな」
『設定が適当w』
『ガバガバで草ww』
『ドライブ好きな社畜幼女wwww』
コメント欄が草(w)で埋まる。
どうやら「おっさん設定の詰めが甘い幼女」として受け入れられているようだ。
想定通りに運んでよかった。
「さて、次はアクションパートだ。天使長が攻めてきたぞ」
画面が横スクロールに切り替わる。
ここからは、俺の腕の見せ所だ。
三歳児の最強反射神経と、おっさんの経験値が火を噴く。
「おっと、その攻撃は見切ってる。……はい、残念でしたー」
敵の攻撃を紙一重でかわし、カウンターを叩き込む。
派手なエフェクトと共に、天使が沈んでいく。
『うっま』
『初見じゃない動き』
『操作が迷いないw』
『落ち着き払ってて草ww』
コメント欄が盛り上がる。
リスナーとの掛け合いが心地いい。
「焦るなよー。敵の動きをよく見ろ。予備動作があるだろ? 剣を振り上げたらバックステップ。……ほら、簡単だろ?」
淡々と攻略法を解説しながら、ボスを処理していく。
『この貫禄……もはや幼女師匠だな』
「師匠って……お前らもそう言うんだな」
『他にも呼ばれてるの幼女師匠ww』
『さすが、幼女師匠w』
『幼女師匠、ちーっす!』
俺は苦笑した。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
「まあ、お前らがそう呼びたいなら好きに呼べ。ただ、俺は別にすごくもなんともない。ただの、ゲーム好きのおっさん……幼女だ」
言い直すのが一瞬遅れた。
まあいいか。どうせ誰も信じてない。
ボスを撃破し、クリアのファンファーレが鳴り響く。
心地よい達成感。
「……ふぅ。クリアっと」
言い終えた瞬間、お腹がグゥ~と鳴った。
マイクがしっかり拾ってしまった。
『あ』
『かわよい』
『腹の虫w』
『朝ごはんだな』
「……ちっ、高性能マイクも考えものだな。腹も減ったし、今日はここまでにする。成長期なんでな、朝飯はしっかり食わないといけない」
『自由すぎるw』
『いってらっしゃーい』
『おつアリー』
『お疲れ様です、師匠!』
「おう。お前らも、朝飯くらいは食ってけよ。これから学校や仕事に行く奴は、まあ、気をつけてな。いってらっしゃい」
俺は配信を、ぶつりと切った。
余韻も何もない、唐突な終了。
配信終了後の画面には、登録者数三百二十四人という数字が表示されていた。
だが、正直どうでもよかった。
楽しかった。
その事実だけで、今の俺には十分すぎる報酬だ。
「……ふぅ」
ヘッドフォンを外し、俺は椅子に深く沈み込んだ。
その時、通話アプリから咲夜の興奮した声が聞こえた。
『師匠ーーッ!! すごい! 同接百人超えてたよ!? 「幼女師匠」って呼び方、定着しそう!』
「……朝からうるさいぞ、咲夜」
『あの落ち着きっぷり、確かに師匠って感じだった……これからもこのキャラでいこう!』
どうやら、相棒の方は数字にも手応えを感じているようだ。
まあ、あいつが喜んでくれるなら、それも悪くない。
「……さて、朝飯にするか」
俺はPCの電源を落とした。
美結はまだ起きてこないだろう。
一人でトーストでも焼いて、牛乳と一緒に流し込むとしよう。
こうして、俺ことAL1-SA――
またの名を「幼女師匠」のVTuber人生が、穏やかに幕を開けたのだった。
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ここまで読んでくださってありがとうございました!




