第7話 俺の『ママ』になってくれ
「咲夜、俺のママになってくれないか?」
それは俺が三歳になったある日のこと。
いつものように咲夜の部屋で彼女のアシスタントをしながら、俺は何気ない調子でそう切り出した。
ブッ!!
咲夜が盛大にコーヒーを吹き出した。
「あーあ……」
液タブにかからなくてよかった。
高いからな、あれ。
「げほっ、ごほっ! ……は、はぁ!?」
咲夜は口元をティッシュで拭いながら、涙目で俺を見た。
その顔は真っ赤で、動揺を隠せていない。
「い、いきなり何言い出すの!? 師匠には、美結さんというお母さんがいるでしょ! それとも何、養子縁組!? あるいは……そ、そういうプレイ!?」
「落ち着け。最後のは犯罪だ」
俺は冷静に麦茶の入ったマグカップを傾けた。
「業界用語ってやつだ。VTuberの担当絵師のことを『ママ』って呼ぶだろ?」
「……あ、そっち?」
咲夜は拍子抜けしたように肩の力を抜いた。
「なんだ……びっくりした。てっきり、師匠が私にバブみを求めているのかと」
「いや、咲夜にそういうのは求めてないので……で、どうだ? 俺の『ママ』になってくれるか?」
俺が改めて問うと、咲夜は缶コーヒーを置き、少し真面目な顔になった。
「絵を描くのはいいけど……本気なの? VTuberって」
「ああ、本気だ」
「なんでまた? 師匠なら、リアルで子役とかやった方が稼げるんじゃない? 銀幕のスターも夢じゃないでしょ」
咲夜が冗談めかして言った。
なるほど、客観的に見ればそう見えるかもしれない。
自分で言うのもどうかと思うが、自分の外見スペックはかなり高い。それに、この年齢で俺のように物分かりが良い子供はいない――というかいたら怖い。なので、唯一無二の存在になれるかもしれない。
だが、俺は即座に首を横に振った。
「却下だ。リスクが高すぎる」
「リスク?」
「まず、俺は目立ちたくない。有名になればプライベートがなくなるし、過去を掘り返されるリスクも増える。それに……」
俺は椅子からずり降りて、窓際へと歩いた。
窓枠に手をかけ、背伸びをして外を見上げる。
ここから見えるのは、マンションのベランダと、切り取られた四角い空だけ。
「美結にその手の契約判断を任せるのは、正直怖い。あいつは善人だが、大人の責任が伴う行為が致命的に苦手だからな」
ただでさえ隙が多いのだ。
芸能界なんて魑魅魍魎がうごめく場所に連れて行ったら、騙されまくって、気が付いたら借金を背負わされていた――なんてことになりかねない。
「あー……確かに」
咲夜は深く頷いた。
「それに、俺は今、金には困ってない。お前がバイト代を弾んでくれるおかげで、子供の小遣いにしては十分な金額を持っている」
「今や師匠は頼りになるアシスタントだからね。労働の対価は支払わないと」
「だが、金があっても使い道がない……外に出られないからな」
俺は自嘲気味に笑った。
ガラスに映るのは、幼い自分の姿。
身長はやっと95センチを超えたところだ。
「一人では外出もままならない。三歳児が一人で出歩いていたら即座に通報されるだろう」
護られる年齢である俺は、一人で活動できる範囲が恐ろしく狭い。
それは、まるで鳥籠のようだ。
衣食住は保証されている。
話のわかる母親も、相棒(咲夜)もいる。
だが、なんでも一人でできた大人の経験がある今、その制限が息苦しい。
「誰かと話したくても、この外見が仇になる。大人と対等に話をすることはできないし、同年代の子供と話が通じるわけもない」
「……確かに。師匠と二人で外出してたとき、家のように話してたらドン引きされたもんねぇ」
「おかげで、今は二人で外出するときは、人前では無垢な幼児の演技をするようになったんだよな」
社会と繋がりたい。誰かと対等に話したい。
政治でも、仕事でも、くだらない雑談でもいい。
ただ「子供扱いされない会話」がしたかった。
だが、この幼い体がそれを許さない。
「そこで、さっきの話に戻るんだ」
俺は振り返り、咲夜を見た。
「VTuberなら、その枷を外せる」
「……なるほどね」
咲夜は合点がいったように膝を打った。
「バーチャルの皮を被れば、見た目の年齢なんて関係ない。師匠は架空の存在として、誰かと話せるし、社会と関われる」
「ああ。だが、ただ美少女アバターを使うだけじゃない。コンセプトがある」
俺はニヤリと笑った。
「俺は、『バ美肉(バーチャル美少女受肉)おじさん』としてデビューする」
「……はい?」
咲夜がキョトンとした。
「バ美肉って……中身がおじさんで、美少女アバターを使って配信するってことだっけ?」
「そうだ。わざわざ明言するつもりはないが、俺はリスナーに対して普段通りの言動で接するつもりだ。そうすれば、自然と美少女アバターを使っているおっさんだと認識をされるだろう」
要するに、だ。
最初から「ズレている存在」として認識させてしまえばいい。
これが、俺の考えた最強の隠れ蓑だ。
「いいか、咲夜。俺が普通に『美少女VTuber』としてデビューしたらどうなる? 少しでも言葉遣いが荒かったり、ひと昔前のネットスラングを使ったりしたら『中の人おっさんじゃね?』と炎上しかねない」
「まあ、師匠の中身は平成のオタクだもんね。普段の言動からしてインターネット老人会だし」
「だが、最初から『中身はおっさんです』と思わせておけばどうだ? 俺が何を言ってもリスナーは『中身はおっさんだし』と炎上することはないだろ」
「あー……なるほど」
「俺は年齢を隠さなくていい。素のままで、対等な大人としてリスナーと会話ができるんだ」
咲夜は呆れたように、しかし感心したようにため息をついた。
「すごいね……つまり、リスナーには『おっさんが美少女の皮を被っている』と思わせておいて、実際は『中身がおっさんの幼女が、美少女の皮を被っておっさんを自称している』ってこと?」
「ややこしいが、そういうことだ」
「リスナーを騙してるようで、実は真実という……面白いね、師匠」
実際は、俺の肉体は美少女そのものだ。いわば「リ美肉(リアル美少女受肉)」状態。
だが、ネットの向こうの人間は、まさか配信者が「リアル幼女」だとは夢にも思うまい。
俺の高い声も、「高性能なボイスチェンジャーを使っている」か「地声が高いおっさん」として処理されるはずだ。
「いいじゃん。動機も戦略も十分すぎるよ」
彼女はペンタブのペンをくるくると回した。
「私だって、リアルじゃコミュ障の陰キャだけど、漫画を描いて自分を表現しているから……そういうの、なんか分かるよ」
咲夜はクリエイターだ。
表現の世界に自由を求める気持ちは、痛いほどわかるのだろう。
「ありがとう、咲夜。しかし……」
俺は、さっきまで自分がモザイク処理をしていた画面――ヒロインが艶めかしく喘いでいるシーン――をチラリと見た。
「なるほど、これが咲夜の伝えたい表現……」
「っ!?」
「最近は俺がほとんど助言しなくてもよくなってきたし、咲夜も成長したなぁ……」
「う、うるさいっ! 私をこうしたのは師匠でしょ!?」
咲夜は顔を真っ赤にして叫んだ。
俺はニヤニヤしながら肩をすくめる。
こういう軽口を叩けるのも、彼女が俺を対等な「相棒」として見てくれている証拠だ。
「じゃあ、決まりだね! 私がママになって、師匠を電子の海へ解き放ってあげる」
「ああ。頼むよ、咲夜」
「デザインはどうする? 何か希望ある?」
「いや、任せるよ。お前のセンスを信用してる」
俺は咲夜を真っ直ぐに見た。
この二年間、隣で彼女の絵を見てきた。その魅力も、フェティシズムへのこだわりも、誰よりも知っているつもりだ。
「……」
咲夜は一瞬、言葉を失った。
ペンを握ったまま、液タブの画面を見つめる。
「……本気で言ってる?」
「ああ。だからこそ、任せたい」
「お前が思う『最高に可愛いガワ』を作ってくれ」
咲夜は一瞬きょとんとしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
その目は、完全に「クリエイター」の目だった。
「言ったね? ……私の趣味全開で描かせてもらうから、覚悟してね?」
咲夜は楽しそうに笑い、新しいキャンバスを開いた。
こうして、俺のVTuberデビュー計画は動き出した。
幼女でもなく、
おっさんでもなく、
ただ「俺」として。
画面を通じて世界と繋がるために。
※よろしければブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
ここまで読んでくださってありがとうございました!




